2026年8月14日金曜日

「青少年が安全に安心してインターネットを利用できる環境の 整備等に関する法律の一部を改正する法律案」に反対する意見書

【はじめに】

 2026年7月15日に国民民主党が参議院に提出したとする「青少年が安全に安心してインターネットを利用できる環境の整備等に関する法律の一部を改正する法律案」(以下「当該法案」。国会閉会で廃案)について意見を述べます。

※国民民主党Webサイトでは、当該法律案を「エロ広告規制法案」と呼称していますが(※1)、この略式名称は法案の内容とは著しい乖離があるので正式名称で記述させていただきました。


【意見の趣旨】

 当該法案は、畢竟、デジタル・従来型の区別なく、広範にわたる媒体を対象とする広告・宣伝デザインの表現規制となり、言論統制の要因にもなる。

 制約の中で行うのが広告・宣伝デザインだが、その認識をもってしても、当該法案に反対せざるを得ない。


【意見の理由】

(1)デジタル広告に限定されない広範におよぶ媒体の広告が、有害性の審査対象になるから

 インターネットに限定的なデジタル広告は確かにあるものの、出稿メディアを問わない広告もある。一つの広告・宣伝企画で、インターネットのみならず従来型のマスコミ4媒体(※2)にも出稿する場合、一貫したデザインのキービジュアルを使用するのが通常である。

 したがって、デジタル広告のキービジュアルに当該法案の「青少年有害情報」が認められれば、同じキービジュアルを使用している従来型の広告にも有害性があることになる。実際には、有害性の審査対象はデジタル広告に限定されず広範にわたる。


(2)当該法案の「民間団体」に問題があるから

 広告の情報伝達技術としての強力さを鑑みれば、日本広告審査機構(JARO)のような民間の自主規制機関は必要と言える。こうした自主規制に関わる団体は、公平・中立な第三者機関でなければならないが、当該法案の「民間団体」には公平性・中立性を担保するものがない。

 そして、情報の有害性の判断主体が「あくまで関係事業者、保護者等」としても、自主規制の実施状況を「民間団体が評価」するのであれば、この「民間団体」が自主規制の監視機関になるだろう。この「民間団体」の監視システムにより、広告・宣伝デザインにおける表現の萎縮効果、ひいては、デザインの現場の労働環境悪化が引き起こされる危惧がある。


(3)青少年・子どもの福祉を目的としていても達成する手段に疑問があるから

 当該法案と1938年の「児童読物改善ニ関スル指示要綱」(以下「指示要綱」)には、共通点がある。青少年・子どもの「健全な成長」を目的に含み、その目的を達成する手段が、取り巻くメディアからの「有害な情報」の排除という点である。

 当時の内務省による要望および「指示要綱」の実施は、児童向け図書の表現の多様性を失わせ言論統制を進めたが、当該法案もこのように言論統制を生み出す可能性がある。

 メディア環境からの「有害な情報」の排除が、目的を達成する手段として妥当なのか、過去の歴史から学ぶべきである。


(4)体制とクリエイターの情報技術を媒介した共犯関係が、言論統制を支えた歴史があるから

 終戦の、1945 年までの体制下においては、中原淳一が『少女の友』から追放された例がある一方で、体制と共犯関係を持って言論統制を支えるクリエイター集団も発生している。

 広告・宣伝デザインの業界の過去には、『NIPPON』や『FRONT』などのグラフ誌がある。これらは、言論統制の中で体制に迎合したプロパガンダ誌という側面もあり、『FRONT』の刊行には軍部の意向もあった。情報技術を利用したい体制側と、活躍の場が欲しい当時のクリエイターの側の共犯関係が言論統制を支えたのも事実だが、当時の内務省や軍部は言論や表現に圧力を持っていたわけで、業界が迎合せざるを得なかった面もある。

 当該法案の「民間団体」が自主規制を監視するシステムにおいて、広告・宣伝は、特定の意見や思想に偏った情報を伝えるものになり、かつてと同様に、デザイン界が広告・宣伝を通じて言論統制を支えるようになる危惧がある。


(5)立法事実について誤認があるから

 先述の国民民主党Webサイト(※3)の伊藤孝恵氏の発言に「マスメディアと違ってネット広告は自主規制がない」とあるが(※4)、デジタル広告に関しても日本広告審査機構(JARO)が調査および厳重警告などの自主規制を行なっている(※5)。ネット広告は「自主規制がない」とするのは誤り。



【 定 義 】

[ 広 告 ]

 辞書には「広く世間一般に告げ知らせること」や「宣伝すること」とあるが(※6)、ここでは当該法案の文脈に従い狭義のものとする。すなわち、媒体を通じ情報伝達するものであり、有料で広告枠に出稿するものとする。各種SPツール、店頭VMDツールは、宣伝ツールとして分ける。

[デジタル広告]

 当該法案の文脈からデジタルサイネージを媒体とする広告は外す。インターネットを媒介しデジタル技術を用いて表示される広告で、「アフィリエイト広告」「ディスプレイ広告」「リスティング広告」「ネイティブ広告」「SNS広告」「動画広告」等ととらえる。

[デジタルプラットフォーム]

 当該法案第二条13項に従い、「特定デジタルプラットフォームの透明性及び公正性の向上に関する法律」第二条第一項に規定される「デジタルプラットフォーム」とする。具体的には、例えば、「Zoom」や「X」、「YouTube」、「Amazon Prime Video」などが該当する。



【意見の理由の詳細】

(1)デジタル広告に限定されない広範におよぶ媒体の広告が、有害性の審査対象になるから

 一つの広告・宣伝企画では、予算に合わせながら、あらゆる媒体を組み合わせたより効果的な情報伝達が模索されます。インターネット限定のデジタル広告は確かにあるものの、現状の広告には、各種媒体を横断するものがあるのも事実です。広告の効果が期待でき出稿費用に見合うならば、インターネット、マスコミ4媒体などといった媒体の区別なく出稿する例もあります。

 こうした一つの広告・宣伝企画では、通常では、企画に一貫したキービジュアルが用意されます。キービジュアルは、写真や図形、ロゴ、マーク、文字といったグラフィック要素が組み合わされデザインされたものです。動画媒体であれば、それらグラフィック要素と動画が組み合わされることになります。テレビCMと同様の動画広告が「Amazon Prime Video」や「X」でも流れていますが、同じ商品や宣伝対象であれば、デジタル広告にもマスコミ4 媒体広告にも、ひいてはその他のSPツール、VMDツールにも、同じビジュアルが見られるのはそのせいです。

 したがって、あるデジタル広告のキービジュアルに、当該法律でいう「青少年有害情報」に該当する情報があると判断されれば、同じキービジュアルを掲載している他の媒体も、「有害情報」を掲載していることになります。つまり、マスコミ4媒体広告であれ、SPツール、VMDツールであれ、同じキービジュアルを使用していれば、メディアの区別なく有害ということになります。すると、デジタル広告の「青少年有害情報」における有害性の審査基準に合わせたキービジュアルデザインをせざるを得なくなります。

 当該法案概要の趣旨の「インターネット上のいわゆる「 エロ広告 」」と言えば、インターネット上のアフィリエイト広告などを想像しがちかもしれません。その場合、有害性の審査対象は「インターネット上のデジタル広告」と錯覚してしまいますが、実際には広告ならば出稿メディアは問いません。また、広告と同じキービジュアルを使用していれば、関連宣伝ツールも審査対象となるので、より広範な規制対象が発生します。


(2)当該法案の「民間団体」に問題があるから

 広告は強力に働く情報伝達技術です。広告は、広告媒体の広告枠を購入し出稿するもので、挿入性、反復性があります。その広告を、見る予定がなかった(情報の)受け手にも届けることができ、また、多く広告枠を購入し出稿するなどして繰り返し同じ情報を届けることも可能です。

 しかし、例えばTVドラマのCM時間は「トイレタイム」というように、スルーされてしまうこともあります。そこで、広告を見てもらえるように(音声があるものは聞いてもらえるように)、そしてさらに、商品広告なら購買行動にまで結びつくように工夫をしなければなりません。例えば、(情報の)受け手の興味を引くビジュアルや音楽による演出です。こうした工夫には禁じられた表現があり、誇大(「大袈裟」な)表現や、「嘘」「紛らわしい」表現等が該当します。こうした事情から、日本広告審査機構(JARO)のような民間の公平・中立な第三者機関が、広告の調査および厳重警告などの自主規制を行なっています。

 もとより、広告は、複数の法律のレイヤーによる規制があります。景品表示法や薬事法の定めがあり、こうした制約の中で行うのがデザインということも言えます。前述したような、広告の情報伝達技術としての強力さを鑑みれば、一方で、自主規制機関の必要性にも頷けます。しかし、こうした自主規制に関わる団体は、公平・中立な第三者機関でなければならず、「民間」の団体であれば良いというわけではありません。つまり、特定の個人や集団・団体が共有する意見や思想ばかりを尊重することなく公平であるか、特定の個人や集団・団体に利することなく中立であるか、ということが問われます。ところが、当該法案には、この「民間団体」の公平性・中立性を担保する規定がありません。

 この「民間団体」は「青少年有害情報」の有害性の判断主体ではないとのことですが、だから、問題がないとは言えません。当該法案における情報の有害性の判断主体は、「あくまで関係事業者、保護者等」とのこと(※7)。情報の有害性の判断主体が民間であり、行政ないし公権力ではないので、検閲や公権力による事前抑制に当たらない。このことをもってすれば、表現の自由を保障する憲法第21条の違憲性を免れるという理屈かもしれません。しかしながら、恣意的にその「関係事業者、保護者等」を集めることも可能であり、特定の意見や思想を共有する人々に偏らないとも限りません。不公平で偏った判断をする可能性があるのは問題です。

 また、当該法案の「民間団体」が、「大規模デジタルプラットフォーム提供者」に圧力を持つようになると、実際には広告・宣伝の制作者側にも圧力を持つ自主規制の監視機関になってしまうことが予想されます。

 「大規模デジタルプラットフォーム提供者」の「青少年有害情報」についての「青少年閲覧防止措置の実施の状況」(第二十三条の四)を、この「民間団体」が評価する、すなわち、自主規制の実施状況をこの「民間団体」が評価するとのことです。また、この「民間団体」が、「青少年が安全に安心してインターネットを利用できる環境の整備」について調査研究・検証、そして、「成果の活用の促進に関する活動」を行うとのことで、この「民間団体」が自主規制を促す役割を大きく担っていることも明らかです。

 当該法案のこうした規定から、この「民間団体」が、自主規制の監視機関として機能することが予想できます。そして、当該法案では、「大規模デジタルプラットフォーム提供者」の異議申し立てに関する条文がありません。すると、「大規模デジタルプラットフォーム提供者」は、異議申し立てもできない状況で、「民間団体」が促す自主規制に従わざるを得なくなります。

 その上、当該法律でいう「青少年有害情報」には曖昧性の問題があります。「青少年有害情報」とは、現行の「青少年が安全に安心してインターネットを利用できる環境の整備等に関する法律」の第二条2 項の「インターネットを利用して公衆の閲覧(視聴を含む。以下同じ。)に供されている情報であって青少年の健全な成長を著しく阻害するもの」です。何が「青少年の健全な成長を著しく阻害する」のでしょうか。個人や集団により考え方や文化が異なるのだから、「有害」とする判断の基準も個人や集団により差異があります。広告・宣伝ツールの制作者側からすれば、当該法案のそうした基準は明確ではなく混乱を招くものです。

 そうした状況で、広告・宣伝情報の媒体への掲載および関連宣伝ツールの発表後に、もしも、そうした有害性が認められた場合どうなるでしょうか。広告の出稿を継続するならば、「民間団体」により自主規制が促された「大規模デジタルプラットフォーム提供者」が、広告主に修正を求める機会もあることでしょう。その修正指示は、広告・宣伝ツールの制作者側に届き、デザイナーなどが修正した成果物が広告主にバック・内容確認されることになります。ただ、このような例は、制作者側からすると、判断ミスによる成果物納品後の修正という「トラブル」になります。こうしたトラブルが発生しないよう、よりいっそう慎重な表現をするなどということになれば、広告・宣伝における表現の萎縮も避けることができません。

 当該法案は、「大規模デジタルプラットフォーム提供者」への規制を謳っていますが、実はこのように、広告・宣伝ツールの制作に関わる、デザイナーやイラストレーター、アートディレクターといったクリエイターにこそ、大きな影響を及ぼすことが予想されます。

 ならば、ということで、その「民間団体」が(親切にも)、掲載前の広告について、情報の有害性の判断主体(=民間の「関係事業者、保護者等」)の判断基準を示そうと申し出るとします。その「民間団体」が、広告の「有害情報」のいわば「監修者」となるということです。すると、「民間団体」の提言は遵守しなければならなくなり、実質的には提言に強制力を持つことになります。

 「民間団体」が、このように広告の「有害情報」の監修者となる場合、本来広告・宣伝ツールのデザインの時間だったのが、一部を監修期間に奪われるという問題もあります。広告・宣伝デザインでは、締め切りを延期できないのが通常である中、長時間労働による過労死で、大手広告代理店が訴えを起こされている例もあります。広告・宣伝デザインの過程で広告の「青少年有害情報」の審査などという過程が加わることで、よりいっそうの過酷スケジュールでの仕事といった、新たな労働問題が生まれることを危惧します。

 このように、「民間団体」が広告の「有害情報」の監修者となると申し出るかは不明です。しかしながら、自主規制の監視は「大規模デジタルプラットフォーム提供者」を通じ、畢竟、広告・宣伝の制作者側までおよぶのであり、成果物のデザインの際に、情報の有害性の判断主体の判断基準に合わせた制作を行う必要性が発生することが、まずもって問題です。

 この情報の有害性の判断主体が、特定の意見や思想を共有する人々に偏らないとは限らないことは、前述の通りです。すると、この有害性の判断主体の価値観や利益に合わせた情報が、広告・宣伝ツールを通じて拡散されていくことになります。この有害性の判断主体の価値観や利益に適合していない、あるいは隠したい情報は「有害情報」として排除されるようになり、一方で、この有害性の判断主体の思想や価値観に照らして正しい情報は広がります。


(3)青少年・子どもの福祉を目的としていても達成する手段に疑問があるから

 1935 年、文部省は「教学刷新評議会」を開設、教育的な観点からの答申の後、1937 年に具体的学制改革のための教育審議会を開設しました(※8)。その後の1938年に内務省警保局図書課から「児童読物改善ニ関スル指示要綱」(※9)の通達があったわけですが、この点について戦時児童文学研究者で作家の山中恒は、当時「児童文化が教育文化と同意義に見做されていた」とし、学校教育の管理体制に目処がついて、次に児童文化、という流れだったと指摘しています(※10)。なお、国家総動員法制定も「指示要綱」通達と同じ1938 年です。

 この「指示要綱」は児童向け図書を作成する際のルールのまとめで、内務省警保局図書課が児童雑誌図書の編集者を呼び出し通達したものです(※11)。

 この「指示要綱」作成に先立って、内務省は、児童雑誌図書の編集者と懇談会を行い問題点をまとめています。この懇談会に続いて、民間有識者による問題改善にあたっての答申が行われています。児童文学者の小川未明の答申案「児童雑誌に対する理想案」には、「児童にとりて、有害なるものを除き、健全な教化に邁進したならば」とあり(※12)、児童向け図書から「有害な情報」を排除して「健全な成長」に導く理想が語られています。このような経過を経て、内務省警保局図書課が「指示要綱」を作成しましたが、それにはこうした民間有識者の協力がありました(※13)。

 「指示要綱」が、児童向け図書を作成する際のルールのまとめだったことは、前述のとおりですが、民間有識者の答申の通り、「有害な情報」は排除、「健全」は奨励という方向性にまとまりました。エロス(卑猥)や恋愛の表現は「有害な情報」、国家総動員体制を背景とし、教育的な物語や表現は「健全」とされました。

 「指示要綱」の具体的な規定には、「廃止スベキ事項」、つまり「有害な情報」として、「卑猥ナル挿画」「卑猥俗悪ナル漫画及ビ用語」などがあり、「過度ニ感傷的ナルモノ、病的ナルモノ其ノ他小説ノ恋愛描写ハ回避」とあります。そして、「仮作物語」を制限して少なくし、その分、「歴史的知識ニ関スルモノ」を「充ツルコト」などと奨励しています。「忠臣、孝子、節婦等ノ伝記モノハモトヨリ国民全体又ハ一ツノ集団ノ困難、奮闘、発展等ヲ叙シタルモノ、即チ国民史的記事ヲ取上ゲルコト」という規定もあります(※14)。

 その他、文字では活字の大きさや振り仮名についてのルール、広告では誇大広告がNGということも示されています。

 「指示要綱」は、それ以前から続く、児童向け図書の「浄化運動」の一つの現れだったという面もあります。山中恒は著書『戦時児童文学論』において、有識者による「児童読物の浄化の要望も(中略)すでに明治年代に於いても一部では取り上げられており(※15)」という証言の紹介もしており、一部の知識人による「児童読物の浄化の要望」が、「指示要綱」以前からあったことについて言及しています。「指示要綱」については、当時の児童文化研究家の百田宗治による「一部知識階級の家庭や一般児童文化に関心を持つ人の間で強力な支持を得ている」(東京朝日新聞「少年少女雑誌批判」1938 年)という見解も紹介しています(※16)。

 こうした「指示要綱」の実施にあたっては、「最初、児童文学や児童心理学、教育学の専門家の意見をとりいれたため、芸術的な児童文学が一時的に復興するという現象がおきました」(※17)とする評価もあります。しかし、一方では、児童向け図書の多様性を失わせることにもつながり、1940年には、『少女の友』で当時人気イラストレーターだった中原淳一が、内務省および軍部の圧力で『少女の友』から追放されるなどという事件も起きています。

 中原のイラストもさることながら、まず『少女の友』が、「浄化」の必要がある雑誌図書として内務省や軍部から目をつけられ、一部の有識者からも否定的に見られていたという面があります。

 国立公文書館デジタルアーカイブ「児童雑誌検閲簿」1938年(昭和13年)12月号から1939年(昭和14年)4月号までの検閲帳簿には、『少女の友』について「全体的ニ主情ニ偏スル嫌アリ」と記載されており、問題視されている様子が伺えます(※18)。また、先述の百田宗治は、東京朝日新聞の「少年少女雑誌批判」という連載記事において、『少女の友』に掲載されていた川端康成らの作品について、「感傷的」などと否定的な見解を示しています(※19)。

 『少女の友』の内山基主筆によれば、中原のイラストは、戦争が長期化する中、陸軍省報道部や内務省などにより「不健康だ」などとしばしば問題にされていたとのことです。そして、内務省の検閲官から呼び出されて中原の降板を求めらた数ヶ月後、1940 年6月号を最後に、ついに軍部の圧力で降板という運びとなりました(※20)。

 メディア史研究者の佐藤卓己は著書『言論統制』の中で、次のように分析しています。1935 年から中原淳一のイラストを雑誌の顔として起用し、女学生の間で熱狂的なファンを得ていたが、「都会的」「エレガント」「モダン」といった美意識が「欲しがりません勝つまでは」の戦時標語と折り合いをつけるのは困難だった(※21)、と。

 言論統制が進めば、このように表現も「時代に合わせたもの」に統制され、多様性は失われていきます。山中恒は著書『戦時児童文学論』で、「指示要綱」実施後の言論統制下における、戦争や軍隊をテーマとする児童向け読物の増加を指摘しています(※22)。

 このような「児童読物改善ニ関スル指示要綱」ですが、当該法案と共通点があります。青少年・子どもの「健全な成長」を目的に含み、その目的を達成する手段が、青少年・子どもを取り巻くメディアからの「有害な情報」の排除という点です。「指示要綱」、当該法案ともに、青少年・子どもの福祉を目的とした良案にも見えますが、実のところは如何でしょうか。両者に共通する「有害な情報」の有害性の判断について俯瞰してみると、問題も見えてきます。

 「指示要綱」にも当該法案にも「有害」とされる情報がありますが、その有害性判断の基準に明確性はありません。このような場合、有害性の判断主体の裁量が大きくなります。その有害性の判断主体は、「指示要綱」実施当時ならば内務省や軍部で、当該法案においては民間の「関係事業者、保護者等」ですが、当時の内務省や軍部にも、この民間の人々にも中立性・公平性を担保するものはありません。

 こうした中立性・公平性に欠ける団体や集団、つまり、特定の意見や思想を共有する人々ばかりで、大きな裁量で有害性の判断を行えば、その判断に価値観や道徳観の偏りが発生するのは、中原追放の一件などからも明らかです。

 当該法案の「関係事業者、保護者等」が、このように中立性・公平性を持たず、大きな裁量で有害性の判断を行うならば、前述の「民間団体」と共に、当時の内務省や軍部の立場と変わらなくなると考えます。つまり、「関係事業者、保護者等」と「民間団体」が、言論統制のシステムにおける、情報のコントロールの役割を担う立場になるということです。

 「指示要綱」が作られた当時、言論統制により表現の多様性が失われていったわけですが、はたしてこれが本当に青少年・子どもの福祉となったのでしょうか。

 中原淳一といえば、戦後にも活躍の場を広げ、雑誌の創刊なども行なっています。弥生美術館が原画を所蔵するなど現在ではその表現に高い評価があり、中原淳一の雑貨店『それいゆ』も健在です。また、先述の百田宗治が否定的だった川端康成は、戦後にノーベル文学賞を受賞しました。言論統制は、こうした様々の表現の可能性を摘んでしまうものでもあります。


(4)体制とクリエイターの情報技術を媒介した共犯関係が、言論統制を支えた歴史があるから

 終戦の、1945年までの体制にあっては、内務省や軍部が表現の内容について判断し発禁などの圧力を加えることができる状態でした。1925年の治安維持法は、1928年には最高刑が死刑に引き上げられ、1933 年には特攻警察による小林多喜二暗殺事件も起こっています。山中恒の言葉を借りると、戦前の内務省は「警察権力の総元締め」だったということで、次のように述べています。「特に戦前の特攻警察の横暴ぶりは小林多喜二虐殺事件に見られるように、一般庶民にとっては恐怖の府でもあった。」(※23)

 1940 年の中原追放の一件に先んじ、我が国では、このように公権力が表現に圧力を加えることができるシステムへと着々と整えられ、言論統制のシステムが形成されていきました。

 戦前の内務省や軍部は、表現に圧力を持つ戦時下イデオロギーが強い集団となっていました。内務省や軍部が勢力を増す中、恐怖、そして表現の禁止と奨励によって、漸進的に言論統制のシステムは確立されました。表現における禁止は、内務省や軍部の価値観に照らして「有害」である情報、そして、内務省や軍部の損になる情報です。表現における奨励は、同じく、内務省や軍部の価値観に照らして正しい情報、そして、内務省や軍部に利する情報です。

 このような体制下、内務省や軍部の圧力による中原追放の一方で、そうした内務省や軍部の価値観に迎合し、活躍の場を得るクリエイター集団も現れます。例えば、『NIPPON』の日本工房や『FRONT』の東方社です。

 『NIPPON』や『FRONT』などのグラフ誌には、体制に迎合したプロパガンダ誌だったという側面があります。『FRONT』の刊行には軍部の意向もありました(※24)(※25)。こうした『NIPPON』『FRONT』ですが、戦後になってから復刻版が出版されるなど(※26)(※27)、高い編集技術や高クオリティの写真、タイポグラフィ、レイアウトなど、現在でもデザイン的な面で時代を超えた評価を得ています。

 『NIPPON』や『FRONT』の制作に関わった各クリエイター個人の考えや事情はさまざまであろうし、全てを推し量ることはできません。とはいえ、そうした人々にとってこうした国策グラフ誌は、自分たちに都合が良かったということは否定できますまい。それは、発禁処分を受ける可能性が極めて低かったからです。表現の場を模索していた人々が、国策グラフ誌という場を得て、当時としては新しかった技術を用いた表現にチャレンジすることも可能でした。

 軍部としても、軍部や体制に利するプロパガンダに、一流のクリエイターを雇って当時としては最新の視覚伝達技術を利用することができました。しかしそれは、クリエイター側と体制側との、持ちつ持たれつの共犯関係でした。こうした共犯関係で、体制にとって正しく利する情報が広まる一方で、体制が禁じる情報は覆い隠されるようになりました。

 1928 年の張作霖爆殺事件の真相を、一般国民が知るのは戦後のことです。そして、1931 年、満州事変の発端となる柳条湖事件が起きます。張学良軍を陥れる日本軍の自作自演・謀略だったことが、終戦後に発覚します。この後、我が国は、1933年に国際連盟脱退、国際的な孤立とイメージ悪化を改善する必要に迫られます。そこで創刊されたのが、グラフ誌『NIPPON』でした(※28)(※29)。

 『NIPPON』は、日本工房がデザインを担当し1934 年に創刊されました。1910 年代からのロシア構成主義の盛り上がり、1919年、ワイマール期のドイツでのバウハウスの設立(のちにナチスにより閉鎖)、1924年にはアンドレ・ブルトンの「シュルレアリスム宣言」、これに続くシュルレアリスム絵画・映画の表現、こうしたデザイン・芸術・文化における新しい潮流が我が国のデザインにも影響を及ぼすようになります。同時に写真や印刷の技術も向上し、この頃になると、写真や図案、タイポグラフィを組み合わせ、レイアウト技術を駆使したグラフィックデザインが一つの円熟期を迎えます。

 『NIPPON』は、亀倉雄策などの一流デザイナーや写真家により、力強い、そして時には前衛的な紙面が作られました。一方で、日本の伝統的な手仕事などの掲載もあり、現在では、民藝や民俗学にとっても大変貴重な資料となっています。しかしながら、こうした見た目の秀逸さ美しさは、そのまま、張作霖爆殺事件、柳条湖事件のような野蛮さ、あるいは、人権感覚の無さを覆い隠す対外プロパガンダでした。

 このように、情報技術を利用したい体制側と、活躍の場を必要とする当時のデザイナーや写真家の側には共犯関係があり、それが当時の言論統制を支えたという側面があります。そうした言論統制の中、1941 年、真珠湾攻撃により我が国も第二次世界大戦に参戦。こうしたグラフ誌も含め、メディアでは嘘や誇大な情報が伝えられ、1945年に終戦。多くの人命が喪われました。

 東方社で『FRONT』のデザインに携わった多川精一は当時を振り返り、「仕事を失い経済面からおびやかされることが戦争そのものより怖かった。」と述べています(※30)。言論統制を支えたことを鑑みれば、こうした体制側とクリエイター側の共犯関係は、肯定し難く美談にもなりません。しかし、こうした過去を反省すればこそ、まず、言論統制のシステムが形作られないよう、そのきっかけを摘み取っていくことが先決です。そして、そのきっかけになり得るのは、当該法案によって構築される自主規制の監視のシステムです。

 前述したように、当該法案における「民間団体」が、「大規模デジタルプラットフォーム提供者」に圧力を持つようになると、実際には広告・宣伝の制作者側も含めた自主規制の監視機関になってしまうことが予想されます。こうした、「民間団体」が自主規制を監視する構造は、システムの面では、当時の内務省や軍部が言論を監視していたのと同様です。すると、かつて内務省や軍部に迎合しなければ仕事を得られなかったように、この「民間団体」や前述の「関係事業者、保護者等」に迎合しなければ仕事の場が得られなくなるのではないか、という問題も出てきます。この有害性の判断主体が、どんなに不公平で偏った判断を下すようであっても、クリエイターは受け入れて仕事をしなければならないことになります。

 この「民間団体」が自主規制を監視するシステムの中で、広告・宣伝の仕事は、特定の集団や団体が共有する意見や思想に偏った情報を伝えるものになり、かつてそうであったのと同様に、デザイン界が広告・宣伝を通じてそうした一種の言論統制を支えていくようになっていく危惧があります。

 ただ、その言論統制の内容は、幾分か現代的になるのかもしれません。旧統一協会のようなカルト集団による社会のあらゆる場への浸潤は、現代的な社会問題ですが、その情報の有害性の判断主体にカルト集団が浸潤することがないとも言えません。


(5)立法事実について誤認があるから

 詳細説明は必要なしと考え省略



【 結 論 】

 中原淳一は、終戦前からイラストのみならずファッションや雑貨のデザインも手がけるなど、ジャンルを超えて活動されていました。戦後には、雑誌『それいゆ』や『ひまわり』の創刊など、さらに幅広く活躍されました(※31)。

 一方、『NIPPON』の山名文夫、亀倉雄策、『FRONT』の原弘といった人々は、戦後そのまま我が国のグラフィックデザイン界の基礎を築き重鎮にスライドします。こうした人々のデザイン界への貢献は言わずと知れたところですが、その技術力の高さこそが当時の言論統制を支える力たり得ました。

 現代を生きる広告・宣伝デザインに携わる各種クリエイターは、過去の反省に立たなければならないでしょう。広告には、反復性、挿入性があり、一種の強力な情報伝達技術とも言えます。ゆえに、法規制や、日本広告審査機構(JARO)のような公平・中立な第三者機関による自主規制もあります。しかし、青少年・子どもの「健全な成長」を目的とする規制であっても、手段によっては言論統制のきっかけとなることもあるので、注意が必要です。

 言論統制の中、中原淳一による『少女の友』の表紙イラストの可能性はなくなりました。これまで見た通り、そこには当時の民間の知識人や体制の圧力がありました。当時の社会を非言語的「ディスクール」ととらえると、それは、フーコーが言う、ディスクールにおける「排除されたエノンセ」そのままです(※32)(※33)。フーコーが問うたのは「その言表(エノンセ)(※括弧内記述は筆者)は、なぜ、それとは別の言表(エノンセ)(※括弧内記述は筆者)ではありえなかったのか。」(※34)、あるエノンセが言い得るはずだったにもかかわらず、なぜ表現から排除されたのか、ということです。

 最も強力な情報伝達技術の一つが、言論統制下での広告・宣伝ということも言えるでしょう。それは、社会に広まる情報の選別とコントロールを強力に行い、不要なエノンセを排除しディスクールを形成できるからです。情報の監視システムを構築し監視する側になれば、自分たちに都合が良い情報ばかりになります。監視する側にとっては美しい社会でしょう。理想のための言論統制、これによるエノンセ排除が行われる社会もあるということです。

 すでにソシュールが、言語を一種の社会制度ととらえ、言語の恣意性について、——例えば、シニフィエとシニフィアンの紐帯の恣意性などについて——指摘していましたが(※35)、社会システムがエノンセ排除に介在する時の恣意性は、一方の人々にとっては不本意な抑圧となることがあります。

 かつて、一部の知識人の協力のもと内務省や軍部が表現に介入した時代、表現の排除における恣意性が強力だった頃の社会では、中原淳一に見られるような表現の場からの追放どころか、小林多喜二暗殺のような殺人も発生しました。美や理想を目指しているのだとしても、エノンセ排除に介在する恣意性が強力である社会は、人間の命をも排除する例があります。それは、過剰に管理が行き届いた社会ではないでしょうか。

 図書の浄化運動に関わった当時の一部の知識人には、善意も理想もあったことでしょう。「浄化」の何かを達成すれば、自分を囲む人々の集団においては「手柄をあげた」などとして尊敬を集めたのかもしれません。しかし、社会システムの中で、そうした一部の集団にとっての良いアイディアが、他の集団においてはどうか、そして、その手段を講じた結果どうなるか、その知識人は考えるべきではなかったでしょうか。

 我が国には、青少年・子どもの「健全な成長」という福祉を目的とし、その間違った手段が言論統制を進めた歴史が

あります。この度提出された当該法案についても、それが本当に良いアイディアなのか、目的を達成する手段に誤りはないか、そして、人間を過剰に管理する社会になってしまわないかどうか、自らの内にも他者性を持って検証するような、思慮深さを忘れないようにしたいものです。目的は手段を正当化しません。


以上


女子現代メディア文化研究会

代表/デザイナー 山田久美子



【 注 釈 】

(※1)「国民民主党」Webサイト(トップ)>ニュースリリース >【法案提出】議員立法「エロ広告規制法案」を提出(https://new-kokumin.jp/news/business/20260715_4)

(※2)テレビ、新聞、雑誌、ラジオ

(※3)(※1)に同じ

(※4)文脈から、当該法案概要における「デジタル広告」と「ネット広告」は同義と解釈する

(※5)「Forbes Japan」Webサイト(トップ)>ビジネス>マーケティング>JAROが厳重警告した問題広告のパターンとは(2024年度上期)(https://forbesjapan.com/articles/detail/76307)

(※6)デジタル大辞泉(小学館)による

(※7)伊藤たかえ(伊藤孝恵)「X」2026 年7月22日の投稿による

(※8)山中恒『ボクラ少国民 第一部』(勁草書房/ 1991 年/ 33~43ページ)

(※9)「<寄稿> 内務省「児童読物改善ニ関スル指示要綱」をめぐって:佐伯郁郎旧蔵資料によるテキストの確定」に「指示要綱」全文と原本についての掲載がある

白百合女子大学機関リポジトリ>「紀要論文 児童文化研究センター研究論文集 27号(2024)」>「<寄稿> 内務省「児童読物改善ニ関スル指示要綱」をめぐって:佐伯郁郎旧蔵資料によるテキストの確定」

(※10)山中恒『ボクラ少国民 第一部』(勁草書房/ 1991 年/ 33、43ページ)

(※11)山中恒『戦時児童文学論』(大月書店/ 2010 年/ 56ページ)

(※12)山中恒『戦時児童文学論』(大月書店/ 2010 年/ 52~53ページ)

(※13)山中恒によれば、あらかじめ内務省警保局図書課が作成した要綱案を、答申案総括の九名に討議させたが、それは建前で実際には承認を求めたとのこと。「これは内務省の独断ではなく、民間有識者の意見を求めたという形式を整えるためのものだった」山中恒『戦時児童文学論』(大月書店/ 2010 年/ 60ページ)

(※14)(※8)に同じ

(※15)山中恒『戦時児童文学論』(大月書店/ 2010 年/ 67ページ)

(※16)東京朝日新聞に掲載された百田宗治の「少年少女雑誌批判」による。山中恒『戦時児童文学論』(大月書店/2010年/ 57ページ)

(※17)「1938(昭和13)年には、内務省の「児童読み物改善に関する指示要綱」が発表されました。これは、一種の言論統制ですけれども、「要綱」の実施にあたっては、最初、児童文学や児童心理学、教育学の専門家の意見をとりいれたため、芸術的な児童文学が一時的に復興するという現象がおきました。新美南吉『おぢいさんのランプ』(1942 年)や椋鳩十『動物ども』(1943 年) などの新人の作品は、こうした状況の下で出版されたものです。」

「国立国会図書館国際子ども図書館」Webサイト(トップ)> 第2 章 「童話」の時代―『赤い鳥』創刊から戦前まで(https://www.kodomo.go.jp/jcl/section2/index.html)

(※18)国立公文書館デジタルアーカイブ「児童雑誌検閲簿」1938年(昭和13年)12月号から1939年(昭和14年)4月号までの検閲帳簿、4コマ目。(https://www.digital.archives.go.jp/file/1724345)

(※19)百田は川端康成の作品を「十年依然たる少女小説の感傷的な足踏みが見出されるだけであった」としている。山中恒『戦時児童文学論』(大月書店/ 2010 年/ 58ページ)

(※20)『少女の友』の内山基主筆の回想による証言。高橋洋一『中原淳一 美と抒情』(講談社/ 2012 年/ 104~105ページ)

(※21)佐藤卓己『言論統制 増補版』(中公新書/ 2024 年/ 442ページ)

(※22)山中恒『戦時児童文学論』(大月書店/ 2010 年/ 74~93ページ)

(※23)山中恒『戦時児童文学論』(大月書店/ 2010 年/ 56~57ページ)

(※24)「一九三九年、当時第五課長だった山岡道武大佐は、九段事務所の馬場秀夫を通じて、こうした国家的規模のグラフ誌が日本で出せないものかと岡田に打診した。」とある。「第五課」とは陸軍参謀本部二部(情報担当)の第五課、「岡田」は東方社の理事長の岡田桑三である。多川精一『戦争のグラフィズム』(平凡社/ 2000年/ 57~60ページ)

(※25)『東京都写真美術館 紀要 No.11』金子隆一『リアリズムとプロパガンダ──社会へ向けられた写真家のまなざし』(東京都写真美術館/ 2021年/ 89ページ)

(※26)『合本復刻版 NIPPON 』(図書刊行会)

(※27)『復刻保存版 FRONT 』シリーズ(平凡社)

(※28)「日本は1931年の満州事変以来、困難な状況にあった国際的な立場を改善し、悪化したイメージを回復させる必要に迫られていた。

日米開戦以降は欧米に向けたものから中国および南方地域での文化工作を意識したものに変化していく。海外に向けてどのような「日本」のイメージを打ち出すかは重要だった。(中略)さまざまな思惑のなかで、「独自の伝統があり、かつモダンな日本」のイメージが選択されていった。」図録『柳宗悦没後60 年記念展 民藝の100 年』(東京国立近代美術館/ 2021 年/ 152ページ)

(※29)「日本は1931(昭和6)年、中国東北部に侵攻する。満州事変の勃発である。中国や列強との間で緊張が高まり、さらに32(昭和7)年の満州国建国にともない、日本は国際的に孤立することになる。こうした時代背景を抜きに『NIPPON』について語ることはできない。日本は孤立状況を打開するために対外宣伝政策の強化をはかったが、その宣伝媒体となったのが『NIPPON』なのである。『NIPPON』は世界に日本文化を紹介・宣伝するための雑誌だった」『東京都写真美術館 紀要 No.11』金子隆一『リアリズムとプロパガンダ──社会へ向けられた写真家のまなざし』(東京都写真美術館/ 2021 年/ 87ページ)

(※30)多川精一『戦争のグラフィズム』(平凡社/ 2000 年/ 87ページ)

(※31)中原淳一公式Webサイト(https://www.junichi-nakahara.com)

(※32)ミシェル・フーコー著/渡辺一民 、佐々木明訳『言葉と物〈新装版〉―人文科学の考古学―』(新潮社/ 1974 年)

(※33)ミシェル・フーコー著/慎改康之訳『知の考古学』(河出書房新社/ 2012 年)

(※34)ミシェル・フーコー著/慎改康之訳『知の考古学』(河出書房新社/ 2012 年/ 57ページ)

(※35)フェルディナン・ド・ソシュール著/小林英夫訳『一般言語学講義』改版(岩波書店/ 1972 年)



・「青少年が安全に安心してインターネットを利用できる環境の整備等に関する法律の一部を改正する法律案」に反対する意見書 PDF(737KB)



2024年5月7日火曜日

東京都青少年健全育成条例における「不健全図書」の名称変更に賛成する意見書

 【はじめに】

 この度の、東京都青少年の健全な育成に関する条例(以下「当条例」)における「不健全図書」の名称変更に関するパブリックコメント(以下「当パブコメ」)募集につきまして、感謝申し上げるとともに新しい動きとして期待します。


【意見趣旨】

[1]当条例の「不健全図書」の箇所を改め「青少年販売等制限図書」などに変更する改正案に賛成します。

[2]「不健全図書」の名称変更を始まりとし、不健全図書指定の影響で、当条例の目的を逸脱した効果が生まれている販売規制などについても改善を希望します。


【意見の理由】

[1の理由]

 「健全」という概念は、青少年の「育成」という枠組みでは優生思想の概念を含むことになるため、「青少年の育成」というコンテクストで判断軸として用いるべき適切な概念とはいえないからです。

[2の理由]

 業界で大きな販売シェアを持つ図書販売企業の自主規制により、多くの成人が不健全図書を購入できなくなっている現状があります。これは当条例で求める以上の規制であり、成人の知る権利の侵害にもつながります。


【意見詳細】

[1について]

 辞書によれば「健全」には、「健康であること」「調和がとれていること」などといった意味があります(※1)。たしかに間違ってはいません。しかし、歴史を振り返れば、子どもや青少年の「育成」という枠組みにおける「健全」の概念には、優生思想が含まれていることがわかります。

 近代から現代にかけ、母子の保護および子どもの育成に関する社会福祉政策は、母性主義フェミニズムを背景に発展している部分があります。1918年からの「母性保護論争」(※2)においても、ドイツの「母性保護同盟(連盟)」(※3)の活動や母性主義フェミニストのエレン・ケイの思想が紹介され、我が国の社会福祉政策や世論に影響を与えています。

 母性保護同盟が設立された頃のドイツでは、18 世紀後半にイギリスから始まる産業革命を発端とする急速な都市化、結婚制度の不備(※4)などを要因とし、未婚の母が劣悪な生活環境や貧困に陥り、(未婚の)産婦と乳児の死亡率が高いなどの問題がありました。そこで、「母性保護同盟」が、未婚の母と子の母子ホームの設立、官立産期保険を未婚の母に拡大する運動を行いました。健全な環境や健全な子どもの出産や育成は、第一派の母性主義フェミニズムにとっても大きなテーマだったわけです。

 こうした母性主義フェミニズムやそれを背景とする社会運動は、子どもを「健全に育てる」という言葉とともに、「育成」という枠組みでの「健全」の概念を広める一つの契機にもなりましたが、このコンテクストにおける「健全」とは、善悪の両面を持つ諸刃の剣でもありました。

 当時の母性主義フェミニズムを起点とするそれらの取り組みは、われわれ現代人が恩恵に預かる社会福祉政策に引き継がれている面もあります。また現在では、企業メセナなどを通じた活動など、「青少年の健全育成」をテーマにした有意義な取り組みが行われている例もあります。

 一方で、こうした母性主義フェミニズムには優生思想の影響を受けている面もあり、現在のフェミニズムからの批判もあります。エレン・ケイには、児童福祉と同時に優生思想への心酔もあり、著書「児童の世紀」では、冒頭からさっそく優生学の父フランシス・ゴルトンを褒め称えています(※5)。エレン・ケイは、また、著書「恋愛と結婚」においても、育児中の母親の国家による保護の必要性を説きながら、「社会における母性の役割=種族によい子孫を残す役割」と強調しています。「種族に不利な条件の下における生殖の自由の制限——これこそ生命線なのだ。」(※6)という主張は、まさに優生思想の顕現であるといえるでしょう。

 こうしたエレン・ケイの思想の影響を受けた第一派のフェミニストに、平塚らいてう、山田わかがいます。平塚は「子供の数や質は国家社会の進歩発展とその将来の運命に関係あるから、母の育児は、社会的・国家的な仕事である」などと述べており、現在のフェミニズムからは、「ナショナリズムや優生思想に直結するひびきがある」との指摘も受けています(※7)。

 第一派の母性主義フェミニズムを媒介して広まったこのような「健全」の概念には、健康に子を生み育成するといった面、種族に貢献する優良な血統を選別して残そうという面が地続きとなって混在しています。後者の面は優生思想であり、言うまでもなく差別思想です。

 子どもや青少年の「育成」という枠組みで、優生思想の側面を併せ持つ「健全」という概念を判断の軸とした図書の選別は、育ち伸びる青少年を目の前に適切であるといえるのでしょうか。まず、そのような図書選別の判断の軸として「健全」の概念を用いることをやめるべきです。そして、「不健全図書」という名称も捨て「青少年販売等制限図書」などとし、差別思想を排した名称に変更するべきです。


[2について]

 当パブコメの募集趣旨でも触れられている件ですが、大手インターネット通販サイト等の自主規制による問題です。現在、書籍を扱うインターネット通販サイトの中でも、例えばAmazonのような大きな販売シェアを持つ企業が「不健全図書」の販売自粛をしていますが、これにより、当条例で求める以上の販売規制が生まれています。

 当条例で「指定図書類の販売等の制限」を定める第9条にあるとおりですが、「不健全図書」の販売制限は青少年に対するものであって、成人を対象にはしていません。成人は青少年と異なり購入の機会は制限されていません。それにもかかわらず、Amazonでは「不健全図書」は成人も購入できない状態となっています。すなわち、青少年に対する販売制限という規定を越え、多くの成人に対する販売規制が発生しており、「青少年の健全な育成を図る」といった立法趣旨を逸脱した効果が出ているということです。

 現在では、実店舗としての書店を持たない自治体も存在しています。そうした中、成人がAmazonのような大きな販売シェアを持つインターネット通販サイトで「不健全図書」を購入できないのは、成人にとっては「知る権利」の侵害となるのではないでしょうか。なお、「知る権利」は憲法第21条が保障する「表現の自由」の一部です。



【当条例についての他の疑義】

 大きな改定を目指した2010年3月の当条例の改正案では、「非実在青少年」の文言の不明瞭さも含めそもそもが読みにくく構成された悪文で、あらゆる部分における曖昧性が批判の対象となりました。同年12月の改正案では、「非実在青少年」の文言もなくなっており、当初の改正案に比べれば曖昧性が払拭された部分もあります。とはいえ、第8条および第7条第2号によるアニメや漫画の「不健全図書」の指定については、それを指定する判断者、すなわち、知事や東京都青少年健全育成審議会の委員の裁量に委ねられる部分が大きく、不当な不健全図書指定が行われるのではないかという危惧が、依然として残っています。

 古来より近親相姦を含む創作物は読み継がれ、表現者にとってもモチーフであり続けています。ソフォクレス「オイディプス王」では、オイディプスは実の母と婚姻し子どもももうけているし、紫式部「源氏物語」では、血の繋がりはないものの藤壺と光は母と息子の関係です。

 現代でも近親相姦をモチーフとする作品があります。漫画では竹宮惠子「風と木の詩」があります。この作品には主人公の少年とその父の近親相姦が描かれ性交を含む性的な描写もありますが、父と息子が求め合うなど「不当に賛美」と解釈され「不健全」と判断される危惧があります。

 しかしながら、子をコントロールし性的な関係まで結ぶ父の描写があることで、本来ならば性教育で行うべき「悪い大人がいる」ということについて学べる——それは漫画というメディアであればこそ——青少年が夢中になって読むことができる絶好のテクストでもあり続けたわけで、性教育においても適切この上ない図書であることもまた事実です。

 このように、当条例は、「不健全図書」指定判断者の裁量が大きく相反する判断が可能となっています。いいかげんな判断により図書やアニメの販売が停止され、創作物・表現物の発表の機会が失われぬよう、何らかの解決策が望まれます。


【まとめ】

 ルソーの「エミール」は「子ども」発見の書とされることがあります。確かに、フィリップ・アリエス「<子供>の誕生」をすれば、フランスでは18世紀以前には現在のような「子ども」はいなかったということになります。アリエスは「子供期に相当する期間は、「小さな大人」がひとりで自分の用を足すにはいたらない期間」であったとしています(※8)。これらの見解への疑義はあるものの、19世紀最後の年、1900年に刊行されたエレン・ケイの著作「児童の世紀」の名のとおり、20世紀には児童への社会福祉政策、児童の権利宣言の採択が進みました。1924年の国際連盟による「児童の権利に関するジュネーブ宣言」は、国際機関が採択する世界初の児童権利宣言となりました。1959年には国際連合による「児童の権利に関する宣言」が採択され、1989年には「児童の権利に関する条約」が国連総会で採択、1994年には日本も批准しています。

 こうした「子ども」への取り組みは、上述した母性主義フェミニズムによる社会への啓蒙とも連動しています。エレン・ケイもそうした部分では貢献者といえるでしょう。しかしながら、子どもの「健全育成」というコンテクストでは、その「健全」の概念が優生思想と地続きとなっていることは、今一度思い出しておきたいところです。

 子どもは成人と比べ心身ともに未熟で自己決定能力が不完全な状態にあるのは確かです。悪い大人に騙されたりしないよう保護を必要とする部分もあり、判断力が育つまで年長者の補助が必要です。だからといって、子どもの未熟さを理由に、大人が子どもから発言の機会を完全に奪ってしまうなど、保護が過剰となれば支配となります。未熟とはいえ子どもも人間であり、表現の自由があります。人格があり、意思があり、何かを思っている存在であることは忘れてはなりません。それをわれわれ大人の自戒とし、本稿のしめくくりといたします。


以上


女子現代メディア文化研究会

代表 山田久美子


[注釈]

(※1)「デジタル大辞泉」>健全 (https://kotobank.jp/word/健全-492527)

1 身心が正常に働き、健康であること。また、そのさま。「—な発達をとげる」

2 考え方や行動が偏らず調和がとれていること。また、そのさま。「—な社会教育」

3 物事が正常に機能して、しっかりした状態にあること。「—な財政」

(※2)母性保護論争:1916年、与謝野晶子が書いた記事「母性偏重を拝す<一人の女の手紙>」(「太陽」1916年2月号)がきっかけ。記事で、エレン・ケイを「絶対的母性中心説」と批判、これに対し、エレン・ケイを日本で紹介した平塚らいてうが反論し、論争が始まる。与謝野、平塚の他、山川菊栄、山田わからが加わる。「母性主義フェミニズム」ばかりでなく「女性の経済的独立」等についても意見が交わされた。

(※3)母性保護同盟:1905年成立(~1940年まで存続)。ヘレーネ・シュテッカーによりドイツで設立される。未婚の母と子の母子ホームの設立、官立産期保険を未婚の母に拡大する運動等を行う。

(※4)当時の結婚制度では、財産の管理をめぐり経済的に女性が不利になる部分があった。

(※5)エレン・ケイ「児童の世紀」(富山房百科文庫)P16

(※6)エレン・ケイ「恋愛と結婚・上」(岩波文庫)P162

(※7)奥田暁子、秋山洋子、支倉寿子「概説 フェミニズム思想史」(ミネルヴァ書房)P155

(※8)フィリップ・アリエス「<子供>の誕生」(みすず書房)P1


・東京都青少年健全育成条例における「不健全図書」の名称変更に賛成する意見書(PDF版 426KB)

2024年2月20日火曜日

オンラインシンポジウム「表現者・ファンと炎上社会 ー女性と性表現2ー」につきまして

 本年3月のオンラインシンポジウム「表現者・ファンと炎上社会 ー女性と性表現2ー」開催につきまして、お慶び申し上げます。


 前回2021年の「女性と性表現」は、女子現代メディア文化研究会(以下「当研究会」)の共催のみならず、代表の登壇もありました。そうした中、このたびの「女性と性表現2」につきましては共催団体ではなくなっております。昨今のSNSにおける憶測やデマの拡散を鑑み、その件につきましてコメントさせていただきます。


 まず、当研究会メンバーや代表が、登壇者のどなたかが気に入らないあるいは意見が異なるなどといったために共催を取りやめたなどということは全くありません。このたびのシンポジウムにおける登壇者お一人お一人の成功をお祈りしております。

 そうした中、当研究会がこの度のシンポジウムの共催団体ではなくなっている理由についてです。

 当研究会代表の認識といたしましては、今回は当初から共催団体に入れられていないと考えておりました。この度のシンポジウムに関し、主催者から代表へのバナーデザインの依頼があったものの、共催団体への団体としてのお誘いがなかった上に(シンポジウム自体についての)打ち合わせもなかったからです。

 このようなイベントの場合、共催団体であれば、通常は実際の対面が困難でもZoom等でオリエンや打ち合わせが少なくとも1度はあるものです。しかしながら、今回のシンポジウムにつきましてはそのような機会は全くありませんでした。そして、この流れであれば、イベント当日の会場の立ち合いにも参加させていただけないことは明白でした。実のところシンポジウムそのものについては関わりを遮断されている状態で、要するにこれでは、共催団体としての実態がないし持ち得ないということです。

 そうした状況で、代表が承ったバナーデザインのための原稿において当研究会の名前があることに疑問を持ち、この度の共催団体への連名はお断りを申し出ました。

 当研究会では、実態がない共催その他への名義貸しはお断りしております。当研究会の名義を使用する際には、やはり責任を負わなければならないと考えております。当研究会で過去にリリースした意見書がSNSでの言い争いに利用される昨今、困難な状況も発生しておりますが、責任を持った運営を心がけております。

 なお、女子現代メディア文化研究会は表現規制やメディアについての研究会であって、デザイン制作を事業とする団体ではありません。それは、当研究会のWebサイトや活動を見ていただければご理解できることかとは存じますが、この点につきまして、主催者の勘違いがありそれが齟齬につながったようです。


 当研究会は、「表現の自由」や女性の性表現、フェミニズムにかかわる問題につきまして、今までどおり勉強会等を開催、陳情活動をしていく所存です。

 今後とも、当研究会をどうぞよろしくお願いします。


以上


女子現代メディア文化研究会代表

山田久美子


2023年12月4日月曜日

国連女子差別撤廃委員会に反論し2016年にリリースした意見書に関するデマ拡散の危惧について

 ~国連女子差別撤廃委員会、「日本における女性の権利」保障~ 議題「性的暴力を描写したビデオや漫画の販売の禁止」についての意見書
http://wmc-jpn.blogspot.com/2016/02/blog-post.html

 2016年2月に当会からリリースされた上記の意見書は、昨今のSNSでの論争の中、リリースまでのプロセスや連名の内容が大きな誤謬をともなって宣伝される例も散見されます。誤謬からデマにつながる恐れがございますので、当該意見書の著作者であり文章責任を持つ当会現代表山田久美子から注意点をお伝えいたします。

 当該意見書は作家や漫画家の方のみならず、イラストレーター、美術家、弁護士、法律家、研究者、フェミニスト、元AV女優、元図書館司書、アニメジャーナリスト、シナリオライター、ルポライター、詩人、編集者の方等、職業・立場を超えた大勢の方々にご賛同いただいております。当該意見書の著作者本人といたしましてはその皆様お一人お一人に厚く感謝申しあげたく存じます。



【リリースまでのプロセス】
・2016年2月11日に、国連女子差別撤廃委員会からのツイート(現X)で、「日本による女性の権利保障の実績について審議する」という宣伝の投稿がありました。
 リンク→https://twitter.com/UNHumanRights/status/697456741609574400
・そのツイートに「性的暴力を描写したビデオや漫画の販売の禁止」とありました。
(原文)Banning the sale of video games or cartoons involving sexual violence against women
  ↑
 こちらにつきまして、審議はいいが「BAN」には異議があり、その旨を伝える意見書を作成しました。
・2016年2月28日に当該意見書を当会Webサイトからリリースしました。
・2016年2月28日のリリースの時点での賛同者は藤本由香里明治大学教授と元共同代表の水戸泉氏です。
 ※現在は、水戸泉氏は当会との関わりは一切ありません。
・ですが、作家や漫画家で事前に企画した内容を山田がリライトしたというプロセスで、当該意見書を作成したという事実はありません。
・当該意見書はあくまで山田の発案・アイディアで作成され、リリースののち各方面から大勢のご賛同の連名が集まった形になります。

【意見書の著作者について】
・文章責任は当時の共同代表山田久美子単独となっており、文章責任の署名は、現在もWebサイトの当該意見書でご覧になれます。
・意見書の執筆段階においては元共同代表の水戸泉氏は一切干与しておりません。共同執筆ではないので、文章責任の署名は当時の共同代表山田久美子単独となっているということです。
・水戸泉氏の関与についてあえていえば、完成した意見書に目を通したという事実はございますし賛同の連名もいただいておりますが、これは意見書の執筆段階ではなく完成後のプロセスです。

【当時の意見書リリース情報の拡散について】
・当時の意見書リリース情報のSNSにおける告知や当該意見書へのご賛同の受付は、水戸泉氏にお手伝いいただいた部分もあります。
・とはいえ、意見書のリリース情報はSNSを通じ大勢の方によって拡散されることになりました。拡散してくださったお一人お一人のお力でご賛同者にお集まりいただけたと考えており、現在も大変感謝申しあげる次第です。
・また、SNSばかりではなく、ラジオ番組やJ-CASTニュース、Forbes本国アメリカ電子版等の国内外のメディアの媒介でより広い情報の拡散が行われました。SNSのみの拡散ではこのような情報共有は進まなかったのはもちろんです。メディアの関係者の皆様方には現在も大変感謝申しあげる次第です。

【連名の内容のデマの危惧について】
・ご賛同の連名は、確かに作家や漫画家の方が大勢してくださったのは事実で、現在も大変感謝申しあげる次第です。
・ですが、誰が「中心」ということはなく、あくまでお一人お一人がご賛同の連名を支えたと考えており、そのお一人お一人に感謝申しあげる次第です。
・ご賛同の連名について「100人以上の作家さんが(行った)」と言い切ってしてしまうと、(作家以外の)他のお立場や職業の方が埋もれてしまいます。
・著作者の山田の本職は、デザイナー・アートディレクターであり、上記のような表現が拡散されることで埋もれてしまう側の立場でもあります。
・SNSにおけるこのような誤謬を含む投稿は悪気がないことかとも存じますが、こうした誤謬が大きくなり作家以外の「〇〇の(お立場や職業の方の)人々は、女性の性表現や表現の自由を守ることについて何もしてこなかった」というデマにつながることを危惧します。
・ご賛同の連名は、フェミニストの方からもいただけました。ご賛同の連名においても、「フェミニストは何もしなかった」は誤りです。
・当団体から「作家や漫画家が中心になって意見書をリリースした」というのは、デマです。
  ↑
・当該意見書は作家や漫画家が事前に企画した内容を山田がリライトしたものではなく、山田の発案・アイディアで作成・執筆したもので、完成ののちにリリースしたからです。
・また、意見書の執筆段階においては元共同代表の水戸泉氏は一切干与しておらず、山田の文章責任でリリースしている事実とも食い違います。


以上

女子現代メディア文化研究会
代表 山田久美子


PDFファイル(266kb)


2023年2月12日日曜日

【イベント告知】第4回『ジェンダーって何?』〜フェティシズムとトランスの欲望〜

 第4回目となるオンライントークイベント「ジェンダーって何?」のテーマは、『フェティシズムとトランスの欲望』です。

前回、永山さんから「フェティシズムは奥深いし、広範だし、多岐にわたっているし…」といった発言がありました。それは、前回扱ったシーラ・ジェフリーズの著書へのツッコミでもありましたが、トークはやむなく時間切れとなりました。もっとお話を伺ってみたかった!そこで今回あらためて、「フェティシズム」を含めたトークテーマとしました。

「フェティシズム」というと、世間一般には広義の意味で語られることが多いのかもしれません。しかしながら、狭義の意味での「フェティシズム」はモノを対象としています。「フェティシズム」は、心理学、ひいてはセクシュアリティやジェンダーのカテゴリにおいても研究対象とされていきました。「呪物崇拝」から、現在ではモノや部位に性的な欲望を抱くさまとして、深く考察されています。シャルル・ド・ブロスがこの「フェティシズム」という語を著書に用いて以来200年以上を経て、この概念は各カテゴリを越境し(≒トランス)、意味がそれぞれの場で徐々に変化してもいます。

元々「フェティシズム」は「トランス」との関連も深いので、その関連において考察することでいろいろな「気づき」があると考えました。

今回は、漫画やアニメ、「悪役令嬢転生おじさん」、シシィフィケーション等の話題を交え、「転換」「転生」といった意味も含めた「トランス」という枠組みで、「フェティシズム」と「トランスの欲望」について考察するトークとしたいです。

さて、どんなトークになるでしょう? おなじみ永山薫さんと柴田英⾥さんの対談を通し「フェティシズムとトランスの欲望」を深堀りします。今回も、司会の山田も補足的な解説をします。


[テーマ]

フェティシズムとトランスの欲望


[議題]

・フェティシズムの男女差

・トランスのいろいろ


[開催概要]

・対談者:永山薫 × 柴田英⾥

・開催形式:ZOOMライブ配信(タイムシフト1週間)

・開催日時:2023年3月4日(土曜日)19:00〜20:30(※ただし延長の可能性あり)

・料金:1,000円

・定員:100名

・司会:山田久美子

・主催:女子現代メディア文化研究会

※当イベント視聴用のZOOMのミーティングIDやパスコード、URLは、チケットをご購入いいただいたご本人に、前日にお知らせします。

※物価高や電気料金値上げによる諸々の経費上昇を鑑み、誠に恐縮いたしますが、料金を600円から1,000円値上げいたしました。


[質疑応答について]

当イベントでは、質疑応答のコーナーがあります。質問は事前に下記アドレスから受けつけます。

info@wmc-jpn.com



[お申し込み]

【パブコメ】誹謗中傷等の違法・有害情報に対するプラットフォーム事業者による対応の在り方 について

 総務省からパブリックコメントによる意見募集がありましたので、表現の自由に関わる部分についての意見を提出いたしました。なお、意見につきましてはMicrosoft Wordによる様式の指定がありましたので、当該様式にて提出いたしました。


【募集案件】

誹謗中傷等の違法・有害情報に対するプラットフォーム事業者による対応の在り方について


【詳細】

https://www.soumu.go.jp/menu_news/s-news/01kiban18_01000181.html


【応募日】

2023年1月26日


【意見】


2.全体の検討を通じて留意すべき事項


[該当箇所]

「有害情報」について


[意見]

「有害情報」には道徳的規範を侵犯する表現も含まれる。国や地域の文化や歴史の差異により、道徳的規範さらには記号の意味にも差異があることに留意するべきである。例えば、我が国で寺を示す「卍」がドイツやヨーロッパでナチスの鉤十字を思わせるとの意見が聞かれる場合がある。海外に拠点を置くプラットフォーム事業者であるとしても、日本国内の「有害情報」の判断は日本の価値基準に合わせるべきであり、こうした場合は、こうした記号の利用が道徳的規範への侵犯および差別や誹謗中傷と判断するべきではない。



3-4.その他透明性・アカウンタビリティの確保が求められる事項(運用体制等)


[該当箇所]

「AI等による自動処理」について


[意見]

AIの自動処理を必ずしも否定しないが、AIの利用には人間による確認も介在させるといった、AIと人間のバランスも必要であると考える。AIは必ずしも適切な判断をしない場合があるし、文脈まで読み取らないのが弱点だ。2018年にはフェイスブックが、「ウィレンドルフのビーナス」の画像をサイト上から削除したことが知られている。これについては、市民ばかりではなく、展示を行っているウィーン自然史博物館からも批判を受けている。AIの判断が原因という説もあった。また、フェイスブックは2016年に、サイト上からベトナム戦争の報道写真「ナパーム弾の少女」を削除した後、その削除を撤回している。こちらもAIの判断が原因という説もあった。「ウィレンドルフのビーナス」や「ナパーム弾の少女」が、人間が目視した上での判断で削除に至ったとするならば、その判断をする人材についても適切な人材を選択するべきであるということは付け加えておく。



3-6.取組状況の共有等の継続的な実施


[該当箇所]

「産官学民の協力」について


[意見]

表現の自由は尊いとしても、表現をした結果、権利の衝突や人権侵害が起こった場合を鑑み、個別に裁判を起こしやすくするべきである。この場合、産官学民の協力が必要であることは否めないし、今後ともそういった取り組みは必要であると考える。一方で、「有害情報」の判断について、例えば何を「差別表現」とするのかについては、時代や国、社会、個別の集団、ひいては個人によって差異がある。例えば、我が国で寺を示す「卍」がドイツやヨーロッパでナチスの鉤十字を思わせるとの意見が聞かれる場合がある。公権力が一定の強制力を持ちつつ「有害情報」の判断の主体となると、「有害情報」の判断基準に「公権力」と「国や社会、個別の集団」で差異がある場合に、後者(の「有害情報」の判断基準)が強制的に否定されることになる。したがって、公権力が「有害情報」の判断の主体とならないよう、さらにいえば、公権力が情報の内容への規制を行わないよう留意しながら、産官学民の協力を行うべきである。



以上


女子現代メディア文化研究会代表

山田久美子


2022年10月27日木曜日

【イベント告知】[第3回]ジェンダーって何? 〜「美とミソジニー」とファッションとジェンダーと〜

 第3回目となるオンライントークイベント「ジェンダーって何?」のテーマは、『「美とミソジニー」とファッションとジェンダーと』です。

今回は、書店への撤去要求が起るなど話題の書籍「美とミソジニー  美容行為の政治学」(シーラ・ジェフリーズ/著)を通読し、気づいた点を指摘しながらファッションとジェンダーについて語り合います。

本書は力作かもしれませんが、ファッションや化粧についての雑な研究に基づいた「有害な文化的慣行」を論じています。雑な研究から導き出そうとする、女性のシューズ等のファッションや化粧についての議論には疑問があります。

「表現の自由」の観点から、本書の書店からの撤去には反対です。しかしながら、その雑な研究や議論についての異議は述べたいと思います。

本書を読む限りジェフリーズは、ファッションや化粧を狭くとらえ過ぎているのではないか? という疑問があります。そして本書では、ファッションが持つ問題に解決策を提示してきたデザイナーについての言及がないのも疑問です。そうした疑問を呈しつつ、まずは、ファッションや化粧についてもっと広い視野を持って語り合いたいと考えています。

「脱コルセット」ならば、ココ・シャネルが先駆者ですし、山本耀司はコレクションで「非ハイヒール」を通しています。そもそも、靴はヒールをなくすだけで「身体の負荷」を取り除けるのか? という疑問もあります。化粧もまた女性が行う「メイクアップ」だけではありません。ヘヴィメタルバンドのメンバーに見られるような、男性の化粧もあります。

本来、ジェンダーを考える上でも重要な要素であるはずのファッションや化粧。今回も、おなじみ永山薫さんと柴田英⾥さんの対談を通し「ファッションとジェンダーと」を深堀りします。今回も、司会の山田(本職はデザイナーです)も補足的な解説をします。

今回のイベントも、このような方にこそ推します。

・「ジェンダー」について判りたい方

・「ジェンダー」と「表象」に関連する炎上等、表現の自由に問題意識がある方

・「ジェンダー」を学校とはちょっと違った視点で考えたい方


[開催概要]

・対談者:永山薫 × 柴田英⾥

・開催形式:ZOOMライブ配信(タイムシフト1週間)

・開催日時:2022年11月23日(水・祝日)19:00〜20:30(※ただし延長の可能性あり)

・料金:600円

・定員:100名

・司会:山田久美子

・主催:女子現代メディア文化研究会

※当イベント視聴用のZOOMのミーティングIDやパスコード、URLは、チケットをご購入いいただいたご本人に、前日にお知らせします。


[お申し込み]

https://peatix.com/event/3398654/view


[質疑応答について]

当イベントでは、質疑応答のコーナーがあります。質問は事前に下記アドレスから受けつけます。

info@wmc-jpn.com


2022年4月15日金曜日

国連女性機関の「月曜日のたわわ」広告への抗議意見についての疑義

 【はじめに】

 国連女性機関本部が、「月曜日のたわわ」の全面広告について抗議する書面を日経新聞に送付していたとの一部報道がございます。(※1)
 報道における国連女性機関の意見について2点の疑義を呈します。


【疑義】

(1)胸が大きな女性の表象が含まれる広告が排除されると、胸の大きな実在する女性が疎外感を持つ場合があります。そうした女性にとってはエンパワーメントとは逆とならないか。

(2)国連女性機関が性的か否かの判断をしミニスカート姿を含め性的であるという基準であれば、国連女性機関の理想とする「女性像」の押し付けとならないか。


【疑義の詳細】

(1)について。そのように疎外感を持つ胸が大きな女性が、「女性のエンパワーメント」の対象外となってしまうことについて疑問があります。日本の広告にはJARO(日本広告審査機構)などが取り扱う案件はありますが、広告の排除や掲載中止はあくまで慎重な議論に基づいていなければなりません。

(2)について。規範の判断基準は社会集団によって異なりますが、国連女性機関が判断の主体となっている場合、国連女性機関の価値観の反影が含まれるという問題があります。 
 「アンステレオタイプアライアンス」において「ジェンダー平等」などと謳っておりますが、それは結局の所、国連女性機関が理想とする「ジェンダー平等」であり国連女性機関が社会集団として共有する女性の性規範・理想像を含むのではないかという点があります。
 現在の日本には、実在する人間としてのミニスカートの女子高生は存在します。その女子高生に国連女性機関が直接的に性的規範の圧力を及ぼすことになる可能性自体については検証されなければなりません。それはすなわち、「国際スタンダード」が実のところ西洋的価値観、あるいは、西洋を発祥とする宗教的価値観ではないか? そしてそれにより、日本人の性規範を指導しようという態度ではないか? ということについてです。日本人も含めたアジア人が、あくまで客体として西洋に指導される側でいるべきというならば、ポストコロニアルな視点からも容認できません。
 日経新聞についてもまた、同新聞社が「アンステレオタイプアライアンス」に加盟ているといっても、同新聞社の価値観や理想があります。まして、日本の一般企業の広告が国連女性機関の理想や西洋の性規範の宣伝目的で存在しているのではありません。
 当該広告については日本国内で現在も議論が続いておりますが、まずは日本国内の主体的な議論にまかせるべきであると考えます。


以上

女子現代メディア文化研究会代表/デザイナー・アートディレクター
山田久美子


※1:国連女性機関が『月曜日のたわわ』全面広告に抗議。「外の世界からの目を意識して」と日本事務所長/2022年04月15日(https://www.huffingtonpost.jp/entry/story_jp_6257a5d0e4b0e97a351aa6f7?utm_campaign=share_twitter&ncid=engmodushpmg00000004


2022年3月22日火曜日

【イベント告知】ジェンダーって何? 〜学校が教えてくれない「性」のヒミツ〜

 今回のイベントは、このような方にこそ推します。

・「ジェンダー」について判りたい方

・「ジェンダー」と「表象」に関連する炎上等、表現の自由に問題意識がある方

・「ジェンダー」を学校とはちょっと違った視点で考えたい方

今日ではニュースでも見聞きするようになった言葉、「ジェンダー」。危惧するのは、もはや「わけのわからない用語」になっているのでは? という点です。

「ジェンダー」には本来、「セクシュアリティ」や「セックス」とも関連する、複雑で奥深い概念や意味があります。コンテクストによって、用語としての揺らぎも生じます。

場面によっては、このような用語を安直に雑に用いることで、混乱を生み出しかねないとも考えます。

この度は、永山薫さんと柴田英⾥さんの対談を通し、そんな「ジェンダー」の基礎知識についてお伝えします。


[開催概要]

・対談者:永山薫 × 柴田英⾥

・開催形式:Zoomライブ配信(タイムシフト1週間)

・開催日時:2022年4月10日(日)19:00〜20:30(※ただし時間延長の可能性あり)

・料金:600円

・定員:100名

・お申込み:https://peatix.com/event/3200789

・司会:山田久美子

・主催:女子現代メディア文化研究会

※当イベント視聴用のZOOMのミーティングIDやパスコード、URLは、チケットをご購入いいただいたご本人に、前日にお知らせします。


[質疑応答について]

当イベントでは、質疑応答のコーナーがあります。質問は事前に下記アドレスから受けつけます。

info@wmc-jpn.com

2021年11月23日火曜日

【イベント告知】 オンラインシンポジウム ⼥性と性表現―表現者・ファンの視点から―

当会代表の山田がオンラインシンポジウムに登壇します。

ご興味ある方は、ぜひご参加くださいませ。 


日時:2021年11月28日(⽇)・12月5日(⽇) 17:00〜20:00時

場所:ZOOM(参加お申し込みはピーティクスにて)

主催:⼥性表現者の⾃由研究会

共催・後援:AFEE⼥性⽀部・⼥⼦現代メディア⽂化研究会・千住コンテンツ会

協賛:コンテンツ⽂化研究会

お申し込み:https://jyosei-to-seihyogen.peatix.com

料金:第1回、第2回、それぞれ別で、1,200円


11月28日(⽇):第1回「現状編」

【登壇者】

よーへん(xRデザイナー・VTuber)

⼭⽥久美⼦(デザイナー・アートディレクター/女子現代メディア文化研究会代表)

柴⽥英⾥(現代美術家・文筆家)


12月5日(⽇):第2回「歴史編」

【登壇者】

神⽥つばき(文筆業/東京女子エロ画祭主宰)

藤本由⾹⾥(明治大学国際日本学部教授)

笠原美智⼦(石橋財団アーティゾン美術館副館長)

2021年5月13日木曜日

「青少年が安全に安心してインターネットを利用できるようにするための施策に関する基本的な計画(第5次)(案)」についてのパブリックコメント

  内閣府が募集している「青少年が安全に安心してインターネットを利用できるようにするための施策に関する基本的な計画(第5次)(案)」についてのパブリックコメントを提出いたしました。



「青少年が安全に安心してインターネットを利用できるようにするための施策に関する基本的な計画(第5次)(案)」(別紙1)についての意見


■4〜5ページ「3 施策実施において踏まえるべき考え方」について

項目④の「行政の支援」は「支援」に止まらなければならない。

項目⑤の「有害性の判断への行政の不干渉」は欠かせないが、この項目の「民間」は行政からの中立性が担保されていなければならない。


例えば、行政の人々が民間の施設を足繁く訪れ「支援」と称して指導をすること、あるいは「お声がけ」と称して指導的な内容の通達をすること、これらは民間にとっては圧力となる場合がある。圧力が生じては「支援」ではなく実質的には行政の介入となる。

「青少年インターネット環境整備法」の定義における「有害情報」例示には「わいせつな描写」が含まれる。猥褻性の判断は個人や社会集団が保持する価値観によって差異があるわけだが、有害性の判断に行政が介入しては、行政の側の人々が保持する価値観と差異を持つ人々に対し、強制力を持って価値観を否定することになる。行政が内心の自由に踏み入ることになるし、特にグローバル化が進んだ現代社会では、ある社会集団に共有される価値観に基づきその外部の社会に向かって理性を模倣させる圧力を与えようとして、軋轢が生じる例も少なくない。


■9ページ「5 国民運動の展開」について

インターネットに関わる技術(IT、ICT、IoT全般)に信頼を置いたまま行う「国民運動の展開」によって、それらの技術がもたらす問題を見落とすことを危惧する。


インターネットに関わる技術は不完全である。SNS、例えばツイッターでは誤認の規制により、ポリシー違反ではないにもかかわらずアカウントが凍結されることがある。アカウントに対するロックアウトや凍結に対しての、異議申し立ては後を絶たない。ツイッターで検索すれば、すぐさま誤認による規制のエピソードが複数ヒットする。

「国民運動の展開」で市民の間に昂揚感が伴うことになった場合、たとえ誤認によってでも、罪の烙印を押された人々は恰好の排斥対象となり名誉回復が困難になることを危惧する。あるいは、虚偽のポリシー違反の報告によるSNSを介した嫌がらせの発生を危惧する。「国民運動の展開」は、そうした例にはむしろ救済の反対に作用する危険性がある。


以上


2020年9月7日月曜日

「第5次男女共同参画基本計画策定に当たっての基本的な考え方(素案)」についてのパブリックコメント

 内閣府男女共同参画局が募集している「第5次男女共同参画基本計画策定に当たっての基本的な考え方(素案)」についてのパブリックコメントを提出いたしました。
以下、様式に則った回答を転載いたしました。



ご意見(1):
1ページ、6ページ、7ページ、「基本的な方針」、他について

「男女共同参画基本計画の目指すべき社会」を男女の人権が尊重された社会としているものの、この計画では、6ページ、7ページからもわかるように、セクハラや性暴力についての問題意識は女性に対するそれらについての意識が主軸となっている。被害者は女性に限らないのだから、そうした問題を「男女共同参画」の枠組みで扱うのは無理がある。
労働の場におけるそうした問題ならば、性による区別なく労働問題の一部として取り扱うべきであり、男性の被害者が取り残されない仕組みづくりが必要である。

47ページ、「子供、若年層に対する性的な暴力の根絶に向けた対策の推進」、他について

子供への性暴力は性による区別なく子供の人権に関わる問題なので、こちらも「男女共同参画」の枠組みで扱うのは無理がある。こうした問題は、「子供の権利」の枠組みで取り扱うべきである。



該当分野(2):第2部 II 第5分野 女性に対するあらゆる暴力の根絶
該当ページ数(2):54
ご意見(2):54ページ、「8 インターネット上の女性に対する暴力等への対応」について

ここで示されるような、メディアにおける不適切な性・暴力表現を防止する施策は行政が行うべきではない。女性の活躍の場を奪い、むしろ、女性への差別的状況を生み出すと考えるからである。
インターネット上のメディアにはアニメや映画等の動画や漫画等の電子書籍も含まれる。そうしたメディアでの性・暴力表現の適切さの判断基準だが、これは道徳的価値観に基づく。そして、道徳的価値観は個人や社会集団によって差異がある。
行政が、道徳的価値観に基づき性・暴力表現の適切さの判断基準を決定すれば、国民に対しそうした道徳的価値観における理性を模倣させる圧力となる。結局のところ、行政が根拠とする道徳的価値観であっても、そうした価値観は、各社会集団や個人のそれに依拠する。したがって、そうした圧力を加えようとすれば、行政が採用した道徳的価値観と異なる価値観を持つ人々の価値観や思想が否定されることになる。価値観の差違から軋轢が生じる場面もあり、行政が国民の内心の自由に踏み込むことにもなる。
なお、製造途中に実際の人権侵害が含まれる記録物の取締まりは行うべきであるが、道徳的価値観と人権侵害の問題は別質であるので、分けて考えるべきである。
また、そうしたメディアの創作の場は、男女雇用機会均等法施行以前(素案では男女雇用機会均等法は昭和47年施行となっているが不正確である。昭和47年施行となったのは勤労婦人福祉法であり、同法からは紆余曲折があり昭和61年の男女雇用機会均等法施行となっているわけで、この昭和61年施行から続く男女雇用機会均等法と勤労婦人福祉法を同列に扱えば誤謬が生じる)から、女性が自らの努力で切り拓いてきた女性が活躍する場でもある。特に漫画は「少女漫画」というジャンルができ、女性の漫画家が活躍され創作において性表現も行われてきた。竹宮惠子先生の「風と木の詩」では登場人物への暴力も含む性描写がされた。行政が性・暴力表現の適切性を判断しその道徳的価値観における理性を模倣させる圧力となるならば、こうした作品が排除されかねない。
先人の女性の努力を蔑ろにせず、女性の活躍の場を奪うことにならないよう、こうした創作の場を発展的に継承していくべきである。



該当分野(3):第2部 III 第9分野 男女共同参画の視点に立った各種制度等の整備
該当ページ数(3):79
ご意見(3):79ページ、「第10分野 教育・メディア等を通じた男女双方の意識改革、理解の促進」について

漫画やアニメ、映画等を含めたメディア全般に、行政がそうした意識改革の理解を促す媒介となる義務をおわせるならば、「男女共同参画」にとって望ましい表現以外はあらかじめ排除されることになり、創作を行う人々の自由な表現を阻害することになる。
例えば時代劇のような、現代と価値観が異なる封建的な社会を題材に創作を行うのが困難になることが予想される。
全てのメディアがそうした意識改革の理解を促す「教科書」的なコンテンツとなる必要はない。そうした理解を促すならば、それを目的とするパンフレットや動画等の一部のメディアが行うにとどめるべきである。



以上

2020年7月28日火曜日

ろくでなし子氏裁判 最高裁判決についての意見書

【はじめに】

7月16日、最高裁判決にてろくでなし子氏の有罪が確定しました。ろくでなし子氏のプロジェクトアートの過程における、ご自身の女性器をスキャンした三次元形状データファイル(以下「本件3Dデータ」)を、クラウドストレージを利用する手段・CD-Rに複製して郵送する手段で配布した部分について、わいせつ電磁的記録等送信頒布、わいせつ電磁的記録記録媒体頒布の罪に問われていた裁判です(なお、都内アダルトショップにおける、女性器をかたどった立体作品「デコまん」の展示については、2016年5月9日の東京地裁の判決で無罪となっている)。



【意見の趣旨】

この度の最高裁判決は不当判決である。
刑法175条について、廃止を含めた検討を始める時期にあると考える。



【意見の理由】

[理由1]
罪に問われた本件3Dデータの配布は、ろくでなし子氏のプロジェクトアートの過程でのことである。違法性阻却のための芸術性・思想性が認められるかについては、プロジェクトアートとして扱い検証するべきであったが、プロジェクトアートとしては検証するべき焦点がずれ、バランスを欠いた判断がなされた。

[理由2]
そもそも、裁判官がわいせつ性の有無を判断する際のわいせつ3要件における、「普通人」の判断基準、「普通人」の「正常な性的羞恥心」の判断基準、これらの妥当性に疑問がある。
また、その判断の際、裁判官の主観性を完全に斥ける手段は、我が国の司法のシステムには備わっていない。



【意見の背景】

[理由1について]
プロジェクトアートの本質には「過程」があります。アーティストが作意により企図したプロジェクトの進行、オーディエンスとの関わり、そうした要因による可変的な現前、それら全体が作品です。作品には、プロジェクトの中の個別のプロジェクト、そして、プロジェクトにおいて制作した個別の物やデータも含まれます。プロジェクトアートは、こうした「過程」を除外してとらえることは出来ません。
また、こうしたプロジェクトアートは、現代の芸術が陥っていた様相への一つのアンチテーゼでもあり、美術館のホワイトキューブで展示された物のみが作品となるのか? という問いへの一つの解でもありました。
こうしたプロジェクトアートの本質を鑑みれば、プロジェクト全体の中の個別のプロジェクト、および、制作した個別の物やデータ状の作品について検証を試みる際には、プロジェクト全体の「過程」としての「持続」が作品であって、その「持続」の「断片」を検証しているのだという意識がなければ判断を誤ります。「断片」は同時に「持続」なのだから、「断片」を対象に検証する際は、同時に「持続」としても検証していなければなりません。
しかしながら、判決文(※1)を見ると、「行為者によって頒布された電磁的記録又は電磁的記録に係る記録媒体について」ばかりが焦点となり、「断片」と同時に注がれるべき「持続」への視点を欠く内容となっています。
わいせつ性については、本件3Dデータを「コンピュータにより画面に映し出した画像やプリントアウトしたものなど同記録を視覚化したもののみを見て」、違法性阻却のための芸術性・思想性やわいせつ性の検討および判断をするべきであるとし、そして、「本件データ又は本件CD-Rの頒布が前記各機会を他者に与えるものであることに」、すなわち、本件3Dデータを配布された人々に、そのデータを加工して創作をする機会を与えるものであることに、「芸術性・思想性が含まれているとしても、そのことを考慮してこれらの検討及び判断をすべきではない」と明言しています。
これは、プロジェクト全体の「過程」としての「持続」の一部分である本件3Dデータの提供から、さらにそのデータを視覚化した情報のみを焦点としているのであって、すなわち、「断片」のさらなる「断片」のみを焦点としているのであって、プロジェクトアートが「持続」であることに基づけば、適当なバランスによる検証が成立しているわけがありません。
「持続」への視点を持つならば、次のような要素も検証の対象として加味されてしかるべきでした。この度の、全体のプロジェクトがどういった作意から企図されたのかということの思想はもちろんのこと、個別のプロジェクトとしての本件3Dデータの配布が全体のプロジェクトから見てどういった位置にあり、他の個別のプロジェクトとどのように関係し、その関係性による配布それ自体の「行為」としての作品性、オーディエンスとしての本件3Dデータを受け取った人々との関わり、またそのオーディエンス側の作意、それらによる可変的な現前。
この度の最高裁では、そうした要素の中でも、本件3Dデータを受け取った人々の作意が一考だにされませんでした。その上で、本件3Dデータにわいせつ性があると断じたのは、検証するべき重要な要素を見落とした、バランスに欠ける判断です。
プロジェクトアートは、関わったオーディエンスの介在も作品の一部です。プロジェクトアートの「過程」には、アーティストとオーディエンス双方により作品を作りあげているという要素もあります。したがって、アーティストの作意だけを芸術性・思想性の検証の対象とするのではなく、オーディエンスとしての本件3Dデータを受け取った人々の作意についての視点も必要です。
本件3Dデータを受け取った人々は、ろくでなし子氏の作品「マンボート」の制作に賛同し、クラウドファンディングにて資金提供をした人々、氏が創作、販売した商品を購入した人々の一部です。本来ならば、そうした人々に、本件3Dデータがどういった解釈で受け取られたのかについても考慮し、芸術性・思想性が検証されていなければなりませんでした。
ろくでなし子氏は「女性器に対する卑わいな印象を払拭し、女性器を表現することを日常生活に浸透させたいという思想」に基づいてプロジェクトアートを進行していました。ゆえに、アーティストとオーディエンスという関係性から判断すれば、本件3Dデータを受け取った人々には氏のこの思想に共鳴や賛同する思想があったという見方が成り立ちます。そうした人々にとって本件3Dデータは、その思想の証、ないし、——自らも「データを加工して創作」を試みるためであればこそ——作品を創作する上での「素材」と解釈されていたのではないかということです。それを一考だにせず、わいせつの3要件を満たすものとして解釈されていたと断じるならば、それは公平性に欠ける判断といわざるを得ません。
また、この度の裁判のように「コンピュータにより画面に映し出した画像やプリントアウトしたものなど同記録を視覚化したもの」を見て判断するというならば、なおさら、本件3Dデータを受け取った人々の作為の介在を無視することはできません。本件3Dデータは、データを加工するためのアプリケーションの性能上可能である限りの自由度で着色できるのであって、本件3Dデータを受け取った人々の作意をもってすれば、本件3Dデータは作品を創作する上での「素材」となります。それにもかかわらず、裁判官は、その人々に本件3Dデータはわいせつの3要件を満たすものとして受け取られていると、アーティストとオーディエンスの関係性を考慮せずに、第三者の立場から決めつけています。本件3Dデータを受け取った人々の作意は、裁判官があらかじめ推し量ることはできないのであって、なおさら公平な判断とはいえません。
以上のように、違法性阻却のための芸術性・思想性について認められるかについては、検証対象とする要素への視点の欠落があり、プロジェクトアートとしての検証を十分に行なうことが出来ていなかったということは明らかです。これでは、プロジェクトアートとして作品の芸術性・思想性の有無を判断していたことにはなりません。

[理由2について]
(1)いたずらに性欲を興奮又は刺激せしめ
(2)普通人の正常な性的羞恥心を害し
(3)善良な性的道義観念に反するもの
刑法175条で罪に問われる対象にわいせつ性があると判断するためには、これらのわいせつ3要件を満たす必要があります。
このうちの「普通人」を巡っては、そもそもいくつかの疑問があります。
第一に、「普通人」の判断基準は何か。
第二に、「普通人」の「正常な性的羞恥心」の判断基準何か。
第三に、それらを判断する際、裁判官の主観性を完全に斥ける手段はあるのか。
第一、第二について。これらわいせつ3要件は、1957年の「チャタレイ夫人の恋人」を巡る最高裁判決で示されたものであり、以降、1969年の「悪徳の栄え」事件判決や1980年の「四畳半襖の下張」事件判決等で判断の枠組みが作らたという経緯があります。よって、「普通人」であることおよび「普通人」の「正常な性的羞恥心」の判断基準はそうした過去の判例といえるのであり、判断材料としては被告側の主張があります。
しかし、道徳的価値観は時代によって異なります。過去の判例を判断基準として、過去の判断や出来事を現在にあてはめて判断をしようとしても、現在の価値観から見て必ずしも適当とはいえない判断が生じることがあります。よって、過去の判例を判断基準とすることの妥当性は、問われる部分があります。
第三について。感覚や思想は個人によって差異があります。性道徳を含む道徳的価値観や性的な感覚もまた、個人によって差異があり、個別の社会集団や個人によっても——特に個人の性的嗜好・性的指向によっても——差異があります。したがって、道徳的価値観や性的な感覚に基づく正常か異常かの判断も、個人によって差異があり、そうした判断から裁判官個人としての主観性を完全に斥けるのは不可能です。
過去の判例に頼るという手段により、主観性を斥け客観性を保つことができるという反論があるかもしれません。しかし、道徳的価値観は時代によって異なります。上に述べたのと同様、過去と現在の価値観の差異により、必ずしも適当とはいえない判断が生じることがあります。
このように、「普通人」や「普通人」の「正常な性的羞恥心」の判断基準を、過去の判例に頼れば、現在の価値観との整合性において問題が生じます。そして、それらを判断する際も、裁判官個人の主観性の介在を完全に斥けるのは困難で、それを実現する適切な手段を見出すのもまた難しい現状があります。



【結 論】

この度の最高裁で、作品のわいせつ性を判断するにあたっては、プロジェクトアートとして「過程」という視点がどのように判決に反映されているかという点につきまして、私どもは注目していた次第です。
しかしながら、この度の最高裁においては、初動からプロジェクトアートとして検証すべき焦点が見失われ、「過程」として本来検証すべきであった要素について十分に取り扱われないままの判決となりました。これは、裁判官のプロジェクトアートについての知見がもともと必要な水準に達していないために、判断を見誤ったということです。したがって、この度の最高裁判決は不当判決であったということは明らかです。
そもそも、刑法175条のわいせつ性の判断に問題点があるということは、上に述べたとおりです。道徳的価値観や性的感覚は、時代や個別の社会集団や個人によって差異があるし、それに基づく判断から個人の主観性を完全に斥けることは不可能です。
結局のところ、道徳的規範から外れることを根拠に刑事罰を科すのであっては、各社会集団や個人の道徳的価値観を根拠とし、国が国全体に向けた道徳的規範を決定し、国民にその道徳的価値観における理性を模倣させる圧力が生じることになります。各社会集団や個人の道徳的価値観は、各社会集団内で共有されたり個人が持ったりすることには問題は生じないかも知れませんが、その外部の社会や個人を巻き込みそうした圧力が生じれば、巻き込まれた側の人々の価値観や思想が否定されることにもなりかねません。グローバル化が進んだ現代社会では、ある社会集団に共有される道徳的価値観に基づき、その外部の社会に向かって理性を模倣させる圧力を与える場面があり、軋轢が生じる例も少なくありません。
刑法175条には以上のような問題点があり、その上、被害者が発生していないのに刑事罰が科せられます。刑法175条の正当性はそろそろ問われるべきであり、廃止を含めた検討も行われるべき時期に来ています。

最後に特筆しておきますが、この度の最高裁における裁判官はその全員が男性でした。「女性器に対する卑猥な印象を払拭し、女性器を表現することを日常生活に浸透させたいという思想」に基づいたプロジェクトアートが、裁判官個人の道徳的価値観や性的な感覚についての主観性を斥けられないまま、男性のみの判断によって否定されたということです。刑法175条により、ある道徳的価値観における理性を模倣させることを求めて来た結果、現前したのは、ジェンダーの不均衡です。


以上


女子現代メディア文化研究会代表/デザイナー・アートディレクター
山田久美子



[注]

※1:「平成29年(あ)第829号 わいせつ電磁的記録等送信頒布、わいせつ電磁的記録記録媒体頒布被告事件
   令和2年7月16日 第一小法廷判決」判決文
  (https://www.courts.go.jp/app/files/hanrei_jp/579/089579_hanrei.pdf

ろくでなし子氏裁判  最高裁判決についての意見書 (PDF版 381KB)

2020年2月20日木曜日

JAと「ラブライブ!」のコラボ企画に関連して発生した嫌がらせ行為に、強い憤りの意を表明します

JAと「ラブライブ!  サンシャイン!!」のコラボ企画に関連して発生した、キャラクターの担当声優に対する嫌がらせ行為に対し、強い憤りの意を表明します。
本年(2020年)2月12日より開催されているJAと「ラブライブ!  サンシャイン!!」のコラボ企画において、展示されたキャラクターの絵が、議論を呼んでいます。そしてこの動きに関連して、当該キャラクターの担当声優に対し、SNSを通じて、礼節のない文面で発言を繰り返し、同作品の制作者側に抗議するよう求めるアカウントも現れました。
もとより、表現の自由は批判を受けない自由ではなく、批判の自由は表現の自由の一環をなすものです。しかし、キャラクターの担当声優は、本件企画の企画者ではなく展示への影響力も乏しい個人であり、そのような個人に対し礼節を無視した文章で発言を繰り返し、義務のないことを行わせようとするのはもはや正当な批判とは言いがたいものです。
平素から、テロルという手段により、自己の目的や理想を実現することを認めない私どもの立場にあっては、同様に、このような嫌がらせ行為についてもまた認める立場にはありません。私どもは、そのような嫌がらせ行為について強い憤りの意を表明するとともに、そのような行為がエスカレートし、将来にわたり業務妨害に通じるような暴力的行為が起こることを懸念します。
たとえ「差別を解消する」という目的であったとしても、その目的を達成する手段として、声優への嫌がらせ行為を取ることは本末転倒であり、私どもはそのような行為を断固として否定します。担当声優に対する嫌がらせ行為は、とりもなおさず声優の労働環境を悪化させることになり、女性にとっても、地位向上、労働の場での機会均等、生きづらさといった、取り組むべき課題に抗うこととなるからです。
議論ならば大いに行うべきですし、フェミニズムの歴史においては、かつての平塚らいてうと与謝野晶子の間にあった「母性保護論争」のような例もあります。しかし、担当声優に最初から礼節を欠いた発言を繰り返し、およそ議論の場を成り立たせようという技術すらないまま嫌がらせ行為に陥ることは、女性には労働の場を得る困難さがあったという歴史を重く受け止める私どもの立場からも、到底、肯定することはできません。
漫画家やデザイナー、イラストレーター等のクリエイティブな業種は、1986年の男女雇用機会均等法施行以前から女性が従事しており、女性が努力によって獲得してきた労働の場の一つとなっています。
自身の名前をブランド名に冠するデザイナーの方もおられますが、わざわざその名前を言うまでもないでしょう。また、漫画においては、先人たちの努力もあって少女漫画という分野が確立し、女性の漫画家を輩出し増加させるきっかけにもなりました。「ラブライブ!」の担当声優もまた、努力をして労働の場を得た女性のお一人と言えるでしょう。
しかしながら、この度のような嫌がらせ行為がエスカレートし、将来にわたり業務妨害に通じるような暴力的行為を繰り返されるようになっては、実際の業務への影響が免れず、女性が獲得して来た労働の場すら失われかねません(※1)
私どもは、女性の先人たちが努力して獲得して来た労働の場を荒廃させないことを願っております。
我が国においては、明治時代に入っても女性参政権がなく、女性国会議員の誕生は1946年まで待たなければなりませんでした(※2)。女性はそのように、社会の場によっては、いないことにされる存在でいた歴史もあります。そうした歴史を鑑みればこそ、担当声優に対する正当な批判とは言い難い「嫌がらせ」という、排斥につながる行為について、強い憤りを持って否定し断じて許すことはありません。


[注]
※1:なお、何者かの暴力的行為により実際の業務への影響があった例では、2012年からの「黒子のバスケ脅迫事件」が記憶に新しい。企業やイベント会場に脅迫があったおかげで、「黒子のバスケ」の関連グッズの制作やイベント等についての企画の中には、見送られることになったものもあります。
※2:戸主に限定されるという条件はあったが、高知県では、1880年に日本初の女性参政権が認められました。
 「(反骨の記録:1)「民権ばあさん」扉開く」(朝日新聞デジタル2016年4月23日)(https://www.asahi.com/articles/ASJ2Q2GQ6J2QPIHB001.html

・意見書「JAと「ラブライブ!」のコラボ企画に関連して発生した嫌がらせ行為に、強い憤りの意を表明します」(PDF版  262kb)

2019年10月30日水曜日

文化庁「侵害コンテンツのダウンロード違法化等に関するパブリックコメント 質問事項及び回答様式」の回答

当会は、本日、文化庁が募集している著作権法改正に関するパブリックコメントを提出いたしました。

以下、様式に則った回答を転載いたしました。




1. 基本的な考え方

(1)「深刻な海賊版被害への実効的な対策を講じること」と「国民の正当な情報収集等に萎縮を生じさせないこと」という2つの要請を両立させた形で、侵害コンテンツのダウンロード違法化(対象となる著作物を音楽・映像から著作物全般に拡大することをいう。以下同じ。)を行うことについて、どのように考えますか。①~⑤から一つを選択の上、回答欄に記入して下さい。

 回答:無回答



2. 懸念事項及び要件設定

(1)侵害コンテンツのダウンロード違法化を行うことによる懸念事項として、下記(ⅰ)~(ⅶ)のそれぞれについて懸念される程度を、①~⑤から一つを選択の上、回答欄に記入して下さい。その他、懸念事項があれば(ⅷ)に記入して下さい。

(i)インターネット上に掲載されたコンテンツは、適法にアップロードされたのか違法にアップロードされたのか判断が難しいものが多いため、ダウンロードを控えることになる。

 回答:② どちらかというと懸念される


(ii)重要な情報をスクリーンショットで保存しようとする際に、違法画像等(例:SNSのアイコン)が入り込むことが、違法になる。

 回答:① とても懸念される


(iii)漫画の1コマのダウンロードや、論文の中に他人の著作物の違法引用がされている場合の当該論文のダウンロードなど、ごく一部の軽微なダウンロードでも違法になる。

 回答:① とても懸念される


(iv)原作者の許諾を得ずに創作された二次創作・パロディのダウンロードが、違法になる。

 回答:① とても懸念される


(v)無料で提供されているコンテンツ(例:無料で配布・配信されている雑誌、漫画、ネット記事)が違法にアップロードされている場合に、そのダウンロードが違法になる。

 回答:② どちらかというと懸念される


(vi)権利者がアップロードを問題視していない(黙認している)場合でも、ダウンロードが違法になる。

 回答:① とても懸念される


(vii)権利者により濫用的な権利行使がされる可能性や、刑事罰の規定の運用が不当に拡大される可能性がある。

 回答:① とても懸念される


(viii)その他、懸念事項があれば記入して下さい。

1.の(1)について、選択肢に該当する答えがないので無回答とする。

設問個別についての懸念事項。

(i)について
インターネット上に掲載されたコンテンツが「適法にアップロードされたのか違法にアップロードされたのか判断が難しい」状況では、趣味でインターネットを利用するユーザーは、ダウンロードを控えることが懸念される。後述するが、一方で、ライセンスビジネスに関わるクリエイターが、そのような状況にあって業務上の理由でどうしても著作物をダウンロードをせざるを得ないことによる問題が生じる懸念がある。

(ii)について
設問の例にあるようなSNSのアイコンも含めてだが、クリエイターが作成した著作物が違法にネット上にアップロードされユーザーが見ることができる状態にされている場合に弁護士等に相談する際、権利者以外が証拠資料としてスクリーンショットで保存することも違法になるならば、証拠を得ることが難しくなりそうした相談がしにくくなる。それにより、著作権者としてのクリエイターの権利が守られにくくなる懸念がある。

(iii)について
後述するが、(i)同様に、ライセンスビジネスに関わるクリエイターが、そのような状況にあって業務上の理由でどうしても著作物をダウンロードをせざるを得ないことによる問題が生じる懸念がある。

(iv)について
芸術やデザインの分野では「パロディ」という表現手段があり、その表現手段による作品や成果物が創作されている。文化庁文化審議会著作権分科会法制問題小委員会パロディワーキングチームにおかれても、判例を用いた「パロディ」に関わる問題の検討が行われている。平成25年3月付の「パロディワーキングチーム報告書」(http://www.bunka.go.jp/seisaku/bunkashingikai/chosakuken/hosei/parody/pdf/h25_03_parody_hokokusho.pdf)にて「本ワーキングチームとしては、デジタル・ネットワーク 社会において著作物の利用形態が急速に変化している中で、著作物としてのパロディの 在り方や、その権利意識について権利者・利用者ともに急速な変動が見られることも併せ考慮すると、少なくとも現時点では、立法による課題の解決よりも、既存の権利制限 規定の拡張解釈ないし類推適用89や、著作権者による明示の許諾がなくても著作物の利 用の実態からみて一定の合理的な範囲で黙示の許諾を広く認めるなど、現行著作権法による解釈ないし運用により、より弾力的で柔軟な対応を図る方策を促進することが求められているものと評価することができる。」ということが、総合的勘案としてまとめられている。
我が国においても、作品や成果物が「パロディ」であるか否かについて検討されたり裁判で争われたりということがあったし今後もあり得るとして、設問(iv)では「パロディ」として成立している作品や成果物自体が違法扱いの前提となっているようにも受け取れるので、念のため言うが、「パロディ」の創作自体を違法化することには反対する。上に述べた、「パロディワーキングチーム報告書」の勘案のような認識に立ち返るべきである。

(v)について
プロ・アマ問わずクリエイターが利用する、素材・フォントの配布サイトの紹介サイト(紹介サイトには無料の素材・フォントの配布サイトも含む)は、グレーゾーンになってしまうという危惧がある。
例えば「colis」(https://coliss.com)のようなサイトが該当するが、素材やフォントの紹介のために著作権者としてのクリエイターの許諾をとらずに宣伝用に画像を掲載して例がある。権利者が黙認しているのでこのようなサイトは普及しているという面はあるが、サイト運営者が萎縮してサイトを閉鎖する恐れがある。
このようなサイトであれば、むしろクリエイターにとっても宣伝になっているので、クリエイターにとっても利益を損なうことになる。

(vi)について
(v)に同じ。

(vii)について
刑事罰の要件が適切な手続きを経ずに追加される恐れがある。

次に、権利侵害コンテンツダウンロード違法化に関わる全体を通した懸念事項。

まず、「刑事罰」となると扱いが「犯罪」の領域になるが、「犯罪」が持つより凶悪な印象によるインパクトで、たとえ全て親告罪のままであるとしてもクリエイターにとっては萎縮効果が大きいと考える。
商品の発売日が固定されているライセンスビジネスにおいて、企画、デザイン、製造、販売という過程では、何らかの問題が起き行程の遅れが生じる事態は注意深く避けようとする。そのため、「文化庁当初案の考え方に関する資料」にて示されるように「⑦企業においてビジネスの一環として行われるダウンロードや、漫画家・研究者等が業務として行うダウンロードについては、現行法上も、自由利用を認める規定はありません(これらは、いわゆる「寛容的な利用」として行われていたり、権利者の許諾を得て行われている場合が多いものと考えられますが」などとしているとしても、「刑事罰」が前提となればそれに相応した捜査が行われることとなり、民事訴訟を起こされるよりもはるかにビジネスの行程に影響を及ぼすこととなり得る。したがって、このような事態が生じないよう、あらかじめ確実に安全な範囲で業務を遂行しようとするのであって、適法とされるよりも小さな範囲で業務を遂行しようとして、適法な利用あるいは「寛容的な利用」すら控える局面が懸念されるのである。
このような、「刑事罰」というインパクトによる萎縮効果を鑑み、たとえすべてが親告罪のままであるとしても「刑事罰」の導入は見送るべきであると考える。
また、そのような捜査の様子がメディアを通して社会に伝われば、企業にとって社会的なイメージダウンなどにつながるし、裁判の結果たとえ無実であったとしても、SNSなどでデマを含めたイメージを損ねる言説が拡散されればビジネスに悪影響を及ぼしかねないのだ。
ライセンスビジネスにおいては、「寛容的な利用」として行われる著作物のダウンロードは避けられないわけだが、そのことにより問題も生じる。それは(i)、(iii)で後述するとした部分であるが、そうした著作物のダウンロードやダウンロードで入手して共有・保管している著作物について、悪意ある第三者から嫌がらせのデマや言いがかりを流布される可能性がありながら、やはり、業務上の理由でそうした著作物のダウンロードも保管も決してやめられないということにより、無防備にリスクを負わなければならないという問題が生じてしまう。
「違法にダウンロードした漫画の画像をコレクションしている」などとする悪意ある第三者によるデマや不正確な言説が、企業やクリエイターへ向けられ、業界の内情を知らず安易にその情報を信じた人々によりSNSで拡散され、その結果、企業やクリエイターのイメージダウンになるというような例も起こり得るわけだが、著作権法にはフェアユースのようなわかりやすい規定がない。それは、ライセンスビジネスにおけるリスクマネジメントを困難にしている。
ライセンスビジネスはライセンサーからライセンシーにインターネットなどを介した経路で著作物の受け渡しや共有が日常的に行われているわけだが、ライセンサーとライセンシーが別の企業やクリエイター個人であることも多々ある。まして、ライセンサーの企業が企画、デザイン、製造、販売までの全ての工程を単独で行なっているのではなく、そこには複数の企業やクリエイター個人が関わっている。ライセンスビジネスにおける著作物についての「ビジネスの一環として行われるダウンロード」は、必ずしも単独の企業の社内で行われていないということである。このような、ライセンスビジネスの業界の内情は、確かに外部の市民の立場からは想像しがたいかもしれないし、ゆえに、悪意ある第三者がデマや不正確な言説を流布しやすい現状はあると言えるだろう。
こうした例については、佐野研二郎氏がデザインし取り下げとなった東京オリンピックのマークの件が記憶に新しい。SNS上では「パクリ疑惑」として著作権法違反の疑いでバッシングの対象となったが、このマークについては商標法の観点から分析するべき可能性を持つとしても、著作権法違反には該当しないという法曹の人々からの意見もあった。しかしながら、SNS上の著作権法違反との決めつけをきっかけとするバッシングにより、佐野氏のご家族にまで危険が及ぶということがあった。佐野氏ご自身は、この騒動の後に、一時的に仕事が減ってしまったということを述べているわけで、事実を検証しないままに不正確な情報が拡散されることで、ビジネスに悪影響を及ぼすことができるということを示している。
このように、ライセンスビジネスに関わる企業やクリエイターは、不正確な情報の拡散による企業やクリエイターのイメージダウンという問題を抱えながら、リスクマネジメントも困難な状況にある。したがって、日本版フェアユースの導入を求める。



(2)上記の懸念などを踏まえ、具体的にどのような要件・内容とすることが望ましいと考えますか。下記(i)及びその回答に応じた(ii)~(vi)の回答欄に記入して下さい。

(i)侵害コンテンツのダウンロード違法化に関する文化庁当初案(添付1~3参照)について、どのように考えますか。①~⑤から一つを選択の上、回答欄に記入して下さい。

 回答:無回答



3. その他

(1)侵害コンテンツのダウンロード違法化に関して、上記のほかに御意見があれば、記入して下さい。

2.の(2)の(i)について、選択肢に該当する答えがないので、他の意見としてこちらに記す。
回答に「違法化の対象を絞りこむ」かどうかなどとの記述があったが、著作権侵害コンテンツの問題は、日本版フェアユースの導入という観点と無関係ではいられない。「文化庁当初案の考え方に関する資料」においても、「寛容的な利用」「文化庁においては、研究目的で行う利用を適法と認める規定の創設など、著作物の公な利用を促進するための措置について、並行して、鋭意検討を進めているところです。」などと、フェアユースに関連する内容について言及するならば、明確に日本版フェアユースの導入のための論議をするべきである。
インターネットが市民の生活に浸透した今日、著作権に関わる複雑な状況が生まれているし、海賊版サイトの問題も見過ごせない。こうした中で、ライセンスビジネスに従事するクリエイターが安心して仕事が行うには、そもそも悪質な著作権侵害行為と「寛容的な利用」を明確に区別する必要があると考える。現代のような時代に合った日本版フェアユースの導入は喫緊の課題なのである。
なお、我が国において、少なくとも2015年ぐらいまでは文化庁文化審議会著作権分科会におかれても、フェアユースに関する論議が続いていたはずであり、アーカイブに議事録を見ることができる。アメリカ型フェアユースにするならば、アメリカ著作権法第107条のような規定の創設と条文における明確な「フェアユース」の定義を行うことが必要になるであろう。しかし、実際のところ、アメリカ型のフェアユースは日本の法律に合わないし使いこなせないといった意見も散見する。その場合、現行の著作権法の条文に、個別に権利制限規定を設け、必要箇所に「権利者の利益が不当に害される場合」以外罪に問わない旨を追加するなどといったことになろう。あるいは、著作権法第32条を拡大するイメージで「事業を継続するにあたり、業務上避けられない理由がある場合、(1)権利者以外がインターネット上の著作物のダウンロードを行う、(2)権利者以外が著作物を権利者の許可なく利用する、権利者以外の(1)(2)のいずれかの行為で、権利者の利益を不当に害することがない場合は、権利者以外は著作物を利用することができる」などと条文を付け加えることになろう。
とはいえ、文化庁文化審議会におかれては、フェアユースに関する論議の蓄積があるわけで、これを引き継ぎながら法曹の専門家のそれぞれの意見を今一度伺うべきではないかと考える。拙速な判断で、問題点を見落としてはならないからである。漫画家やクリエイターに加えて法曹などの専門家を交え、フェアユースに関する会議を再開し、その議事録を公開していただくよう求める。


(2)リーチサイト対策に関して御意見があれば、記入して下さい。

リーチサイトの規制強化をするとしても、リーチサイトのサイト運営者・アプリ提供者についての規制内容における、刑事罰化・非親告罪化に反対する。
2.の(1)の(viii)でも述べたように、「刑事罰」のインパクトについての懸念があるし、非親告罪としてしまっては捜査機関による権力の乱用につながる恐れがある。
また、リンク提供者については、刑事罰化に反対する。こちらも、「刑事罰」のインパクトについての懸念がある。
2.の(1)の(vi)に述べた「colis」のようなサイトが、嫌がらせを意図した第三者による捜査機関への通報で不当な捜査を受け、サイトを継続できなくなる恐れもある。
また、クリエイターのポートフォリオサイトでリンク集のページを放置した結果、リンク先のアドレスが悪質な者に売却されるなどし、内容が変わる場合がある。そうしたリンク先に違法ダウンロードサイトが含まれていないとも限らないのである。こうした場合にも、嫌がらせを意図した第三者による捜査機関への通報が行われる可能性がある。


(3)その他、海賊版対策全般に関して御意見があれば、記入して下さい。

YouTubeで漫画海賊版が配信されている。漫画のページそのもので、物語丸ごとを順番に静止画の映像として配信する内容で、引用とは異なる。例えば「進撃の巨人 最新話」と検索すればそのような漫画海賊版にヒットする。こうしたアカウントは、短期間配信し儲けを出しては、動画やアカウントを消すといった状態となっている。
YouTubeでは現状の規約で、YouTubeの配信動画に海賊版の動画を発見したとしても、著作権者や代理人でなければ著作権侵害として報告できないこととなっている。このように、海賊版サイトが放置される例については方策を講じるべきだろう。例えば、著作権者に海賊版の動画の存在を報告するための窓口を、YouTubeか版権元の出版社かのどちらかに設置などをするべきではないだろうか。
また、リーチサイト規制を強めるだけならば、運営者がリーチサイトでの漫画海賊版配信をやめて(※1)このようなYouTubeでの配信に流れるばかりになる可能性もある。まずは、悪質なオンラインリーディングサイト、リーチサイト、違法なアップロードを、著作権者以外の第三者の市民が発見した際に、著作権者に報告がしやすいシステム作りをすることが先決だと考える。

※1:リーチサイトには運営者投稿型もある

2019年10月16日水曜日

「あいちトリエンナーレ2019」への補助金不交付の取り消しを求める意見書

【はじめに】

文化庁は「あいちトリエンナーレ2019」への補助金について全額不交付とする決定をしました。問題視されたのは、同トリエンナーレ内の展覧会「表現の不自由展・その後」に関わってのことについてです(※1)。
補助金の全額不交付の理由について文化庁は「愛知県は、展覧会の開催に当たり、来場者を含め展示会場の安全や事業の円滑な運営を脅かすような重大な事実を認識していたにもかかわらず、それらの事実を申告することなく」手続きを行ったからであると主張しています。そして、適正な審査を行うことができなかった重要な点として、「[1]実現可能な内容になっているか、[2]事業の継続が見込まれるか、」の2点をあげています(※2)。萩生田光一文部科学相は、この件について「文化庁に申請があった内容通りの展示会ができていない」と説明しています(※3)。


【意見の趣旨】

文化庁に対し、「あいちトリエンナーレ2019」への補助金不交付の取り消しを求める。


【意見の理由】

[理由1]
補助金不交付の意思決定の過程では、外部審査委員に意見聴取がされておらず、しかも、その意思決定に関するの議事録がないことから、この件に関する文化庁の意思決定の手続きが不適切と言わざるを得ないからである。

[理由2]
「文化庁に申請があった内容通りの展示会ができていない」などとしているが、むしろ申請に必要な内容を聞き漏らした文化庁のヒアリング技術に難があるからである。

[理由3]
補助金交付の対象となる文化事業によっては、精巧かつ均質な反復可能性を持たない一回性による価値に支えられる芸術を内容に含む場合があり、そうした場合は「申請があった内容通りの展示会」を継続すること自体が不可能だからである。


【背 景】

[理由1について]
報道によると、補助金不交付の意思決定の過程では、外部審査委員に意見聴取がされていなかったとのことです。一度承認した申請をくつがえすというこの度の決定は、報道にあるような、2段階の審査のうちの「2段階」の「事務的審査」には該当しないと考えます。
詳細は後述しますが、文化庁は手続き上の不備を理由に補助金を不交付としたと主張していますが、元々、文化庁側のヒアリング技術に難があればこそ聞き出すべき重要な内容を聞き漏らしたのだから、補助金不交付の検討は申請の「内容」に関わる案件です。よって、そのような検討は、内容に関わる「1段階」の「内容の審査」の範疇と判断し再審査するのが妥当であり、外部審査委員への意見聴取が必要です(※4)。
また、こうした意思決定の過程における議事録がないとのことで、不透明な手続きで意思決定が行われているという面もあります。我が国のような民主主義社会にあっては行政の意思決定の手続きとして不適切と言わざるを得ません。

[理由2について]
補助金不交付の意思決定の過程で外部審査委員に意見聴取がされていないことからも解るとおり、文化庁からはヒアリングする意思に乏しい様子が伺えます。
また、文化庁が配布するヒアリングに用いるツールには適切な設計がされていない例が散見されます。
文化庁が昨年末に著作権関連のパブリックコメントを募集した際に採用していた意見提出用のテンプレートは、奇妙に横に細長いドキュメントで、項目の記入に必要な字数に対するフォーマットの幅と高さが適切な状態ではなく、記入のしやすさ見やすさについての考案がなされた設計がされていませんでした(※5)。ユーザビリティが低く、ユーザーからヒアリングをするという目的を実現するのに適した設計になっていなかったということです。本年9月から募集しているパブリックコメントの意見提出用のテンプレート(※6)にも、難点がありました。こちらは、あらかじめ用意されたいくつかの選択肢から回答を選択する仕様で、選択肢にない回答ができないため意見の表明ができない部分があり、意見の聞き漏らしが生じる設計となっています。こちらも同じように、ヒアリングをするのに適した設計となっておらず、文化庁の、目的にかなったツールを作るための技術的な難点を垣間見ることができます。
このように、文化庁のヒアリング技術には難があることが解ります。ヒアリング技術があれば、補助金交付の申請時に必要な重要事項を聞き出せないなどということは起こらなかったにもかかわらず、補助金交付の申請者側に責任に転嫁し、今さら補助金不交付という決定をしたのではないでしょうか。

[理由3について]
文化庁は「[1]実現可能な内容になっているか、[2]事業の継続が見込まれるか、」という2点について、適正な審査を行うことができなかった重要な点としています。これについて、萩生田光一文部科学相は「申請があった内容通りの展示会」を行えていなかったとの説明を付け加えていますが、補助金交付の対象となる文化事業が必ずしも「申請があった内容通り」に遂行し継続できるかといえば、否と言うより他ありません。
本年8月に北海道立近代美術館で開催された「カラヴァッジョ展」では、展覧会の目玉作品として展示予定であった「瞑想するアッシジの聖フランチェスコ」が不出品(他に「女占い師」も。また、カラヴァッジョから影響を受けた周辺作家の作品6点が不出品となりました。)となったことが記憶に新しいです。展覧会を開催する際には、このように予想外の事態が生じ、内容の変更を迫られる例があります。また、展覧会に限らず、何かの企画を遂行しようとする際には、同様に何らかの理由で内容の変更をせざるを得なくなる場合があります。制作に必要な原材料の価格が高騰する、天災に見舞われるなど、予想し得ぬ理由で計画の変更をせざるを得ない状況に陥る場合があります(※7)。
このように展覧会を遂行し継続するには、予想外の事態が生じる可能性は全くないとは言えないのであって、補助金交付の対象となる文化事業が必ずしも「申請があった内容通り」にはならないという可能性を常に抱えることになります。
そうした面では、愛知県にとっては「表現の不自由展・その後」の開催に関連する具体的な脅迫内容(※8)については、予想し得ぬことだったであろうことは考慮しなければなりません。具体的な内容が明らかになってはじめて予想できなかった深刻性が露呈するような脅迫について、後になってから「来場者を含め展示会場の安全や事業の円滑な運営を脅かすような重大な事実を認識していた」という指摘をし始め、一度申請を承認した給付を取り消すのは無理があります。
そもそも、補助金交付の対象となる文化事業は、内容に含む芸術によっては、厳密に「申請があった内容通りの展示」を継続するのが不可能なジャンルがあります。複製技術が発達した現代には、写真やポスター、映画といったジャンルの複製技術によって作り出される芸術作品が広く普及しています。一方で、一回性による価値に支えられる芸術もまた根強く支持され続けています。こちらには、能のような古典芸能や、音楽、演劇などといった実演系のジャンルの芸術が含まれます。精巧かつ均質な複製によって作られる複製芸術と比べれば明白ですが、同じ筋書きにより実演を繰り返し行うとしても、実演は複製芸術のように精巧かつ均質な反復可能性はなく、偶然性や反復し得ない細部を含む「ただ一回である」という性質を持ちます。偶然性を含む一回性という性質上、「申請があった内容」と同一の実演を繰り返し継続するのは不可能ということです。
音楽の実演では、例えばジャズに見られるような即興演奏(アドリブ)があります。ロックの実演においても、演者の興が乗り、ステージを走ったり客席に飛び降りたりする他、即興演奏を交えたりということが行われています。高いところから飛び降りて骨折したという演者の逸話やその際の写真も残っており、骨折を予定してパフォーマンスを繰り返すのは現実的には継続できないし、したがって、このような逸話は実演が偶然性や反復し得ない細部を含むことを表していると言えます。
このように、一回性による価値に支えられるジャンルの芸術は、「申請があった内容通り」に継続すること自体が不可能なわけで、今後、文化庁に対し補助金交付を申請することが困難になる可能性があります。あるいは、たとえ申請が認められたとしても、こうしたジャンルの芸術が「申請があった内容通り」に継続することは元々不可能なのだから、申請が認められた後に「申請があった内容と異なる」との謗りを受け始め、補助金が不交付となることがないとは限りません。これでは申請する企画に萎縮を及ぼし、実演においてもアレンジや即興ができなくなる可能性があります。


【結 論】

以上のように、補助金不交付の意思決定を行う過程には文化庁が行う手続きとして不適切な面がありますし、文化庁にむしろ補助金交付の申請を受け審査をするという業務を遂行するための技術が不足しているという傾向もあります。また、芸術には偶然性を含む一回性による価値に支えられるジャンルがあるということについて理解がないまま、「申請があった内容通り」に芸術の企画を継続することができる前提でそれを求めては、表現の萎縮を招き、補助金が必要な文化事業が廃れることになります。そうなれば、我が国の文化の未来にも影を落とすことになります。
この度の文化庁による「あいちトリエンナーレ2019」への補助金不交付は、愚かな決定です。文化庁には、この度の不当な補助金不交付という決定をただちに見直すよう要求します。


【補 論】

私ども女子現代メディア文化研究会の設立のきっかけの一つには、2012年11月から開催された森美術館の企画展「会田誠展 天才でごめんなさい」についての意見表明がありました。一部の作品について、ゾーニングされた部屋での展示であるにもかかわらず、撤去を求める声が一部の市民からあり、それに対する反対意見を表明したというものです(※9)。
この度、問題とされた展覧会「表現の不自由展・その後」ですが、表現の不自由展・その後実行委員会の一部のメンバーの存在を鑑みるに、同実行委員会にとってはそのような経緯で設立された私どもの存在こそ、忌避され社会から遠ざけられるべきであると判断される可能性もあることは免れません。しかしながら、この度も、「表現」をめぐる問題としての深刻さから看過することが儘なりませんでした。それは、ろくでなし子さんの裁判(ろくでなし子さんの作品「デコまん」は無罪が確定しているが、有罪部分については最高裁に上告中です)(※10)や群馬県での白川昌夫さんの作品の騒動(※11)においても、私どもにとっては同様でした。
我が国で近代的な意味での「美術館」の導入が始まった明治以降、美術館や展覧会に関わる諸々の問題が引き続いています。この度も繰り返された問題の中には、一つの示唆がありました。それは、自分の立場や単なる価値観に基づく「正義」に合わない表現に撤去や排除を求めれば、やがて自分に返ってくるということです。価値観に基づく「正義」が異なる市民同士が表現を排除し合えば、やがて不自由な社会を迎えるであろうという示唆を、重く受け止める次第です。

以上

女子現代メディア文化研究会代表/デザイナー・アートディレクター
山田久美子



[注]

※1:文化庁Webサイト報道発表ページ内「あいちトリエンナーレに対する補助金の取扱いについて」にて「別紙」項目「参考:事実関係」内で「8月4日以降 「表現の不自由展 その後」,中止」(原文ママ)の明記がある。
※2:文化庁Webサイト報道発表ページ内「あいちトリエンナーレに対する補助金の取扱いについて」に掲載。
(http://www.bunka.go.jp/koho_hodo_oshirase/hodohappyo/1421672.html)
※3:9月26日の囲み会見での説明。
※4:報道では「審査には2段階あり、審査委員会も関わるのが1段階となる内容の審査で、2段階は事務的審査があります。文化庁に聞いたところ、今回は、後者に該当するので審査委員会には聴かなかったということでした。」とのこと。(「文化庁の審査委員が辞意を伝えた理由 補助金不交付で「委員へ意見聴取なし」に異議」/2019年10月3日「J-CASTニュース」)
※5:昨年12月10日から本年1月6日まで意見募集が行われた「文化審議会著作権分科会法制・基本問題小委員会中間まとめ」にて採用されたExcel書類「(様式)中間まとめ御意見送付用テンプレート」。
(https://search.e-gov.go.jp/servlet/Public?CLASSNAME=PCMMSTDETAIL&id=185001021&Mode=1)
※6:本年9月30日から10月30日まで意見募集が行われている「侵害コンテンツのダウンロード違法化等に関するパブリックコメント」にて採用されているExcel書類「質問事項および回答様式」(PDF版あり)。
(https://search.e-gov.go.jp/servlet/Public?CLASSNAME=PCMMSTDETAIL&id=185001067&Mode=0)
※7:川崎市民ミュージアムは台風19号により当面休館となり開催中の「のらくろ展」も中断しています。
※8:脅迫には「撤去しなければガソリン携行缶を持ってお邪魔する」といった内容も含まれました。
※9:「会田誠氏展覧会について、森美術館への作品撤去要請に抗議する声明」(http://wmc-jpn.blogspot.com/2013/03/blog-post_15.html)
※10:「ろくでなし子氏裁判の無罪を求める意見書」(http://wmc-jpn.blogspot.com/2016/08/blog-post.html)
※11:「白川昌生氏の作品の撤去指導に反対し、改めて展示を求める意見書」(http://wmc-jpn.blogspot.com/2017/05/blog-post.html)

「あいちトリエンナーレ2019」への補助金不交付の取り消しを求める意見書(PDF版430kb)

2019年5月27日月曜日

「アクセス抑止方策に係る検討の論点」に対する意見

【意見の趣旨】

[論点1、論点3について]

アクセス抑止方策について、関係者の共通認識のもと幅広いユーザーの声に耳を傾け議論を進めることに賛成である。


[論点5について]

「アクセス警告方式」の実施の前提について議論することに賛成だが、その方式が、問題となっているいわゆる海賊版サイトへのアクセスを抑制する目的を達成する手段として妥当か否かという前提についても、議論するべきであると考える。
「アクセス警告方式」は、海賊版サイトへのアクセスを抑制する目的を達成する手段としては妥当とは言い難い。なぜなら、海賊版サイトの種類によっては用いること自体困難で、著作権についての啓蒙効果もさほど期待できないからである。



【意見の詳細】

[論点1、論点3ついて]

業界関係者としての漫画家・クリエイターはもちろんのこと、インターネットに関わるユーザーを対象に、幅広くヒアリングをすることは必要である。
今日のインターネットは、情報インフラとしての性格を持ち多くの市民の生活の一部である。したがって、市民への影響を考えた上でアクセス抑止方策を設計するべきである。


[論点5について]

「アクセス警告方式」の実施の前提について議論するべきである。それは、違憲性の有無を今一度確認すること、また、海賊版サイトへのアクセスを抑制するという目的を達成する手段が、「アクセス警告方式」でなければならない必然性について議論することを含めてである。
この度の「アクセス警告方式」は、ISPとの約款にその方式を用いる同意の許諾を記載することで、個々のユーザーごとに個別に同意を得ることにより、ユーザーとの「真性の同意」が成立するとのことだが、そう断言するのは可能だろうか。
上に述べたように、インターネットは今日では情報インフラとしての性格を持つ。それは、IoT技術やウェアラブル端末の開発が進む今日において、インターネットなしに市民の生活を成り立たせるのは困難さを伴うということである。市民は、逃れようなくISPに関わらざるを得ない状況があるのだから、約款への同意といっても、約款に同意する以外に選択肢がない点では止むを得ずに選択した不本意な同意を含む状況がある。致し方なく不本意に同意せざるを得ないならば、半ば強制的な同意で強要に近いわけで、これが「真性の同意」として成り立つかといえば疑問が残る。したがって、違憲の可能性は払拭できない。
そのように、通信の秘密を侵す違憲の可能性を払拭できないにもかかわらず、「アクセス警告方式」を採用する利益は、さほどではないのではないかという疑いがある。
近年ではYouTubeで漫画海賊版が配信されている(漫画のページそのもので、物語丸ごとを順番に静止画の映像として配信する内容で、引用とは異なる。この動画「進撃の巨人117ー日本語版|Attack On Titan 117 Full JP」(https://www.youtube.com/watch?v=D4eE5LxUqv8)のような例)が、短期間配信し儲けを出しては、動画やアカウントを消すといった状態となっている。こうした種類の漫画海賊版サイトに対しては、アクセス警告方式は用いること自体が困難だと考える。
まず、ユーザーがYouTubeのこのアカウントにアクセスしようとした時や、まして、YouTubeのトップページにアクセスしようとした時に、アクセス警告のアラートを出すなどということは、現実的には実現し難いだろう。また、短期間の配信のため、悪質な海賊版サイトとして選定するのにかける時間より先に、サイトが消滅するのではないかという疑いもある。
したがって、このような種類の海賊版サイトに「アクセス警告方式」を用いるのは困難であろうし、この方式を有効に用いることができるかについては、議論の余地がある。
それよりは、現状のYouTubeの規約で、YouTubeの配信動画に海賊版の動画を発見したとしても、著作権者や代理人でなければ著作権侵害として報告できないことにより、海賊版サイトが放置されるのだから、それについて方策を講じる方がはるかにスムースだろう。例えば、著作権者に報告するための窓口を、YouTubeか出版社かのどちらかに設置するなどの手段の方が、現実的ではないだろうか。
そして、「アクセス警告方式」による啓蒙効果だが、資料(総務省から公開された資料の「別紙1」)で示されるアラートで、ユーザーが即座に著作権を重んじるようになり、海賊版サイトの利用について罪悪感を抱くようになるというのは、いささか安直ではないかとも考える。
それよりは、例えば、デザイン・クリエイティブ業界向けの雑誌や書籍のように、海賊版サイトユーザーの中心層が読む漫画雑誌等に著作権についてテーマにした連載や特集を設け、上記のアラートのように数行のコメントに終わらすことなく、数ページを割いて解説をすることを繰り返すという情報伝達の方が学習効果があるのではないか。さらに言えば、学校教育の中で、著作権について扱うことが学習効果があり啓蒙につながるのではないか。
以上から、「アクセス警告方式」は、違憲の可能性が残る反面、場合によっては用いるのが困難で啓蒙効果もさほども期待できないし、他の手段を検討する方が現実的で望ましいといえる。したがって、「アクセス警告方式」は、海賊版サイトへのアクセスを抑制する手段としては妥当とはいえず、必ずしも「アクセス警告方式」をその手段として用いることに固執する必要はないのであって、他に効果が期待できる手段を模索するべきであるといえる。

以上


女子現代メディア文化研究会代表
山田久美子

2019年4月2日火曜日

「児童売買、児童搾取および児童ポルノに関する子どもの権利条約の選択議定書の履行におけるガイドライン案」に対する意見


【意見趣旨】


[意見の趣旨1]
61項について。「児童売買、児童搾取および児童ポルノに関する子どもの権利条約の選択議定書」第2条(C)の定義を拡大し、「児童ポルノ」に素描や漫画による架空の児童の表現を含めることに反対します。
62 項について。法律で禁止する「児童への性的虐待素材」に非実在児童の表現を含めることに反対します。

[意見の趣旨2]
102 項について。性的被害を受けた実在の子どもたちを保護し援助する枠組み作りに賛成です。 そしてこの枠組みは、個人だけでなく、商業、政府、そして非政府組織によるあらゆる搾取から子どもを守らなければなりません。



【意見の理由】

[意見の趣旨1の理由]
( A)素描や漫画、その他で表現された架空の児童・非実在児童に対する性的虐待は、現実の人権侵害ではなく、児童の権利擁護としての意味がないからです。
( B)現在の日本の漫画には性的虐待やレイプを含む表現がありますが、それらは作家による想像の産物であり、実際に児童への性的虐待を行ってその行為を記録するようなとは違法です。漫画は架空の表現であるからこそ現実の児童の性的虐待を考える材料として用いることも可能です。こうした作品の禁止は、市民の考える機会を奪うものです。

[意見の趣旨2の理由]
(A)児童への性的虐待が随所で発生していることは確かであり、実在する被害児童の保護・救済は喫緊の課題だからです。そしてその加害者は、個人のみならずNGOや国連事業であることすらありえます。
( B)漫画等の架空の児童への性的虐待の取り締まりに尽力し、本来、保護・救済されるべき実在する児童を放置しないよう求めるからです。



【 背 景 】

[意見の趣旨1について]
私どもは、児童の権利擁護については大いに賛同します。しかしながら、「児童ポルノ」の定義に架空の児童の表現を含めること、法律で禁止する「児童への性的虐待素材」に非実在児童の表現を含めることについては反対します。
なぜなら、架空の児童・非実在児童には人権がなく、児童の権利擁護としての意味がないからです。
日本の漫画には、架空の児童・非実在児童への性的虐待やレイプの表現を含む作品があります。その中には、性的虐待の問題を考える上でのテクストとしての価値も持つ作品が含まれ、「風と木の詩」(竹宮惠子・作)、「BANANAFISH」(吉田秋生・作)等が該当します。「BANANA FISH」は昨年アニメーション化もされています。主人公の少年が「児童ポルノ」のビデオに出演している描写がありますが、その過去に苦しみながらも生きようとするという物語です。こうした作品が絶版となれば、児童が性的虐待の問題について考える機会を奪われることにもなり、「児童の権利に関する条約」において締結国に奨励している「児童が多様な情報源からの情報及び資料を利用し得ることを確保する」という条文にも反します。

[意見の趣旨2について]
児童の性的虐待被害が世界の多数の国で発生することは疑いがありません。しかし、その加害主体が常に分かりやすい悪人とは限られず、A/71/818 文書(http: //undocs. org/A/71/818)で示されるように、例えば国連職員が加害者であることすらありえます。
国連職員が加害の主体となる児童への性的虐待は、国連職員が立場を利用し、児童の弱い立場につけこんでいる点で、構造的な問題を含みます。権力者からの被害児童の保護という観点は重要であり、いかなる立場の人物からの性的虐待であっても被害児童が救済される相談窓口を早急に設け、たとえ加害者が政府要因や国連職員であっても児童の救済につなげられる枠組み作りを行う必要があります。
漫画等における架空の児童への性的虐待の取り締まりに尽力することの問題点は、そうした本来守るべき被害児童が放置され、本来救済されるべき実在する児童のために充てられるはずだった労力が奪われることでもあります。



【 結 論 】

この度のガイドライン草案における「児童ポルノ」の定義の拡大は、児童の権利擁護にとって意味がないばかりか、児童から失われる利益が大きく、児童の権利擁護の手段として妥当ではありません。そして、今や権威ある人々による児童への性的虐待こそが看過できない状況となっており、漫画等の架空の表現に責任を転嫁することなく、現実の人権侵害に向き合う必要があります。
どういった対象であれ、権利の保障を行う際には、その目的を達成する手段は確実な効果が見込まれ、なおかつ、それぞれの国の実情に適っていなければ意味がありません。
日本の、とりわけ漫画等の創作物については、しばしば「権利の保障」を目的とした、手段としては妥当とはいえない不当な規制を求められています(※補足資料)。しかし、日本の実情に合わせ不当な規制を行わないことこそが、我が国の児童の権利擁護につながると、私どもは考えております。


以上
女子現代メディア文化研究会代表 デザイナー・アートディレクター
山田久美子




[※補足資料]

「~国連女子差別撤廃委員会、「日本における女性の権利」保障~議題「性的暴力を描写したビデオや漫画の販売の禁止」についての意見書」
http://wmc-jpn.blogspot.com/2016/02/blog-post.html

※国連子どもの権利委員会に提出したパブリックコメントにはリンク先意見書の本文を掲載しましたが、当サイトでは同じ意見書を繰り返し掲載することとなりますので、ここでは割愛しURLのみ掲載いたします。



「児童売買、児童搾取および児童ポルノに関する子どもの権利条約の選択議定書の履行におけるガイドライン案」に対する意見(PDF版279KB)


Comments on “DRAFT Guidelines on the Implementation of the Optional Protocol to the Convention on the Rights of the Child on the Sale of Children, Child Prostitution, and Child Pornography”

The Arguments:

1. 
In Article 61, we oppose the stretched definition from Article 2 of OPSC, and also oppose including fictional child representations, such as drawings, cartoons, and written materials into the definition. 
In Article 62, we oppose labeling representations of non-existing children as child sexual abuse material and also oppose it by prohibitive legislation. 

2. 
In Article 102, we agree to protect and assist sexually victimized children. The framework must defend an existing child from any exploitational bodies, not only by individuals but also commercial, governmental, and non-governmental bodies.


Reasons for Arguments:

1-A) 
Drawings, cartoons, written materials, or any other forms of expression that does not directly 
infringe any existing individual human rights, even if depicting fictional children engaged in any fictional sexual activities. Banning imaginary representation is not equal to the protective action of human rights. 

1-B)
 It is a fact that there are several manga titles that depict sexual abuses and rapes, however, they are represented by the imagination of an author, without a record of existing child abuse, which is a criminal offense. Manga is a form of fictional representation, which provides this artform with the potential to represent materials to consider existing child sexual abuses. 

2-A) 
The inevitable truth is that child sexual abuse occurs in many places, and the protection and support of victimized children is our zero-tolerance task. It should also be noted that existing child molesters are not only nameless individuals but also NGO members and even UN staff. 

2-B) 
We request everyone to save and protect our children from existing harms, and we also request not to try to save imaginary non-existing children from fictional child abuse.


Background:

1. 
We strongly support the idea of protecting the human rights of all children. However, we oppose including fictional representations of children into the definition of "child pornography", and we also oppose including any non-existing childlike representation into the definition of "child sexual abuse materials". This is because fictional representations and non-existing childlike representations do not have individual or group human rights to be saved. 
There are manga titles which depict child sexual abuse and rape that are based on imagination and they are non-existing fictional children. Not a small number of these works, such as "Kaze to Ki no Uta" by Keiko Takemiya and "Banana Fish" by Akimi Yoshida, may have critical social value that considers what real sexual abuse is. 
Especially, "Banana Fish", which was adapted into a television series in 2018, and depicts the protagonist as a sex slave who is victimized during filming. Its story emphasizes the struggle to survive through his suffering. These narratives are also put in danger by the change and stretch of definition to this fictional area. It may also deprive the rights of children to think about and/or discuss sexual abuse problems and may also conflict with the Convention on the Rights of the Child, Article 17, which encourages international cooperation of cultural diversity. 

2. 
There is no doubt that child sexual abuse occurs all over the world. However, the perpetrators are not always typical criminals. According to A/71/818 (http://undocs.org/A/71/818) and related documents, even United Nations officers can be an exploitation body. The exploitation of children by socially powerful people is an abuse of power and these injustices reflect social and structural problems. The protection of exploited children from powerful people is critical. Children should be rescued from any sexual abuse, by any person, including all authorities. A protective framework for victimized children by any persons, such as government officers or UN officials is needed. 
Political control over the representation of fictional children and imaginary child abuses may be a distraction of attention to protecting victimized children and misuse of our efforts and resources which should be used to save our existing children.


Conclusion

    The extended definition of child pornography in the draft guidelines does not function for protecting the rights of existing children. Furthermore, it may deprive children of social benefit and is not reasonable for child rights protection. Considering the recent UN case above, where actual child sexual abuses were perpetrated by members of an international power, imaginary fiction is not appropriately placed by being at the front of these rights issues. It is critical to face real existing human rights violations without transferring responsibility to non-existing fictional expressions. 
    To guarantee any rights by the states, it does not matter who the targets are; all actions should be achievable, effective, and acceptable to all people of each country. Often, political action against manga and other imagination-based representations apply pressure to comply with unfair regulations that are camouflaged as "Rights Protection" (Appendix). Therefore, true rights protection must also apply to manga to eliminate the unfair suppression of imagination and to protect our children's rights. 

Sincerely, 


March 30, 2019 

Kumiko Yamada 
Representative Director of Women's Institute of Contemporary Media Culture/Designer/Art Director






2019年1月7日月曜日

文化庁著作権課にパブリックコメントを提出しました

文化庁著作権課からパブリックコメントの募集がありましたので(http://search.e-gov.go.jp/servlet/Public?CLASSNAME=PCMMSTDETAIL&id=185001021&Mode=0)、インターネット上の静止画ダウンロード違法化案について白紙撤回を求める意見としてまとめ、本年1月5日に提出させていただきました。意見部分を掲載いたします。

なお、意見は2000字以内とのことでした。ライセンスビジネスに関わるクリエイターの実務の現状をお伝えするには、2000字では足りず、内容は圧縮せざるを得ませんでした。そのため、読みづらい部分もあろうかとは存じますが、恐れ入りますがご容赦いただけると幸いです。


【意見】

インターネット上の静止画ダウンロード違法化案は白紙に戻すべきである。
当会代表の山田は現役のデザイナー・アートディレクターである。専門分野は漫画・アニメ等のキャラクターグッズデザインで、ライセンスビジネスに関わる。この立場からの意見を申しあげる。
私どものビジネスはイメージを扱うのであって、イメージに傷がつくこと自体が損害である。したがって、罰則の有無に関わらず、第三者から違法行為の疑いをかけられるだけでもビジネス上の損失となり得る。
そうした中、私どものような立場の者が業務上必要に迫られ版権元の著作物を入手する例を、ビジネスの部外者が、正当性を欠く行為と区別できる確証がないことにより生じる問題がある。
私のような立場の者は、業務のため常に版権元の支給キャラクターイラストや背景画像等(専門的には「アート」と呼ばれる。以下「アート」と呼称。なおアートによっては漫画やコミックの書籍の画像そのものも含まれ、専門的には「コミックアート」と呼ばれる。以下「コミックアート」と呼称)を共有している。私どものビジネスで、あるプロジェクトでキャラクターグッズを作るという際には、製造工場に至るまでプロジェクトに関わる版権元以外のクリエイターや企業が、アートが配置された入稿(版下)データを含め、そのようにアートを共有する。そもそもライセンスビジネスには、版権元にライセンス料支払われメーカーがグッズを制作するビジネスモデルもある。
このように、ライセンスビジネス業界において版権元の企業は、制作会社や製造工場までを必ずしも傘下とせず外部の企業に頼っている現状がある。かつ、このビジネスに関わるクリエイターおよび企業には守秘義務が課せられるわけで、部外者はそのプロジェクトの内部を公開が許諾された僅かの範囲でしか知ることはない。
この状況で、ビジネスの部外者が、版権元以外の私どものような立場の者が共有する「コミックアート」について、海賊版の画像と区別をつけられるのか甚だ疑問である。
私は今、日本の弁護士が漫画海賊版サイトの運営者を特定するということを実現しているにもかかわらず、文化庁の資料のように「コンテンツの削除要請すらできない」と、エビデンスを無視し、思い込み激しく主張しているのを目の当たりにしている。他にも運営者特定を行う動きがあるわけで、そのような認識は大きな誤謬を含む。こうした例を鑑みた時、業務上正当な理由で支給された「コミックアート」について、捜査機関であれビジネスの部外者から漫画海賊版サイトの画像であるとの誹りを受ける可能性は免れず、第三者に違法行為をしていると言い騒がれてしまった場合には、イメージダウンが生じビジネスにとって大きな損害となる。
そして、ダウンロード違法化の対象とする静止画の範囲が拡大されるとなれば、企画書や商品カンプ制作を業務に含むクリエイティブ業界のビジネスは遂行が困難になることも考えられる。業務上止むを得ずインターネット上の静止画ををダウンロードしたとして、第三者に不正な行為をしているとの誹りを受ける可能性は免れないわけだが、だからといって、そうした画像のダウンロードなしでは、この業界の業務が成り立つわけもない。
デザインには流行がある。ある種のデザイン(例えば「マリンルック」のような一定の型)に「寄せる」ことは、そもそも宿命である。とはいえ、他社のものにあまりに寄せすぎないようにするためにも、同業他社の商品画像をインターネット上からダウンロードして収集し、資料にすることはしばしばある。これは、権利侵害を引き起こさず、かつ、業務を円滑に遂行するための止むを得ない慣習となっている。
また、グッズデザインに話を戻せば、アートのデータによっては色がCMYKかRGBで、PANTONE等の特色の指定がされておらず、グッズ製造に適さない状態となっているため、新たに特色指定をすることもある。ディズニー等のグッズ制作の歴史が長いキャラクターコンテンツのアートでは特色の指定がされているが、新しく参入してきた漫画やアニメのアートは、特色の指定がされていない例がまだまだある。こうした際、キャラクターの同一性保持のため同じキャラクターのグッズを制作する同業他社の商品で使用している色を参考にしなければならず、画像をダウンロードして収集し、特色指定の資料にすることもある。
以上のように、私どものようにライセンスビジネスに関わっていれば、コミックアートを共有し、インターネット上からダウンロードした画像を保有することになる例がある。業務遂行上、逃れようがない正当な行為ではあるが、同時に、不当な違法行為をしているとの誹りを受ける爆弾を抱えることにもなる。
したがって、すべての混乱の原因となるダウンロード違法化はせず、白紙撤回することを求める。

以上

女子現代メディア文化研究会
代表 山田久美子