内閣府男女共同参画局が募集している「第5次男女共同参画基本計画策定に当たっての基本的な考え方(素案)」についてのパブリックコメントを提出いたしました。
以下、様式に則った回答を転載いたしました。
ご意見(1):
1ページ、6ページ、7ページ、「基本的な方針」、他について
「男女共同参画基本計画の目指すべき社会」を男女の人権が尊重された社会としているものの、この計画では、6ページ、7ページからもわかるように、セクハラや性暴力についての問題意識は女性に対するそれらについての意識が主軸となっている。被害者は女性に限らないのだから、そうした問題を「男女共同参画」の枠組みで扱うのは無理がある。
労働の場におけるそうした問題ならば、性による区別なく労働問題の一部として取り扱うべきであり、男性の被害者が取り残されない仕組みづくりが必要である。
47ページ、「子供、若年層に対する性的な暴力の根絶に向けた対策の推進」、他について
子供への性暴力は性による区別なく子供の人権に関わる問題なので、こちらも「男女共同参画」の枠組みで扱うのは無理がある。こうした問題は、「子供の権利」の枠組みで取り扱うべきである。
該当分野(2):第2部 II 第5分野 女性に対するあらゆる暴力の根絶
該当ページ数(2):54
ご意見(2):54ページ、「8 インターネット上の女性に対する暴力等への対応」について
ここで示されるような、メディアにおける不適切な性・暴力表現を防止する施策は行政が行うべきではない。女性の活躍の場を奪い、むしろ、女性への差別的状況を生み出すと考えるからである。
インターネット上のメディアにはアニメや映画等の動画や漫画等の電子書籍も含まれる。そうしたメディアでの性・暴力表現の適切さの判断基準だが、これは道徳的価値観に基づく。そして、道徳的価値観は個人や社会集団によって差異がある。
行政が、道徳的価値観に基づき性・暴力表現の適切さの判断基準を決定すれば、国民に対しそうした道徳的価値観における理性を模倣させる圧力となる。結局のところ、行政が根拠とする道徳的価値観であっても、そうした価値観は、各社会集団や個人のそれに依拠する。したがって、そうした圧力を加えようとすれば、行政が採用した道徳的価値観と異なる価値観を持つ人々の価値観や思想が否定されることになる。価値観の差違から軋轢が生じる場面もあり、行政が国民の内心の自由に踏み込むことにもなる。
なお、製造途中に実際の人権侵害が含まれる記録物の取締まりは行うべきであるが、道徳的価値観と人権侵害の問題は別質であるので、分けて考えるべきである。
また、そうしたメディアの創作の場は、男女雇用機会均等法施行以前(素案では男女雇用機会均等法は昭和47年施行となっているが不正確である。昭和47年施行となったのは勤労婦人福祉法であり、同法からは紆余曲折があり昭和61年の男女雇用機会均等法施行となっているわけで、この昭和61年施行から続く男女雇用機会均等法と勤労婦人福祉法を同列に扱えば誤謬が生じる)から、女性が自らの努力で切り拓いてきた女性が活躍する場でもある。特に漫画は「少女漫画」というジャンルができ、女性の漫画家が活躍され創作において性表現も行われてきた。竹宮惠子先生の「風と木の詩」では登場人物への暴力も含む性描写がされた。行政が性・暴力表現の適切性を判断しその道徳的価値観における理性を模倣させる圧力となるならば、こうした作品が排除されかねない。
先人の女性の努力を蔑ろにせず、女性の活躍の場を奪うことにならないよう、こうした創作の場を発展的に継承していくべきである。
該当分野(3):第2部 III 第9分野 男女共同参画の視点に立った各種制度等の整備
該当ページ数(3):79
ご意見(3):79ページ、「第10分野 教育・メディア等を通じた男女双方の意識改革、理解の促進」について
漫画やアニメ、映画等を含めたメディア全般に、行政がそうした意識改革の理解を促す媒介となる義務をおわせるならば、「男女共同参画」にとって望ましい表現以外はあらかじめ排除されることになり、創作を行う人々の自由な表現を阻害することになる。
例えば時代劇のような、現代と価値観が異なる封建的な社会を題材に創作を行うのが困難になることが予想される。
全てのメディアがそうした意識改革の理解を促す「教科書」的なコンテンツとなる必要はない。そうした理解を促すならば、それを目的とするパンフレットや動画等の一部のメディアが行うにとどめるべきである。
以上