【はじめに】
2026年7月15日に国民民主党が参議院に提出したとする「青少年が安全に安心してインターネットを利用できる環境の整備等に関する法律の一部を改正する法律案」(以下「当該法案」。国会閉会で廃案)について意見を述べます。
※国民民主党Webサイトでは、当該法律案を「エロ広告規制法案」と呼称していますが(※1)、この略式名称は法案の内容とは著しい乖離があるので正式名称で記述させていただきました。
【意見の趣旨】
当該法案は、畢竟、デジタル・従来型の区別なく、広範にわたる媒体を対象とする広告・宣伝デザインの表現規制となり、言論統制の要因にもなる。
制約の中で行うのが広告・宣伝デザインだが、その認識をもってしても、当該法案に反対せざるを得ない。
【意見の理由】
(1)デジタル広告に限定されない広範におよぶ媒体の広告が、有害性の審査対象になるから
インターネットに限定的なデジタル広告は確かにあるものの、出稿メディアを問わない広告もある。一つの広告・宣伝企画で、インターネットのみならず従来型のマスコミ4媒体(※2)にも出稿する場合、一貫したデザインのキービジュアルを使用するのが通常である。
したがって、デジタル広告のキービジュアルに当該法案の「青少年有害情報」が認められれば、同じキービジュアルを使用している従来型の広告にも有害性があることになる。実際には、有害性の審査対象はデジタル広告に限定されず広範にわたる。
(2)当該法案の「民間団体」に問題があるから
広告の情報伝達技術としての強力さを鑑みれば、日本広告審査機構(JARO)のような民間の自主規制機関は必要と言える。こうした自主規制に関わる団体は、公平・中立な第三者機関でなければならないが、当該法案の「民間団体」には公平性・中立性を担保するものがない。
そして、情報の有害性の判断主体が「あくまで関係事業者、保護者等」としても、自主規制の実施状況を「民間団体が評価」するのであれば、この「民間団体」が自主規制の監視機関になるだろう。この「民間団体」の監視システムにより、広告・宣伝デザインにおける表現の萎縮効果、ひいては、デザインの現場の労働環境悪化が引き起こされる危惧がある。
(3)青少年・子どもの福祉を目的としていても達成する手段に疑問があるから
当該法案と1938年の「児童読物改善ニ関スル指示要綱」(以下「指示要綱」)には、共通点がある。青少年・子どもの「健全な成長」を目的に含み、その目的を達成する手段が、取り巻くメディアからの「有害な情報」の排除という点である。
当時の内務省による要望および「指示要綱」の実施は、児童向け図書の表現の多様性を失わせ言論統制を進めたが、当該法案もこのように言論統制を生み出す可能性がある。
メディア環境からの「有害な情報」の排除が、目的を達成する手段として妥当なのか、過去の歴史から学ぶべきである。
(4)体制とクリエイターの情報技術を媒介した共犯関係が、言論統制を支えた歴史があるから
終戦の、1945 年までの体制下においては、中原淳一が『少女の友』から追放された例がある一方で、体制と共犯関係を持って言論統制を支えるクリエイター集団も発生している。
広告・宣伝デザインの業界の過去には、『NIPPON』や『FRONT』などのグラフ誌がある。これらは、言論統制の中で体制に迎合したプロパガンダ誌という側面もあり、『FRONT』の刊行には軍部の意向もあった。情報技術を利用したい体制側と、活躍の場が欲しい当時のクリエイターの側の共犯関係が言論統制を支えたのも事実だが、当時の内務省や軍部は言論や表現に圧力を持っていたわけで、業界が迎合せざるを得なかった面もある。
当該法案の「民間団体」が自主規制を監視するシステムにおいて、広告・宣伝は、特定の意見や思想に偏った情報を伝えるものになり、かつてと同様に、デザイン界が広告・宣伝を通じて言論統制を支えるようになる危惧がある。
(5)立法事実について誤認があるから
先述の国民民主党Webサイト(※3)の伊藤孝恵氏の発言に「マスメディアと違ってネット広告は自主規制がない」とあるが(※4)、デジタル広告に関しても日本広告審査機構(JARO)が調査および厳重警告などの自主規制を行なっている(※5)。ネット広告は「自主規制がない」とするのは誤り。
【 定 義 】
[ 広 告 ]
辞書には「広く世間一般に告げ知らせること」や「宣伝すること」とあるが(※6)、ここでは当該法案の文脈に従い狭義のものとする。すなわち、媒体を通じ情報伝達するものであり、有料で広告枠に出稿するものとする。各種SPツール、店頭VMDツールは、宣伝ツールとして分ける。
[デジタル広告]
当該法案の文脈からデジタルサイネージを媒体とする広告は外す。インターネットを媒介しデジタル技術を用いて表示される広告で、「アフィリエイト広告」「ディスプレイ広告」「リスティング広告」「ネイティブ広告」「SNS広告」「動画広告」等ととらえる。
[デジタルプラットフォーム]
当該法案第二条13項に従い、「特定デジタルプラットフォームの透明性及び公正性の向上に関する法律」第二条第一項に規定される「デジタルプラットフォーム」とする。具体的には、例えば、「Zoom」や「X」、「YouTube」、「Amazon Prime Video」などが該当する。
【意見の理由の詳細】
(1)デジタル広告に限定されない広範におよぶ媒体の広告が、有害性の審査対象になるから
一つの広告・宣伝企画では、予算に合わせながら、あらゆる媒体を組み合わせたより効果的な情報伝達が模索されます。インターネット限定のデジタル広告は確かにあるものの、現状の広告には、各種媒体を横断するものがあるのも事実です。広告の効果が期待でき出稿費用に見合うならば、インターネット、マスコミ4媒体などといった媒体の区別なく出稿する例もあります。
こうした一つの広告・宣伝企画では、通常では、企画に一貫したキービジュアルが用意されます。キービジュアルは、写真や図形、ロゴ、マーク、文字といったグラフィック要素が組み合わされデザインされたものです。動画媒体であれば、それらグラフィック要素と動画が組み合わされることになります。テレビCMと同様の動画広告が「Amazon Prime Video」や「X」でも流れていますが、同じ商品や宣伝対象であれば、デジタル広告にもマスコミ4 媒体広告にも、ひいてはその他のSPツール、VMDツールにも、同じビジュアルが見られるのはそのせいです。
したがって、あるデジタル広告のキービジュアルに、当該法律でいう「青少年有害情報」に該当する情報があると判断されれば、同じキービジュアルを掲載している他の媒体も、「有害情報」を掲載していることになります。つまり、マスコミ4媒体広告であれ、SPツール、VMDツールであれ、同じキービジュアルを使用していれば、メディアの区別なく有害ということになります。すると、デジタル広告の「青少年有害情報」における有害性の審査基準に合わせたキービジュアルデザインをせざるを得なくなります。
当該法案概要の趣旨の「インターネット上のいわゆる「 エロ広告 」」と言えば、インターネット上のアフィリエイト広告などを想像しがちかもしれません。その場合、有害性の審査対象は「インターネット上のデジタル広告」と錯覚してしまいますが、実際には広告ならば出稿メディアは問いません。また、広告と同じキービジュアルを使用していれば、関連宣伝ツールも審査対象となるので、より広範な規制対象が発生します。
(2)当該法案の「民間団体」に問題があるから
広告は強力に働く情報伝達技術です。広告は、広告媒体の広告枠を購入し出稿するもので、挿入性、反復性があります。その広告を、見る予定がなかった(情報の)受け手にも届けることができ、また、多く広告枠を購入し出稿するなどして繰り返し同じ情報を届けることも可能です。
しかし、例えばTVドラマのCM時間は「トイレタイム」というように、スルーされてしまうこともあります。そこで、広告を見てもらえるように(音声があるものは聞いてもらえるように)、そしてさらに、商品広告なら購買行動にまで結びつくように工夫をしなければなりません。例えば、(情報の)受け手の興味を引くビジュアルや音楽による演出です。こうした工夫には禁じられた表現があり、誇大(「大袈裟」な)表現や、「嘘」「紛らわしい」表現等が該当します。こうした事情から、日本広告審査機構(JARO)のような民間の公平・中立な第三者機関が、広告の調査および厳重警告などの自主規制を行なっています。
もとより、広告は、複数の法律のレイヤーによる規制があります。景品表示法や薬事法の定めがあり、こうした制約の中で行うのがデザインということも言えます。前述したような、広告の情報伝達技術としての強力さを鑑みれば、一方で、自主規制機関の必要性にも頷けます。しかし、こうした自主規制に関わる団体は、公平・中立な第三者機関でなければならず、「民間」の団体であれば良いというわけではありません。つまり、特定の個人や集団・団体が共有する意見や思想ばかりを尊重することなく公平であるか、特定の個人や集団・団体に利することなく中立であるか、ということが問われます。ところが、当該法案には、この「民間団体」の公平性・中立性を担保する規定がありません。
この「民間団体」は「青少年有害情報」の有害性の判断主体ではないとのことですが、だから、問題がないとは言えません。当該法案における情報の有害性の判断主体は、「あくまで関係事業者、保護者等」とのこと(※7)。情報の有害性の判断主体が民間であり、行政ないし公権力ではないので、検閲や公権力による事前抑制に当たらない。このことをもってすれば、表現の自由を保障する憲法第21条の違憲性を免れるという理屈かもしれません。しかしながら、恣意的にその「関係事業者、保護者等」を集めることも可能であり、特定の意見や思想を共有する人々に偏らないとも限りません。不公平で偏った判断をする可能性があるのは問題です。
また、当該法案の「民間団体」が、「大規模デジタルプラットフォーム提供者」に圧力を持つようになると、実際には広告・宣伝の制作者側にも圧力を持つ自主規制の監視機関になってしまうことが予想されます。
「大規模デジタルプラットフォーム提供者」の「青少年有害情報」についての「青少年閲覧防止措置の実施の状況」(第二十三条の四)を、この「民間団体」が評価する、すなわち、自主規制の実施状況をこの「民間団体」が評価するとのことです。また、この「民間団体」が、「青少年が安全に安心してインターネットを利用できる環境の整備」について調査研究・検証、そして、「成果の活用の促進に関する活動」を行うとのことで、この「民間団体」が自主規制を促す役割を大きく担っていることも明らかです。
当該法案のこうした規定から、この「民間団体」が、自主規制の監視機関として機能することが予想できます。そして、当該法案では、「大規模デジタルプラットフォーム提供者」の異議申し立てに関する条文がありません。すると、「大規模デジタルプラットフォーム提供者」は、異議申し立てもできない状況で、「民間団体」が促す自主規制に従わざるを得なくなります。
その上、当該法律でいう「青少年有害情報」には曖昧性の問題があります。「青少年有害情報」とは、現行の「青少年が安全に安心してインターネットを利用できる環境の整備等に関する法律」の第二条2 項の「インターネットを利用して公衆の閲覧(視聴を含む。以下同じ。)に供されている情報であって青少年の健全な成長を著しく阻害するもの」です。何が「青少年の健全な成長を著しく阻害する」のでしょうか。個人や集団により考え方や文化が異なるのだから、「有害」とする判断の基準も個人や集団により差異があります。広告・宣伝ツールの制作者側からすれば、当該法案のそうした基準は明確ではなく混乱を招くものです。
そうした状況で、広告・宣伝情報の媒体への掲載および関連宣伝ツールの発表後に、もしも、そうした有害性が認められた場合どうなるでしょうか。広告の出稿を継続するならば、「民間団体」により自主規制が促された「大規模デジタルプラットフォーム提供者」が、広告主に修正を求める機会もあることでしょう。その修正指示は、広告・宣伝ツールの制作者側に届き、デザイナーなどが修正した成果物が広告主にバック・内容確認されることになります。ただ、このような例は、制作者側からすると、判断ミスによる成果物納品後の修正という「トラブル」になります。こうしたトラブルが発生しないよう、よりいっそう慎重な表現をするなどということになれば、広告・宣伝における表現の萎縮も避けることができません。
当該法案は、「大規模デジタルプラットフォーム提供者」への規制を謳っていますが、実はこのように、広告・宣伝ツールの制作に関わる、デザイナーやイラストレーター、アートディレクターといったクリエイターにこそ、大きな影響を及ぼすことが予想されます。
ならば、ということで、その「民間団体」が(親切にも)、掲載前の広告について、情報の有害性の判断主体(=民間の「関係事業者、保護者等」)の判断基準を示そうと申し出るとします。その「民間団体」が、広告の「有害情報」のいわば「監修者」となるということです。すると、「民間団体」の提言は遵守しなければならなくなり、実質的には提言に強制力を持つことになります。
「民間団体」が、このように広告の「有害情報」の監修者となる場合、本来広告・宣伝ツールのデザインの時間だったのが、一部を監修期間に奪われるという問題もあります。広告・宣伝デザインでは、締め切りを延期できないのが通常である中、長時間労働による過労死で、大手広告代理店が訴えを起こされている例もあります。広告・宣伝デザインの過程で広告の「青少年有害情報」の審査などという過程が加わることで、よりいっそうの過酷スケジュールでの仕事といった、新たな労働問題が生まれることを危惧します。
このように、「民間団体」が広告の「有害情報」の監修者となると申し出るかは不明です。しかしながら、自主規制の監視は「大規模デジタルプラットフォーム提供者」を通じ、畢竟、広告・宣伝の制作者側までおよぶのであり、成果物のデザインの際に、情報の有害性の判断主体の判断基準に合わせた制作を行う必要性が発生することが、まずもって問題です。
この情報の有害性の判断主体が、特定の意見や思想を共有する人々に偏らないとは限らないことは、前述の通りです。すると、この有害性の判断主体の価値観や利益に合わせた情報が、広告・宣伝ツールを通じて拡散されていくことになります。この有害性の判断主体の価値観や利益に適合していない、あるいは隠したい情報は「有害情報」として排除されるようになり、一方で、この有害性の判断主体の思想や価値観に照らして正しい情報は広がります。
(3)青少年・子どもの福祉を目的としていても達成する手段に疑問があるから
1935 年、文部省は「教学刷新評議会」を開設、教育的な観点からの答申の後、1937 年に具体的学制改革のための教育審議会を開設しました(※8)。その後の1938年に内務省警保局図書課から「児童読物改善ニ関スル指示要綱」(※9)の通達があったわけですが、この点について戦時児童文学研究者で作家の山中恒は、当時「児童文化が教育文化と同意義に見做されていた」とし、学校教育の管理体制に目処がついて、次に児童文化、という流れだったと指摘しています(※10)。なお、国家総動員法制定も「指示要綱」通達と同じ1938 年です。
この「指示要綱」は児童向け図書を作成する際のルールのまとめで、内務省警保局図書課が児童雑誌図書の編集者を呼び出し通達したものです(※11)。
この「指示要綱」作成に先立って、内務省は、児童雑誌図書の編集者と懇談会を行い問題点をまとめています。この懇談会に続いて、民間有識者による問題改善にあたっての答申が行われています。児童文学者の小川未明の答申案「児童雑誌に対する理想案」には、「児童にとりて、有害なるものを除き、健全な教化に邁進したならば」とあり(※12)、児童向け図書から「有害な情報」を排除して「健全な成長」に導く理想が語られています。このような経過を経て、内務省警保局図書課が「指示要綱」を作成しましたが、それにはこうした民間有識者の協力がありました(※13)。
「指示要綱」が、児童向け図書を作成する際のルールのまとめだったことは、前述のとおりですが、民間有識者の答申の通り、「有害な情報」は排除、「健全」は奨励という方向性にまとまりました。エロス(卑猥)や恋愛の表現は「有害な情報」、国家総動員体制を背景とし、教育的な物語や表現は「健全」とされました。
「指示要綱」の具体的な規定には、「廃止スベキ事項」、つまり「有害な情報」として、「卑猥ナル挿画」「卑猥俗悪ナル漫画及ビ用語」などがあり、「過度ニ感傷的ナルモノ、病的ナルモノ其ノ他小説ノ恋愛描写ハ回避」とあります。そして、「仮作物語」を制限して少なくし、その分、「歴史的知識ニ関スルモノ」を「充ツルコト」などと奨励しています。「忠臣、孝子、節婦等ノ伝記モノハモトヨリ国民全体又ハ一ツノ集団ノ困難、奮闘、発展等ヲ叙シタルモノ、即チ国民史的記事ヲ取上ゲルコト」という規定もあります(※14)。
その他、文字では活字の大きさや振り仮名についてのルール、広告では誇大広告がNGということも示されています。
「指示要綱」は、それ以前から続く、児童向け図書の「浄化運動」の一つの現れだったという面もあります。山中恒は著書『戦時児童文学論』において、有識者による「児童読物の浄化の要望も(中略)すでに明治年代に於いても一部では取り上げられており(※15)」という証言の紹介もしており、一部の知識人による「児童読物の浄化の要望」が、「指示要綱」以前からあったことについて言及しています。「指示要綱」については、当時の児童文化研究家の百田宗治による「一部知識階級の家庭や一般児童文化に関心を持つ人の間で強力な支持を得ている」(東京朝日新聞「少年少女雑誌批判」1938 年)という見解も紹介しています(※16)。
こうした「指示要綱」の実施にあたっては、「最初、児童文学や児童心理学、教育学の専門家の意見をとりいれたため、芸術的な児童文学が一時的に復興するという現象がおきました」(※17)とする評価もあります。しかし、一方では、児童向け図書の多様性を失わせることにもつながり、1940年には、『少女の友』で当時人気イラストレーターだった中原淳一が、内務省および軍部の圧力で『少女の友』から追放されるなどという事件も起きています。
中原のイラストもさることながら、まず『少女の友』が、「浄化」の必要がある雑誌図書として内務省や軍部から目をつけられ、一部の有識者からも否定的に見られていたという面があります。
国立公文書館デジタルアーカイブ「児童雑誌検閲簿」1938年(昭和13年)12月号から1939年(昭和14年)4月号までの検閲帳簿には、『少女の友』について「全体的ニ主情ニ偏スル嫌アリ」と記載されており、問題視されている様子が伺えます(※18)。また、先述の百田宗治は、東京朝日新聞の「少年少女雑誌批判」という連載記事において、『少女の友』に掲載されていた川端康成らの作品について、「感傷的」などと否定的な見解を示しています(※19)。
『少女の友』の内山基主筆によれば、中原のイラストは、戦争が長期化する中、陸軍省報道部や内務省などにより「不健康だ」などとしばしば問題にされていたとのことです。そして、内務省の検閲官から呼び出されて中原の降板を求めらた数ヶ月後、1940 年6月号を最後に、ついに軍部の圧力で降板という運びとなりました(※20)。
メディア史研究者の佐藤卓己は著書『言論統制』の中で、次のように分析しています。1935 年から中原淳一のイラストを雑誌の顔として起用し、女学生の間で熱狂的なファンを得ていたが、「都会的」「エレガント」「モダン」といった美意識が「欲しがりません勝つまでは」の戦時標語と折り合いをつけるのは困難だった(※21)、と。
言論統制が進めば、このように表現も「時代に合わせたもの」に統制され、多様性は失われていきます。山中恒は著書『戦時児童文学論』で、「指示要綱」実施後の言論統制下における、戦争や軍隊をテーマとする児童向け読物の増加を指摘しています(※22)。
このような「児童読物改善ニ関スル指示要綱」ですが、当該法案と共通点があります。青少年・子どもの「健全な成長」を目的に含み、その目的を達成する手段が、青少年・子どもを取り巻くメディアからの「有害な情報」の排除という点です。「指示要綱」、当該法案ともに、青少年・子どもの福祉を目的とした良案にも見えますが、実のところは如何でしょうか。両者に共通する「有害な情報」の有害性の判断について俯瞰してみると、問題も見えてきます。
「指示要綱」にも当該法案にも「有害」とされる情報がありますが、その有害性判断の基準に明確性はありません。このような場合、有害性の判断主体の裁量が大きくなります。その有害性の判断主体は、「指示要綱」実施当時ならば内務省や軍部で、当該法案においては民間の「関係事業者、保護者等」ですが、当時の内務省や軍部にも、この民間の人々にも中立性・公平性を担保するものはありません。
こうした中立性・公平性に欠ける団体や集団、つまり、特定の意見や思想を共有する人々ばかりで、大きな裁量で有害性の判断を行えば、その判断に価値観や道徳観の偏りが発生するのは、中原追放の一件などからも明らかです。
当該法案の「関係事業者、保護者等」が、このように中立性・公平性を持たず、大きな裁量で有害性の判断を行うならば、前述の「民間団体」と共に、当時の内務省や軍部の立場と変わらなくなると考えます。つまり、「関係事業者、保護者等」と「民間団体」が、言論統制のシステムにおける、情報のコントロールの役割を担う立場になるということです。
「指示要綱」が作られた当時、言論統制により表現の多様性が失われていったわけですが、はたしてこれが本当に青少年・子どもの福祉となったのでしょうか。
中原淳一といえば、戦後にも活躍の場を広げ、雑誌の創刊なども行なっています。弥生美術館が原画を所蔵するなど現在ではその表現に高い評価があり、中原淳一の雑貨店『それいゆ』も健在です。また、先述の百田宗治が否定的だった川端康成は、戦後にノーベル文学賞を受賞しました。言論統制は、こうした様々の表現の可能性を摘んでしまうものでもあります。
(4)体制とクリエイターの情報技術を媒介した共犯関係が、言論統制を支えた歴史があるから
終戦の、1945年までの体制にあっては、内務省や軍部が表現の内容について判断し発禁などの圧力を加えることができる状態でした。1925年の治安維持法は、1928年には最高刑が死刑に引き上げられ、1933 年には特攻警察による小林多喜二暗殺事件も起こっています。山中恒の言葉を借りると、戦前の内務省は「警察権力の総元締め」だったということで、次のように述べています。「特に戦前の特攻警察の横暴ぶりは小林多喜二虐殺事件に見られるように、一般庶民にとっては恐怖の府でもあった。」(※23)
1940 年の中原追放の一件に先んじ、我が国では、このように公権力が表現に圧力を加えることができるシステムへと着々と整えられ、言論統制のシステムが形成されていきました。
戦前の内務省や軍部は、表現に圧力を持つ戦時下イデオロギーが強い集団となっていました。内務省や軍部が勢力を増す中、恐怖、そして表現の禁止と奨励によって、漸進的に言論統制のシステムは確立されました。表現における禁止は、内務省や軍部の価値観に照らして「有害」である情報、そして、内務省や軍部の損になる情報です。表現における奨励は、同じく、内務省や軍部の価値観に照らして正しい情報、そして、内務省や軍部に利する情報です。
このような体制下、内務省や軍部の圧力による中原追放の一方で、そうした内務省や軍部の価値観に迎合し、活躍の場を得るクリエイター集団も現れます。例えば、『NIPPON』の日本工房や『FRONT』の東方社です。
『NIPPON』や『FRONT』などのグラフ誌には、体制に迎合したプロパガンダ誌だったという側面があります。『FRONT』の刊行には軍部の意向もありました(※24)(※25)。こうした『NIPPON』『FRONT』ですが、戦後になってから復刻版が出版されるなど(※26)(※27)、高い編集技術や高クオリティの写真、タイポグラフィ、レイアウトなど、現在でもデザイン的な面で時代を超えた評価を得ています。
『NIPPON』や『FRONT』の制作に関わった各クリエイター個人の考えや事情はさまざまであろうし、全てを推し量ることはできません。とはいえ、そうした人々にとってこうした国策グラフ誌は、自分たちに都合が良かったということは否定できますまい。それは、発禁処分を受ける可能性が極めて低かったからです。表現の場を模索していた人々が、国策グラフ誌という場を得て、当時としては新しかった技術を用いた表現にチャレンジすることも可能でした。
軍部としても、軍部や体制に利するプロパガンダに、一流のクリエイターを雇って当時としては最新の視覚伝達技術を利用することができました。しかしそれは、クリエイター側と体制側との、持ちつ持たれつの共犯関係でした。こうした共犯関係で、体制にとって正しく利する情報が広まる一方で、体制が禁じる情報は覆い隠されるようになりました。
1928 年の張作霖爆殺事件の真相を、一般国民が知るのは戦後のことです。そして、1931 年、満州事変の発端となる柳条湖事件が起きます。張学良軍を陥れる日本軍の自作自演・謀略だったことが、終戦後に発覚します。この後、我が国は、1933年に国際連盟脱退、国際的な孤立とイメージ悪化を改善する必要に迫られます。そこで創刊されたのが、グラフ誌『NIPPON』でした(※28)(※29)。
『NIPPON』は、日本工房がデザインを担当し1934 年に創刊されました。1910 年代からのロシア構成主義の盛り上がり、1919年、ワイマール期のドイツでのバウハウスの設立(のちにナチスにより閉鎖)、1924年にはアンドレ・ブルトンの「シュルレアリスム宣言」、これに続くシュルレアリスム絵画・映画の表現、こうしたデザイン・芸術・文化における新しい潮流が我が国のデザインにも影響を及ぼすようになります。同時に写真や印刷の技術も向上し、この頃になると、写真や図案、タイポグラフィを組み合わせ、レイアウト技術を駆使したグラフィックデザインが一つの円熟期を迎えます。
『NIPPON』は、亀倉雄策などの一流デザイナーや写真家により、力強い、そして時には前衛的な紙面が作られました。一方で、日本の伝統的な手仕事などの掲載もあり、現在では、民藝や民俗学にとっても大変貴重な資料となっています。しかしながら、こうした見た目の秀逸さ美しさは、そのまま、張作霖爆殺事件、柳条湖事件のような野蛮さ、あるいは、人権感覚の無さを覆い隠す対外プロパガンダでした。
このように、情報技術を利用したい体制側と、活躍の場を必要とする当時のデザイナーや写真家の側には共犯関係があり、それが当時の言論統制を支えたという側面があります。そうした言論統制の中、1941 年、真珠湾攻撃により我が国も第二次世界大戦に参戦。こうしたグラフ誌も含め、メディアでは嘘や誇大な情報が伝えられ、1945年に終戦。多くの人命が喪われました。
東方社で『FRONT』のデザインに携わった多川精一は当時を振り返り、「仕事を失い経済面からおびやかされることが戦争そのものより怖かった。」と述べています(※30)。言論統制を支えたことを鑑みれば、こうした体制側とクリエイター側の共犯関係は、肯定し難く美談にもなりません。しかし、こうした過去を反省すればこそ、まず、言論統制のシステムが形作られないよう、そのきっかけを摘み取っていくことが先決です。そして、そのきっかけになり得るのは、当該法案によって構築される自主規制の監視のシステムです。
前述したように、当該法案における「民間団体」が、「大規模デジタルプラットフォーム提供者」に圧力を持つようになると、実際には広告・宣伝の制作者側も含めた自主規制の監視機関になってしまうことが予想されます。こうした、「民間団体」が自主規制を監視する構造は、システムの面では、当時の内務省や軍部が言論を監視していたのと同様です。すると、かつて内務省や軍部に迎合しなければ仕事を得られなかったように、この「民間団体」や前述の「関係事業者、保護者等」に迎合しなければ仕事の場が得られなくなるのではないか、という問題も出てきます。この有害性の判断主体が、どんなに不公平で偏った判断を下すようであっても、クリエイターは受け入れて仕事をしなければならないことになります。
この「民間団体」が自主規制を監視するシステムの中で、広告・宣伝の仕事は、特定の集団や団体が共有する意見や思想に偏った情報を伝えるものになり、かつてそうであったのと同様に、デザイン界が広告・宣伝を通じてそうした一種の言論統制を支えていくようになっていく危惧があります。
ただ、その言論統制の内容は、幾分か現代的になるのかもしれません。旧統一協会のようなカルト集団による社会のあらゆる場への浸潤は、現代的な社会問題ですが、その情報の有害性の判断主体にカルト集団が浸潤することがないとも言えません。
(5)立法事実について誤認があるから
詳細説明は必要なしと考え省略
【 結 論 】
中原淳一は、終戦前からイラストのみならずファッションや雑貨のデザインも手がけるなど、ジャンルを超えて活動されていました。戦後には、雑誌『それいゆ』や『ひまわり』の創刊など、さらに幅広く活躍されました(※31)。
一方、『NIPPON』の山名文夫、亀倉雄策、『FRONT』の原弘といった人々は、戦後そのまま我が国のグラフィックデザイン界の基礎を築き重鎮にスライドします。こうした人々のデザイン界への貢献は言わずと知れたところですが、その技術力の高さこそが当時の言論統制を支える力たり得ました。
現代を生きる広告・宣伝デザインに携わる各種クリエイターは、過去の反省に立たなければならないでしょう。広告には、反復性、挿入性があり、一種の強力な情報伝達技術とも言えます。ゆえに、法規制や、日本広告審査機構(JARO)のような公平・中立な第三者機関による自主規制もあります。しかし、青少年・子どもの「健全な成長」を目的とする規制であっても、手段によっては言論統制のきっかけとなることもあるので、注意が必要です。
言論統制の中、中原淳一による『少女の友』の表紙イラストの可能性はなくなりました。これまで見た通り、そこには当時の民間の知識人や体制の圧力がありました。当時の社会を非言語的「ディスクール」ととらえると、それは、フーコーが言う、ディスクールにおける「排除されたエノンセ」そのままです(※32)(※33)。フーコーが問うたのは「その言表(エノンセ)(※括弧内記述は筆者)は、なぜ、それとは別の言表(エノンセ)(※括弧内記述は筆者)ではありえなかったのか。」(※34)、あるエノンセが言い得るはずだったにもかかわらず、なぜ表現から排除されたのか、ということです。
最も強力な情報伝達技術の一つが、言論統制下での広告・宣伝ということも言えるでしょう。それは、社会に広まる情報の選別とコントロールを強力に行い、不要なエノンセを排除しディスクールを形成できるからです。情報の監視システムを構築し監視する側になれば、自分たちに都合が良い情報ばかりになります。監視する側にとっては美しい社会でしょう。理想のための言論統制、これによるエノンセ排除が行われる社会もあるということです。
すでにソシュールが、言語を一種の社会制度ととらえ、言語の恣意性について、——例えば、シニフィエとシニフィアンの紐帯の恣意性などについて——指摘していましたが(※35)、社会システムがエノンセ排除に介在する時の恣意性は、一方の人々にとっては不本意な抑圧となることがあります。
かつて、一部の知識人の協力のもと内務省や軍部が表現に介入した時代、表現の排除における恣意性が強力だった頃の社会では、中原淳一に見られるような表現の場からの追放どころか、小林多喜二暗殺のような殺人も発生しました。美や理想を目指しているのだとしても、エノンセ排除に介在する恣意性が強力である社会は、人間の命をも排除する例があります。それは、過剰に管理が行き届いた社会ではないでしょうか。
図書の浄化運動に関わった当時の一部の知識人には、善意も理想もあったことでしょう。「浄化」の何かを達成すれば、自分を囲む人々の集団においては「手柄をあげた」などとして尊敬を集めたのかもしれません。しかし、社会システムの中で、そうした一部の集団にとっての良いアイディアが、他の集団においてはどうか、そして、その手段を講じた結果どうなるか、その知識人は考えるべきではなかったでしょうか。
我が国には、青少年・子どもの「健全な成長」という福祉を目的とし、その間違った手段が言論統制を進めた歴史が
あります。この度提出された当該法案についても、それが本当に良いアイディアなのか、目的を達成する手段に誤りはないか、そして、人間を過剰に管理する社会になってしまわないかどうか、自らの内にも他者性を持って検証するような、思慮深さを忘れないようにしたいものです。目的は手段を正当化しません。
以上
女子現代メディア文化研究会
代表/デザイナー 山田久美子
【 注 釈 】
(※1)「国民民主党」Webサイト(トップ)>ニュースリリース >【法案提出】議員立法「エロ広告規制法案」を提出(https://new-kokumin.jp/news/business/20260715_4)
(※2)テレビ、新聞、雑誌、ラジオ
(※3)(※1)に同じ
(※4)文脈から、当該法案概要における「デジタル広告」と「ネット広告」は同義と解釈する
(※5)「Forbes Japan」Webサイト(トップ)>ビジネス>マーケティング>JAROが厳重警告した問題広告のパターンとは(2024年度上期)(https://forbesjapan.com/articles/detail/76307)
(※6)デジタル大辞泉(小学館)による
(※7)伊藤たかえ(伊藤孝恵)「X」2026 年7月22日の投稿による
(※8)山中恒『ボクラ少国民 第一部』(勁草書房/ 1991 年/ 33~43ページ)
(※9)「<寄稿> 内務省「児童読物改善ニ関スル指示要綱」をめぐって:佐伯郁郎旧蔵資料によるテキストの確定」に「指示要綱」全文と原本についての掲載がある
白百合女子大学機関リポジトリ>「紀要論文 児童文化研究センター研究論文集 27号(2024)」>「<寄稿> 内務省「児童読物改善ニ関スル指示要綱」をめぐって:佐伯郁郎旧蔵資料によるテキストの確定」
(※10)山中恒『ボクラ少国民 第一部』(勁草書房/ 1991 年/ 33、43ページ)
(※11)山中恒『戦時児童文学論』(大月書店/ 2010 年/ 56ページ)
(※12)山中恒『戦時児童文学論』(大月書店/ 2010 年/ 52~53ページ)
(※13)山中恒によれば、あらかじめ内務省警保局図書課が作成した要綱案を、答申案総括の九名に討議させたが、それは建前で実際には承認を求めたとのこと。「これは内務省の独断ではなく、民間有識者の意見を求めたという形式を整えるためのものだった」山中恒『戦時児童文学論』(大月書店/ 2010 年/ 60ページ)
(※14)(※8)に同じ
(※15)山中恒『戦時児童文学論』(大月書店/ 2010 年/ 67ページ)
(※16)東京朝日新聞に掲載された百田宗治の「少年少女雑誌批判」による。山中恒『戦時児童文学論』(大月書店/2010年/ 57ページ)
(※17)「1938(昭和13)年には、内務省の「児童読み物改善に関する指示要綱」が発表されました。これは、一種の言論統制ですけれども、「要綱」の実施にあたっては、最初、児童文学や児童心理学、教育学の専門家の意見をとりいれたため、芸術的な児童文学が一時的に復興するという現象がおきました。新美南吉『おぢいさんのランプ』(1942 年)や椋鳩十『動物ども』(1943 年) などの新人の作品は、こうした状況の下で出版されたものです。」
「国立国会図書館国際子ども図書館」Webサイト(トップ)> 第2 章 「童話」の時代―『赤い鳥』創刊から戦前まで(https://www.kodomo.go.jp/jcl/section2/index.html)
(※18)国立公文書館デジタルアーカイブ「児童雑誌検閲簿」1938年(昭和13年)12月号から1939年(昭和14年)4月号までの検閲帳簿、4コマ目。(https://www.digital.archives.go.jp/file/1724345)
(※19)百田は川端康成の作品を「十年依然たる少女小説の感傷的な足踏みが見出されるだけであった」としている。山中恒『戦時児童文学論』(大月書店/ 2010 年/ 58ページ)
(※20)『少女の友』の内山基主筆の回想による証言。高橋洋一『中原淳一 美と抒情』(講談社/ 2012 年/ 104~105ページ)
(※21)佐藤卓己『言論統制 増補版』(中公新書/ 2024 年/ 442ページ)
(※22)山中恒『戦時児童文学論』(大月書店/ 2010 年/ 74~93ページ)
(※23)山中恒『戦時児童文学論』(大月書店/ 2010 年/ 56~57ページ)
(※24)「一九三九年、当時第五課長だった山岡道武大佐は、九段事務所の馬場秀夫を通じて、こうした国家的規模のグラフ誌が日本で出せないものかと岡田に打診した。」とある。「第五課」とは陸軍参謀本部二部(情報担当)の第五課、「岡田」は東方社の理事長の岡田桑三である。多川精一『戦争のグラフィズム』(平凡社/ 2000年/ 57~60ページ)
(※25)『東京都写真美術館 紀要 No.11』金子隆一『リアリズムとプロパガンダ──社会へ向けられた写真家のまなざし』(東京都写真美術館/ 2021年/ 89ページ)
(※26)『合本復刻版 NIPPON 』(図書刊行会)
(※27)『復刻保存版 FRONT 』シリーズ(平凡社)
(※28)「日本は1931年の満州事変以来、困難な状況にあった国際的な立場を改善し、悪化したイメージを回復させる必要に迫られていた。
日米開戦以降は欧米に向けたものから中国および南方地域での文化工作を意識したものに変化していく。海外に向けてどのような「日本」のイメージを打ち出すかは重要だった。(中略)さまざまな思惑のなかで、「独自の伝統があり、かつモダンな日本」のイメージが選択されていった。」図録『柳宗悦没後60 年記念展 民藝の100 年』(東京国立近代美術館/ 2021 年/ 152ページ)
(※29)「日本は1931(昭和6)年、中国東北部に侵攻する。満州事変の勃発である。中国や列強との間で緊張が高まり、さらに32(昭和7)年の満州国建国にともない、日本は国際的に孤立することになる。こうした時代背景を抜きに『NIPPON』について語ることはできない。日本は孤立状況を打開するために対外宣伝政策の強化をはかったが、その宣伝媒体となったのが『NIPPON』なのである。『NIPPON』は世界に日本文化を紹介・宣伝するための雑誌だった」『東京都写真美術館 紀要 No.11』金子隆一『リアリズムとプロパガンダ──社会へ向けられた写真家のまなざし』(東京都写真美術館/ 2021 年/ 87ページ)
(※30)多川精一『戦争のグラフィズム』(平凡社/ 2000 年/ 87ページ)
(※31)中原淳一公式Webサイト(https://www.junichi-nakahara.com)
(※32)ミシェル・フーコー著/渡辺一民 、佐々木明訳『言葉と物〈新装版〉―人文科学の考古学―』(新潮社/ 1974 年)
(※33)ミシェル・フーコー著/慎改康之訳『知の考古学』(河出書房新社/ 2012 年)
(※34)ミシェル・フーコー著/慎改康之訳『知の考古学』(河出書房新社/ 2012 年/ 57ページ)
(※35)フェルディナン・ド・ソシュール著/小林英夫訳『一般言語学講義』改版(岩波書店/ 1972 年)
・「青少年が安全に安心してインターネットを利用できる環境の整備等に関する法律の一部を改正する法律案」に反対する意見書 PDF(737KB)