文化庁は「あいちトリエンナーレ2019」への補助金について全額不交付とする決定をしました。問題視されたのは、同トリエンナーレ内の展覧会「表現の不自由展・その後」に関わってのことについてです(※1)。
補助金の全額不交付の理由について文化庁は「愛知県は、展覧会の開催に当たり、来場者を含め展示会場の安全や事業の円滑な運営を脅かすような重大な事実を認識していたにもかかわらず、それらの事実を申告することなく」手続きを行ったからであると主張しています。そして、適正な審査を行うことができなかった重要な点として、「[1]実現可能な内容になっているか、[2]事業の継続が見込まれるか、」の2点をあげています(※2)。萩生田光一文部科学相は、この件について「文化庁に申請があった内容通りの展示会ができていない」と説明しています(※3)。
【意見の趣旨】
文化庁に対し、「あいちトリエンナーレ2019」への補助金不交付の取り消しを求める。
【意見の理由】
[理由1]
補助金不交付の意思決定の過程では、外部審査委員に意見聴取がされておらず、しかも、その意思決定に関するの議事録がないことから、この件に関する文化庁の意思決定の手続きが不適切と言わざるを得ないからである。
[理由2]
「文化庁に申請があった内容通りの展示会ができていない」などとしているが、むしろ申請に必要な内容を聞き漏らした文化庁のヒアリング技術に難があるからである。
[理由3]
補助金交付の対象となる文化事業によっては、精巧かつ均質な反復可能性を持たない一回性による価値に支えられる芸術を内容に含む場合があり、そうした場合は「申請があった内容通りの展示会」を継続すること自体が不可能だからである。
【背 景】
[理由1について]
報道によると、補助金不交付の意思決定の過程では、外部審査委員に意見聴取がされていなかったとのことです。一度承認した申請をくつがえすというこの度の決定は、報道にあるような、2段階の審査のうちの「2段階」の「事務的審査」には該当しないと考えます。
詳細は後述しますが、文化庁は手続き上の不備を理由に補助金を不交付としたと主張していますが、元々、文化庁側のヒアリング技術に難があればこそ聞き出すべき重要な内容を聞き漏らしたのだから、補助金不交付の検討は申請の「内容」に関わる案件です。よって、そのような検討は、内容に関わる「1段階」の「内容の審査」の範疇と判断し再審査するのが妥当であり、外部審査委員への意見聴取が必要です(※4)。
また、こうした意思決定の過程における議事録がないとのことで、不透明な手続きで意思決定が行われているという面もあります。我が国のような民主主義社会にあっては行政の意思決定の手続きとして不適切と言わざるを得ません。
[理由2について]
補助金不交付の意思決定の過程で外部審査委員に意見聴取がされていないことからも解るとおり、文化庁からはヒアリングする意思に乏しい様子が伺えます。
また、文化庁が配布するヒアリングに用いるツールには適切な設計がされていない例が散見されます。
文化庁が昨年末に著作権関連のパブリックコメントを募集した際に採用していた意見提出用のテンプレートは、奇妙に横に細長いドキュメントで、項目の記入に必要な字数に対するフォーマットの幅と高さが適切な状態ではなく、記入のしやすさ見やすさについての考案がなされた設計がされていませんでした(※5)。ユーザビリティが低く、ユーザーからヒアリングをするという目的を実現するのに適した設計になっていなかったということです。本年9月から募集しているパブリックコメントの意見提出用のテンプレート(※6)にも、難点がありました。こちらは、あらかじめ用意されたいくつかの選択肢から回答を選択する仕様で、選択肢にない回答ができないため意見の表明ができない部分があり、意見の聞き漏らしが生じる設計となっています。こちらも同じように、ヒアリングをするのに適した設計となっておらず、文化庁の、目的にかなったツールを作るための技術的な難点を垣間見ることができます。
このように、文化庁のヒアリング技術には難があることが解ります。ヒアリング技術があれば、補助金交付の申請時に必要な重要事項を聞き出せないなどということは起こらなかったにもかかわらず、補助金交付の申請者側に責任に転嫁し、今さら補助金不交付という決定をしたのではないでしょうか。
[理由3について]
文化庁は「[1]実現可能な内容になっているか、[2]事業の継続が見込まれるか、」という2点について、適正な審査を行うことができなかった重要な点としています。これについて、萩生田光一文部科学相は「申請があった内容通りの展示会」を行えていなかったとの説明を付け加えていますが、補助金交付の対象となる文化事業が必ずしも「申請があった内容通り」に遂行し継続できるかといえば、否と言うより他ありません。
本年8月に北海道立近代美術館で開催された「カラヴァッジョ展」では、展覧会の目玉作品として展示予定であった「瞑想するアッシジの聖フランチェスコ」が不出品(他に「女占い師」も。また、カラヴァッジョから影響を受けた周辺作家の作品6点が不出品となりました。)となったことが記憶に新しいです。展覧会を開催する際には、このように予想外の事態が生じ、内容の変更を迫られる例があります。また、展覧会に限らず、何かの企画を遂行しようとする際には、同様に何らかの理由で内容の変更をせざるを得なくなる場合があります。制作に必要な原材料の価格が高騰する、天災に見舞われるなど、予想し得ぬ理由で計画の変更をせざるを得ない状況に陥る場合があります(※7)。
このように展覧会を遂行し継続するには、予想外の事態が生じる可能性は全くないとは言えないのであって、補助金交付の対象となる文化事業が必ずしも「申請があった内容通り」にはならないという可能性を常に抱えることになります。
そうした面では、愛知県にとっては「表現の不自由展・その後」の開催に関連する具体的な脅迫内容(※8)については、予想し得ぬことだったであろうことは考慮しなければなりません。具体的な内容が明らかになってはじめて予想できなかった深刻性が露呈するような脅迫について、後になってから「来場者を含め展示会場の安全や事業の円滑な運営を脅かすような重大な事実を認識していた」という指摘をし始め、一度申請を承認した給付を取り消すのは無理があります。
そもそも、補助金交付の対象となる文化事業は、内容に含む芸術によっては、厳密に「申請があった内容通りの展示」を継続するのが不可能なジャンルがあります。複製技術が発達した現代には、写真やポスター、映画といったジャンルの複製技術によって作り出される芸術作品が広く普及しています。一方で、一回性による価値に支えられる芸術もまた根強く支持され続けています。こちらには、能のような古典芸能や、音楽、演劇などといった実演系のジャンルの芸術が含まれます。精巧かつ均質な複製によって作られる複製芸術と比べれば明白ですが、同じ筋書きにより実演を繰り返し行うとしても、実演は複製芸術のように精巧かつ均質な反復可能性はなく、偶然性や反復し得ない細部を含む「ただ一回である」という性質を持ちます。偶然性を含む一回性という性質上、「申請があった内容」と同一の実演を繰り返し継続するのは不可能ということです。
音楽の実演では、例えばジャズに見られるような即興演奏(アドリブ)があります。ロックの実演においても、演者の興が乗り、ステージを走ったり客席に飛び降りたりする他、即興演奏を交えたりということが行われています。高いところから飛び降りて骨折したという演者の逸話やその際の写真も残っており、骨折を予定してパフォーマンスを繰り返すのは現実的には継続できないし、したがって、このような逸話は実演が偶然性や反復し得ない細部を含むことを表していると言えます。
このように、一回性による価値に支えられるジャンルの芸術は、「申請があった内容通り」に継続すること自体が不可能なわけで、今後、文化庁に対し補助金交付を申請することが困難になる可能性があります。あるいは、たとえ申請が認められたとしても、こうしたジャンルの芸術が「申請があった内容通り」に継続することは元々不可能なのだから、申請が認められた後に「申請があった内容と異なる」との謗りを受け始め、補助金が不交付となることがないとは限りません。これでは申請する企画に萎縮を及ぼし、実演においてもアレンジや即興ができなくなる可能性があります。
【結 論】
以上のように、補助金不交付の意思決定を行う過程には文化庁が行う手続きとして不適切な面がありますし、文化庁にむしろ補助金交付の申請を受け審査をするという業務を遂行するための技術が不足しているという傾向もあります。また、芸術には偶然性を含む一回性による価値に支えられるジャンルがあるということについて理解がないまま、「申請があった内容通り」に芸術の企画を継続することができる前提でそれを求めては、表現の萎縮を招き、補助金が必要な文化事業が廃れることになります。そうなれば、我が国の文化の未来にも影を落とすことになります。
この度の文化庁による「あいちトリエンナーレ2019」への補助金不交付は、愚かな決定です。文化庁には、この度の不当な補助金不交付という決定をただちに見直すよう要求します。
【補 論】
私ども女子現代メディア文化研究会の設立のきっかけの一つには、2012年11月から開催された森美術館の企画展「会田誠展 天才でごめんなさい」についての意見表明がありました。一部の作品について、ゾーニングされた部屋での展示であるにもかかわらず、撤去を求める声が一部の市民からあり、それに対する反対意見を表明したというものです(※9)。
この度、問題とされた展覧会「表現の不自由展・その後」ですが、表現の不自由展・その後実行委員会の一部のメンバーの存在を鑑みるに、同実行委員会にとってはそのような経緯で設立された私どもの存在こそ、忌避され社会から遠ざけられるべきであると判断される可能性もあることは免れません。しかしながら、この度も、「表現」をめぐる問題としての深刻さから看過することが儘なりませんでした。それは、ろくでなし子さんの裁判(ろくでなし子さんの作品「デコまん」は無罪が確定しているが、有罪部分については最高裁に上告中です)(※10)や群馬県での白川昌夫さんの作品の騒動(※11)においても、私どもにとっては同様でした。
我が国で近代的な意味での「美術館」の導入が始まった明治以降、美術館や展覧会に関わる諸々の問題が引き続いています。この度も繰り返された問題の中には、一つの示唆がありました。それは、自分の立場や単なる価値観に基づく「正義」に合わない表現に撤去や排除を求めれば、やがて自分に返ってくるということです。価値観に基づく「正義」が異なる市民同士が表現を排除し合えば、やがて不自由な社会を迎えるであろうという示唆を、重く受け止める次第です。
以上
女子現代メディア文化研究会代表/デザイナー・アートディレクター
山田久美子
[注]
※1:文化庁Webサイト報道発表ページ内「あいちトリエンナーレに対する補助金の取扱いについて」にて「別紙」項目「参考:事実関係」内で「8月4日以降 「表現の不自由展 その後」,中止」(原文ママ)の明記がある。
※2:文化庁Webサイト報道発表ページ内「あいちトリエンナーレに対する補助金の取扱いについて」に掲載。
(http://www.bunka.go.jp/koho_hodo_oshirase/hodohappyo/1421672.html)
※3:9月26日の囲み会見での説明。
※4:報道では「審査には2段階あり、審査委員会も関わるのが1段階となる内容の審査で、2段階は事務的審査があります。文化庁に聞いたところ、今回は、後者に該当するので審査委員会には聴かなかったということでした。」とのこと。(「文化庁の審査委員が辞意を伝えた理由 補助金不交付で「委員へ意見聴取なし」に異議」/2019年10月3日「J-CASTニュース」)
※5:昨年12月10日から本年1月6日まで意見募集が行われた「文化審議会著作権分科会法制・基本問題小委員会中間まとめ」にて採用されたExcel書類「(様式)中間まとめ御意見送付用テンプレート」。
(https://search.e-gov.go.jp/servlet/Public?CLASSNAME=PCMMSTDETAIL&id=185001021&Mode=1)
※6:本年9月30日から10月30日まで意見募集が行われている「侵害コンテンツのダウンロード違法化等に関するパブリックコメント」にて採用されているExcel書類「質問事項および回答様式」(PDF版あり)。
(https://search.e-gov.go.jp/servlet/Public?CLASSNAME=PCMMSTDETAIL&id=185001067&Mode=0)
※7:川崎市民ミュージアムは台風19号により当面休館となり開催中の「のらくろ展」も中断しています。
※8:脅迫には「撤去しなければガソリン携行缶を持ってお邪魔する」といった内容も含まれました。
※9:「会田誠氏展覧会について、森美術館への作品撤去要請に抗議する声明」(http://wmc-jpn.blogspot.com/2013/03/blog-post_15.html)
※10:「ろくでなし子氏裁判の無罪を求める意見書」(http://wmc-jpn.blogspot.com/2016/08/blog-post.html)
※11:「白川昌生氏の作品の撤去指導に反対し、改めて展示を求める意見書」(http://wmc-jpn.blogspot.com/2017/05/blog-post.html)
・「あいちトリエンナーレ2019」への補助金不交付の取り消しを求める意見書(PDF版430kb)