tag:blogger.com,1999:blog-40672633609022454052024-03-14T14:31:15.734+09:00女子現代メディア文化研究会女子現代メディア文化研究会http://www.blogger.com/profile/02457331186039494528noreply@blogger.comBlogger48125tag:blogger.com,1999:blog-4067263360902245405.post-90140315498178309502024-02-20T23:47:00.000+09:002024-02-20T23:47:15.713+09:00オンラインシンポジウム「表現者・ファンと炎上社会 ー女性と性表現2ー」につきまして<p> 本年3月のオンラインシンポジウム「表現者・ファンと炎上社会 ー女性と性表現2ー」開催につきまして、お慶び申し上げます。</p><p><br /></p><p> 前回2021年の「女性と性表現」は、女子現代メディア文化研究会(以下「当研究会」)の共催のみならず、代表の登壇もありました。そうした中、このたびの「女性と性表現2」につきましては共催団体ではなくなっております。昨今のSNSにおける憶測やデマの拡散を鑑み、その件につきましてコメントさせていただきます。</p><p><br /></p><p> まず、当研究会メンバーや代表が、登壇者のどなたかが気に入らないあるいは意見が異なるなどといったために共催を取りやめたなどということは全くありません。このたびのシンポジウムにおける登壇者お一人お一人の成功をお祈りしております。</p><p> そうした中、当研究会がこの度のシンポジウムの共催団体ではなくなっている理由についてです。</p><p> 当研究会代表の認識といたしましては、今回は当初から共催団体に入れられていないと考えておりました。この度のシンポジウムに関し、主催者から代表へのバナーデザインの依頼があったものの、共催団体への団体としてのお誘いがなかった上に(シンポジウム自体についての)打ち合わせもなかったからです。</p><p> このようなイベントの場合、共催団体であれば、通常は実際の対面が困難でもZoom等でオリエンや打ち合わせが少なくとも1度はあるものです。しかしながら、今回のシンポジウムにつきましてはそのような機会は全くありませんでした。そして、この流れであれば、イベント当日の会場の立ち合いにも参加させていただけないことは明白でした。実のところシンポジウムそのものについては関わりを遮断されている状態で、要するにこれでは、共催団体としての実態がないし持ち得ないということです。</p><p> そうした状況で、代表が承ったバナーデザインのための原稿において当研究会の名前があることに疑問を持ち、この度の共催団体への連名はお断りを申し出ました。</p><p> 当研究会では、実態がない共催その他への名義貸しはお断りしております。当研究会の名義を使用する際には、やはり責任を負わなければならないと考えております。当研究会で過去にリリースした意見書がSNSでの言い争いに利用される昨今、困難な状況も発生しておりますが、責任を持った運営を心がけております。</p><p> なお、女子現代メディア文化研究会は表現規制やメディアについての研究会であって、デザイン制作を事業とする団体ではありません。それは、当研究会のWebサイトや活動を見ていただければご理解できることかとは存じますが、この点につきまして、主催者の勘違いがありそれが齟齬につながったようです。</p><p><br /></p><p> 当研究会は、「表現の自由」や女性の性表現、フェミニズムにかかわる問題につきまして、今までどおり勉強会等を開催、陳情活動をしていく所存です。</p><p> 今後とも、当研究会をどうぞよろしくお願いします。</p><p><br /></p><p style="text-align: right;">以上</p><p style="text-align: right;"><br /></p><p style="text-align: right;">女子現代メディア文化研究会代表</p><p style="text-align: right;">山田久美子</p><div><br /></div>女子現代メディア文化研究会http://www.blogger.com/profile/02457331186039494528noreply@blogger.comtag:blogger.com,1999:blog-4067263360902245405.post-54307646603407545822023-12-04T16:46:00.002+09:002023-12-04T16:49:29.670+09:00国連女子差別撤廃委員会に反論し2016年にリリースした意見書に関するデマ拡散の危惧について<p> ~国連女子差別撤廃委員会、「日本における女性の権利」保障~ 議題「性的暴力を描写したビデオや漫画の販売の禁止」についての意見書 <br /><a href="http://wmc-jpn.blogspot.com/2016/02/blog-post.html" target="_blank">http://wmc-jpn.blogspot.com/2016/02/blog-post.html</a><br /><br /> 2016年2月に当会からリリースされた上記の意見書は、昨今のSNSでの論争の中、リリースまでのプロセスや連名の内容が大きな誤謬をともなって宣伝される例も散見されます。誤謬からデマにつながる恐れがございますので、当該意見書の著作者であり文章責任を持つ当会現代表山田久美子から注意点をお伝えいたします。<br /><br /> 当該意見書は作家や漫画家の方のみならず、イラストレーター、美術家、弁護士、法律家、研究者、フェミニスト、元AV女優、元図書館司書、アニメジャーナリスト、シナリオライター、ルポライター、詩人、編集者の方等、職業・立場を超えた大勢の方々にご賛同いただいております。当該意見書の著作者本人といたしましてはその皆様お一人お一人に厚く感謝申しあげたく存じます。</p><p><br /><br /><b><span style="font-size: medium;">【リリースまでのプロセス】</span> </b><br />・2016年2月11日に、国連女子差別撤廃委員会からのツイート(現X)で、「日本による女性の権利保障の実績について審議する」という宣伝の投稿がありました。<br /> リンク→<a href="https://twitter.com/UNHumanRights/status/697456741609574400" target="_blank">https://twitter.com/UNHumanRights/status/697456741609574400</a><br />・そのツイートに「性的暴力を描写したビデオや漫画の販売の禁止」とありました。<br />(原文)Banning the sale of video games or cartoons involving sexual violence against women<br /> ↑<br /> こちらにつきまして、審議はいいが「BAN」には異議があり、その旨を伝える意見書を作成しました。<br />・2016年2月28日に当該意見書を当会Webサイトからリリースしました。<br />・2016年2月28日のリリースの時点での賛同者は藤本由香里明治大学教授と元共同代表の水戸泉氏です。<br /> ※現在は、水戸泉氏は当会との関わりは一切ありません。<br />・ですが、作家や漫画家で事前に企画した内容を山田がリライトしたというプロセスで、当該意見書を作成したという事実はありません。<br />・当該意見書はあくまで山田の発案・アイディアで作成され、リリースののち各方面から大勢のご賛同の連名が集まった形になります。<br /><br /><span style="font-size: medium;"><b>【意見書の著作者について】</b></span><br />・文章責任は当時の共同代表山田久美子単独となっており、文章責任の署名は、現在もWebサイトの当該意見書でご覧になれます。<br />・意見書の執筆段階においては元共同代表の水戸泉氏は一切干与しておりません。共同執筆ではないので、文章責任の署名は当時の共同代表山田久美子単独となっているということです。<br />・水戸泉氏の関与についてあえていえば、完成した意見書に目を通したという事実はございますし賛同の連名もいただいておりますが、これは意見書の執筆段階ではなく完成後のプロセスです。<br /><br /><b><span style="font-size: medium;">【当時の意見書リリース情報の拡散について】</span></b><br />・当時の意見書リリース情報のSNSにおける告知や当該意見書へのご賛同の受付は、水戸泉氏にお手伝いいただいた部分もあります。<br />・とはいえ、意見書のリリース情報はSNSを通じ大勢の方によって拡散されることになりました。拡散してくださったお一人お一人のお力でご賛同者にお集まりいただけたと考えており、現在も大変感謝申しあげる次第です。<br />・また、SNSばかりではなく、ラジオ番組やJ-CASTニュース、Forbes本国アメリカ電子版等の国内外のメディアの媒介でより広い情報の拡散が行われました。SNSのみの拡散ではこのような情報共有は進まなかったのはもちろんです。メディアの関係者の皆様方には現在も大変感謝申しあげる次第です。<br /><br /><b><span style="font-size: medium;">【連名の内容のデマの危惧について】</span></b><br />・ご賛同の連名は、確かに作家や漫画家の方が大勢してくださったのは事実で、現在も大変感謝申しあげる次第です。<br />・ですが、誰が「中心」ということはなく、あくまでお一人お一人がご賛同の連名を支えたと考えており、そのお一人お一人に感謝申しあげる次第です。<br />・ご賛同の連名について「100人以上の作家さんが(行った)」と言い切ってしてしまうと、(作家以外の)他のお立場や職業の方が埋もれてしまいます。<br />・著作者の山田の本職は、デザイナー・アートディレクターであり、上記のような表現が拡散されることで埋もれてしまう側の立場でもあります。<br />・SNSにおけるこのような誤謬を含む投稿は悪気がないことかとも存じますが、こうした誤謬が大きくなり作家以外の「〇〇の(お立場や職業の方の)人々は、女性の性表現や表現の自由を守ることについて何もしてこなかった」というデマにつながることを危惧します。<br />・ご賛同の連名は、フェミニストの方からもいただけました。ご賛同の連名においても、「フェミニストは何もしなかった」は誤りです。<br />・当団体から「作家や漫画家が中心になって意見書をリリースした」というのは、デマです。<br /> ↑<br />・当該意見書は作家や漫画家が事前に企画した内容を山田がリライトしたものではなく、山田の発案・アイディアで作成・執筆したもので、完成ののちにリリースしたからです。<br />・また、意見書の執筆段階においては元共同代表の水戸泉氏は一切干与しておらず、山田の文章責任でリリースしている事実とも食い違います。<br /><br /><br /></p><p style="text-align: right;">以上<br /><br />女子現代メディア文化研究会<br />代表 山田久美子</p><p style="text-align: right;"><br /></p><p style="text-align: right;"><a href="http://wmc-jpn.com/archive/resume20231204.pdf" target="_blank"><span style="font-size: x-small;">PDFファイル(266kb)</span></a><br /></p><p><br /></p>女子現代メディア文化研究会http://www.blogger.com/profile/02457331186039494528noreply@blogger.comtag:blogger.com,1999:blog-4067263360902245405.post-50535608359548115552023-02-12T19:58:00.001+09:002023-02-12T20:14:46.596+09:00【イベント告知】第4回『ジェンダーって何?』〜フェティシズムとトランスの欲望〜<p> 第4回目となるオンライントークイベント「ジェンダーって何?」のテーマは、『フェティシズムとトランスの欲望』です。</p><p>前回、永山さんから「フェティシズムは奥深いし、広範だし、多岐にわたっているし…」といった発言がありました。それは、前回扱ったシーラ・ジェフリーズの著書へのツッコミでもありましたが、トークはやむなく時間切れとなりました。もっとお話を伺ってみたかった!そこで今回あらためて、「フェティシズム」を含めたトークテーマとしました。</p><p>「フェティシズム」というと、世間一般には広義の意味で語られることが多いのかもしれません。しかしながら、狭義の意味での「フェティシズム」はモノを対象としています。「フェティシズム」は、心理学、ひいてはセクシュアリティやジェンダーのカテゴリにおいても研究対象とされていきました。「呪物崇拝」から、現在ではモノや部位に性的な欲望を抱くさまとして、深く考察されています。シャルル・ド・ブロスがこの「フェティシズム」という語を著書に用いて以来200年以上を経て、この概念は各カテゴリを越境し(≒トランス)、意味がそれぞれの場で徐々に変化してもいます。</p><p>元々「フェティシズム」は「トランス」との関連も深いので、その関連において考察することでいろいろな「気づき」があると考えました。</p><p>今回は、漫画やアニメ、「悪役令嬢転生おじさん」、シシィフィケーション等の話題を交え、「転換」「転生」といった意味も含めた「トランス」という枠組みで、「フェティシズム」と「トランスの欲望」について考察するトークとしたいです。</p><p>さて、どんなトークになるでしょう? おなじみ永山薫さんと柴田英⾥さんの対談を通し「フェティシズムとトランスの欲望」を深堀りします。今回も、司会の山田も補足的な解説をします。</p><p><br /></p><p>[テーマ]</p><p>フェティシズムとトランスの欲望</p><p><br /></p><p>[議題]</p><p>・フェティシズムの男女差</p><p>・トランスのいろいろ</p><p><br /></p><p>[開催概要]</p><p>・対談者:永山薫 × 柴田英⾥</p><p>・開催形式:ZOOMライブ配信(タイムシフト1週間)</p><p>・開催日時:2023年3月4日(土曜日)19:00〜20:30(※ただし延長の可能性あり)</p><p>・料金:1,000円</p><p>・定員:100名</p><p>・司会:山田久美子</p><p>・主催:女子現代メディア文化研究会</p><p>※当イベント視聴用のZOOMのミーティングIDやパスコード、URLは、チケットをご購入いいただいたご本人に、前日にお知らせします。</p><p>※物価高や電気料金値上げによる諸々の経費上昇を鑑み、誠に恐縮いたしますが、料金を600円から1,000円値上げいたしました。</p><p><br /></p><p>[質疑応答について]</p><p>当イベントでは、質疑応答のコーナーがあります。質問は事前に下記アドレスから受けつけます。</p><p>info@wmc-jpn.com</p><div><br /></div><div><br /></div><div><div>[お申し込み]</div><div><br /></div><div><a href="http://ptix.at/HmlDVg">http://ptix.at/HmlDVg</a></div></div>女子現代メディア文化研究会http://www.blogger.com/profile/02457331186039494528noreply@blogger.comtag:blogger.com,1999:blog-4067263360902245405.post-23462724772629420262023-02-12T19:38:00.000+09:002023-02-12T19:38:17.513+09:00【パブコメ】誹謗中傷等の違法・有害情報に対するプラットフォーム事業者による対応の在り方 について<p> 総務省からパブリックコメントによる意見募集がありましたので、表現の自由に関わる部分についての意見を提出いたしました。なお、意見につきましてはMicrosoft Wordによる様式の指定がありましたので、当該様式にて提出いたしました。</p><p><b><br /></b></p><p><b>【募集案件】</b></p><p>誹謗中傷等の違法・有害情報に対するプラットフォーム事業者による対応の在り方について</p><p><br /></p><p><b>【詳細】</b></p><p>https://www.soumu.go.jp/menu_news/s-news/01kiban18_01000181.html</p><p><br /></p><p><b>【応募日】</b></p><p>2023年1月26日</p><p><br /></p><p><b>【意見】</b></p><p><br /></p><p><b>2.全体の検討を通じて留意すべき事項</b></p><p><br /></p><p><b>[該当箇所]</b></p><p>「有害情報」について</p><p><br /></p><p><b>[意見]</b></p><p>「有害情報」には道徳的規範を侵犯する表現も含まれる。国や地域の文化や歴史の差異により、道徳的規範さらには記号の意味にも差異があることに留意するべきである。例えば、我が国で寺を示す「卍」がドイツやヨーロッパでナチスの鉤十字を思わせるとの意見が聞かれる場合がある。海外に拠点を置くプラットフォーム事業者であるとしても、日本国内の「有害情報」の判断は日本の価値基準に合わせるべきであり、こうした場合は、こうした記号の利用が道徳的規範への侵犯および差別や誹謗中傷と判断するべきではない。</p><p><br /></p><p><br /></p><p><b>3-4.その他透明性・アカウンタビリティの確保が求められる事項(運用体制等)</b></p><p><br /></p><p><b>[該当箇所]</b></p><p>「AI等による自動処理」について</p><p><br /></p><p><b>[意見]</b></p><p>AIの自動処理を必ずしも否定しないが、AIの利用には人間による確認も介在させるといった、AIと人間のバランスも必要であると考える。AIは必ずしも適切な判断をしない場合があるし、文脈まで読み取らないのが弱点だ。2018年にはフェイスブックが、「ウィレンドルフのビーナス」の画像をサイト上から削除したことが知られている。これについては、市民ばかりではなく、展示を行っているウィーン自然史博物館からも批判を受けている。AIの判断が原因という説もあった。また、フェイスブックは2016年に、サイト上からベトナム戦争の報道写真「ナパーム弾の少女」を削除した後、その削除を撤回している。こちらもAIの判断が原因という説もあった。「ウィレンドルフのビーナス」や「ナパーム弾の少女」が、人間が目視した上での判断で削除に至ったとするならば、その判断をする人材についても適切な人材を選択するべきであるということは付け加えておく。</p><p><br /></p><p><br /></p><p><b>3-6.取組状況の共有等の継続的な実施</b></p><p><br /></p><p><b>[該当箇所]</b></p><p>「産官学民の協力」について</p><p><br /></p><p><b>[意見]</b></p><p>表現の自由は尊いとしても、表現をした結果、権利の衝突や人権侵害が起こった場合を鑑み、個別に裁判を起こしやすくするべきである。この場合、産官学民の協力が必要であることは否めないし、今後ともそういった取り組みは必要であると考える。一方で、「有害情報」の判断について、例えば何を「差別表現」とするのかについては、時代や国、社会、個別の集団、ひいては個人によって差異がある。例えば、我が国で寺を示す「卍」がドイツやヨーロッパでナチスの鉤十字を思わせるとの意見が聞かれる場合がある。公権力が一定の強制力を持ちつつ「有害情報」の判断の主体となると、「有害情報」の判断基準に「公権力」と「国や社会、個別の集団」で差異がある場合に、後者(の「有害情報」の判断基準)が強制的に否定されることになる。したがって、公権力が「有害情報」の判断の主体とならないよう、さらにいえば、公権力が情報の内容への規制を行わないよう留意しながら、産官学民の協力を行うべきである。</p><p><br /></p><p><br /></p><p style="text-align: right;">以上</p><p style="text-align: right;"><br /></p><p style="text-align: right;">女子現代メディア文化研究会代表</p><p style="text-align: right;">山田久美子</p><p style="text-align: right;"><br /></p>女子現代メディア文化研究会http://www.blogger.com/profile/02457331186039494528noreply@blogger.comtag:blogger.com,1999:blog-4067263360902245405.post-11942401120460912802022-10-27T22:50:00.000+09:002022-10-27T22:50:09.486+09:00【イベント告知】[第3回]ジェンダーって何? 〜「美とミソジニー」とファッションとジェンダーと〜<p> 第3回目となるオンライントークイベント「ジェンダーって何?」のテーマは、『「美とミソジニー」とファッションとジェンダーと』です。</p><p>今回は、書店への撤去要求が起るなど話題の書籍「美とミソジニー 美容行為の政治学」(シーラ・ジェフリーズ/著)を通読し、気づいた点を指摘しながらファッションとジェンダーについて語り合います。</p><p>本書は力作かもしれませんが、ファッションや化粧についての雑な研究に基づいた「有害な文化的慣行」を論じています。雑な研究から導き出そうとする、女性のシューズ等のファッションや化粧についての議論には疑問があります。</p><p>「表現の自由」の観点から、本書の書店からの撤去には反対です。しかしながら、その雑な研究や議論についての異議は述べたいと思います。</p><p>本書を読む限りジェフリーズは、ファッションや化粧を狭くとらえ過ぎているのではないか? という疑問があります。そして本書では、ファッションが持つ問題に解決策を提示してきたデザイナーについての言及がないのも疑問です。そうした疑問を呈しつつ、まずは、ファッションや化粧についてもっと広い視野を持って語り合いたいと考えています。</p><p>「脱コルセット」ならば、ココ・シャネルが先駆者ですし、山本耀司はコレクションで「非ハイヒール」を通しています。そもそも、靴はヒールをなくすだけで「身体の負荷」を取り除けるのか? という疑問もあります。化粧もまた女性が行う「メイクアップ」だけではありません。ヘヴィメタルバンドのメンバーに見られるような、男性の化粧もあります。</p><p>本来、ジェンダーを考える上でも重要な要素であるはずのファッションや化粧。今回も、おなじみ永山薫さんと柴田英⾥さんの対談を通し「ファッションとジェンダーと」を深堀りします。今回も、司会の山田(本職はデザイナーです)も補足的な解説をします。</p><p>今回のイベントも、このような方にこそ推します。</p><p>・「ジェンダー」について判りたい方</p><p>・「ジェンダー」と「表象」に関連する炎上等、表現の自由に問題意識がある方</p><p>・「ジェンダー」を学校とはちょっと違った視点で考えたい方</p><p><br /></p><p>[開催概要]</p><p>・対談者:永山薫 × 柴田英⾥</p><p>・開催形式:ZOOMライブ配信(タイムシフト1週間)</p><p>・開催日時:2022年11月23日(水・祝日)19:00〜20:30(※ただし延長の可能性あり)</p><p>・料金:600円</p><p>・定員:100名</p><p>・司会:山田久美子</p><p>・主催:女子現代メディア文化研究会</p><p>※当イベント視聴用のZOOMのミーティングIDやパスコード、URLは、チケットをご購入いいただいたご本人に、前日にお知らせします。</p><p><br /></p><p>[お申し込み]</p><p><a href="https://peatix.com/event/3398654/view">https://peatix.com/event/3398654/view</a></p><p><br /></p><p>[質疑応答について]</p><p>当イベントでは、質疑応答のコーナーがあります。質問は事前に下記アドレスから受けつけます。</p><p>info@wmc-jpn.com</p><div><br /></div>女子現代メディア文化研究会http://www.blogger.com/profile/02457331186039494528noreply@blogger.comtag:blogger.com,1999:blog-4067263360902245405.post-60283700346983081702022-04-15T18:48:00.000+09:002022-04-15T18:48:20.485+09:00国連女性機関の「月曜日のたわわ」広告への抗議意見についての疑義<p> <b>【はじめに】</b></p><div style="text-align: left;"> 国連女性機関本部が、「月曜日のたわわ」の全面広告について抗議する書面を日経新聞に送付していたとの一部報道がございます。<span style="font-size: x-small;">(※1)</span><br /> 報道における国連女性機関の意見について2点の疑義を呈します。</div><p style="text-align: left;"><br /></p><p style="text-align: left;"><b>【疑義】</b></p><p>(1)胸が大きな女性の表象が含まれる広告が排除されると、胸の大きな実在する女性が疎外感を持つ場合があります。そうした女性にとってはエンパワーメントとは逆とならないか。</p><p>(2)国連女性機関が性的か否かの判断をしミニスカート姿を含め性的であるという基準であれば、国連女性機関の理想とする「女性像」の押し付けとならないか。</p><p><br /></p><p><b>【疑義の詳細】</b></p><p>(1)について。そのように疎外感を持つ胸が大きな女性が、「女性のエンパワーメント」の対象外となってしまうことについて疑問があります。日本の広告にはJARO(日本広告審査機構)などが取り扱う案件はありますが、広告の排除や掲載中止はあくまで慎重な議論に基づいていなければなりません。</p><div style="text-align: left;">(2)について。規範の判断基準は社会集団によって異なりますが、国連女性機関が判断の主体となっている場合、国連女性機関の価値観の反影が含まれるという問題があります。 <br /> 「アンステレオタイプアライアンス」において「ジェンダー平等」などと謳っておりますが、それは結局の所、国連女性機関が理想とする「ジェンダー平等」であり国連女性機関が社会集団として共有する女性の性規範・理想像を含むのではないかという点があります。</div><div style="text-align: left;"> 現在の日本には、実在する人間としてのミニスカートの女子高生は存在します。その女子高生に国連女性機関が直接的に性的規範の圧力を及ぼすことになる可能性自体については検証されなければなりません。それはすなわち、「国際スタンダード」が実のところ西洋的価値観、あるいは、西洋を発祥とする宗教的価値観ではないか? そしてそれにより、日本人の性規範を指導しようという態度ではないか? ということについてです。日本人も含めたアジア人が、あくまで客体として西洋に指導される側でいるべきというならば、ポストコロニアルな視点からも容認できません。</div><div style="text-align: left;"> 日経新聞についてもまた、同新聞社が「アンステレオタイプアライアンス」に加盟<span style="font-family: ProximaNova;">し</span>ているといっても、同新聞社の価値観や理想があります。まして、日本の一般企業の広告が国連女性機関の理想や西洋の性規範の宣伝目的で存在しているのではありません。</div><div style="text-align: left;"> 当該広告については日本国内で現在も議論が続いておりますが、まずは日本国内の主体的な議論にまかせるべきであると考えます。</div><div style="text-align: left;"><br /><br /></div><p style="text-align: right;">以上</p><div style="text-align: left;"><div style="text-align: left;"><div style="text-align: right;">女子現代メディア文化研究会代表/デザイナー・アートディレクター</div><div style="text-align: right;">山田久美子</div></div></div><p style="text-align: left;"><br /></p><p><span style="font-size: x-small;">※1:国連女性機関が『月曜日のたわわ』全面広告に抗議。「外の世界からの目を意識して」と日本事務所長/2022年04月15日(</span><span style="font-size: small;"><a href="https://www.huffingtonpost.jp/entry/story_jp_6257a5d0e4b0e97a351aa6f7?utm_campaign=share_twitter&ncid=engmodushpmg00000004">https://www.huffingtonpost.jp/entry/story_jp_6257a5d0e4b0e97a351aa6f7?utm_campaign=share_twitter&ncid=engmodushpmg00000004</a>)</span></p><div><br /></div>女子現代メディア文化研究会http://www.blogger.com/profile/02457331186039494528noreply@blogger.comtag:blogger.com,1999:blog-4067263360902245405.post-44936935725090005232022-03-22T17:21:00.001+09:002022-03-22T17:22:27.589+09:00【イベント告知】ジェンダーって何? 〜学校が教えてくれない「性」のヒミツ〜<p> 今回のイベントは、このような方にこそ推します。</p><p>・「ジェンダー」について判りたい方</p><p>・「ジェンダー」と「表象」に関連する炎上等、表現の自由に問題意識がある方</p><p>・「ジェンダー」を学校とはちょっと違った視点で考えたい方</p><p>今日ではニュースでも見聞きするようになった言葉、「ジェンダー」。危惧するのは、もはや「わけのわからない用語」になっているのでは? という点です。</p><p>「ジェンダー」には本来、「セクシュアリティ」や「セックス」とも関連する、複雑で奥深い概念や意味があります。コンテクストによって、用語としての揺らぎも生じます。</p><p>場面によっては、このような用語を安直に雑に用いることで、混乱を生み出しかねないとも考えます。</p><p>この度は、永山薫さんと柴田英⾥さんの対談を通し、そんな「ジェンダー」の基礎知識についてお伝えします。</p><p><br /></p><p>[開催概要]</p><p>・対談者:永山薫 × 柴田英⾥</p><p>・開催形式:Zoomライブ配信(タイムシフト1週間)</p><p>・開催日時:2022年4月10日(日)19:00〜20:30(※ただし時間延長の可能性あり)</p><p>・料金:600円</p><p>・定員:100名</p><p>・お申込み:<a href="https://peatix.com/event/3200789">https://peatix.com/event/3200789</a></p><p>・司会:山田久美子</p><p>・主催:女子現代メディア文化研究会</p><p>※当イベント視聴用のZOOMのミーティングIDやパスコード、URLは、チケットをご購入いいただいたご本人に、前日にお知らせします。</p><p><br /></p><p>[質疑応答について]</p><p>当イベントでは、質疑応答のコーナーがあります。質問は事前に下記アドレスから受けつけます。</p><p>info@wmc-jpn.com</p>女子現代メディア文化研究会http://www.blogger.com/profile/02457331186039494528noreply@blogger.comtag:blogger.com,1999:blog-4067263360902245405.post-31214276082396043322021-11-23T13:40:00.000+09:002021-11-23T13:40:15.525+09:00【イベント告知】 オンラインシンポジウム ⼥性と性表現―表現者・ファンの視点から―<p>当会代表の山田がオンラインシンポジウムに登壇します。</p><p>ご興味ある方は、ぜひご参加くださいませ。 </p><p><br /></p><p>日時:2021年11月28日(⽇)・12月5日(⽇) 17:00〜20:00時</p><p>場所:ZOOM(参加お申し込みはピーティクスにて)</p><p>主催:⼥性表現者の⾃由研究会</p><p>共催・後援:AFEE⼥性⽀部・⼥⼦現代メディア⽂化研究会・千住コンテンツ会</p><p>協賛:コンテンツ⽂化研究会</p><p>お申し込み:https://jyosei-to-seihyogen.peatix.com</p><p>料金:第1回、第2回、それぞれ別で、1,200円</p><p><br /></p><p>11月28日(⽇):第1回「現状編」</p><p>【登壇者】</p><p>よーへん(xRデザイナー・VTuber)</p><p>⼭⽥久美⼦(デザイナー・アートディレクター/女子現代メディア文化研究会代表)</p><p>柴⽥英⾥(現代美術家・文筆家)</p><p><br /></p><p>12月5日(⽇):第2回「歴史編」</p><p>【登壇者】</p><p>神⽥つばき(文筆業/東京女子エロ画祭主宰)</p><p>藤本由⾹⾥(明治大学国際日本学部教授)</p><p>笠原美智⼦(石橋財団アーティゾン美術館副館長)</p>女子現代メディア文化研究会http://www.blogger.com/profile/02457331186039494528noreply@blogger.comtag:blogger.com,1999:blog-4067263360902245405.post-1608903830813769202021-05-13T16:31:00.000+09:002021-05-13T16:31:40.512+09:00「青少年が安全に安心してインターネットを利用できるようにするための施策に関する基本的な計画(第5次)(案)」についてのパブリックコメント<p> 内閣府が募集している「青少年が安全に安心してインターネットを利用できるようにするための施策に関する基本的な計画(第5次)(案)」についてのパブリックコメントを提出いたしました。</p><p><br /></p><p><br /></p><p><b><span style="font-size: medium;">「青少年が安全に安心してインターネットを利用できるようにするための施策に関する基本的な計画(第5次)(案)」(別紙1)についての意見</span></b></p><p><br /></p><p><b>■4〜5ページ「3 施策実施において踏まえるべき考え方」について</b></p><p>項目④の「行政の支援」は「支援」に止まらなければならない。</p><p>項目⑤の「有害性の判断への行政の不干渉」は欠かせないが、この項目の「民間」は行政からの中立性が担保されていなければならない。</p><p><br /></p><p>例えば、行政の人々が民間の施設を足繁く訪れ「支援」と称して指導をすること、あるいは「お声がけ」と称して指導的な内容の通達をすること、これらは民間にとっては圧力となる場合がある。圧力が生じては「支援」ではなく実質的には行政の介入となる。</p><p>「青少年インターネット環境整備法」の定義における「有害情報」例示には「わいせつな描写」が含まれる。猥褻性の判断は個人や社会集団が保持する価値観によって差異があるわけだが、有害性の判断に行政が介入しては、行政の側の人々が保持する価値観と差異を持つ人々に対し、強制力を持って価値観を否定することになる。行政が内心の自由に踏み入ることになるし、特にグローバル化が進んだ現代社会では、ある社会集団に共有される価値観に基づきその外部の社会に向かって理性を模倣させる圧力を与えようとして、軋轢が生じる例も少なくない。</p><p><b><br /></b></p><p><b>■9ページ「5 国民運動の展開」について</b></p><p>インターネットに関わる技術(IT、ICT、IoT全般)に信頼を置いたまま行う「国民運動の展開」によって、それらの技術がもたらす問題を見落とすことを危惧する。</p><p><br /></p><p>インターネットに関わる技術は不完全である。SNS、例えばツイッターでは誤認の規制により、ポリシー違反ではないにもかかわらずアカウントが凍結されることがある。アカウントに対するロックアウトや凍結に対しての、異議申し立ては後を絶たない。ツイッターで検索すれば、すぐさま誤認による規制のエピソードが複数ヒットする。</p><p>「国民運動の展開」で市民の間に昂揚感が伴うことになった場合、たとえ誤認によってでも、罪の烙印を押された人々は恰好の排斥対象となり名誉回復が困難になることを危惧する。あるいは、虚偽のポリシー違反の報告によるSNSを介した嫌がらせの発生を危惧する。「国民運動の展開」は、そうした例にはむしろ救済の反対に作用する危険性がある。</p><p><br /></p><p style="text-align: right;">以上</p><div><br /></div>女子現代メディア文化研究会http://www.blogger.com/profile/02457331186039494528noreply@blogger.comtag:blogger.com,1999:blog-4067263360902245405.post-5806194916338141082020-09-07T05:39:00.000+09:002020-09-07T05:39:32.873+09:00「第5次男女共同参画基本計画策定に当たっての基本的な考え方(素案)」についてのパブリックコメント 内閣府男女共同参画局が募集している「第5次男女共同参画基本計画策定に当たっての基本的な考え方(素案)」についてのパブリックコメントを提出いたしました。<br />
以下、様式に則った回答を転載いたしました。<br />
<br />
<b><br /></b>
<b><br /></b>
<b>ご意見(1):</b><br />
<b>1ページ、6ページ、7ページ、「基本的な方針」、他について</b><br />
<b><br /></b>
「男女共同参画基本計画の目指すべき社会」を男女の人権が尊重された社会としているものの、この計画では、6ページ、7ページからもわかるように、セクハラや性暴力についての問題意識は女性に対するそれらについての意識が主軸となっている。被害者は女性に限らないのだから、そうした問題を「男女共同参画」の枠組みで扱うのは無理がある。<br />
労働の場におけるそうした問題ならば、性による区別なく労働問題の一部として取り扱うべきであり、男性の被害者が取り残されない仕組みづくりが必要である。<br />
<br />
<b>47ページ、「子供、若年層に対する性的な暴力の根絶に向けた対策の推進」、他について</b><br />
<b><br /></b>
子供への性暴力は性による区別なく子供の人権に関わる問題なので、こちらも「男女共同参画」の枠組みで扱うのは無理がある。こうした問題は、「子供の権利」の枠組みで取り扱うべきである。<br />
<br />
<br />
<br />
<b>該当分野(2):第2部 II 第5分野 女性に対するあらゆる暴力の根絶</b><br />
<b>該当ページ数(2):54</b><br />
<b>ご意見(2):</b><b>54ページ、「8 インターネット上の女性に対する暴力等への対応」について</b><br />
<b><br /></b>
ここで示されるような、メディアにおける不適切な性・暴力表現を防止する施策は行政が行うべきではない。女性の活躍の場を奪い、むしろ、女性への差別的状況を生み出すと考えるからである。<br />
インターネット上のメディアにはアニメや映画等の動画や漫画等の電子書籍も含まれる。そうしたメディアでの性・暴力表現の適切さの判断基準だが、これは道徳的価値観に基づく。そして、道徳的価値観は個人や社会集団によって差異がある。<br />
行政が、道徳的価値観に基づき性・暴力表現の適切さの判断基準を決定すれば、国民に対しそうした道徳的価値観における理性を模倣させる圧力となる。結局のところ、行政が根拠とする道徳的価値観であっても、そうした価値観は、各社会集団や個人のそれに依拠する。したがって、そうした圧力を加えようとすれば、行政が採用した道徳的価値観と異なる価値観を持つ人々の価値観や思想が否定されることになる。価値観の差違から軋轢が生じる場面もあり、行政が国民の内心の自由に踏み込むことにもなる。<br />
なお、製造途中に実際の人権侵害が含まれる記録物の取締まりは行うべきであるが、道徳的価値観と人権侵害の問題は別質であるので、分けて考えるべきである。<br />
また、そうしたメディアの創作の場は、男女雇用機会均等法施行以前(素案では男女雇用機会均等法は昭和47年施行となっているが不正確である。昭和47年施行となったのは勤労婦人福祉法であり、同法からは紆余曲折があり昭和61年の男女雇用機会均等法施行となっているわけで、この昭和61年施行から続く男女雇用機会均等法と勤労婦人福祉法を同列に扱えば誤謬が生じる)から、女性が自らの努力で切り拓いてきた女性が活躍する場でもある。特に漫画は「少女漫画」というジャンルができ、女性の漫画家が活躍され創作において性表現も行われてきた。竹宮惠子先生の「風と木の詩」では登場人物への暴力も含む性描写がされた。行政が性・暴力表現の適切性を判断しその道徳的価値観における理性を模倣させる圧力となるならば、こうした作品が排除されかねない。<br />
先人の女性の努力を蔑ろにせず、女性の活躍の場を奪うことにならないよう、こうした創作の場を発展的に継承していくべきである。<br />
<br />
<br />
<br />
<b>該当分野(3):第2部 III 第9分野 男女共同参画の視点に立った各種制度等の整備</b><br />
<b>該当ページ数(3):79</b><br />
<b>ご意見(3):</b><b>79ページ、「第10分野 教育・メディア等を通じた男女双方の意識改革、理解の促進」について</b><br />
<b><br /></b>
漫画やアニメ、映画等を含めたメディア全般に、行政がそうした意識改革の理解を促す媒介となる義務をおわせるならば、「男女共同参画」にとって望ましい表現以外はあらかじめ排除されることになり、創作を行う人々の自由な表現を阻害することになる。<br />
例えば時代劇のような、現代と価値観が異なる封建的な社会を題材に創作を行うのが困難になることが予想される。<br />
全てのメディアがそうした意識改革の理解を促す「教科書」的なコンテンツとなる必要はない。そうした理解を促すならば、それを目的とするパンフレットや動画等の一部のメディアが行うにとどめるべきである。<br />
<br />
<br />
<br />
以上女子現代メディア文化研究会http://www.blogger.com/profile/02457331186039494528noreply@blogger.comtag:blogger.com,1999:blog-4067263360902245405.post-44544813877881209962020-07-28T04:02:00.000+09:002020-07-28T04:02:18.991+09:00ろくでなし子氏裁判 最高裁判決についての意見書<b>【はじめに】</b><br />
<br />
7月16日、最高裁判決にてろくでなし子氏の有罪が確定しました。ろくでなし子氏のプロジェクトアートの過程における、ご自身の女性器をスキャンした三次元形状データファイル(以下「本件3Dデータ」)を、クラウドストレージを利用する手段・CD-Rに複製して郵送する手段で配布した部分について、わいせつ電磁的記録等送信頒布、わいせつ電磁的記録記録媒体頒布の罪に問われていた裁判です(なお、都内アダルトショップにおける、女性器をかたどった立体作品「デコまん」の展示については、2016年5月9日の東京地裁の判決で無罪となっている)。<br />
<br />
<br />
<br />
<b>【意見の趣旨】</b><br />
<br />
この度の最高裁判決は不当判決である。<br />
刑法175条について、廃止を含めた検討を始める時期にあると考える。<br />
<br />
<br />
<br />
<b>【意見の理由】</b><br />
<br />
<b>[理由1]</b><br />
罪に問われた本件3Dデータの配布は、ろくでなし子氏のプロジェクトアートの過程でのことである。違法性阻却のための芸術性・思想性が認められるかについては、プロジェクトアートとして扱い検証するべきであったが、プロジェクトアートとしては検証するべき焦点がずれ、バランスを欠いた判断がなされた。<br />
<br />
<b>[理由2]</b><br />
そもそも、裁判官がわいせつ性の有無を判断する際のわいせつ3要件における、「普通人」の判断基準、「普通人」の「正常な性的羞恥心」の判断基準、これらの妥当性に疑問がある。<br />
また、その判断の際、裁判官の主観性を完全に斥ける手段は、我が国の司法のシステムには備わっていない。<br />
<br />
<br />
<br />
<b>【意見の背景】</b><br />
<br />
<b>[理由1について]</b><br />
プロジェクトアートの本質には「過程」があります。アーティストが作意により企図したプロジェクトの進行、オーディエンスとの関わり、そうした要因による可変的な現前、それら全体が作品です。作品には、プロジェクトの中の個別のプロジェクト、そして、プロジェクトにおいて制作した個別の物やデータも含まれます。プロジェクトアートは、こうした「過程」を除外してとらえることは出来ません。<br />
また、こうしたプロジェクトアートは、現代の芸術が陥っていた様相への一つのアンチテーゼでもあり、美術館のホワイトキューブで展示された物のみが作品となるのか? という問いへの一つの解でもありました。<br />
こうしたプロジェクトアートの本質を鑑みれば、プロジェクト全体の中の個別のプロジェクト、および、制作した個別の物やデータ状の作品について検証を試みる際には、プロジェクト全体の「過程」としての「持続」が作品であって、その「持続」の「断片」を検証しているのだという意識がなければ判断を誤ります。「断片」は同時に「持続」なのだから、「断片」を対象に検証する際は、同時に「持続」としても検証していなければなりません。<br />
しかしながら、判決文(※1)を見ると、「行為者によって頒布された電磁的記録又は電磁的記録に係る記録媒体について」ばかりが焦点となり、「断片」と同時に注がれるべき「持続」への視点を欠く内容となっています。<br />
わいせつ性については、本件3Dデータを「コンピュータにより画面に映し出した画像やプリントアウトしたものなど同記録を視覚化したもののみを見て」、違法性阻却のための芸術性・思想性やわいせつ性の検討および判断をするべきであるとし、そして、「本件データ又は本件CD-Rの頒布が前記各機会を他者に与えるものであることに」、すなわち、本件3Dデータを配布された人々に、そのデータを加工して創作をする機会を与えるものであることに、「芸術性・思想性が含まれているとしても、そのことを考慮してこれらの検討及び判断をすべきではない」と明言しています。<br />
これは、プロジェクト全体の「過程」としての「持続」の一部分である本件3Dデータの提供から、さらにそのデータを視覚化した情報のみを焦点としているのであって、すなわち、「断片」のさらなる「断片」のみを焦点としているのであって、プロジェクトアートが「持続」であることに基づけば、適当なバランスによる検証が成立しているわけがありません。<br />
「持続」への視点を持つならば、次のような要素も検証の対象として加味されてしかるべきでした。この度の、全体のプロジェクトがどういった作意から企図されたのかということの思想はもちろんのこと、個別のプロジェクトとしての本件3Dデータの配布が全体のプロジェクトから見てどういった位置にあり、他の個別のプロジェクトとどのように関係し、その関係性による配布それ自体の「行為」としての作品性、オーディエンスとしての本件3Dデータを受け取った人々との関わり、またそのオーディエンス側の作意、それらによる可変的な現前。<br />
この度の最高裁では、そうした要素の中でも、本件3Dデータを受け取った人々の作意が一考だにされませんでした。その上で、本件3Dデータにわいせつ性があると断じたのは、検証するべき重要な要素を見落とした、バランスに欠ける判断です。<br />
プロジェクトアートは、関わったオーディエンスの介在も作品の一部です。プロジェクトアートの「過程」には、アーティストとオーディエンス双方により作品を作りあげているという要素もあります。したがって、アーティストの作意だけを芸術性・思想性の検証の対象とするのではなく、オーディエンスとしての本件3Dデータを受け取った人々の作意についての視点も必要です。<br />
本件3Dデータを受け取った人々は、ろくでなし子氏の作品「マンボート」の制作に賛同し、クラウドファンディングにて資金提供をした人々、氏が創作、販売した商品を購入した人々の一部です。本来ならば、そうした人々に、本件3Dデータがどういった解釈で受け取られたのかについても考慮し、芸術性・思想性が検証されていなければなりませんでした。<br />
ろくでなし子氏は「女性器に対する卑わいな印象を払拭し、女性器を表現することを日常生活に浸透させたいという思想」に基づいてプロジェクトアートを進行していました。ゆえに、アーティストとオーディエンスという関係性から判断すれば、本件3Dデータを受け取った人々には氏のこの思想に共鳴や賛同する思想があったという見方が成り立ちます。そうした人々にとって本件3Dデータは、その思想の証、ないし、——自らも「データを加工して創作」を試みるためであればこそ——作品を創作する上での「素材」と解釈されていたのではないかということです。それを一考だにせず、わいせつの3要件を満たすものとして解釈されていたと断じるならば、それは公平性に欠ける判断といわざるを得ません。<br />
また、この度の裁判のように「コンピュータにより画面に映し出した画像やプリントアウトしたものなど同記録を視覚化したもの」を見て判断するというならば、なおさら、本件3Dデータを受け取った人々の作為の介在を無視することはできません。本件3Dデータは、データを加工するためのアプリケーションの性能上可能である限りの自由度で着色できるのであって、本件3Dデータを受け取った人々の作意をもってすれば、本件3Dデータは作品を創作する上での「素材」となります。それにもかかわらず、裁判官は、その人々に本件3Dデータはわいせつの3要件を満たすものとして受け取られていると、アーティストとオーディエンスの関係性を考慮せずに、第三者の立場から決めつけています。本件3Dデータを受け取った人々の作意は、裁判官があらかじめ推し量ることはできないのであって、なおさら公平な判断とはいえません。<br />
以上のように、違法性阻却のための芸術性・思想性について認められるかについては、検証対象とする要素への視点の欠落があり、プロジェクトアートとしての検証を十分に行なうことが出来ていなかったということは明らかです。これでは、プロジェクトアートとして作品の芸術性・思想性の有無を判断していたことにはなりません。<br />
<br />
<b>[理由2について]</b><br />
(1)いたずらに性欲を興奮又は刺激せしめ<br />
(2)普通人の正常な性的羞恥心を害し<br />
(3)善良な性的道義観念に反するもの<br />
刑法175条で罪に問われる対象にわいせつ性があると判断するためには、これらのわいせつ3要件を満たす必要があります。<br />
このうちの「普通人」を巡っては、そもそもいくつかの疑問があります。<br />
第一に、「普通人」の判断基準は何か。<br />
第二に、「普通人」の「正常な性的羞恥心」の判断基準何か。<br />
第三に、それらを判断する際、裁判官の主観性を完全に斥ける手段はあるのか。<br />
第一、第二について。これらわいせつ3要件は、1957年の「チャタレイ夫人の恋人」を巡る最高裁判決で示されたものであり、以降、1969年の「悪徳の栄え」事件判決や1980年の「四畳半襖の下張」事件判決等で判断の枠組みが作らたという経緯があります。よって、「普通人」であることおよび「普通人」の「正常な性的羞恥心」の判断基準はそうした過去の判例といえるのであり、判断材料としては被告側の主張があります。<br />
しかし、道徳的価値観は時代によって異なります。過去の判例を判断基準として、過去の判断や出来事を現在にあてはめて判断をしようとしても、現在の価値観から見て必ずしも適当とはいえない判断が生じることがあります。よって、過去の判例を判断基準とすることの妥当性は、問われる部分があります。<br />
第三について。感覚や思想は個人によって差異があります。性道徳を含む道徳的価値観や性的な感覚もまた、個人によって差異があり、個別の社会集団や個人によっても——特に個人の性的嗜好・性的指向によっても——差異があります。したがって、道徳的価値観や性的な感覚に基づく正常か異常かの判断も、個人によって差異があり、そうした判断から裁判官個人としての主観性を完全に斥けるのは不可能です。<br />
過去の判例に頼るという手段により、主観性を斥け客観性を保つことができるという反論があるかもしれません。しかし、道徳的価値観は時代によって異なります。上に述べたのと同様、過去と現在の価値観の差異により、必ずしも適当とはいえない判断が生じることがあります。<br />
このように、「普通人」や「普通人」の「正常な性的羞恥心」の判断基準を、過去の判例に頼れば、現在の価値観との整合性において問題が生じます。そして、それらを判断する際も、裁判官個人の主観性の介在を完全に斥けるのは困難で、それを実現する適切な手段を見出すのもまた難しい現状があります。<br />
<br />
<br />
<br />
<b>【結 論】</b><br />
<br />
この度の最高裁で、作品のわいせつ性を判断するにあたっては、プロジェクトアートとして「過程」という視点がどのように判決に反映されているかという点につきまして、私どもは注目していた次第です。<br />
しかしながら、この度の最高裁においては、初動からプロジェクトアートとして検証すべき焦点が見失われ、「過程」として本来検証すべきであった要素について十分に取り扱われないままの判決となりました。これは、裁判官のプロジェクトアートについての知見がもともと必要な水準に達していないために、判断を見誤ったということです。したがって、この度の最高裁判決は不当判決であったということは明らかです。<br />
そもそも、刑法175条のわいせつ性の判断に問題点があるということは、上に述べたとおりです。道徳的価値観や性的感覚は、時代や個別の社会集団や個人によって差異があるし、それに基づく判断から個人の主観性を完全に斥けることは不可能です。<br />
結局のところ、道徳的規範から外れることを根拠に刑事罰を科すのであっては、各社会集団や個人の道徳的価値観を根拠とし、国が国全体に向けた道徳的規範を決定し、国民にその道徳的価値観における理性を模倣させる圧力が生じることになります。各社会集団や個人の道徳的価値観は、各社会集団内で共有されたり個人が持ったりすることには問題は生じないかも知れませんが、その外部の社会や個人を巻き込みそうした圧力が生じれば、巻き込まれた側の人々の価値観や思想が否定されることにもなりかねません。グローバル化が進んだ現代社会では、ある社会集団に共有される道徳的価値観に基づき、その外部の社会に向かって理性を模倣させる圧力を与える場面があり、軋轢が生じる例も少なくありません。<br />
刑法175条には以上のような問題点があり、その上、被害者が発生していないのに刑事罰が科せられます。刑法175条の正当性はそろそろ問われるべきであり、廃止を含めた検討も行われるべき時期に来ています。<br />
<br />
最後に特筆しておきますが、この度の最高裁における裁判官はその全員が男性でした。「女性器に対する卑猥な印象を払拭し、女性器を表現することを日常生活に浸透させたいという思想」に基づいたプロジェクトアートが、裁判官個人の道徳的価値観や性的な感覚についての主観性を斥けられないまま、男性のみの判断によって否定されたということです。刑法175条により、ある道徳的価値観における理性を模倣させることを求めて来た結果、現前したのは、ジェンダーの不均衡です。<br />
<br />
<br />
<div style="text-align: right;">
以上</div>
<div style="text-align: right;">
<br /></div>
<div style="text-align: right;">
<br /></div>
<div style="text-align: right;">
女子現代メディア文化研究会代表/デザイナー・アートディレクター</div>
<div style="text-align: right;">
山田久美子</div>
<br />
<br />
<br />
[注]<br />
<br />
<span style="font-size: x-small;">※1:「平成29年(あ)第829号 わいせつ電磁的記録等送信頒布、わいせつ電磁的記録記録媒体頒布被告事件</span><br />
<span style="font-size: x-small;"> 令和2年7月16日 第一小法廷判決」判決文</span><br />
<span style="font-size: x-small;"> (<a href="https://www.courts.go.jp/app/files/hanrei_jp/579/089579_hanrei.pdf">https://www.courts.go.jp/app/files/hanrei_jp/579/089579_hanrei.pdf</a>)</span><br />
<span style="font-size: x-small;"><br /></span>
<span style="font-size: x-small;">・</span><a href="http://www.wmc-jpn.com/archive/resume200728.pdf" target="_blank">ろくでなし子氏裁判 最高裁判決についての意見書 (PDF版 381KB)</a><br />
<div>
<br /></div>
女子現代メディア文化研究会http://www.blogger.com/profile/02457331186039494528noreply@blogger.comtag:blogger.com,1999:blog-4067263360902245405.post-71232422127019990132020-02-20T16:51:00.000+09:002020-02-20T16:51:41.831+09:00JAと「ラブライブ!」のコラボ企画に関連して発生した嫌がらせ行為に、強い憤りの意を表明しますJAと「ラブライブ! サンシャイン!!」のコラボ企画に関連して発生した、キャラクターの担当声優に対する嫌がらせ行為に対し、強い憤りの意を表明します。<br />
本年(2020年)2月12日より開催されているJAと「ラブライブ! サンシャイン!!」のコラボ企画において、展示されたキャラクターの絵が、議論を呼んでいます。そしてこの動きに関連して、当該キャラクターの担当声優に対し、SNSを通じて、礼節のない文面で発言を繰り返し、同作品の制作者側に抗議するよう求めるアカウントも現れました。<br />
もとより、表現の自由は批判を受けない自由ではなく、批判の自由は表現の自由の一環をなすものです。しかし、キャラクターの担当声優は、本件企画の企画者ではなく展示への影響力も乏しい個人であり、そのような個人に対し礼節を無視した文章で発言を繰り返し、義務のないことを行わせようとするのはもはや正当な批判とは言いがたいものです。<br />
平素から、テロルという手段により、自己の目的や理想を実現することを認めない私どもの立場にあっては、同様に、このような嫌がらせ行為についてもまた認める立場にはありません。私どもは、そのような嫌がらせ行為について強い憤りの意を表明するとともに、そのような行為がエスカレートし、将来にわたり業務妨害に通じるような暴力的行為が起こることを懸念します。<br />
たとえ「差別を解消する」という目的であったとしても、その目的を達成する手段として、声優への嫌がらせ行為を取ることは本末転倒であり、私どもはそのような行為を断固として否定します。担当声優に対する嫌がらせ行為は、とりもなおさず声優の労働環境を悪化させることになり、女性にとっても、地位向上、労働の場での機会均等、生きづらさといった、取り組むべき課題に抗うこととなるからです。<br />
議論ならば大いに行うべきですし、フェミニズムの歴史においては、かつての平塚らいてうと与謝野晶子の間にあった「母性保護論争」のような例もあります。しかし、担当声優に最初から礼節を欠いた発言を繰り返し、およそ議論の場を成り立たせようという技術すらないまま嫌がらせ行為に陥ることは、女性には労働の場を得る困難さがあったという歴史を重く受け止める私どもの立場からも、到底、肯定することはできません。<br />
漫画家やデザイナー、イラストレーター等のクリエイティブな業種は、1986年の男女雇用機会均等法施行以前から女性が従事しており、女性が努力によって獲得してきた労働の場の一つとなっています。<br />
自身の名前をブランド名に冠するデザイナーの方もおられますが、わざわざその名前を言うまでもないでしょう。また、漫画においては、先人たちの努力もあって少女漫画という分野が確立し、女性の漫画家を輩出し増加させるきっかけにもなりました。「ラブライブ!」の担当声優もまた、努力をして労働の場を得た女性のお一人と言えるでしょう。<br />
しかしながら、この度のような嫌がらせ行為がエスカレートし、将来にわたり業務妨害に通じるような暴力的行為を繰り返されるようになっては、実際の業務への影響が免れず、女性が獲得して来た労働の場すら失われかねません<span style="font-size: x-small;">(※1)</span>。<br />
私どもは、女性の先人たちが努力して獲得して来た労働の場を荒廃させないことを願っております。<br />
我が国においては、明治時代に入っても女性参政権がなく、女性国会議員の誕生は1946年まで待たなければなりませんでした<span style="font-size: x-small;">(※2)</span>。女性はそのように、社会の場によっては、いないことにされる存在でいた歴史もあります。そうした歴史を鑑みればこそ、担当声優に対する正当な批判とは言い難い「嫌がらせ」という、排斥につながる行為について、強い憤りを持って否定し断じて許すことはありません。<br />
<br />
<br />
[注]<br />
<span style="font-size: x-small;">※1:なお、何者かの暴力的行為により実際の業務への影響があった例では、2012年からの「黒子のバスケ脅迫事件」が記憶に新しい。企業やイベント会場に脅迫があったおかげで、「黒子のバスケ」の関連グッズの制作やイベント等についての企画の中には、見送られることになったものもあります。</span><br />
<span style="font-size: x-small;">※2:戸主に限定されるという条件はあったが、高知県では、1880年に日本初の女性参政権が認められました。</span><br />
<span style="font-size: x-small;"> 「(反骨の記録:1)「民権ばあさん」扉開く」(朝日新聞デジタル2016年4月23日)(<a href="https://www.asahi.com/articles/ASJ2Q2GQ6J2QPIHB001.html">https://www.asahi.com/articles/ASJ2Q2GQ6J2QPIHB001.html</a>)</span><br />
<br />
<a href="http://wmc-jpn.com/archive/resume200220.pdf" target="_blank">・意見書「JAと「ラブライブ!」のコラボ企画に関連して発生した嫌がらせ行為に、強い憤りの意を表明します」(PDF版 262kb)</a><br />
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<br /></div>
女子現代メディア文化研究会http://www.blogger.com/profile/02457331186039494528noreply@blogger.comtag:blogger.com,1999:blog-4067263360902245405.post-73064753991084865472019-10-30T16:27:00.000+09:002019-10-30T16:27:16.193+09:00文化庁「侵害コンテンツのダウンロード違法化等に関するパブリックコメント 質問事項及び回答様式」の回答当会は、本日、文化庁が募集している著作権法改正に関するパブリックコメントを提出いたしました。<br />
<br />
以下、様式に則った回答を転載いたしました。<br />
<br />
<br />
<b><br /></b>
<b><br /></b>
<b>1. 基本的な考え方</b><br />
<br />
(1)「深刻な海賊版被害への実効的な対策を講じること」と「国民の正当な情報収集等に萎縮を生じさせないこと」という2つの要請を両立させた形で、侵害コンテンツのダウンロード違法化(対象となる著作物を音楽・映像から著作物全般に拡大することをいう。以下同じ。)を行うことについて、どのように考えますか。①~⑤から一つを選択の上、回答欄に記入して下さい。<br />
<br />
回答:無回答<br />
<br />
<br />
<br />
<b>2. 懸念事項及び要件設定</b><br />
<br />
(1)侵害コンテンツのダウンロード違法化を行うことによる懸念事項として、下記(ⅰ)~(ⅶ)のそれぞれについて懸念される程度を、①~⑤から一つを選択の上、回答欄に記入して下さい。その他、懸念事項があれば(ⅷ)に記入して下さい。<br />
<br />
(i)インターネット上に掲載されたコンテンツは、適法にアップロードされたのか違法にアップロードされたのか判断が難しいものが多いため、ダウンロードを控えることになる。<br />
<br />
回答:② どちらかというと懸念される<br />
<br />
<br />
(ii)重要な情報をスクリーンショットで保存しようとする際に、違法画像等(例:SNSのアイコン)が入り込むことが、違法になる。<br />
<br />
回答:① とても懸念される<br />
<br />
<br />
(iii)漫画の1コマのダウンロードや、論文の中に他人の著作物の違法引用がされている場合の当該論文のダウンロードなど、ごく一部の軽微なダウンロードでも違法になる。<br />
<br />
回答:① とても懸念される<br />
<br />
<br />
(iv)原作者の許諾を得ずに創作された二次創作・パロディのダウンロードが、違法になる。<br />
<br />
回答:① とても懸念される<br />
<br />
<br />
(v)無料で提供されているコンテンツ(例:無料で配布・配信されている雑誌、漫画、ネット記事)が違法にアップロードされている場合に、そのダウンロードが違法になる。<br />
<br />
回答:② どちらかというと懸念される<br />
<br />
<br />
(vi)権利者がアップロードを問題視していない(黙認している)場合でも、ダウンロードが違法になる。<br />
<br />
回答:① とても懸念される<br />
<br />
<br />
(vii)権利者により濫用的な権利行使がされる可能性や、刑事罰の規定の運用が不当に拡大される可能性がある。<br />
<br />
回答:① とても懸念される<br />
<br />
<br />
(viii)その他、懸念事項があれば記入して下さい。<br />
<br />
1.の(1)について、選択肢に該当する答えがないので無回答とする。<br />
<br />
設問個別についての懸念事項。<br />
<br />
(i)について<br />
インターネット上に掲載されたコンテンツが「適法にアップロードされたのか違法にアップロードされたのか判断が難しい」状況では、趣味でインターネットを利用するユーザーは、ダウンロードを控えることが懸念される。後述するが、一方で、ライセンスビジネスに関わるクリエイターが、そのような状況にあって業務上の理由でどうしても著作物をダウンロードをせざるを得ないことによる問題が生じる懸念がある。<br />
<br />
(ii)について<br />
設問の例にあるようなSNSのアイコンも含めてだが、クリエイターが作成した著作物が違法にネット上にアップロードされユーザーが見ることができる状態にされている場合に弁護士等に相談する際、権利者以外が証拠資料としてスクリーンショットで保存することも違法になるならば、証拠を得ることが難しくなりそうした相談がしにくくなる。それにより、著作権者としてのクリエイターの権利が守られにくくなる懸念がある。<br />
<br />
(iii)について<br />
後述するが、(i)同様に、ライセンスビジネスに関わるクリエイターが、そのような状況にあって業務上の理由でどうしても著作物をダウンロードをせざるを得ないことによる問題が生じる懸念がある。<br />
<br />
(iv)について<br />
芸術やデザインの分野では「パロディ」という表現手段があり、その表現手段による作品や成果物が創作されている。文化庁文化審議会著作権分科会法制問題小委員会パロディワーキングチームにおかれても、判例を用いた「パロディ」に関わる問題の検討が行われている。平成25年3月付の「パロディワーキングチーム報告書」(http://www.bunka.go.jp/seisaku/bunkashingikai/chosakuken/hosei/parody/pdf/h25_03_parody_hokokusho.pdf)にて「本ワーキングチームとしては、デジタル・ネットワーク 社会において著作物の利用形態が急速に変化している中で、著作物としてのパロディの 在り方や、その権利意識について権利者・利用者ともに急速な変動が見られることも併せ考慮すると、少なくとも現時点では、立法による課題の解決よりも、既存の権利制限 規定の拡張解釈ないし類推適用89や、著作権者による明示の許諾がなくても著作物の利 用の実態からみて一定の合理的な範囲で黙示の許諾を広く認めるなど、現行著作権法による解釈ないし運用により、より弾力的で柔軟な対応を図る方策を促進することが求められているものと評価することができる。」ということが、総合的勘案としてまとめられている。<br />
我が国においても、作品や成果物が「パロディ」であるか否かについて検討されたり裁判で争われたりということがあったし今後もあり得るとして、設問(iv)では「パロディ」として成立している作品や成果物自体が違法扱いの前提となっているようにも受け取れるので、念のため言うが、「パロディ」の創作自体を違法化することには反対する。上に述べた、「パロディワーキングチーム報告書」の勘案のような認識に立ち返るべきである。<br />
<br />
(v)について<br />
プロ・アマ問わずクリエイターが利用する、素材・フォントの配布サイトの紹介サイト(紹介サイトには無料の素材・フォントの配布サイトも含む)は、グレーゾーンになってしまうという危惧がある。<br />
例えば「colis」(https://coliss.com)のようなサイトが該当するが、素材やフォントの紹介のために著作権者としてのクリエイターの許諾をとらずに宣伝用に画像を掲載して例がある。権利者が黙認しているのでこのようなサイトは普及しているという面はあるが、サイト運営者が萎縮してサイトを閉鎖する恐れがある。<br />
このようなサイトであれば、むしろクリエイターにとっても宣伝になっているので、クリエイターにとっても利益を損なうことになる。<br />
<br />
(vi)について<br />
(v)に同じ。<br />
<br />
(vii)について<br />
刑事罰の要件が適切な手続きを経ずに追加される恐れがある。<br />
<br />
次に、権利侵害コンテンツダウンロード違法化に関わる全体を通した懸念事項。<br />
<br />
まず、「刑事罰」となると扱いが「犯罪」の領域になるが、「犯罪」が持つより凶悪な印象によるインパクトで、たとえ全て親告罪のままであるとしてもクリエイターにとっては萎縮効果が大きいと考える。<br />
商品の発売日が固定されているライセンスビジネスにおいて、企画、デザイン、製造、販売という過程では、何らかの問題が起き行程の遅れが生じる事態は注意深く避けようとする。そのため、「文化庁当初案の考え方に関する資料」にて示されるように「⑦企業においてビジネスの一環として行われるダウンロードや、漫画家・研究者等が業務として行うダウンロードについては、現行法上も、自由利用を認める規定はありません(これらは、いわゆる「寛容的な利用」として行われていたり、権利者の許諾を得て行われている場合が多いものと考えられますが」などとしているとしても、「刑事罰」が前提となればそれに相応した捜査が行われることとなり、民事訴訟を起こされるよりもはるかにビジネスの行程に影響を及ぼすこととなり得る。したがって、このような事態が生じないよう、あらかじめ確実に安全な範囲で業務を遂行しようとするのであって、適法とされるよりも小さな範囲で業務を遂行しようとして、適法な利用あるいは「寛容的な利用」すら控える局面が懸念されるのである。<br />
このような、「刑事罰」というインパクトによる萎縮効果を鑑み、たとえすべてが親告罪のままであるとしても「刑事罰」の導入は見送るべきであると考える。<br />
また、そのような捜査の様子がメディアを通して社会に伝われば、企業にとって社会的なイメージダウンなどにつながるし、裁判の結果たとえ無実であったとしても、SNSなどでデマを含めたイメージを損ねる言説が拡散されればビジネスに悪影響を及ぼしかねないのだ。<br />
ライセンスビジネスにおいては、「寛容的な利用」として行われる著作物のダウンロードは避けられないわけだが、そのことにより問題も生じる。それは(i)、(iii)で後述するとした部分であるが、そうした著作物のダウンロードやダウンロードで入手して共有・保管している著作物について、悪意ある第三者から嫌がらせのデマや言いがかりを流布される可能性がありながら、やはり、業務上の理由でそうした著作物のダウンロードも保管も決してやめられないということにより、無防備にリスクを負わなければならないという問題が生じてしまう。<br />
「違法にダウンロードした漫画の画像をコレクションしている」などとする悪意ある第三者によるデマや不正確な言説が、企業やクリエイターへ向けられ、業界の内情を知らず安易にその情報を信じた人々によりSNSで拡散され、その結果、企業やクリエイターのイメージダウンになるというような例も起こり得るわけだが、著作権法にはフェアユースのようなわかりやすい規定がない。それは、ライセンスビジネスにおけるリスクマネジメントを困難にしている。<br />
ライセンスビジネスはライセンサーからライセンシーにインターネットなどを介した経路で著作物の受け渡しや共有が日常的に行われているわけだが、ライセンサーとライセンシーが別の企業やクリエイター個人であることも多々ある。まして、ライセンサーの企業が企画、デザイン、製造、販売までの全ての工程を単独で行なっているのではなく、そこには複数の企業やクリエイター個人が関わっている。ライセンスビジネスにおける著作物についての「ビジネスの一環として行われるダウンロード」は、必ずしも単独の企業の社内で行われていないということである。このような、ライセンスビジネスの業界の内情は、確かに外部の市民の立場からは想像しがたいかもしれないし、ゆえに、悪意ある第三者がデマや不正確な言説を流布しやすい現状はあると言えるだろう。<br />
こうした例については、佐野研二郎氏がデザインし取り下げとなった東京オリンピックのマークの件が記憶に新しい。SNS上では「パクリ疑惑」として著作権法違反の疑いでバッシングの対象となったが、このマークについては商標法の観点から分析するべき可能性を持つとしても、著作権法違反には該当しないという法曹の人々からの意見もあった。しかしながら、SNS上の著作権法違反との決めつけをきっかけとするバッシングにより、佐野氏のご家族にまで危険が及ぶということがあった。佐野氏ご自身は、この騒動の後に、一時的に仕事が減ってしまったということを述べているわけで、事実を検証しないままに不正確な情報が拡散されることで、ビジネスに悪影響を及ぼすことができるということを示している。<br />
このように、ライセンスビジネスに関わる企業やクリエイターは、不正確な情報の拡散による企業やクリエイターのイメージダウンという問題を抱えながら、リスクマネジメントも困難な状況にある。したがって、日本版フェアユースの導入を求める。<br />
<br />
<br />
<br />
(2)上記の懸念などを踏まえ、具体的にどのような要件・内容とすることが望ましいと考えますか。下記(i)及びその回答に応じた(ii)~(vi)の回答欄に記入して下さい。<br />
<br />
(i)侵害コンテンツのダウンロード違法化に関する文化庁当初案(添付1~3参照)について、どのように考えますか。①~⑤から一つを選択の上、回答欄に記入して下さい。<br />
<br />
回答:無回答<br />
<br />
<br />
<br />
<b>3. その他</b><br />
<br />
(1)侵害コンテンツのダウンロード違法化に関して、上記のほかに御意見があれば、記入して下さい。<br />
<br />
2.の(2)の(i)について、選択肢に該当する答えがないので、他の意見としてこちらに記す。<br />
回答に「違法化の対象を絞りこむ」かどうかなどとの記述があったが、著作権侵害コンテンツの問題は、日本版フェアユースの導入という観点と無関係ではいられない。「文化庁当初案の考え方に関する資料」においても、「寛容的な利用」「文化庁においては、研究目的で行う利用を適法と認める規定の創設など、著作物の公な利用を促進するための措置について、並行して、鋭意検討を進めているところです。」などと、フェアユースに関連する内容について言及するならば、明確に日本版フェアユースの導入のための論議をするべきである。<br />
インターネットが市民の生活に浸透した今日、著作権に関わる複雑な状況が生まれているし、海賊版サイトの問題も見過ごせない。こうした中で、ライセンスビジネスに従事するクリエイターが安心して仕事が行うには、そもそも悪質な著作権侵害行為と「寛容的な利用」を明確に区別する必要があると考える。現代のような時代に合った日本版フェアユースの導入は喫緊の課題なのである。<br />
なお、我が国において、少なくとも2015年ぐらいまでは文化庁文化審議会著作権分科会におかれても、フェアユースに関する論議が続いていたはずであり、アーカイブに議事録を見ることができる。アメリカ型フェアユースにするならば、アメリカ著作権法第107条のような規定の創設と条文における明確な「フェアユース」の定義を行うことが必要になるであろう。しかし、実際のところ、アメリカ型のフェアユースは日本の法律に合わないし使いこなせないといった意見も散見する。その場合、現行の著作権法の条文に、個別に権利制限規定を設け、必要箇所に「権利者の利益が不当に害される場合」以外罪に問わない旨を追加するなどといったことになろう。あるいは、著作権法第32条を拡大するイメージで「事業を継続するにあたり、業務上避けられない理由がある場合、(1)権利者以外がインターネット上の著作物のダウンロードを行う、(2)権利者以外が著作物を権利者の許可なく利用する、権利者以外の(1)(2)のいずれかの行為で、権利者の利益を不当に害することがない場合は、権利者以外は著作物を利用することができる」などと条文を付け加えることになろう。<br />
とはいえ、文化庁文化審議会におかれては、フェアユースに関する論議の蓄積があるわけで、これを引き継ぎながら法曹の専門家のそれぞれの意見を今一度伺うべきではないかと考える。拙速な判断で、問題点を見落としてはならないからである。漫画家やクリエイターに加えて法曹などの専門家を交え、フェアユースに関する会議を再開し、その議事録を公開していただくよう求める。<br />
<br />
<br />
(2)リーチサイト対策に関して御意見があれば、記入して下さい。<br />
<br />
リーチサイトの規制強化をするとしても、リーチサイトのサイト運営者・アプリ提供者についての規制内容における、刑事罰化・非親告罪化に反対する。<br />
2.の(1)の(viii)でも述べたように、「刑事罰」のインパクトについての懸念があるし、非親告罪としてしまっては捜査機関による権力の乱用につながる恐れがある。<br />
また、リンク提供者については、刑事罰化に反対する。こちらも、「刑事罰」のインパクトについての懸念がある。<br />
2.の(1)の(vi)に述べた「colis」のようなサイトが、嫌がらせを意図した第三者による捜査機関への通報で不当な捜査を受け、サイトを継続できなくなる恐れもある。<br />
また、クリエイターのポートフォリオサイトでリンク集のページを放置した結果、リンク先のアドレスが悪質な者に売却されるなどし、内容が変わる場合がある。そうしたリンク先に違法ダウンロードサイトが含まれていないとも限らないのである。こうした場合にも、嫌がらせを意図した第三者による捜査機関への通報が行われる可能性がある。<br />
<br />
<br />
(3)その他、海賊版対策全般に関して御意見があれば、記入して下さい。<br />
<br />
YouTubeで漫画海賊版が配信されている。漫画のページそのもので、物語丸ごとを順番に静止画の映像として配信する内容で、引用とは異なる。例えば「進撃の巨人 最新話」と検索すればそのような漫画海賊版にヒットする。こうしたアカウントは、短期間配信し儲けを出しては、動画やアカウントを消すといった状態となっている。<br />
YouTubeでは現状の規約で、YouTubeの配信動画に海賊版の動画を発見したとしても、著作権者や代理人でなければ著作権侵害として報告できないこととなっている。このように、海賊版サイトが放置される例については方策を講じるべきだろう。例えば、著作権者に海賊版の動画の存在を報告するための窓口を、YouTubeか版権元の出版社かのどちらかに設置などをするべきではないだろうか。<br />
また、リーチサイト規制を強めるだけならば、運営者がリーチサイトでの漫画海賊版配信をやめて(※1)このようなYouTubeでの配信に流れるばかりになる可能性もある。まずは、悪質なオンラインリーディングサイト、リーチサイト、違法なアップロードを、著作権者以外の第三者の市民が発見した際に、著作権者に報告がしやすいシステム作りをすることが先決だと考える。<br />
<br />
<span style="font-size: x-small;">※1:リーチサイトには運営者投稿型もある</span>女子現代メディア文化研究会http://www.blogger.com/profile/02457331186039494528noreply@blogger.comtag:blogger.com,1999:blog-4067263360902245405.post-78110979965672185482019-10-16T13:07:00.001+09:002019-10-16T13:07:12.622+09:00「あいちトリエンナーレ2019」への補助金不交付の取り消しを求める意見書<b>【はじめに】</b><br />
<br />
文化庁は「あいちトリエンナーレ2019」への補助金について全額不交付とする決定をしました。問題視されたのは、同トリエンナーレ内の展覧会「表現の不自由展・その後」に関わってのことについてです(※1)。<br />
補助金の全額不交付の理由について文化庁は「愛知県は、展覧会の開催に当たり、来場者を含め展示会場の安全や事業の円滑な運営を脅かすような重大な事実を認識していたにもかかわらず、それらの事実を申告することなく」手続きを行ったからであると主張しています。そして、適正な審査を行うことができなかった重要な点として、「[1]実現可能な内容になっているか、[2]事業の継続が見込まれるか、」の2点をあげています(※2)。萩生田光一文部科学相は、この件について「文化庁に申請があった内容通りの展示会ができていない」と説明しています(※3)。<br />
<br />
<br />
<b>【意見の趣旨】</b><br />
<br />
文化庁に対し、「あいちトリエンナーレ2019」への補助金不交付の取り消しを求める。<br />
<br />
<br />
<b>【意見の理由】</b><br />
<br />
<b>[理由1]</b><br />
補助金不交付の意思決定の過程では、外部審査委員に意見聴取がされておらず、しかも、その意思決定に関するの議事録がないことから、この件に関する文化庁の意思決定の手続きが不適切と言わざるを得ないからである。<br />
<br />
<b>[理由2]</b><br />
「文化庁に申請があった内容通りの展示会ができていない」などとしているが、むしろ申請に必要な内容を聞き漏らした文化庁のヒアリング技術に難があるからである。<br />
<br />
<b>[理由3]</b><br />
補助金交付の対象となる文化事業によっては、精巧かつ均質な反復可能性を持たない一回性による価値に支えられる芸術を内容に含む場合があり、そうした場合は「申請があった内容通りの展示会」を継続すること自体が不可能だからである。<br />
<br />
<br />
<b>【背 景】</b><br />
<br />
<b>[理由1について]</b><br />
報道によると、補助金不交付の意思決定の過程では、外部審査委員に意見聴取がされていなかったとのことです。一度承認した申請をくつがえすというこの度の決定は、報道にあるような、2段階の審査のうちの「2段階」の「事務的審査」には該当しないと考えます。<br />
詳細は後述しますが、文化庁は手続き上の不備を理由に補助金を不交付としたと主張していますが、元々、文化庁側のヒアリング技術に難があればこそ聞き出すべき重要な内容を聞き漏らしたのだから、補助金不交付の検討は申請の「内容」に関わる案件です。よって、そのような検討は、内容に関わる「1段階」の「内容の審査」の範疇と判断し再審査するのが妥当であり、外部審査委員への意見聴取が必要です(※4)。<br />
また、こうした意思決定の過程における議事録がないとのことで、不透明な手続きで意思決定が行われているという面もあります。我が国のような民主主義社会にあっては行政の意思決定の手続きとして不適切と言わざるを得ません。<br />
<br />
<b>[理由2について]</b><br />
補助金不交付の意思決定の過程で外部審査委員に意見聴取がされていないことからも解るとおり、文化庁からはヒアリングする意思に乏しい様子が伺えます。<br />
また、文化庁が配布するヒアリングに用いるツールには適切な設計がされていない例が散見されます。<br />
文化庁が昨年末に著作権関連のパブリックコメントを募集した際に採用していた意見提出用のテンプレートは、奇妙に横に細長いドキュメントで、項目の記入に必要な字数に対するフォーマットの幅と高さが適切な状態ではなく、記入のしやすさ見やすさについての考案がなされた設計がされていませんでした(※5)。ユーザビリティが低く、ユーザーからヒアリングをするという目的を実現するのに適した設計になっていなかったということです。本年9月から募集しているパブリックコメントの意見提出用のテンプレート(※6)にも、難点がありました。こちらは、あらかじめ用意されたいくつかの選択肢から回答を選択する仕様で、選択肢にない回答ができないため意見の表明ができない部分があり、意見の聞き漏らしが生じる設計となっています。こちらも同じように、ヒアリングをするのに適した設計となっておらず、文化庁の、目的にかなったツールを作るための技術的な難点を垣間見ることができます。<br />
このように、文化庁のヒアリング技術には難があることが解ります。ヒアリング技術があれば、補助金交付の申請時に必要な重要事項を聞き出せないなどということは起こらなかったにもかかわらず、補助金交付の申請者側に責任に転嫁し、今さら補助金不交付という決定をしたのではないでしょうか。<br />
<br />
<b>[理由3について]</b><br />
文化庁は「[1]実現可能な内容になっているか、[2]事業の継続が見込まれるか、」という2点について、適正な審査を行うことができなかった重要な点としています。これについて、萩生田光一文部科学相は「申請があった内容通りの展示会」を行えていなかったとの説明を付け加えていますが、補助金交付の対象となる文化事業が必ずしも「申請があった内容通り」に遂行し継続できるかといえば、否と言うより他ありません。<br />
本年8月に北海道立近代美術館で開催された「カラヴァッジョ展」では、展覧会の目玉作品として展示予定であった「瞑想するアッシジの聖フランチェスコ」が不出品(他に「女占い師」も。また、カラヴァッジョから影響を受けた周辺作家の作品6点が不出品となりました。)となったことが記憶に新しいです。展覧会を開催する際には、このように予想外の事態が生じ、内容の変更を迫られる例があります。また、展覧会に限らず、何かの企画を遂行しようとする際には、同様に何らかの理由で内容の変更をせざるを得なくなる場合があります。制作に必要な原材料の価格が高騰する、天災に見舞われるなど、予想し得ぬ理由で計画の変更をせざるを得ない状況に陥る場合があります(※7)。<br />
このように展覧会を遂行し継続するには、予想外の事態が生じる可能性は全くないとは言えないのであって、補助金交付の対象となる文化事業が必ずしも「申請があった内容通り」にはならないという可能性を常に抱えることになります。<br />
そうした面では、愛知県にとっては「表現の不自由展・その後」の開催に関連する具体的な脅迫内容(※8)については、予想し得ぬことだったであろうことは考慮しなければなりません。具体的な内容が明らかになってはじめて予想できなかった深刻性が露呈するような脅迫について、後になってから「来場者を含め展示会場の安全や事業の円滑な運営を脅かすような重大な事実を認識していた」という指摘をし始め、一度申請を承認した給付を取り消すのは無理があります。<br />
そもそも、補助金交付の対象となる文化事業は、内容に含む芸術によっては、厳密に「申請があった内容通りの展示」を継続するのが不可能なジャンルがあります。複製技術が発達した現代には、写真やポスター、映画といったジャンルの複製技術によって作り出される芸術作品が広く普及しています。一方で、一回性による価値に支えられる芸術もまた根強く支持され続けています。こちらには、能のような古典芸能や、音楽、演劇などといった実演系のジャンルの芸術が含まれます。精巧かつ均質な複製によって作られる複製芸術と比べれば明白ですが、同じ筋書きにより実演を繰り返し行うとしても、実演は複製芸術のように精巧かつ均質な反復可能性はなく、偶然性や反復し得ない細部を含む「ただ一回である」という性質を持ちます。偶然性を含む一回性という性質上、「申請があった内容」と同一の実演を繰り返し継続するのは不可能ということです。<br />
音楽の実演では、例えばジャズに見られるような即興演奏(アドリブ)があります。ロックの実演においても、演者の興が乗り、ステージを走ったり客席に飛び降りたりする他、即興演奏を交えたりということが行われています。高いところから飛び降りて骨折したという演者の逸話やその際の写真も残っており、骨折を予定してパフォーマンスを繰り返すのは現実的には継続できないし、したがって、このような逸話は実演が偶然性や反復し得ない細部を含むことを表していると言えます。<br />
このように、一回性による価値に支えられるジャンルの芸術は、「申請があった内容通り」に継続すること自体が不可能なわけで、今後、文化庁に対し補助金交付を申請することが困難になる可能性があります。あるいは、たとえ申請が認められたとしても、こうしたジャンルの芸術が「申請があった内容通り」に継続することは元々不可能なのだから、申請が認められた後に「申請があった内容と異なる」との謗りを受け始め、補助金が不交付となることがないとは限りません。これでは申請する企画に萎縮を及ぼし、実演においてもアレンジや即興ができなくなる可能性があります。<br />
<br />
<br />
<b>【結 論】</b><br />
<br />
以上のように、補助金不交付の意思決定を行う過程には文化庁が行う手続きとして不適切な面がありますし、文化庁にむしろ補助金交付の申請を受け審査をするという業務を遂行するための技術が不足しているという傾向もあります。また、芸術には偶然性を含む一回性による価値に支えられるジャンルがあるということについて理解がないまま、「申請があった内容通り」に芸術の企画を継続することができる前提でそれを求めては、表現の萎縮を招き、補助金が必要な文化事業が廃れることになります。そうなれば、我が国の文化の未来にも影を落とすことになります。<br />
この度の文化庁による「あいちトリエンナーレ2019」への補助金不交付は、愚かな決定です。文化庁には、この度の不当な補助金不交付という決定をただちに見直すよう要求します。<br />
<br />
<br />
<b>【補 論】</b><br />
<br />
私ども女子現代メディア文化研究会の設立のきっかけの一つには、2012年11月から開催された森美術館の企画展「会田誠展 天才でごめんなさい」についての意見表明がありました。一部の作品について、ゾーニングされた部屋での展示であるにもかかわらず、撤去を求める声が一部の市民からあり、それに対する反対意見を表明したというものです(※9)。<br />
この度、問題とされた展覧会「表現の不自由展・その後」ですが、表現の不自由展・その後実行委員会の一部のメンバーの存在を鑑みるに、同実行委員会にとってはそのような経緯で設立された私どもの存在こそ、忌避され社会から遠ざけられるべきであると判断される可能性もあることは免れません。しかしながら、この度も、「表現」をめぐる問題としての深刻さから看過することが儘なりませんでした。それは、ろくでなし子さんの裁判(ろくでなし子さんの作品「デコまん」は無罪が確定しているが、有罪部分については最高裁に上告中です)(※10)や群馬県での白川昌夫さんの作品の騒動(※11)においても、私どもにとっては同様でした。<br />
我が国で近代的な意味での「美術館」の導入が始まった明治以降、美術館や展覧会に関わる諸々の問題が引き続いています。この度も繰り返された問題の中には、一つの示唆がありました。それは、自分の立場や単なる価値観に基づく「正義」に合わない表現に撤去や排除を求めれば、やがて自分に返ってくるということです。価値観に基づく「正義」が異なる市民同士が表現を排除し合えば、やがて不自由な社会を迎えるであろうという示唆を、重く受け止める次第です。<br />
<br />
<div style="text-align: right;">
以上</div>
<div style="text-align: right;">
<br /></div>
<div style="text-align: right;">
女子現代メディア文化研究会代表/デザイナー・アートディレクター</div>
<div style="text-align: right;">
山田久美子</div>
<br />
<br />
<br />
[注]<br />
<br />
<span style="font-size: x-small;">※1:文化庁Webサイト報道発表ページ内「あいちトリエンナーレに対する補助金の取扱いについて」にて「別紙」項目「参考:事実関係」内で「8月4日以降 「表現の不自由展 その後」,中止」(原文ママ)の明記がある。</span><br />
<span style="font-size: x-small;">※2:文化庁Webサイト報道発表ページ内「あいちトリエンナーレに対する補助金の取扱いについて」に掲載。</span><br />
<span style="font-size: x-small;">(http://www.bunka.go.jp/koho_hodo_oshirase/hodohappyo/1421672.html)</span><br />
<span style="font-size: x-small;">※3:9月26日の囲み会見での説明。</span><br />
<span style="font-size: x-small;">※4:報道では「審査には2段階あり、審査委員会も関わるのが1段階となる内容の審査で、2段階は事務的審査があります。文化庁に聞いたところ、今回は、後者に該当するので審査委員会には聴かなかったということでした。」とのこと。(「文化庁の審査委員が辞意を伝えた理由 補助金不交付で「委員へ意見聴取なし」に異議」/2019年10月3日「J-CASTニュース」)</span><br />
<span style="font-size: x-small;">※5:昨年12月10日から本年1月6日まで意見募集が行われた「文化審議会著作権分科会法制・基本問題小委員会中間まとめ」にて採用されたExcel書類「(様式)中間まとめ御意見送付用テンプレート」。</span><br />
<span style="font-size: x-small;">(https://search.e-gov.go.jp/servlet/Public?CLASSNAME=PCMMSTDETAIL&id=185001021&Mode=1)</span><br />
<span style="font-size: x-small;">※6:本年9月30日から10月30日まで意見募集が行われている「侵害コンテンツのダウンロード違法化等に関するパブリックコメント」にて採用されているExcel書類「質問事項および回答様式」(PDF版あり)。</span><br />
<span style="font-size: x-small;">(https://search.e-gov.go.jp/servlet/Public?CLASSNAME=PCMMSTDETAIL&id=185001067&Mode=0)</span><br />
<span style="font-size: x-small;">※7:川崎市民ミュージアムは台風19号により当面休館となり開催中の「のらくろ展」も中断しています。</span><br />
<span style="font-size: x-small;">※8:脅迫には「撤去しなければガソリン携行缶を持ってお邪魔する」といった内容も含まれました。</span><br />
<span style="font-size: x-small;">※9:「会田誠氏展覧会について、森美術館への作品撤去要請に抗議する声明」(http://wmc-jpn.blogspot.com/2013/03/blog-post_15.html)</span><br />
<span style="font-size: x-small;">※10:「ろくでなし子氏裁判の無罪を求める意見書」(http://wmc-jpn.blogspot.com/2016/08/blog-post.html)</span><br />
<span style="font-size: x-small;">※11:「白川昌生氏の作品の撤去指導に反対し、改めて展示を求める意見書」(http://wmc-jpn.blogspot.com/2017/05/blog-post.html)</span><br />
<br />
・<a href="http://wmc-jpn.com/archive/resume191016.pdf" target="_blank">「あいちトリエンナーレ2019」への補助金不交付の取り消しを求める意見書(PDF版430kb)</a>女子現代メディア文化研究会http://www.blogger.com/profile/02457331186039494528noreply@blogger.comtag:blogger.com,1999:blog-4067263360902245405.post-3097655347159693332019-05-27T05:30:00.000+09:002019-05-27T05:30:46.999+09:00「アクセス抑止方策に係る検討の論点」に対する意見<b>【意見の趣旨】</b><br />
<br />
[論点1、論点3について]<br />
<br />
アクセス抑止方策について、関係者の共通認識のもと幅広いユーザーの声に耳を傾け議論を進めることに賛成である。<br />
<br />
<br />
[論点5について]<br />
<br />
「アクセス警告方式」の実施の前提について議論することに賛成だが、その方式が、問題となっているいわゆる海賊版サイトへのアクセスを抑制する目的を達成する手段として妥当か否かという前提についても、議論するべきであると考える。<br />
「アクセス警告方式」は、海賊版サイトへのアクセスを抑制する目的を達成する手段としては妥当とは言い難い。なぜなら、海賊版サイトの種類によっては用いること自体困難で、著作権についての啓蒙効果もさほど期待できないからである。<br />
<br />
<br />
<br />
<b>【意見の詳細】</b><br />
<br />
[論点1、論点3ついて]<br />
<br />
業界関係者としての漫画家・クリエイターはもちろんのこと、インターネットに関わるユーザーを対象に、幅広くヒアリングをすることは必要である。<br />
今日のインターネットは、情報インフラとしての性格を持ち多くの市民の生活の一部である。したがって、市民への影響を考えた上でアクセス抑止方策を設計するべきである。<br />
<br />
<br />
[論点5について]<br />
<br />
「アクセス警告方式」の実施の前提について議論するべきである。それは、違憲性の有無を今一度確認すること、また、海賊版サイトへのアクセスを抑制するという目的を達成する手段が、「アクセス警告方式」でなければならない必然性について議論することを含めてである。<br />
この度の「アクセス警告方式」は、ISPとの約款にその方式を用いる同意の許諾を記載することで、個々のユーザーごとに個別に同意を得ることにより、ユーザーとの「真性の同意」が成立するとのことだが、そう断言するのは可能だろうか。<br />
上に述べたように、インターネットは今日では情報インフラとしての性格を持つ。それは、IoT技術やウェアラブル端末の開発が進む今日において、インターネットなしに市民の生活を成り立たせるのは困難さを伴うということである。市民は、逃れようなくISPに関わらざるを得ない状況があるのだから、約款への同意といっても、約款に同意する以外に選択肢がない点では止むを得ずに選択した不本意な同意を含む状況がある。致し方なく不本意に同意せざるを得ないならば、半ば強制的な同意で強要に近いわけで、これが「真性の同意」として成り立つかといえば疑問が残る。したがって、違憲の可能性は払拭できない。<br />
そのように、通信の秘密を侵す違憲の可能性を払拭できないにもかかわらず、「アクセス警告方式」を採用する利益は、さほどではないのではないかという疑いがある。<br />
近年ではYouTubeで漫画海賊版が配信されている(漫画のページそのもので、物語丸ごとを順番に静止画の映像として配信する内容で、引用とは異なる。この動画「進撃の巨人117ー日本語版|Attack On Titan 117 Full JP」(https://www.youtube.com/watch?v=D4eE5LxUqv8)のような例)が、短期間配信し儲けを出しては、動画やアカウントを消すといった状態となっている。こうした種類の漫画海賊版サイトに対しては、アクセス警告方式は用いること自体が困難だと考える。<br />
まず、ユーザーがYouTubeのこのアカウントにアクセスしようとした時や、まして、YouTubeのトップページにアクセスしようとした時に、アクセス警告のアラートを出すなどということは、現実的には実現し難いだろう。また、短期間の配信のため、悪質な海賊版サイトとして選定するのにかける時間より先に、サイトが消滅するのではないかという疑いもある。<br />
したがって、このような種類の海賊版サイトに「アクセス警告方式」を用いるのは困難であろうし、この方式を有効に用いることができるかについては、議論の余地がある。<br />
それよりは、現状のYouTubeの規約で、YouTubeの配信動画に海賊版の動画を発見したとしても、著作権者や代理人でなければ著作権侵害として報告できないことにより、海賊版サイトが放置されるのだから、それについて方策を講じる方がはるかにスムースだろう。例えば、著作権者に報告するための窓口を、YouTubeか出版社かのどちらかに設置するなどの手段の方が、現実的ではないだろうか。<br />
そして、「アクセス警告方式」による啓蒙効果だが、資料(総務省から公開された資料の「別紙1」)で示されるアラートで、ユーザーが即座に著作権を重んじるようになり、海賊版サイトの利用について罪悪感を抱くようになるというのは、いささか安直ではないかとも考える。<br />
それよりは、例えば、デザイン・クリエイティブ業界向けの雑誌や書籍のように、海賊版サイトユーザーの中心層が読む漫画雑誌等に著作権についてテーマにした連載や特集を設け、上記のアラートのように数行のコメントに終わらすことなく、数ページを割いて解説をすることを繰り返すという情報伝達の方が学習効果があるのではないか。さらに言えば、学校教育の中で、著作権について扱うことが学習効果があり啓蒙につながるのではないか。<br />
以上から、「アクセス警告方式」は、違憲の可能性が残る反面、場合によっては用いるのが困難で啓蒙効果もさほども期待できないし、他の手段を検討する方が現実的で望ましいといえる。したがって、「アクセス警告方式」は、海賊版サイトへのアクセスを抑制する手段としては妥当とはいえず、必ずしも「アクセス警告方式」をその手段として用いることに固執する必要はないのであって、他に効果が期待できる手段を模索するべきであるといえる。<br />
<br />
<div style="text-align: right;">
以上</div>
<br />
<br />
<div style="caret-color: rgb(68, 68, 68); color: #444444; font-family: "Times New Roman", Times, FreeSerif, serif; font-size: 14.300000190734863px; text-align: right;">
女子現代メディア文化研究会代表</div>
<div style="caret-color: rgb(68, 68, 68); color: #444444; font-family: "Times New Roman", Times, FreeSerif, serif; font-size: 14.300000190734863px; text-align: right;">
山田久美子</div>
<div>
<br /></div>
女子現代メディア文化研究会http://www.blogger.com/profile/02457331186039494528noreply@blogger.comtag:blogger.com,1999:blog-4067263360902245405.post-3786360247669873762019-04-02T16:48:00.000+09:002019-04-02T16:48:05.445+09:00「児童売買、児童搾取および児童ポルノに関する子どもの権利条約の選択議定書の履行におけるガイドライン案」に対する意見<br />
<b>【意見趣旨】</b><br />
<br />
<br />
[意見の趣旨1]<br />
61項について。「児童売買、児童搾取および児童ポルノに関する子どもの権利条約の選択議定書」第2条(C)の定義を拡大し、「児童ポルノ」に素描や漫画による架空の児童の表現を含めることに反対します。<br />
62 項について。法律で禁止する「児童への性的虐待素材」に非実在児童の表現を含めることに反対します。<br />
<br />
[意見の趣旨2]<br />
102 項について。性的被害を受けた実在の子どもたちを保護し援助する枠組み作りに賛成です。 そしてこの枠組みは、個人だけでなく、商業、政府、そして非政府組織によるあらゆる搾取から子どもを守らなければなりません。<br />
<br />
<br />
<br />
<b>【意見の理由】</b><br />
<br />
[意見の趣旨1の理由]<br />
( A)素描や漫画、その他で表現された架空の児童・非実在児童に対する性的虐待は、現実の人権侵害ではなく、児童の権利擁護としての意味がないからです。<br />
( B)現在の日本の漫画には性的虐待やレイプを含む表現がありますが、それらは作家による想像の産物であり、実際に児童への性的虐待を行ってその行為を記録するようなとは違法です。漫画は架空の表現であるからこそ現実の児童の性的虐待を考える材料として用いることも可能です。こうした作品の禁止は、市民の考える機会を奪うものです。<br />
<br />
[意見の趣旨2の理由]<br />
(A)児童への性的虐待が随所で発生していることは確かであり、実在する被害児童の保護・救済は喫緊の課題だからです。そしてその加害者は、個人のみならずNGOや国連事業であることすらありえます。<br />
( B)漫画等の架空の児童への性的虐待の取り締まりに尽力し、本来、保護・救済されるべき実在する児童を放置しないよう求めるからです。<br />
<br />
<br />
<br />
<b>【 背 景 】</b><br />
<br />
[意見の趣旨1について]<br />
私どもは、児童の権利擁護については大いに賛同します。しかしながら、「児童ポルノ」の定義に架空の児童の表現を含めること、法律で禁止する「児童への性的虐待素材」に非実在児童の表現を含めることについては反対します。<br />
なぜなら、架空の児童・非実在児童には人権がなく、児童の権利擁護としての意味がないからです。<br />
日本の漫画には、架空の児童・非実在児童への性的虐待やレイプの表現を含む作品があります。その中には、性的虐待の問題を考える上でのテクストとしての価値も持つ作品が含まれ、「風と木の詩」(竹宮惠子・作)、「BANANAFISH」(吉田秋生・作)等が該当します。「BANANA FISH」は昨年アニメーション化もされています。主人公の少年が「児童ポルノ」のビデオに出演している描写がありますが、その過去に苦しみながらも生きようとするという物語です。こうした作品が絶版となれば、児童が性的虐待の問題について考える機会を奪われることにもなり、「児童の権利に関する条約」において締結国に奨励している「児童が多様な情報源からの情報及び資料を利用し得ることを確保する」という条文にも反します。<br />
<br />
[意見の趣旨2について]<br />
児童の性的虐待被害が世界の多数の国で発生することは疑いがありません。しかし、その加害主体が常に分かりやすい悪人とは限られず、A/71/818 文書(http: //undocs. org/A/71/818)で示されるように、例えば国連職員が加害者であることすらありえます。<br />
国連職員が加害の主体となる児童への性的虐待は、国連職員が立場を利用し、児童の弱い立場につけこんでいる点で、構造的な問題を含みます。権力者からの被害児童の保護という観点は重要であり、いかなる立場の人物からの性的虐待であっても被害児童が救済される相談窓口を早急に設け、たとえ加害者が政府要因や国連職員であっても児童の救済につなげられる枠組み作りを行う必要があります。<br />
漫画等における架空の児童への性的虐待の取り締まりに尽力することの問題点は、そうした本来守るべき被害児童が放置され、本来救済されるべき実在する児童のために充てられるはずだった労力が奪われることでもあります。<br />
<br />
<br />
<br />
<b>【 結 論 】</b><br />
<br />
この度のガイドライン草案における「児童ポルノ」の定義の拡大は、児童の権利擁護にとって意味がないばかりか、児童から失われる利益が大きく、児童の権利擁護の手段として妥当ではありません。そして、今や権威ある人々による児童への性的虐待こそが看過できない状況となっており、漫画等の架空の表現に責任を転嫁することなく、現実の人権侵害に向き合う必要があります。<br />
どういった対象であれ、権利の保障を行う際には、その目的を達成する手段は確実な効果が見込まれ、なおかつ、それぞれの国の実情に適っていなければ意味がありません。<br />
日本の、とりわけ漫画等の創作物については、しばしば「権利の保障」を目的とした、手段としては妥当とはいえない不当な規制を求められています(※補足資料)。しかし、日本の実情に合わせ不当な規制を行わないことこそが、我が国の児童の権利擁護につながると、私どもは考えております。<br />
<br />
<div style="text-align: right;">
<br /></div>
<div style="text-align: right;">
以上</div>
<div style="text-align: right;">
女子現代メディア文化研究会代表 デザイナー・アートディレクター</div>
<div style="text-align: right;">
山田久美子</div>
<br />
<br />
<br />
<br />
[※補足資料]<br />
<br />
<a href="https://www.blogger.com/goog_878692182">「~国連女子差別撤廃委員会、「日本における女性の権利」保障~議題「性的暴力を描写したビデオや漫画の販売の禁止」についての意見書」</a><br />
<a href="http://wmc-jpn.blogspot.com/2016/02/blog-post.html">http://wmc-jpn.blogspot.com/2016/02/blog-post.html</a><br />
<span style="font-size: x-small;"><br /></span>
<span style="font-size: x-small;">※国連子どもの権利委員会に提出したパブリックコメントにはリンク先意見書の本文を掲載しましたが、当サイトでは同じ意見書を繰り返し掲載することとなりますので、ここでは割愛しURLのみ掲載いたします。</span><br />
<br />
<br />
<br />
・<a href="http://www.wmc-jpn.com/archive/resume190330.pdf" target="_blank"><span style="font-size: 15px;">「児童売買、児童搾取および児童ポルノに関する子どもの権利条約の</span>選択議定書の履行におけるガイドライン案」に対する意見(PDF版279KB)</a><br />
<div style="color: #2f201b; font-family: Helvetica; font-size: 10px; font-stretch: normal; line-height: normal;">
</div>
<div style="color: #2f201b; font-family: Helvetica; font-size: 10px; font-stretch: normal; line-height: normal;">
<br /></div>
<div style="color: #2f201b; font-family: Helvetica; font-size: 10px; font-stretch: normal; line-height: normal;">
<br /></div>
女子現代メディア文化研究会http://www.blogger.com/profile/02457331186039494528noreply@blogger.comtag:blogger.com,1999:blog-4067263360902245405.post-6392372278616784802019-04-02T16:46:00.000+09:002019-04-02T16:46:18.844+09:00Comments on “DRAFT Guidelines on the Implementation of the Optional Protocol to the Convention on the Rights of the Child on the Sale of Children, Child Prostitution, and Child Pornography”<div style="font-family: "Times New Roman"; font-stretch: normal; line-height: normal;">
<b>The Arguments:</b><br />
<br />
<div style="font-family: -webkit-standard;">
1. </div>
<div style="font-family: -webkit-standard;">
In Article 61, we oppose the stretched definition from Article 2 of OPSC, and also oppose including fictional child representations, such as drawings, cartoons, and written materials into the definition. </div>
<div style="font-family: -webkit-standard;">
In Article 62, we oppose labeling representations of non-existing children as child sexual abuse material and also oppose it by prohibitive legislation. </div>
<div style="font-family: -webkit-standard;">
<br /></div>
<div style="font-family: -webkit-standard;">
</div>
<div style="font-family: -webkit-standard;">
2. </div>
<div style="font-family: -webkit-standard;">
In Article 102, we agree to protect and assist sexually victimized children. The framework must defend an existing child from any exploitational bodies, not only by individuals but also commercial, governmental, and non-governmental bodies.</div>
</div>
<div style="font-family: "Times New Roman"; font-stretch: normal; line-height: normal;">
<ol>
</ol>
</div>
<br />
<div style="font-family: "Times New Roman"; font-stretch: normal; line-height: normal; margin-left: 21px; min-height: 12px;">
<br /></div>
<div style="font-family: "Times New Roman"; font-stretch: normal; line-height: normal;">
<b>Reasons for Arguments:</b><br />
<br />
<div style="font-family: -webkit-standard;">
1-A) </div>
<div style="font-family: -webkit-standard;">
Drawings, cartoons, written materials, or any other forms of expression that does not directly </div>
<div style="font-family: -webkit-standard;">
infringe any existing individual human rights, even if depicting fictional children engaged in any fictional sexual activities. Banning imaginary representation is not equal to the protective action of human rights. </div>
<div style="font-family: -webkit-standard;">
<br /></div>
<div style="font-family: -webkit-standard;">
1-B)</div>
<div style="font-family: -webkit-standard;">
It is a fact that there are several manga titles that depict sexual abuses and rapes, however, they are represented by the imagination of an author, without a record of existing child abuse, which is a criminal offense. Manga is a form of fictional representation, which provides this artform with the potential to represent materials to consider existing child sexual abuses. </div>
<div style="font-family: -webkit-standard;">
<br /></div>
<div style="font-family: -webkit-standard;">
</div>
<div style="font-family: -webkit-standard;">
2-A) </div>
<div style="font-family: -webkit-standard;">
The inevitable truth is that child sexual abuse occurs in many places, and the protection and support of victimized children is our zero-tolerance task. It should also be noted that existing child molesters are not only nameless individuals but also NGO members and even UN staff. </div>
<div style="font-family: -webkit-standard;">
<br /></div>
<div style="font-family: -webkit-standard;">
2-B) </div>
<div style="font-family: -webkit-standard;">
We request everyone to save and protect our children from existing harms, and we also request not to try to save imaginary non-existing children from fictional child abuse.</div>
</div>
<ul>
</ul>
<div style="font-family: "Times New Roman"; font-stretch: normal; line-height: normal; margin-left: 42px; min-height: 12px;">
<br /></div>
<div style="font-family: "Times New Roman"; font-stretch: normal; line-height: normal; min-height: 12px;">
<br /></div>
<div style="font-family: "Times New Roman"; font-stretch: normal; line-height: normal;">
<b>Background:</b><br />
<b><br /></b>
<div style="font-family: -webkit-standard;">
1. </div>
<div style="font-family: -webkit-standard;">
We strongly support the idea of protecting the human rights of all children. However, we oppose including fictional representations of children into the definition of "child pornography", and we also oppose including any non-existing childlike representation into the definition of "child sexual abuse materials". This is because fictional representations and non-existing childlike representations do not have individual or group human rights to be saved. </div>
<div style="font-family: -webkit-standard;">
There are manga titles which depict child sexual abuse and rape that are based on imagination and they are non-existing fictional children. Not a small number of these works, such as "Kaze to Ki no Uta" by Keiko Takemiya and "Banana Fish" by Akimi Yoshida, may have critical social value that considers what real sexual abuse is. </div>
<div style="font-family: -webkit-standard;">
Especially, "Banana Fish", which was adapted into a television series in 2018, and depicts the protagonist as a sex slave who is victimized during filming. Its story emphasizes the struggle to survive through his suffering. These narratives are also put in danger by the change and stretch of definition to this fictional area. It may also deprive the rights of children to think about and/or discuss sexual abuse problems and may also conflict with the Convention on the Rights of the Child, Article 17, which encourages international cooperation of cultural diversity. </div>
<div style="font-family: -webkit-standard;">
<br /></div>
<div style="font-family: -webkit-standard;">
2. </div>
<div style="font-family: -webkit-standard;">
There is no doubt that child sexual abuse occurs all over the world. However, the perpetrators are not always typical criminals. According to A/71/818 (http://undocs.org/A/71/818) and related documents, even United Nations officers can be an exploitation body. The exploitation of children by socially powerful people is an abuse of power and these injustices reflect social and structural problems. The protection of exploited children from powerful people is critical. Children should be rescued from any sexual abuse, by any person, including all authorities. A protective framework for victimized children by any persons, such as government officers or UN officials is needed. </div>
<div style="font-family: -webkit-standard;">
Political control over the representation of fictional children and imaginary child abuses may be a distraction of attention to protecting victimized children and misuse of our efforts and resources which should be used to save our existing children.</div>
</div>
<div style="font-family: "Times New Roman"; font-stretch: normal; line-height: normal; margin-left: 21px; min-height: 12px;">
<br /></div>
<div style="font-family: "Times New Roman"; font-stretch: normal; line-height: normal; min-height: 12px;">
<br /></div>
<div style="font-family: "Times New Roman"; font-stretch: normal; line-height: normal;">
<b>Conclusion</b></div>
<div style="font-family: "Times New Roman"; font-stretch: normal; line-height: normal;">
<b><br /></b></div>
<div style="font-family: "Times New Roman"; font-stretch: normal; line-height: normal;">
<div style="font-family: -webkit-standard;">
The extended definition of child pornography in the draft guidelines does not function for protecting the rights of existing children. Furthermore, it may deprive children of social benefit and is not reasonable for child rights protection. Considering the recent UN case above, where actual child sexual abuses were perpetrated by members of an international power, imaginary fiction is not appropriately placed by being at the front of these rights issues. It is critical to face real existing human rights violations without transferring responsibility to non-existing fictional expressions. </div>
<div style="font-family: -webkit-standard;">
To guarantee any rights by the states, it does not matter who the targets are; all actions should be achievable, effective, and acceptable to all people of each country. Often, political action against manga and other imagination-based representations apply pressure to comply with unfair regulations that are camouflaged as "Rights Protection" (Appendix). Therefore, true rights protection must also apply to manga to eliminate the unfair suppression of imagination and to protect our children's rights. </div>
<div style="font-family: -webkit-standard;">
<br /></div>
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</div>
<div style="font-family: -webkit-standard;">
Sincerely, </div>
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<br /></div>
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<br /></div>
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</div>
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</div>
<div style="font-family: -webkit-standard;">
March 30, 2019 </div>
<div style="font-family: -webkit-standard;">
<br /></div>
<div style="font-family: -webkit-standard;">
</div>
<div style="font-family: -webkit-standard;">
Kumiko Yamada </div>
<div style="font-family: -webkit-standard;">
Representative Director of Women's Institute of Contemporary Media Culture/Designer/Art Director</div>
</div>
<div style="font-family: "Times New Roman"; font-stretch: normal; line-height: normal;">
<br />
<br /></div>
<div style="font-family: "Times New Roman"; font-size: 11px; font-stretch: normal; line-height: normal;">
<br /></div>
<div style="font-family: "Times New Roman"; font-size: 11px; font-stretch: normal; line-height: normal;">
<br /></div>
<div style="font-family: "Times New Roman"; font-size: 11px; font-stretch: normal; line-height: normal;">
[Appendix]<br />
<a href="http://wmc-jpn.blogspot.com/2016/03/in-english.html" target="_blank">Memorandum on "Protecting Women's Rights in Japan" by the United Nations Committee on the Elimination of Discrimination against Women, particularly the section that recommends prohibiting of the sale of video games or manga depicting sexual violence</a></div>
<div>
<span style="font-size: xx-small;"><a href="http://wmc-jpn.blogspot.com/2016/03/in-english.html">http://wmc-jpn.blogspot.com/2016/03/in-english.html</a></span></div>
<div>
<span style="font-size: xx-small;"><br /></span>
<span style="font-size: xx-small;"><br /></span></div>
<div>
<div style="font-family: "Times New Roman"; font-size: 11px; font-stretch: normal; line-height: normal;">
<a href="http://wmc-jpn.com/archive/Comments_on_UN_guideline_wmcjpn0330.docx" target="_blank">*<span style="font-family: "times new roman";">Comments on “DRAFT Guidelines on the Implementation of the Optional Protocol to the Convention on the Rights of the Child on the Sale of Children, Child Prostitution, and Child Pornography”<br />
</span></a><span style="font-family: "times new roman";"><a href="http://wmc-jpn.com/archive/Comments_on_UN_guideline_wmcjpn0330.docx" target="_blank">(Word ver. 37KB)</a></span></div>
<div>
<b style="font-family: "Times New Roman"; font-size: 11px;"><br /></b></div>
<div style="font-family: "Times New Roman"; font-size: 11px; font-stretch: normal; line-height: normal;">
<br /></div>
</div>
女子現代メディア文化研究会http://www.blogger.com/profile/02457331186039494528noreply@blogger.comtag:blogger.com,1999:blog-4067263360902245405.post-27901036994975647832019-01-07T06:19:00.000+09:002019-01-07T06:19:02.279+09:00文化庁著作権課にパブリックコメントを提出しました文化庁著作権課からパブリックコメントの募集がありましたので(http://search.e-gov.go.jp/servlet/Public?CLASSNAME=PCMMSTDETAIL&id=185001021&Mode=0)、インターネット上の静止画ダウンロード違法化案について白紙撤回を求める意見としてまとめ、本年1月5日に提出させていただきました。意見部分を掲載いたします。<br />
<br />
なお、意見は2000字以内とのことでした。ライセンスビジネスに関わるクリエイターの実務の現状をお伝えするには、2000字では足りず、内容は圧縮せざるを得ませんでした。そのため、読みづらい部分もあろうかとは存じますが、恐れ入りますがご容赦いただけると幸いです。<br />
<br />
<br />
<b>【意見】</b><br />
<br />
インターネット上の静止画ダウンロード違法化案は白紙に戻すべきである。<br />
当会代表の山田は現役のデザイナー・アートディレクターである。専門分野は漫画・アニメ等のキャラクターグッズデザインで、ライセンスビジネスに関わる。この立場からの意見を申しあげる。<br />
私どものビジネスはイメージを扱うのであって、イメージに傷がつくこと自体が損害である。したがって、罰則の有無に関わらず、第三者から違法行為の疑いをかけられるだけでもビジネス上の損失となり得る。<br />
そうした中、私どものような立場の者が業務上必要に迫られ版権元の著作物を入手する例を、ビジネスの部外者が、正当性を欠く行為と区別できる確証がないことにより生じる問題がある。<br />
私のような立場の者は、業務のため常に版権元の支給キャラクターイラストや背景画像等(専門的には「アート」と呼ばれる。以下「アート」と呼称。なおアートによっては漫画やコミックの書籍の画像そのものも含まれ、専門的には「コミックアート」と呼ばれる。以下「コミックアート」と呼称)を共有している。私どものビジネスで、あるプロジェクトでキャラクターグッズを作るという際には、製造工場に至るまでプロジェクトに関わる版権元以外のクリエイターや企業が、アートが配置された入稿(版下)データを含め、そのようにアートを共有する。そもそもライセンスビジネスには、版権元にライセンス料支払われメーカーがグッズを制作するビジネスモデルもある。<br />
このように、ライセンスビジネス業界において版権元の企業は、制作会社や製造工場までを必ずしも傘下とせず外部の企業に頼っている現状がある。かつ、このビジネスに関わるクリエイターおよび企業には守秘義務が課せられるわけで、部外者はそのプロジェクトの内部を公開が許諾された僅かの範囲でしか知ることはない。<br />
この状況で、ビジネスの部外者が、版権元以外の私どものような立場の者が共有する「コミックアート」について、海賊版の画像と区別をつけられるのか甚だ疑問である。<br />
私は今、日本の弁護士が漫画海賊版サイトの運営者を特定するということを実現しているにもかかわらず、文化庁の資料のように「コンテンツの削除要請すらできない」と、エビデンスを無視し、思い込み激しく主張しているのを目の当たりにしている。他にも運営者特定を行う動きがあるわけで、そのような認識は大きな誤謬を含む。こうした例を鑑みた時、業務上正当な理由で支給された「コミックアート」について、捜査機関であれビジネスの部外者から漫画海賊版サイトの画像であるとの誹りを受ける可能性は免れず、第三者に違法行為をしていると言い騒がれてしまった場合には、イメージダウンが生じビジネスにとって大きな損害となる。<br />
そして、ダウンロード違法化の対象とする静止画の範囲が拡大されるとなれば、企画書や商品カンプ制作を業務に含むクリエイティブ業界のビジネスは遂行が困難になることも考えられる。業務上止むを得ずインターネット上の静止画ををダウンロードしたとして、第三者に不正な行為をしているとの誹りを受ける可能性は免れないわけだが、だからといって、そうした画像のダウンロードなしでは、この業界の業務が成り立つわけもない。<br />
デザインには流行がある。ある種のデザイン(例えば「マリンルック」のような一定の型)に「寄せる」ことは、そもそも宿命である。とはいえ、他社のものにあまりに寄せすぎないようにするためにも、同業他社の商品画像をインターネット上からダウンロードして収集し、資料にすることはしばしばある。これは、権利侵害を引き起こさず、かつ、業務を円滑に遂行するための止むを得ない慣習となっている。<br />
また、グッズデザインに話を戻せば、アートのデータによっては色がCMYKかRGBで、PANTONE等の特色の指定がされておらず、グッズ製造に適さない状態となっているため、新たに特色指定をすることもある。ディズニー等のグッズ制作の歴史が長いキャラクターコンテンツのアートでは特色の指定がされているが、新しく参入してきた漫画やアニメのアートは、特色の指定がされていない例がまだまだある。こうした際、キャラクターの同一性保持のため同じキャラクターのグッズを制作する同業他社の商品で使用している色を参考にしなければならず、画像をダウンロードして収集し、特色指定の資料にすることもある。<br />
以上のように、私どものようにライセンスビジネスに関わっていれば、コミックアートを共有し、インターネット上からダウンロードした画像を保有することになる例がある。業務遂行上、逃れようがない正当な行為ではあるが、同時に、不当な違法行為をしているとの誹りを受ける爆弾を抱えることにもなる。<br />
したがって、すべての混乱の原因となるダウンロード違法化はせず、白紙撤回することを求める。<br />
<br />
<div style="text-align: right;">
以上</div>
<div style="text-align: right;">
<br /></div>
<div style="text-align: right;">
女子現代メディア文化研究会</div>
<div style="text-align: right;">
代表 山田久美子</div>
女子現代メディア文化研究会http://www.blogger.com/profile/02457331186039494528noreply@blogger.comtag:blogger.com,1999:blog-4067263360902245405.post-32146221225212336152018-10-30T23:08:00.001+09:002018-10-30T23:08:27.392+09:00静止画のダウンロード違法化に反対する声明<b><br /></b>
<b>
【はじめに】</b><br />
<br />
本日10月30日に、文化庁が、インターネット上の静止画のダウンロードを違法化する著作権法改正のための検討を始めたとの報道がありました(※注1)。来月にも具体的な制度設計に入る予定とのことです。<br />
この「静止画のダウンロード違法化」については、漫画海賊版サイトのブロッキング問題を扱う政府の会議においても、検討事項として掲げられて来ました(※注2)。<br />
女子現代メディア文化研究会(以下「当会」)代表の山田は、現役のデザイナー、アートディレクターです。そうしたクリエイティブの現場に立つ者としても、この「静止画のダウンロード違法化」には予てより疑問を持っており、この度は、反対声明を発表させていただく運びといたしました。<br />
<br />
<br />
<b>【漫画海賊版サイトへの対策を巡る会議の経過について】</b><br />
<br />
漫画海賊版サイトへの対策を巡っては、政府において会議が継続しております。対策案としてブロッキングを含むという本年4月の報道以降(※注3)は特に注視しておりますが、内容は法治国家の体を揺るがしかねない杜撰の極みとなっております。内閣府の会議では、委員の法律家等から非常に丁寧で解りやすい資料が、せっかく提出されているにもかかわらず、違法性阻却事由としての「緊急避難」を成立させる要件についての理解が進まないまま、一部の委員が感覚的な判断により結論を急ごうとしております。<br />
本年10月には、日本の弁護士が漫画海賊版サイトの運営者を特定するということも実現しております。ブロッキングの他に実効的な手段が存在しないか事実上困難であるかどうかの検証対象としては、適していると考えて妥当でありそうなものですが、政府の会議の傍聴人からは、こうした取り組みが見過ごされたままであるとの証言も得ています。<br />
<br />
<br />
<br />
<b>【意見趣旨】</b><br />
<br />
こうした政府の会議に付随し始まったとされる「静止画のダウンロード違法化」の検討なのだから、文化庁の会議もまた、立法を検討する会議であるにもかかわらず、感覚的な判断により結論を急ぐこととなりかねない。そうした面もふまえ、静止画のダウンロード違法化に反対する。<br />
<br />
<br />
<b>【意見の理由】</b><br />
<br />
「海賊版だと知りながら」(静止画を)ダウンロードしたということの証明が可能であるかについても疑問がある中で、企画書や商品カンプ制作の際、業務上止むを得ず、インターネット上の画像をダウンロードし収集せざるを得ないシーンは、デザイン業を始めとしクリエイティブ業界においては尽きない現状となっており、「静止画のダウンロード違法化」となればクリエイティブ業界の業務は遂行が極めて困難になることが予想されるからである。<br />
<br />
<br />
<b>【理由の詳細】</b><br />
<br />
当会代表の山田(以下「私」)の、デザイン業を生業としインターネット上の静止画を扱う実務者としての実例を掲げつつ、述べさせていただきます。<br />
私は生業としてグッズやグラフィックなどのデザイン、アートディレクションを行なっており、業務によってはアパレルのジャンルにも及びます。<br />
デザインには流行があります。デザインは流行を取り入れて行うシーンがあり、特にアパレルに関われば、そのシーズンの流行色や流行の様式(例えば「○○ルック」あるいは「○○年代風」といったような)を取り入れながら競うことになります。このことから解るように、デザインは、ある種のデザインに「寄せる」ことは宿命です。<br />
とはいえ、他社様のものとあまりに近くなりすぎたり、完全に一致してしまうデザインについては権利侵害を含む問題があり、訴訟となり得ます。そういった事態が起こらないようにするためにも、他社様の商品画像をインターネット上からダウンロードして収集し、資料にすることはしばしばあります。そうした例に限らず、インターネット上の画像をダウンロードして資料にすることは、現在は、権利侵害を引き起こさず、なおかつ、業務を円滑に遂行するための、止むを得ない慣習となっております。<br />
このように、業界内で認められている範囲での静止画のダウンロードであれば、商業上特段に問題にはなりません。問題が起こるとすれば、業界のこうした現場を知らない第三者が正義感に捉われ不必要な介入をしてきた時であるといえましょう。<br />
インターネット上で、資料作成等のための静止画を探す際は、グーグルなどで「画像検索」して表示し、その中から取捨選択をしていきます。その中に、海賊版の画像があっても気がつかない場合もあります。こういった場合、対象となる画像が海賊版であるのを知らなかったとことの証明は、極めて困難になるのではないでしょうか。<br />
したがって、法改正があれば、業務上必要に迫られて止むを得ずにインターネット上の静止画をダウンロードしたことにより、罪に問われるクリエイターが続出する結果となるのではないでしょうか。<br />
業界の実務の現場を知らず理解しようともしない第三者は「招かれざる客」であるということです。<br />
<br />
<br />
<b>【まとめ】</b><br />
<br />
報道では、インターネット上の静止画のダウンロード違法化については、来月にも具体的な制度設計に入る予定であるとのことです。これによって影響を受けるのは、私のようなデザインを生業とするクリエイティブ業界の人々であるのは明白でありますが、それに止まらないと考えます。クリエイターのみならず、他の業界の営業職の方もプレゼン資料を作成する機会があります。こうしたプレゼン資料にインターネット上の静止画を用いる例はあるのではないでしょうか。漫画海賊版サイトへの対策として始まったこの度の検討ですが、もはや、それを逸脱しており、資料を作る業務を伴う職種全体への影響は、免れないのではないかと考えます。<br />
私のような立場の、連日、業務を遂行し現場で汗を流すクリエイターの元には、すでに、来月にも具体的な制度設計をする予定であるとのことは、報道があるまで全く伝わって来はしませんでした。私も、デザイナー、アートディレクターとして著作物を持つ身ですが、文化庁までもが、私のような立場の者をまさに軽んじ蔑ろにする態度です。我が国の文化を生み出してきたクリエイティブ業界の実務の現場を守りたいと願えばこそ、政府の的外れな法改正には反対する次第です。<br />
<br />
<br />
<div style="text-align: right;">
以上</div>
<div style="text-align: right;">
<br /></div>
<div style="text-align: right;">
女子現代メディア文化研究会</div>
<div style="text-align: right;">
代表 山田久美子</div>
<br />
<br />
[注]<br />
<br />
<span style="font-size: x-small;">※注1:「海賊版漫画、ダウンロード違法に? 静止画も対象に、法改正検討」(10月30日 朝日新聞)</span><br />
<span style="font-size: x-small;">※注2:「インターネット上の海賊版対策に関する検討会議」(第6回)中間まとめ骨子(案)等に記述あり)</span><br />
<span style="font-size: x-small;">※注3:本年4月6日の毎日新聞の第一報、「政府(犯罪対策閣僚会議と知的財産戦略本部)がプロバイダ(ISP)に、「漫画村」等の海賊版サイトをブロッキングするよう要請する調整に入った」という記事</span><br />
<br />
<br />
<span style="font-size: x-small;"><a href="http://wmc-jpn.com/archive/resume181030.pdf" target="_blank">「静止画のダウンロード違法化に反対する声明」(PDF版426kb)</a></span>女子現代メディア文化研究会http://www.blogger.com/profile/02457331186039494528noreply@blogger.comtag:blogger.com,1999:blog-4067263360902245405.post-44151953254030272892018-03-19T05:49:00.001+09:002018-03-28T18:27:26.156+09:00「迷惑防止条例」改正案に反対する意見書<br />
<b>【はじめに】</b><br />
<br />
本年2月21日からの東京都議会定例会に、警視庁から、「公衆に著しく迷惑をかける暴力的不良行為等の防止に関する条例」(以下「迷惑防止条例」)改正案が提出されました。この条例案は3月22日採決、3月末の本会議で成立の見通しとなっています。<br />
この度の「迷惑防止条例」改正案においては、つきまとい行為における「行為類型」の追加や、つきまとい行為における罰則の強化が含まれております。これらには、表現の自由に関わり民主主義の根幹を揺るがしかねない内容も含まれており、看過しがたいと考えます。<br />
「迷惑防止条例」を作成した目的は、本来、「公衆に著しく迷惑をかける暴力的不良行為等を防止し、もつて都民生活の平穏を保持すること」(第1条)です。この度の「迷惑防止条例」改正案は、そうした目的から逸脱した内容となっているのではないかという危惧があります。<br />
つきましては、この度の「迷惑防止条例」改正案に反対し、意見を述べさせていただきたく存じます。<br />
<br />
<br />
<br />
<b>【意見趣旨】</b><br />
<br />
以下に述べる意見から、この度の「迷惑防止条例」改正案について、廃案を求める。<br />
<br />
[ 意見1 ]<br />
「条例案の概要」(※1)、「3 つきまとい行為等の行為類型の追加(第5条の2)」の、「(1) 規制対象となる行為類型の追加」おいて、内、「名誉を害する事項を告げること」は、追加の必要なし。<br />
<br />
[ 意見2 ]<br />
「条例案の概要」、「3 つきまとい行為等の行為類型の追加(第5条の2)」の、「(1) 規制対象となる行為類型の追加」おいて、内、「性的羞恥心を害する事項を告げること」は、追加の必要なし。<br />
<br />
[ 意見3 ]<br />
「条例案の概要」、「3 つきまとい行為等の行為類型の追加(第5条の2)」の、「(2)行為類型の一部追加」おいて、内、現行の1号の規定に加え、「みだりにうろつくこと」は、追加の必要なし。<br />
<br />
[ 意見4 ]<br />
「条例案の概要」、「3 つきまとい行為等の行為類型の追加(第5条の2)」の、「(2) 行為類型の一部追加」おいて、内、現行の3号(連続電話等)の規定に加え、「SNS等への連続送信」は、追加の必要なし。<br />
<br />
[ 意見5 ]<br />
「罰則(第8条関係)」は慎重な検証が必要。<br />
<br />
<br />
<br />
<b>【意見趣旨の理由】</b><br />
<br />
[(1)について]<br />
「名誉を害する事項を告げること」は刑法上の「名誉毀損罪」での取り締まりが充分可能であり、あえて「迷惑防止条例」の取り締まり対象に加える必要がないからです。<br />
また、「名誉毀損罪」は親告罪で告訴がなければ処罰ができない一方で、「迷惑防止条例」は非親告罪であり、捜査機関の判断で逮捕や処罰が可能となります。「名誉を害する」とする事柄について恣意的な解釈が可能であり、条例の運用によっては濫用につながる恐れがあることも理由です。<br />
<br />
[(2)について]<br />
迷惑防止条例が非親告罪であるという中で、「性的羞恥心を害する事項」という文言については主観性に頼らざるを得ず、捜査機関の主観的かつ一方的な解釈が可能であり、条例の運用によっては濫用につながる恐れがあるからです。<br />
<br />
[(3)について]<br />
「みだりにうろつく」という曖昧な文言の捜査機関による恣意的な判断により、議員の方の選挙に関わる活動やビラ配りをはじめとし、政治に関わるあらゆる活動、デモ等が、取り締まり対象とされる恐れがあるからです。<br />
<br />
[(4)について]<br />
SNSの場合、例えばツイッターに連続投稿をした内容について、第5条の2で禁止される「正当な理由なく、専ら、特定の者に対するねたみ、恨みその他の悪意の感情を充足する目的」での行為に何が該当するのか判断するのは捜査機関であり、条例の恣意的な運用が可能になるからです。<br />
また、不特定多数の対象に向かってSNSで発信する行為と、特定の人物に対し(拒まれたにも関わらず)連続電話を行うという行為は、コミュニケーションの質的な隔たりがあり、迷惑防止条例上の同列の迷惑行為として扱うことに、甚だ疑問が残ります。<br />
<br />
[(5)について]<br />
罪に対し適切な罰則であるか否かの検証は必要である一方、罰則を強めることによって必ずしも犯罪が減少することにはならないわけで、罰則の強化については識者を交えた慎重な検証や議論が必要で、拙速な判断は避けるべきだからです。<br />
<br />
<br />
<br />
<b>【 結 論 】</b><br />
<br />
このように、この度の「迷惑防止条例」改正案につきましては、表現の自由に関わる内容が含まれており、しかも、「名誉毀損罪」と同様の内容を含みながら、刑法上の「名誉毀損罪」では親告罪、他方の「迷惑防止条例」では非親告罪といった、制度的に大きな誤謬を含みます。<br />
まして、選挙や政治活動に関わる活動について、捜査権の濫用によって不当に規制がなされる恐れがあっては、我が国の先人達が歴史を重ねてせっかく得て来た民主主義にとっても脅威となります。<br />
念のため言えば、3月19日現在、この度の「迷惑防止条例」改正案は、警視庁のWebサイトにて「条例案の概要」のみが拝見できるだけで、完全に条文化された改正案として公開がされているわけでもありません。都民によって条文の厳密な文言の確認ができる状態にもなく、それにもかかわらず3月末の条例成立を目指しているとなれば、本来必要であったはずの都民による条例の理解・議論が充分にできているとは言いがたく、あまりに拙速と判断せざるを得ません。<br />
したがって、表現の自由の観点、また、民主主義の健全な発展を願う立場から、この度の「迷惑防止条例」改正案につきましては、廃案としていただきたく存じます。<br />
<br />
<br />
<div style="text-align: right;">
以上</div>
<div style="text-align: right;">
<br /></div>
<div style="text-align: right;">
女子現代メディア文化研究会</div>
<div style="text-align: right;">
代表 山田久美子</div>
<br />
<br />
<br />
<span style="font-size: small;">[注]</span><br />
<span style="font-size: x-small;">※1:「条例案の概要」(http://www.keishicho.metro.tokyo.jp/kurashi/higai/meibou_comment.files/meibou_an.pdf)</span><br />
<span style="font-size: x-small;"> </span><br />
<span style="font-size: x-small;"><a href="http://www.wmc-jpn.com/archive/resume180319.pdf" target="_blank">・「「迷惑防止条例」改正案に反対する意見書 」(PDF版256kb)</a></span><br />
<br />
<span style="font-size: x-small;">※誤字修正しました。失礼いたしました。</span><br />
<span style="font-size: x-small;">「意見の理由」の「(5)について」中、「</span><span style="font-size: x-small;">検証や議論を」→「検証や議論が」(3月28日)</span><br />
<span style="font-size: x-small;"> 末尾文責部分「</span><span style="font-size: x-small;">山田久美子以上」→「</span><span style="font-size: x-small;"><span style="font-size: x-small;">山田久美子</span>」 </span><span style="font-size: x-small;"><span style="font-size: x-small;">(3月28日)</span></span>女子現代メディア文化研究会http://www.blogger.com/profile/02457331186039494528noreply@blogger.comtag:blogger.com,1999:blog-4067263360902245405.post-27791159414903651532018-02-26T05:23:00.000+09:002018-02-26T05:23:00.752+09:00意見書について千葉市からご回答をいただきました本年1月15日に、千葉市宛にお送りしました私どもの意見書について、千葉市こども未来局こども未来部健全育成課(以下「同課」)から、2月9日にメールにてご回答をいただくことができましたのでお知らせいたします。<br />
なお、私どもが千葉市に送らせていただいた意見書は、「千葉市の市内コンビニエンスストア店舗の自主規制に関する「事業」について、廃止を求める意見書」です。<br />
<br />
まず、意見書にご回答をいただけましたことについて、千葉市のこの度のご対応に感謝申しあげます。<br />
<br />
ご回答の内容について要約すると次のようになります。<br />
<ul>
<li>同課としては、事業の内容、経過ともに適切であると考えている</li>
<li>ミニストップ株式会社と千葉市長の共同記者会見は、同社から依頼を受けて開催した</li>
<li>平成29年度予算における同事業の事業費は、執行の見込みがないことから不用額として決算に計上する予定であり、平成30年度は現在のところ取り組みの実施は考えていない</li>
</ul>
私どもがそもそもの問題とした、「事業」をとおしての、行政としての私企業への不適切な関わり方については、意見書で指摘したとおりで、私どもといたしましては不適切であったという考えに変わりはありません。<br />
また、問題の根本には、「事業」は千葉市の立案で進められてきたのであって、千葉市が責任を負っているという部分があります。共同記者会見に限ったことではなく、こういった観点からの「事業」についての言及がなく、残念ながら自らの責任についてどれほど顧みられているのかは不明です。<br />
一方、「成人向け雑誌」を包装する色付きフィルムなどのために使われる予定であった千葉市の税金は、不要額として決算に計上する予定とのことです。意見書で指摘しましたが、ミニストップ社の決定では、販売中止とする「成人向け雑誌」について、各自治体の条例の指定基準を用いることになりました。これにより、千葉市が進めてきた「事業」上で、規制対象となる図書の指定基準に、全国の各自治体の条例の基準を用いる結果となってしまったわけで、宙に浮く形となった税金の使い道についても疑問を呈しておりました。しかしながら、これについては平成30年度の取り組みの実施は見送られる予定とのことで、少なくとも平成30年度中は、従うべき千葉市の条例を逸脱し、千葉市の税金が使われるという運用は免れることになったようです。<br />
<br />
ご回答いただいた千葉市の誠意に感謝申しあげつつ、 今後も、千葉市の取り組みについては、注視していきたいと考えております。<br />
<br />
<br />
<br />
<div style="text-align: right;">
以上<br />
<br />
女子現代メディア文化研究会<br />
代表 山田久美子</div>
女子現代メディア文化研究会http://www.blogger.com/profile/02457331186039494528noreply@blogger.comtag:blogger.com,1999:blog-4067263360902245405.post-87113675348350012412018-01-15T18:04:00.000+09:002018-01-15T18:04:51.278+09:00千葉市の市内コンビニエンスストア店舗の自主規制に関する「事業」について、廃止を求める意見書<b>【はじめに】</b><br />
<br />
2016 年から千葉市の立案により進められてきた、千葉市内のコンビニエンスストアの自主規制に関する「事業」<span style="font-size: x-small;">(※注1)</span>、及び、2017年11月21日に千葉市役所にて行われた記者会見につきまして、行政による私企業への不適切な介在があったと考えます。そこでこの度、私ども女子現代メディア文化研究会(以下「当会」)は、千葉市に意見書をお送りする運びといたしました。<br />
2017年11月21日の記者会見によれば、イオングループ傘下のコンビニエンスストアのミニストップ株式会社(以下「ミニストップ社」)が「成人向け雑誌」の販売中止を決めたとのことです。この記者会見は、千葉市役所にて、ミニストップ社藤本明裕社長と千葉市の熊谷俊人市長が同席して行われました。<br />
これに先立っては、千葉市の立案による「事業」の構想がありました。その「事業」内容は、千葉市内のコンビニエンスストアの店舗で販売する「成人向け雑誌」を、市が定めた色付きフィルムで包装して陳列するという自主規制を進めるものです。この「事業」に関して千葉市からは既に税金から予算がついています。<br />
このような、「事業」の構想から記者会見にいたるまでの千葉市の行政としてのあり方は、民主主義の根幹である憲法第21条「表現の自由」をすれば罷り通ることではありません。<br />
各種クリエイターが活動する産業の裾野は、「表現の自由」が守られていてこそ成り立ちます。そしてこの産業は、男女雇用機会均等法が施行される以前から、女性の諸先輩方が自らの努力を積み重ねて押し広げて来た女性が活躍できる場でもあります。そこで、当会代表の山田も女性のデザイナーとして、やむなくお騒がせする運びとなった次第です。<br />
<br />
<br />
<b>【意見趣旨】</b><br />
<br />
千葉市立案の市内コンビニエンスストア店舗の自主規制に関する「事業」について廃止を求める。<br />
<br />
<br />
<b>【意見の理由】</b><br />
<br />
[ 理由1 ]<br />
千葉市は、市内コンビニエンスストアの自主規制に関する「事業」の実現を模索し、この「事業」上で、この度の決定、すなわち、ミニストップ社の「成人向け雑誌」の販売中止にいたったが、まずこの「事業」の構想こそ「表現の自由」に関わる問題を含んでいたと考えるからである。<br />
<br />
[ 理由2 ]<br />
「表現の自由」の観点からは、ミニストップ社の自主規制を発表するこの度の記者会見には、行政による私企業への不適切な介在があったと言わざるを得ず、この不適切な記者会見を招いた発端は、千葉市の市内コンビニエンスストアの自主規制に関する「事業」にあるからである。<br />
なお、この度の記者会見が、行政の私企業への関わり方として不適切であると考えたのは、次の点による。すなわち、ミニストップ社で販売する図書類の自主規制に関わる場への、以下に見られる千葉市の介在について問題があると考えた。<br />
(ア)この度の自主規制を発表する記者会見の場が千葉市役所である。<br />
(イ)千葉市の熊谷俊人市長が同席している。<br />
<br />
[ 理由3 ]<br />
この度の決定を発端に、ミニストップ社およびコンビニエンスストア各社やその流通に関わる各種クリエイターの表現の萎縮を招く恐れがあるからである。<br />
<br />
<b><br />【意見の詳細】</b><br />
<br />
[理由1・2についての詳細]<br />
私企業が、ブランディングの過程において店舗で販売する商品としての図書を選ぶ、また、自主規制として、ある種類の図書について販売「する・しない」の選別を行うのは、基本的には認められる経営上の自由です<span style="font-size: x-small;">(※注2)</span>。とはいえ、この度のように、ある種類の表現物の発表の機会に関わる場で、行政が「事業」と称して私企業側と直接の対面を繰り返したことについては、「表現の自由」に関わる問題を含んでいたと考えます。実際に、当初予定した以上に過剰な自主規制が生まれてしまいました。<br />
千葉市による当初の「事業」の構想は、市内コンビニエンスストアの店舗で販売する「成人向け雑誌」を、市が定めた色付きフィルムで包装して陳列するという自主規制を進める内容でした。しかし、この「事業」の実現を模索した結果、ミニストップ社のみならず、イオングループすべての全国小売店およそ7,000店が「成人向け雑誌」の販売中止を決定する運びとなりました。この度のミニストップ社およびイオングループの決定は、千葉市が「事業」と称し行政として私企業に不適切に関わってしまった結果、抑圧が生まれ、過剰な自主規制となってしまった例と言えます。<br />
行政は強制力を持っています。法律や条例等に基づいて行使されるとはいえ、適切なプロセスを経て力を行使するのでなければ、私企業は行政に対しあまりに立場が弱いです。したがって、行政が私企業に直接に関わる場面によっては、行政が意図しない部分まで抑圧が生まれる例もあります。この度の例も、それに漏れません。<br />
市内コンビニエンスストアで行う図書の自主規制について、行政が直接にコンビニエンスストア側の担当者に繰り返し対面し模索してきた「事業」ということで、コンビニエンスストア側にとってみれば行政からの抑圧感が生じていた部分はあろうかと存じます。そもそも、この「事業」を進めようと試みるなど、行政として守るべき則を超えていたのではないかということです。<br />
今後危惧されるのは、コンビニエンスストアチェーン各社に対する抑圧です。こうした抑圧が生まれれば、一地方自治体である千葉市のみの問題とはならず、全国のコンビニ各社やその流通に関わる各種クリエイターなどにとっての問題となります。既にイオングループが、すべての全国小売店での自主規制を決めており、各種クリエイターにとっても影響は免れないと危惧をしております。<br />
そして、この「事業」上での決定ではありますが、ミニストップ社のこのような自主規制を発表する記者会見の場が市役所で、同社藤本社長と共に熊谷市長の同席がありました。私企業の経営方針を公表する記者会見が、市役所という行政機関の庁舎で、市長という行政の長と同席して行われ、しかも、その内容が、販売図書の取り扱いの自主規制という、表現物の発表の機会に関わるものであることからすれば、このような会見は、公権力による私企業の経営の自由への介入、さらには出版社等の表現の自由への抑圧を疑われざるを得ない不適切なものです。<br />
行政は私企業の自主決定からは注意深く距離を置くべきで、このような記者会見があってはなりませんでした。<br />
しかし、このような記者会見を招いた発端こそ、先立って模索されて来た千葉市の「事業」にありました。そもそもこうした「事業」を進めようと試みたことが、過ちだったのではないでしょうか。<br />
このように、私企業の自主規制にこの度のような手法で行政が介在すれば、実質的には行政が表現行為に先立って表現に影響を及ぼしてしまうということになりかねないのです。行政は、社会においてどのような権限を持っているかを自覚し、中立すべきところでは中立しその則を超えてはなりません。今すぐにでも、この「事業」を廃止するべきです。<br />
<br />
[理由3についての詳細]<br />
記者会見同日、ミニストップ社からは「ミニストップ千葉市店舗および全店における成人誌取り扱い中止について」が公表され、取り扱い中止とする「成人向け雑誌」<span style="font-size: x-small;">(※注3)</span>の定義もなされましたが、これは複雑な内容となっています。特に「類似する雑誌類」<span style="font-size: x-small;">(※注4)</span>の範疇はどこまで及ぶものとするのかということについて疑問が残り、説明を要します。しかしながら、ミニストップ社からは補足説明はなく、販売中止とする「成人向け雑誌」の定義について曖昧性が払拭されないままです。<br />
しかも、この度の決定は、千葉市が立案し模索してきた、市内コンビニエンスストアの自主規制に関わる「事業」上での決定です<span style="font-size: x-small;">(※注5)</span>。この点につきましては、条例に関わる千葉市の行政としての立場上の問題も、疑問として残ります。<br />
「成人向け雑誌」は「(社)日本フランチャイズチェーン協会の自主基準(ガイドライン)より抜粋」し、下の2 項と定義がされましたが、このガイドラインの「類似する雑誌類」の範疇は複雑に広がっています。<br />
以下が定義された2 項です。<br />
<ol>
<li>各都道府県の指定図書類及び出版倫理協議会の標示図書類は取り扱わない。 </li>
<li>それ以外の雑誌については、各都道府県青少年保護育成条例で定められた未成年者(18 歳未満者)への 販売・閲覧等の禁止に該当する雑誌及びそれらに類似する雑誌類を「成人誌」と呼称する。</li>
</ol>
各自治体の条例は異なるので、図書指定の方法や内容もまた異なります。よって、「2」で言う「類似する雑誌類」は各自治体の規定を網羅すれば幅広くなります。ミニストップ社としては「成人向け雑誌」といえば、いわゆる「ポルノ本」といった類いの図書類を想定していたのかもしれませんし<span style="font-size: x-small;">(※注6)</span>、千葉市の元々の「事業」の構想においても「成人誌」が問題視されていました。ところが、各自治体によっては、春画特集の芸術誌やヤクザをモチーフとした漫画の指定も行われており、その「類似する雑誌類」となれば、いわゆる「ポルノ本」の類いの雑誌では収まらなくなるという疑問があります。<br />
しかしながら、これについての補足説明はありません。このような複雑で明確ではない規制対象の定義では、ミニストップ社およびコンビニエンスストア各社やその流通に関わる各種クリエイターなどの表現の萎縮を招く恐れがあります。<br />
しかも、次のような問題もあります。千葉市が行うこのような「事業」が、従うべき千葉県の条例から、もはや逸脱しているのではないかということです。千葉市は立案した「事業」の実現を模索をした結果、千葉市の「事業」上の決定としての、ミニストップ社の「成人向け雑誌」の販売中止の決定に辿り着きました。千葉市が進めている「事業」の規制対象は、全国の各自治体の条例を指定基準とすることになってしまいました。千葉市は千葉県の条例に基づいて有害図書指定を行い規制を行うはずで、なおかつそうするべきですが、規制対象は、もはや千葉県の条例の基準からかけ離れています。<br />
既にこの「事業」についている予算<span style="font-size: x-small;">(※注7)</span>がありますが、今後どう消化するのかという問題もあります。千葉県の条例の基準から逸脱し、全国の各自治体の条例を指定基準とする規制の「事業」に、もし、何らかの場面でこの予算を使うとなっては、矛盾が生じようかと考えます。千葉市の税金について、千葉市が従うべき千葉市および千葉県の条例を逸脱した運用をしては、千葉市民、千葉県民にとっての税制上の問題も生じようかというものです。<br />
このように、千葉市のコンビニエンスストアに関わる自主規制の「事業」は、各種クリエイターの表現の萎縮を招く恐れがあるばかりではなく、適切とは言えないプロセスで行政が行われているのではないかという疑いもあります。このような不透明、不明瞭な行政が許されては、各種クリエイターが活躍する場が荒廃させられるばかりではなく、我が国の民主主義の制度そのものが脅かされかねません。<br />
<br />
<br />
<b>【 補 論 】</b><br />
<br />
この度の件で思い出されたのが、1938 年の内務省図書課による「児童読物改善ニ関スル指示要綱」の発表、いわゆる「内務省通達」です。これは「子どものため」「健全育成のため」という目的で、児童書や漫画や赤本において、「俗悪」とされる卑猥な表現や華美な表現がされることがないよう、内務省から編集者に指示が行われたものです。<br />
「内務省通達」は「子どもの健全育成」という目的で始まりながら、当時の雑誌や書籍等のメディアにおける表現に、間接的にあるいは直接的に影響を及ぼしました。歴史を振り返れば、終いには、当時人気だった「くるくるクルミちゃん」で知られる松本かつぢ氏、また女性の華やかなイラストで知られる中原淳一氏などが、連載誌での連載中止に追い込まれ<span style="font-size: x-small;">(※注8)</span>、第二次世界大戦が終わるまでは活躍の場の制限を余儀なくされました。<br />
「内務省通達」は、「子どもの健全育成のため」という目的が結果として見事に裏切られた例です。子どもが楽しめる作品は、子どもの手が届かないところへ行き、その表現者は活躍の場を失うこととなりました。<br />
こうした歴史を鑑みれば、正しい目的があったとしても、その目的を実現する方法は慎重に吟味しなければならないということが解ります。その方法を間違えば、各種クリエイターの活動の場、ひいては文化を生み出す裾野が荒廃させられてしまいます。<br />
<br />
<br />
<b>【 結 論 】</b><br />
<br />
以上から、千葉市におかれては、千葉市の立案によるコンビニエンスストアの自主規制に関わる「事業」の構想からこの度の記者会見にいたるまで、行政として守るべき則を超えており不適切であったと断言します。この「事業」には、我が国の文化を支えるクリエイターにとってもデメリット以外はないわけで、廃止が待たれます。<br />
この度の「事業」は、行政によって、私企業の過剰な自主規制として帰結しました。これは、将来に渡っても、実質的には公権力が表現行為に先立って表現に影響を及ぼすことになる可能性があり、事前抑制の疑いがあります。「表現の自由」を保障する憲法第21条の観点からも脅威であるのはもちろんのこと、クリエイターが活躍する産業の裾野が踏み荒らされ、ひいては女性の活躍の場をも狭められる危険性を内包しており、看過することはできません。<br />
「表現の自由」は、民主主義の根幹です。未来に渡り健全な民主主義が続くことを願えばこそ、その脅威となる行政のあり方を改めていただきたいと、私どもは求める次第です。我が国の文化の裾野を守り、そして、我が国の女性の諸先輩方の努力を無にしないということを決意しながら、結びの言葉とさせていただきます。<br />
<br />
<div style="text-align: right;">
以上</div>
<br />
<div style="text-align: right;">
女子現代メディア文化研究会<br />
代表 山田久美子</div>
<br />
<br />
[ 注 ]<br />
<span style="font-size: x-small;">(※注1) 「事業」の構想とは、千葉市の立案によるコンビニエンスストアに関する自主規制の取り組み。千葉市内のコンビニエンスストアの店舗にて、「成人向け雑誌」を市が定めた色付きフィルムで包装するという内容。大阪府堺市のファミリーマートでは同様の取り組みを2016 年から実施している。千葉市のこの「事業」には既に39万円の予算がついているとのこと。<br />(※注2) ただし、私企業とはいえ取り扱う商品が流通において寡占状態にある場合には問題が生まれもするが、このような問題を言及する機会は別に譲る。この度は、図書を発表する機会に関わる場面で、行政が私企業に直接関わることの問題点を扱うからである。<br />(※注3) 「ミニストップ千葉市店舗および全店における成人誌取り扱い中止について」において「成人誌」は「(社)日本フランチャイズチェーン協会の自主基準(ガイドライン)より抜粋」し次のように定義している。</span><br />
<span style="font-size: x-small;"> 1. 各都道府県の指定図書類及び出版倫理協議会の表示図書類は取り扱わない。</span><br /><span style="font-size: x-small;"> 2. それ以外の雑誌については、各都道府県青少年保護育成条例で定められた未成年者(18 歳未満者) への販売・閲覧等の禁止に該当する雑誌及びそれらに類似する雑誌類を「成人誌」と呼称する。</span><span style="font-size: x-small;">(https://www.ministop.co.jp/corporate/release/assets/pdf/20171121_10.pdf)<br />(※注4) 「類似する雑誌類」は、いわゆる「類似図書類」。<br />(※注5) 「青少年健全育成条例などの情報公開の置き場」(http://koukai.sblo.jp/article/181889999.html)にて、市民により情報公開請求によって千葉市から公開された書類からは、千葉市が「事業」として、市内コンビニエンスストアの自主規制を立案して進めていたことがわかる。<br />(※注6) 「青少年健全育成条例などの情報公開の置き場」(http://koukai.sblo.jp/article/181889999.html)にて、千葉市青少年問題協議会の議事録でも「ポルノ雑誌」の言及がメインとなっている。<br />(※注7) 当初は「成人向け雑誌」を包装する色付きフィルムなどのために税金を使う予定だった。<br />(http://koukai.sblo.jp/article/181889999.html)<br />(※注8) 中原淳一氏は連載誌「少女の友」で人気を博したが、1940 年に内務省の命令で同誌を降板。松本かつぢ氏もまた「少女の友」で人気連載だった「くるくるクルミちゃん」が、内務省通達の影響で表現内容の変質を迫られた後に、1940 年に連載を終了した。<br />(http://www.museum.or.jp/modules/im_event/?controller=event_dtl&input%5Bid%5D=60083)<br />(http://katsudi.com/mangahistory/)</span><br />
<br />
<a href="http://www.wmc-jpn.com/archive/resume180115.pdf" target="_blank">・「千葉市の市内コンビニエンスストア店舗の自主規制に関する「事業」について、廃止を求める意見書」(PDF版350KB)</a>女子現代メディア文化研究会http://www.blogger.com/profile/02457331186039494528noreply@blogger.comtag:blogger.com,1999:blog-4067263360902245405.post-71178791784601720172017-05-15T21:36:00.000+09:002017-05-15T21:36:18.513+09:00白川昌生氏の作品の撤去指導に反対し、改めて展示を求める意見書<br />
<div class="page" title="Page 1">
<div class="layoutArea">
<div class="column">
<b>【はじめに】</b><br />
<br />
群馬県立近代美術館(以下、同美術館)にて本年4月22日から始まった企画展「群馬の美術2017−地域社会における現代美術の居場所−」において、展示予定だった白川昌生氏の作品が撤去となりました。<br />
撤去となった作品は「群馬朝鮮人強制連行追悼碑」です。この作品は県立公園群馬の森(同美術館と同じ敷地内)にある朝鮮人労働者の追悼碑がモティーフとなっており、碑の設置許可の更新を巡り群馬県と市民団体が係争中となっています。<br />
白川氏は、近年起こっている、一部の市民や行政によるモニュメントの改ざん・排除への動きについての観点から、この追悼碑を巡る状況を問題提起したかったとし、作品「群馬朝鮮人強制連行追悼碑」を作ったとのことです。<br />
そして撤去に至る経緯ですが、白川氏は、3月の時点でこの追悼碑をモティーフとする作品を展示する意向を学芸員に伝えていましたが、4月21日夜、岡部昌幸館長が展示の取りやめを決め、4月22日、開場前に白川氏の手により作品の撤去をすることになったとのことです。<br />
<br />
<br />
<b>【意見趣旨】</b><br />
<br />
この度の同美術館における作品の撤去は、作品の内容を理由に館長が展示の取りやめを決め執り行われました。展示会の開場直前に「指導」という形で行政が介入し自主規制を促したわけですが、「表現の自由」という重要な権利を制限していながら、それを正当化できるだけの、「目的正当性」や「手段許容性」があったのか疑問があります。<br />
また、この度の作品の撤去指導は、作品の作者である白川氏の問題提起としての発言の機会を奪うこととなり、同時に市民に対しては、その問題提起について考え得る機会をも奪うこととなりました。<br />
私ども女子現代メディア文化研究会は、この度行われた作品の撤去指導は行政による不当な表現規制であると考え、同美術館に改めて作品の展示を求めます。<br />
<br />
<br />
<b>【意見の詳細】</b><br />
<br />
この度のような美術館における作品の撤去問題を考えるにあたり、まず認識しておきたいのは、デザインで言うところの「仕事上の制約」とは別質の問題であるということです。つまり小売店のブランディングに基づき陳列する商品を峻別することは、クライアントありきで行われる一くくりのプロジェクトにおけるデザイン上の制約で、表現の自由の制限とは全く別であるということです。一方、展示される予定であった美術作品が、展覧会の開場直前で館長の決定により介入され撤去に至ったというこの度のような問題は、表現の自由に関わる問題です。デザイン上のブランディングで商品が峻別されることと、この度のような作品の撤去指導とは別種の問題であり、これらは注意深く区別されなければなりません。<br />
<br />
そもそも、「美術館」という場について問いたいことがあります。<br />
「美術」は、時に社会風刺し、時に意見表明し、時に問題提起を行います。それは、作品を通し、社会問題に対し、政治に対し、作者の関心事に対し。花や風景、人物を描き表現することだけが「美術」ではありません。例えば、政治的な作品でいえば反戦を描いたパブロ・ピカソの「ゲルニカ」があります。また、「プロレタリア美術」というジャンルが存在しているくらいなわけで、これは問題提起や政治的な(あるいはそうした関心による)表現を「美術」が内包していることの証左です。<br />
これが「美術」です。「美術」を展示する施設が「美術館」であるべきですが、この度の作品撤去の件は、我が国の「美術館」が「美術」を受容し展示する施設として存続し得るか否かが、岐路に差し掛かっているという問題の露呈とも考えられます。この度の同美術館における作品の撤去は、美術を展示する重要な場である施設としての、そうした一種の「揺らぎ」の中で起こった問題と言えましょう。<br />
白川氏の問題提起に対し、作品の撤去指導という答えを返す。それは第一に、作者の白川氏に対しては発言の機会を奪い、第二に、観覧する市民に対してはその問題提起について考え議論し得る機会を奪ってしまう行為です。これは、ヴォルテールの言葉「私はあなたの意見には反対だ。だがあなたがそれを主張する権利は命をかけて守る。」(注:ヴォルテールの言葉とされているが実際には違うという説もある。が、この言葉は民主主義の根幹をよく表している。)に頷く私どもから見れば、民主主義の根幹を軽んじる行為であって、表現に場を提供する重要な施設である美術館において行われたという点においても問題があると考えます。<br />
<br />
この度の作品の撤去は県立の美術館で行われたことであり、行政が表現に直接介入して指導したものです。これは、憲法で保障される重要な権利である「表現の自由」の制限であり、本来極めて慎重であるべきです。しかも指導は作品の内容を理由に行われたのだから、表現の内容規制です。したがって、このような作品の撤去が、憲法上、表現の自由の制約として許容されるためには、厳格な審査基準に適合しなければならないはずです。すなわち、規制の目的が「やむにやまれぬ必要不可欠な公共的利益」でなければならず、また手段としても「目的の達成に是非とも必要な最小限度」のものでない限りは正当化することができません。<br />
この点につきまして、検証してみたいと存じます。<br />
まず、「やむにやまれぬ必要不可欠な公共的利益」があるかどうかについてです。例えば、作品の内容そのものが犯罪行為(名誉毀損等)であったり、作品の展示によって直ちに暴動や混乱が煽動されると予想されるというような場合には、「やむにやまれぬ必要不可欠な公共的利益」を守るための介入として許容される余地があるとは言い得ます。<br />
この度の白川氏の作品を展示したとして侵害される可能性のある利益は、この作品の展示を望まない一部の市民の心情であることが予想されます。とは言え、表現行為に伴い常に害される可能性のあるこうした市民の心理心情一般が、「やむにやまれぬ必要不可欠な公共的利益」とまで言えるのかは甚だ疑問です。<br />
また、こうした、作品の展示を望まない一部の市民からのクレームや業務妨害行為によって、美術館や県の利益が侵害されることも考えられます。しかし、クレイマーの対応について察しないわけではありませんが、こちらも表現そのものが犯罪であったり、直ちに暴動や混乱を煽動することが明らかなものではない以上、展示前の未だクレイマーによる業務妨害行為もなされていない段階で、直ちに行政として表現行為を制約しなければならない「やむにやまれぬ必要不可欠な公共的利益」があるとまでは言えないでしょう。<br />
また、手段が「目的の達成に是非とも必要な最小限度」のものであるかどうかについてですが、これは、作品の撤去の他に対処法があります。例えばこの作品の展示を望まない一部の市民が起こすかもしれない美術館での業務妨害行為・その他のトラブルについては、会場の警備を強化するなどといった方法を用いることができます。<br />
したがって、制約の目的が「やむにやまれぬ必要不可欠な公共的利益」である、そして、手段が「目的の達成に是非とも必要な最小限度」のものである、とは到底言うことができません。<br />
以上、作品の展示に行政が介入し作品撤去を促したこの度の指導について、正当化できるか否かを検証してみましたが、そのための基準は満たしてはおりません。これでは、正当化はできません。<br />
<br />
なお、撤去を促した同美術館側は、係争中の問題を巡り「どちらか一方に偏るような展示は適当でないと判断した」と主張しています。作品のモティーフとなっている追悼碑は、公園への設置許可の更新を巡り係争中となっており、もしこれが展示されると、公共的公益的性格を有する県立の施設が係争中の一方の意見に荷担することになり、政治的中立性を損なうことになるというのです。<br />
ですが、これにも異議があります。これは、美術館として作品を撤去すれば、県と利益相反の立場とならず、どちらか一方に偏らずに中立性を守ることができるという主張となりますが、実際のところはいかがでしょうか?<br />
展示される予定であった作品をわざわざ展覧会の開場前に撤去を促すというパフォーマンスは、結果的にこの作品の展示を望まない一部の市民の意思を尊重していることを示してみせたことになったのではないでしょうか。しかも館長が撤去を決めたのであれば、それは、館長がどちらか一方の立場を肯定していることを示していることとなります。<br />
係争中の問題を巡りそれが政治的な関わりも含むということから、利益相反の立場にならないことに配慮したという点で、公立の美術館として「政治的中立」の意図もあったようですが、実際は逆の作用をしてしまったのではないでしょうか。<br />
とは言え、公立の美術館であれば一部の市民に向かって開かれているのではないわけで、政治的に中立するべきではあります。しかしながら、「政治的中立」とは政治的な理由で作品の内容を根拠に撤去を促すということではないと考えます。「美術」は時に政治的であるとも言えますが、「美術館」と名乗る施設ならば、むしろこうした表現を受け入れあくまで作品の展示の場としての役割を果たすべきです。その上で、一度展示すると決めた作品の内容からは中立し、美術館あるいは美術館長としての政治的立場によって作品に介入するべきではありません。<br />
特に、この度撤去となった作品の意図は「問題提起」です。本来ならば、市民としての作者の表現の一つであり意見の一つであるとして、作品を展示するべきではなかったでしょうか? そうした意見の表明を市民に届け、賛成であれ反対であれ議論を活性化することこそ、むしろ公立の美術館として社会の中で果たすべき役割であったのではないでしょうか。<br />
<br />
<br />
<b>【 結 論 】</b><br />
<br />
以上から、この度の同美術館による白川氏の作品についての撤去指導は、適切な対応であったと言うことはできません。ゆえに、白川氏の作品「群馬朝鮮人強制連行追悼碑」の撤去指導に反対します。<br />
同美術館には、今からでも遅くはないので、作品の撤去を取り消し改めて展示することを求めます。群馬県の美術館の問題ではありますが、これは群馬県だけの問題ではなく美術館の問題、そして表現者の問題、ひいては民主主義の根幹を揺るがしかねない極めて重要な問題です。放置すれば、萎縮効果を招きかねません。<br />
この度の美術作品の撤去問題は、我が国の美術館が「美術」を展示する施設として存続できるのか否か、岐路に立っていることを示したとも言えましょう。「美術」は超然として、美術館あるいは館長個人の政治的立場の外にあって、展示ができなければなりません。しかしながら、この度の撤去問題を鑑みれば、政治的立場によって行政が作品に介入できるのが現状と言えます。そろそろ、こうした現状について見直し、「美術」が超然として展示できるための新たな仕組みづくりが必要な時期に来ているということは明らかでしょう。<br />
問題提起とはなりますが、我が国の美術館は美術館としての社会的役割について振り返り、「日本図書館協会」の委員会で「図書館の自由委員会」が行っている「図書館の自由に関する宣言」のような表明を行うべきではないでしょうか? 美術館は、我が国においても表現を展示する施設としても重要な役割を担っております。美術館として、まず「美術館の自由に関する宣言」を採択し、今一度、現行の美術館の制度に関し振り返るきっかけとしていただきたいと存じます。<br />
創る意思はどの時代であれ、人間が生き続ける限り存在します。美術をこれからの世代に受け継いでいくためにも、美術館には「美術」の受け皿としての重要な決断が迫られています。<br />
<br />
<br />
<div style="text-align: right;">
以上</div>
<div style="text-align: right;">
<br /></div>
<div style="text-align: right;">
女子現代メディア文化研究会代表/デザイナー</div>
<div style="text-align: right;">
山田久美子</div>
<div style="text-align: right;">
<br /></div>
<div style="text-align: right;">
<br /></div>
<div style="text-align: right;">
<br /></div>
<div style="text-align: left;">
・<a href="http://www.wmc-jpn.com/archive/resume170515.pdf" target="_blank">白川昌生氏の作品の撤去指導に反対し、改めて展示を求める意見書(PDF版274kb)</a></div>
</div>
</div>
</div>
女子現代メディア文化研究会http://www.blogger.com/profile/02457331186039494528noreply@blogger.comtag:blogger.com,1999:blog-4067263360902245405.post-19650416573408086472017-03-19T13:47:00.000+09:002017-03-19T13:48:23.580+09:00人事のお知らせ平素は格別のご高配を賜り厚くお礼申しあげます。<br />
<br />
この度は、私ども女子現代メディア文化研究会における人事につきましてお知らせいたします。<br />
<br />
水戸 泉/共同代表の退任および女子現代メディア文化研究会退会<br />
歌門 彩/女子現代メディア文化研究会顧問に就任<br />
山田久美子/女子現代メディア文化研究会共同代表退任および代表就任<br />
<br />
上記は3月19日をもって発令いたします。<br />
<br />
今後とも「表現の自由」をテーマに微力ながら活動してまいる所存です。何卒、倍旧の<br />
ご指導ご鞭撻を賜りますようお願い申しあげます。<br />
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まずは、略儀ながら書中をもってごあいさつ申しあげます。<br />
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2017年3月19日</div>
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女子現代メディア文化研究会代表 山田久美子</div>
女子現代メディア文化研究会http://www.blogger.com/profile/02457331186039494528noreply@blogger.comtag:blogger.com,1999:blog-4067263360902245405.post-88894447332789522842016-08-25T20:29:00.000+09:002016-08-25T20:29:18.753+09:00ろくでなし子氏裁判の無罪を求める意見書<br />
<b>【はじめに】</b><br />
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漫画家・造形作家のろくでなし子氏は、自身の女性器をモチーフとした作品を巡り刑法175条違反の容疑で逮捕され裁判が行われておりましたが、本年(2016年)5月9日の氏に対する第一審の判決では、ボートを作るプロジェクトアートの過程における3Dデータ配布について有罪とされました。<br />
私どもは、この第一審の一部を有罪とする判決を不服とし、第二審での無罪を求めます。<br />
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<b>【意見趣旨】</b><br />
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[意見趣旨1]<br />
判決では、アートのプロジェクト全体のコンセプチュアルな部分、つまり思想性について顧みられた形跡が乏しく(注1)、したがって、判決は不当である。<br />
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[意見趣旨2]<br />
ろくでなし子氏は、女性器すなわち「まんこ」をモチーフとする作品を通し、現代の性タブーに疑問を呈した。これは、社会的な議論のきっかけとなる真摯な問題提起なのだから、本来ならば逮捕などあり得ず、むしろ、表現の自由を保障する憲法21条により保障されるべきである。したがって、判決は不当である。<br />
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<b>【意見の詳細】</b><br />
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[意見趣旨1の詳細]<br />
ろくでなし子氏は、自身の女性器をモチーフとした作品を通し女性器のイメージを「明るく楽しい」表象として伝えているわけですが、その思想性は、現代の女性が「性」について語りやすくする気運を「意図して」醸成することにより、「性」に関わる諸問題について議論のきっかけを与え、主体的に明るく対峙しようというイノベイティブなものです。<br />
ろくでなし子氏は、2015年4月15日の初公判で、次ように述べています。<br />
「女性器は自分の大事な体の一部分に過ぎないものであるのに、日本では恥ずかしい、いやらしいものとして扱われてきた。そのイメージを払拭(ふっしょく)したくて、女性器をモチーフに、ユーモアあふれるたのしい作品を作りました」(注2)<br />
ろくでなし子氏が述べているような、作品を、“女性器の否定的なイメージを払拭する「明るく楽しい」表象とする”ということの思想性は、判決要旨から察するに全く理解されていないのではないでしょうか? 同時に、特にプロジェクトアートなのだから本来ならば作品のプロジェクト全体からコンセプチュアルな部分も含めて分析し、それによって思想性を検証するべきであったにもかかわらず、それが十分に行われたかについても疑問が残ります。<br />
ある事象について、明るいイメージを生み出すことができれば人々が話題にしやすくなります。そして、話題の対象として社会的に認知されることになり、それまで蔑ろにされていた事象についてイノベーションをもたらし、社会を変化させることがあります。<br />
実際、我が国においては、「アンネナプキン」に始まる1960年代以降の近代的生理用品のデザインが-----企画開発・広告宣伝におよぶまで-----そうしたイノベーションの一例となっています(注3)。<br />
月経にはいわゆる「血穢」というタブーがありました。過去の歴史においては、月経中の女性は家から離れた別小屋で過ごさなければならないこととなっていました(注4)。「アンネナプキン」の宣伝課長だった渡紀彦氏は著書において次のように述べています。「今日でも、ある地方に行くと、生理が始まった日に母家からでて納屋に引きこもる」と(注5)。<br />
また、田中ひかる氏の著書では次のような記録があります。1907年生まれの女性の口述記録とのことですが、生理用品(注6)を洗濯した際には、不浄なものだからお日様にあてちゃいけないので日陰に干さなければいけなかった、と。そして田中氏は、生理用品が進化しなかった理由の一つが「経血が『不浄なもの』、月経が『女のシモのこと』であるため等閑視されていたということも挙げられる」と指摘しています(注7)。<br />
月経には元々このようなタブーがあり、暗いイメージは根強いものでした。そこで渡氏はこうした中での「アンネナプキン」の開発に、月経についての陰鬱さを払拭し明るいイメージとなることを目指したデザイン戦略を用いたと述べています(注8)。<br />
「アンネナプキン」は、現在我が国の生理用ナプキン市場で主流となっている紙ナプキンの原型となっていますが、継承されたのはナプキンそのもののデザインばかりではなく、月経の否定的なイメージを払拭することをミッションに含む広告戦略です。1970年代には研ナオコ氏を起用したテレビCMが注目を集め、以来、日本のナプキンのテレビCMではタレントの起用が増加します(注9)。月の扮装をした笑福亭鶴瓶氏を起用した滑稽なCMや(注10)、音楽グループ「安全地帯」を起用したエレガントなCMもありました(注11)。<br />
こうして月経は、否定的なイメージが軽減され話題にしやすい気運が醸成されることにより、社会的に認知され蔑ろにされないようになっていきました。同時にナプキン自体のデザインも次々と考案され(注12)、それまでのモッコふんどし(注13)やゴム引き生理バンド(注14)では得られない快適さを獲得しました。そして、月経の否定的なイメージが軽減されたことによりナプキンは日陰に追いやられることなく社会に流通することが可能になり、今やスーパー・コンビニエンスストアといった大きな販路を得て、ユーザーが買い求めやすい状況となっています。<br />
上に述べたナプキンの例は、ある事象のイメージを明るく変えることが、ひいては女性の健康的な生活を支えることになったというイノベーションの一例です。「アンネナプキン」以降、先人達はそれまでの生理用品の「もれる・むれる・かぶれる」といった問題に対峙しナプキンを著しく進化させ、同時に、月経そのもののイメージを変革しました。女性達は進化したナプキンにより、日々の活動に集中することが可能となり、ひいては女性の社会参加を支えることにもつながりました。<br />
ある事象のイメージを変えることの思想性は、このように人々の生活に変化をもたらし尊厳を取り戻すといった、イノベーションを促す点にあります。ろくでなし子氏の作品にも、そうしたイノベイティブな思想性があるのではないでしょうか? ナプキンの例同様、女性器の否定的なイメージを払拭し明るいイメージに変えることは、女性器を象徴とする「性」の問題について話題にしやすくし、社会的な認知を与え蔑ろにされないようにする作用があります。そして実際、ろくでなし子氏は作品を通しインターネットのクラウドファンディングや3Dプリンタといった最新の技術により人々を巻き込み、話題となっていきました。そして氏は、今やさかんに国内外のシンポジウムやイベントに登壇することとなり、こうした催しに市民が集まることとなりました。そこで我々は実際に、女性器を発端とした性タブーの問題もふくめ、議論をするきっかけを与えられ「性」の問題を語り続けています。<br />
このように、ろくでなし子氏の作品は女性器を話題にしやすくし、「性」の諸問題についての議論のきっかけを提示し実際議論が生まれました。それは女性にとってイノベーションに繋がる希望です。こうした作品の思想性を十分に顧みれば、適切な判決は明らかになりましょう。<br />
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[意見趣旨2の詳細]<br />
ろくでなし子氏は作品を通じ性タブーに疑問を呈しました。これは社会的な議論となる真摯な問題提起なのであって、そもそも憲法21条により保障されるべきでしたし、本来ならば逮捕の必要はありませんでした。<br />
この度の判決では、ろくでなし子氏は有罪とされ刑事罰が科されました。これでは、公権力が性タブーについて問題提起することそのものを法で禁圧し、社会で性タブーについて議論する機会を奪うことになってしまいます。そして議論の機会が奪われれば、それらの性タブーの不当性や弊害について社会で議論し、不当なものとして除去していくことも出来なくなってしまいます。<br />
我が国においても、行き過ぎた性規範が「血穢」にみられるような不必要なタブーを形成し、女性の行動を制限し隅に追いやり尊厳を傷つけ、社会参加の弊害になってきた歴史があります。過去には法令においても「血穢」が規定され、九世紀の「貞観式」をはじまりとし明治政府が廃止するまで続きました(注15)。そしてそのような法令が廃止されてもなお、「血穢」は民間の風習として現代まで残りました。<br />
現代では、ナプキンのデザインにも見られたように社会的にそうした弊害を除去する動きも生まれましたが、それは先人達の不断の努力の集積によって生まれてきたのです。しかしながら、この度の判決でろくでなし子氏は有罪とされ刑事罰が科されました。これでは、性タブーについての問題提起を議論する機会を奪うことになるのはもちろんのこと、こうした先人達の努力に支えられた女性の社会進出の歴史について「否」をつきつけることにもなります。それは女性の社会参加の未来を考える上で重大な意味を持つことになるわけで、私は女性クリエイターとしても看過できません。<br />
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【まとめ】<br />
ろくでなし子氏は、なぜ氏自身の性器をモチーフとしたのでしょうか? 推測するに、女性器について「自分の身体として取り戻された」女性器として-----また、その女性器を発端とした性の問題として-----主体的に話題にしたかったということではないでしょうか? したがって、「自分の大事な体の一部」であり「自分の身体として取り戻された」女性器としての「まんこ」は、氏自身の女性器をモチーフとする必要があったのだという気がします。<br />
現代の女性の「性」をめぐっては、性タブーをはじめとし、性教育、性感染症、避妊(ピルの使用や普及はどうするのか?)、ひいては女性の労働環境、性差別等々、議論するべきことは山積みです。それは、客体としての女性の「性」ではなく主体である女性が自分の「性」のこととして考えなければならないことでもあります。そして、「性」を語ることがタブーであれば、こうしたことを議論することもできません。<br />
女性の社会参加が行われるためには、先人達の不断の努力の積み重ねが必要でした。それは時には賽の河原で石を積み上げるようなことであったとも言えましょう。私はこうした先人達の努力を無にしたくはありません。積み上げた石を賽の河原の鬼が蹴散らすようなことにならぬよう、第二審ではろくでなし子氏の無罪を切に願います。<br />
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以上</div>
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女子現代メディア文化研究会共同代表/デザイナー</div>
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山田久美子</div>
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[ 注 ]<br />
<span class="Apple-style-span" style="font-size: x-small;">(注1) ろくでなし子氏の弁護側の主張では作品はフェミニズムアートとしての側面を持つことについて思想性があるとの主張もされたが、判決では「本件各造形物はポップアートの一種であると捉えることは可能であり」としながらも、「そこからフェミニズムアートの思想を直ちに読み取ることができるかはさておき」、くり返すが「さておき」などと、なげやりな態度も見られる。</span><br />
<span class="Apple-style-span" style="font-size: x-small;">(注2) 朝日新聞/2016年5月13日コラム「きょうも傍聴席にいます」</span><br />
<span class="Apple-style-span" style="font-size: x-small;">(注3) 田中ひかる「生理用品の社会史」(ミネルヴァ書房/2013年)によれば、「アンネナプキン」は当時の坂井素子社長の「日本人女性の体に合った紙綿製の生理用品が普及すれば、女性達は月経時をもっと快適に過ごせる」というコンセプトに基づき設計された。現在我が国で主流となっている、ゴム引きではない生理用ショーツと個包装の使い捨て紙ナプキンの組み合わせは「アンネナプキン」から始まっている。</span><br />
<span class="Apple-style-span" style="font-size: x-small;">(注4) 成清弘和「女性と穢れの歴史」(塙書房/2003年)では、九世紀後半の『貞観式』に公の規定として初めて「血穢」が確認できるとしている。九世紀前半の『弘仁式』では不明。田中ひかる「生理用品の社会史」(ミネルヴァ書房/2013年)では、第二次世界大戦後まで月経禁忌にと</span><span class="Apple-style-span" style="font-size: x-small;">もなう月経小屋の使用が民間の慣習として続いたことが指摘されている。</span><br />
<span class="Apple-style-span" style="font-size: x-small;">(注5) 渡紀彦「アンネ課長」(日本事務能率協会/1963年)</span><br />
<span class="Apple-style-span" style="font-size: x-small;">(注6) 当時の生理用品だった「モッコふんどし」</span><br />
<span class="Apple-style-span" style="font-size: x-small;">(注7) 田中ひかる「生理用品の社会史」(ミネルヴァ書房/2013年)</span><br />
<span class="Apple-style-span" style="font-size: x-small;">(注8) 渡紀彦「アンネ課長」(日本事務能率協会/1963年)。渡紀彦の宣伝課長という役職は、業務内容から考えれば現代的に言えばアートディレクター、クリエイティブディレクターというところであろう。彼が関わった「アンネナプキン」の広告のシリーズでは、「日本雑誌広告賞」を複数受賞している。</span><br />
<span class="Apple-style-span" style="font-size: x-small;">(注9) 小野清美「アンネナプキンの社会史」(宝島社文庫/2000年)では、「昭和五十年代以後、生理用品のCMには研ナオコに始まり、アン・ルイス、マッハ文朱、中原理恵、新体操の山崎浩子、木の実ナナ、木内みどり、田中美奈子、田中美佐子、秋野暢子、三田寛子、長野智子、伊藤かずえら多くのタレントや女優が登場している」と指摘している。近年では元AKB48の前田敦子が登場するなど、ナプキンのテレビCMにおけるタレントの起用はもはや当たり前となっている。</span><br />
<span class="Apple-style-span" style="font-size: x-small;">(注10) 1985年のユニチャーム「ソフィ」のCMにおける笑福亭鶴瓶の起用に見られるように、笑い要素により陰鬱なイメージを払拭しようという動きもあった。小野清美「アンネナプキンの社会史」(宝島社文庫/2000年)では、ユニチャーム「チャームナップミニ」のCMに起用された研ナオコについて、広告批評家の天野祐吉の次のような批評を引用している。「ふつうに自分を出せて、しかも自分を笑い飛ばせる三枚目の賢さをもった人でなければ月経をからっとしたものにできなかっただろう」。</span><br />
<span class="Apple-style-span" style="font-size: x-small;">(注11)1985年の大王製紙「エリス」の広告では「安全地帯」の「碧い瞳のエリス」がCM曲に使われ、そのコピーは「エリスは安全地帯」というものだった。CMにはヴォーカルの玉置浩二も出演している</span><br />
<span class="Apple-style-span" style="font-size: x-small;">(注12) 「アンネナプキン」以降のナプキン自体のデザインは、各シチュエーションに応じた多岐に渡るものとなった。普通の日用、夜用、多い日用、さらに多い日用、逆に軽い日用…と、開発が進み、超薄型のデザインも生まれた。また、ナプキン装着時の「横ずれ」問題に対応すべく、ナプキンの固定テープのデザインは次々と考案されていった。最初は両面テープを応用した固定テープで、前方後方の2カ所のもの、サイドに2本(ユニチャーム「チャームナップミニ」に見られたいわゆる「サイドストッパー」、現在では見ることはなくなった)、サイドと真ん中の3本のもの等が開発され、そして終には羽根(P&G「ウィスパー」等に現在でも見られるいわゆる「ウイング」)つきのナプキンが考案される。なお現在では、日東電工株式会社によれば(http://www.nitto.com/jp/ja/tapemuseum/history/chapter06_20.html)両面テープはほとんど用いられなくなったという。ナプキンに粘着剤を直接塗って、剥離ライナーを貼ったものが主流になっているとする。またナプキンに内蔵された高吸収性ポリマーは、現在では、乳児用・</span><span class="Apple-style-span" style="font-size: x-small;">成人用の紙おむつ等に共有されている。</span><br />
<span class="Apple-style-span" style="font-size: x-small;">(注13) 田中ひかる「生理用品の社会史」(ミネルヴァ書房/2013年)では「モッコふんどし」について、次のような使用談の記録がある。「脱脂綿は一日に何回かとりかえるのだけれど、それでも一日たつとモッコふんどしが血でカラカラにひからびて、かたーくなっちゃうわけなのよ。今考えてみれば、血のりでガバガバになったのを一日中してなきゃならないというのは、つらかったねえ。それでもそれをバケツの水につけて洗って、物置きの中に干したのよ。ほんとうは日光にあてて消毒すればいいんだけど、その当時は、不浄なものだからお日様にあてちゃいけないって母に言われたのよ。」</span><br />
<span class="Apple-style-span" style="font-size: x-small;">(注14) 「アンネナプキン」が登場する以前の1950年代頃は我が国ではゴム引きの生理バンドが存在したが現在のナプキンの快適さには到底及ばないものであったとされる。渡紀彦「アンネ課長」(日本事務能率協会/1963年)で渡も「ムレる」「カブれる」「タダれる」と、その難点を指摘している。</span><br />
<span class="Apple-style-span" style="font-size: x-small;">(注15) 「血穢」は1872年太政官布告五六号「今より産穢憚り及ばず候う事」という法令により公には廃止された。</span><br />
<span class="Apple-style-span" style="font-size: x-small;"><br /></span>
<span class="Apple-style-span" style="font-size: x-small;"><br /></span>
<a href="http://wmc-jpn.com/archive/resume160825.pdf" target="_blank">・ろくでなし子氏裁判の無罪を求める意見書(PDF版352kb)</a><br />
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