【はじめに】
この度の、東京都青少年の健全な育成に関する条例(以下「当条例」)における「不健全図書」の名称変更に関するパブリックコメント(以下「当パブコメ」)募集につきまして、感謝申し上げるとともに新しい動きとして期待します。
【意見趣旨】
[1]当条例の「不健全図書」の箇所を改め「青少年販売等制限図書」などに変更する改正案に賛成します。
[2]「不健全図書」の名称変更を始まりとし、不健全図書指定の影響で、当条例の目的を逸脱した効果が生まれている販売規制などについても改善を希望します。
【意見の理由】
[1の理由]
「健全」という概念は、青少年の「育成」という枠組みでは優生思想の概念を含むことになるため、「青少年の育成」というコンテクストで判断軸として用いるべき適切な概念とはいえないからです。
[2の理由]
業界で大きな販売シェアを持つ図書販売企業の自主規制により、多くの成人が不健全図書を購入できなくなっている現状があります。これは当条例で求める以上の規制であり、成人の知る権利の侵害にもつながります。
【意見詳細】
[1について]
辞書によれば「健全」には、「健康であること」「調和がとれていること」などといった意味があります(※1)。たしかに間違ってはいません。しかし、歴史を振り返れば、子どもや青少年の「育成」という枠組みにおける「健全」の概念には、優生思想が含まれていることがわかります。
近代から現代にかけ、母子の保護および子どもの育成に関する社会福祉政策は、母性主義フェミニズムを背景に発展している部分があります。1918年からの「母性保護論争」(※2)においても、ドイツの「母性保護同盟(連盟)」(※3)の活動や母性主義フェミニストのエレン・ケイの思想が紹介され、我が国の社会福祉政策や世論に影響を与えています。
母性保護同盟が設立された頃のドイツでは、18 世紀後半にイギリスから始まる産業革命を発端とする急速な都市化、結婚制度の不備(※4)などを要因とし、未婚の母が劣悪な生活環境や貧困に陥り、(未婚の)産婦と乳児の死亡率が高いなどの問題がありました。そこで、「母性保護同盟」が、未婚の母と子の母子ホームの設立、官立産期保険を未婚の母に拡大する運動を行いました。健全な環境や健全な子どもの出産や育成は、第一派の母性主義フェミニズムにとっても大きなテーマだったわけです。
こうした母性主義フェミニズムやそれを背景とする社会運動は、子どもを「健全に育てる」という言葉とともに、「育成」という枠組みでの「健全」の概念を広める一つの契機にもなりましたが、このコンテクストにおける「健全」とは、善悪の両面を持つ諸刃の剣でもありました。
当時の母性主義フェミニズムを起点とするそれらの取り組みは、われわれ現代人が恩恵に預かる社会福祉政策に引き継がれている面もあります。また現在では、企業メセナなどを通じた活動など、「青少年の健全育成」をテーマにした有意義な取り組みが行われている例もあります。
一方で、こうした母性主義フェミニズムには優生思想の影響を受けている面もあり、現在のフェミニズムからの批判もあります。エレン・ケイには、児童福祉と同時に優生思想への心酔もあり、著書「児童の世紀」では、冒頭からさっそく優生学の父フランシス・ゴルトンを褒め称えています(※5)。エレン・ケイは、また、著書「恋愛と結婚」においても、育児中の母親の国家による保護の必要性を説きながら、「社会における母性の役割=種族によい子孫を残す役割」と強調しています。「種族に不利な条件の下における生殖の自由の制限——これこそ生命線なのだ。」(※6)という主張は、まさに優生思想の顕現であるといえるでしょう。
こうしたエレン・ケイの思想の影響を受けた第一派のフェミニストに、平塚らいてう、山田わかがいます。平塚は「子供の数や質は国家社会の進歩発展とその将来の運命に関係あるから、母の育児は、社会的・国家的な仕事である」などと述べており、現在のフェミニズムからは、「ナショナリズムや優生思想に直結するひびきがある」との指摘も受けています(※7)。
第一派の母性主義フェミニズムを媒介して広まったこのような「健全」の概念には、健康に子を生み育成するといった面、種族に貢献する優良な血統を選別して残そうという面が地続きとなって混在しています。後者の面は優生思想であり、言うまでもなく差別思想です。
子どもや青少年の「育成」という枠組みで、優生思想の側面を併せ持つ「健全」という概念を判断の軸とした図書の選別は、育ち伸びる青少年を目の前に適切であるといえるのでしょうか。まず、そのような図書選別の判断の軸として「健全」の概念を用いることをやめるべきです。そして、「不健全図書」という名称も捨て「青少年販売等制限図書」などとし、差別思想を排した名称に変更するべきです。
[2について]
当パブコメの募集趣旨でも触れられている件ですが、大手インターネット通販サイト等の自主規制による問題です。現在、書籍を扱うインターネット通販サイトの中でも、例えばAmazonのような大きな販売シェアを持つ企業が「不健全図書」の販売自粛をしていますが、これにより、当条例で求める以上の販売規制が生まれています。
当条例で「指定図書類の販売等の制限」を定める第9条にあるとおりですが、「不健全図書」の販売制限は青少年に対するものであって、成人を対象にはしていません。成人は青少年と異なり購入の機会は制限されていません。それにもかかわらず、Amazonでは「不健全図書」は成人も購入できない状態となっています。すなわち、青少年に対する販売制限という規定を越え、多くの成人に対する販売規制が発生しており、「青少年の健全な育成を図る」といった立法趣旨を逸脱した効果が出ているということです。
現在では、実店舗としての書店を持たない自治体も存在しています。そうした中、成人がAmazonのような大きな販売シェアを持つインターネット通販サイトで「不健全図書」を購入できないのは、成人にとっては「知る権利」の侵害となるのではないでしょうか。なお、「知る権利」は憲法第21条が保障する「表現の自由」の一部です。
【当条例についての他の疑義】
大きな改定を目指した2010年3月の当条例の改正案では、「非実在青少年」の文言の不明瞭さも含めそもそもが読みにくく構成された悪文で、あらゆる部分における曖昧性が批判の対象となりました。同年12月の改正案では、「非実在青少年」の文言もなくなっており、当初の改正案に比べれば曖昧性が払拭された部分もあります。とはいえ、第8条および第7条第2号によるアニメや漫画の「不健全図書」の指定については、それを指定する判断者、すなわち、知事や東京都青少年健全育成審議会の委員の裁量に委ねられる部分が大きく、不当な不健全図書指定が行われるのではないかという危惧が、依然として残っています。
古来より近親相姦を含む創作物は読み継がれ、表現者にとってもモチーフであり続けています。ソフォクレス「オイディプス王」では、オイディプスは実の母と婚姻し子どもももうけているし、紫式部「源氏物語」では、血の繋がりはないものの藤壺と光は母と息子の関係です。
現代でも近親相姦をモチーフとする作品があります。漫画では竹宮惠子「風と木の詩」があります。この作品には主人公の少年とその父の近親相姦が描かれ性交を含む性的な描写もありますが、父と息子が求め合うなど「不当に賛美」と解釈され「不健全」と判断される危惧があります。
しかしながら、子をコントロールし性的な関係まで結ぶ父の描写があることで、本来ならば性教育で行うべき「悪い大人がいる」ということについて学べる——それは漫画というメディアであればこそ——青少年が夢中になって読むことができる絶好のテクストでもあり続けたわけで、性教育においても適切この上ない図書であることもまた事実です。
このように、当条例は、「不健全図書」指定判断者の裁量が大きく相反する判断が可能となっています。いいかげんな判断により図書やアニメの販売が停止され、創作物・表現物の発表の機会が失われぬよう、何らかの解決策が望まれます。
【まとめ】
ルソーの「エミール」は「子ども」発見の書とされることがあります。確かに、フィリップ・アリエス「<子供>の誕生」をすれば、フランスでは18世紀以前には現在のような「子ども」はいなかったということになります。アリエスは「子供期に相当する期間は、「小さな大人」がひとりで自分の用を足すにはいたらない期間」であったとしています(※8)。これらの見解への疑義はあるものの、19世紀最後の年、1900年に刊行されたエレン・ケイの著作「児童の世紀」の名のとおり、20世紀には児童への社会福祉政策、児童の権利宣言の採択が進みました。1924年の国際連盟による「児童の権利に関するジュネーブ宣言」は、国際機関が採択する世界初の児童権利宣言となりました。1959年には国際連合による「児童の権利に関する宣言」が採択され、1989年には「児童の権利に関する条約」が国連総会で採択、1994年には日本も批准しています。
こうした「子ども」への取り組みは、上述した母性主義フェミニズムによる社会への啓蒙とも連動しています。エレン・ケイもそうした部分では貢献者といえるでしょう。しかしながら、子どもの「健全育成」というコンテクストでは、その「健全」の概念が優生思想と地続きとなっていることは、今一度思い出しておきたいところです。
子どもは成人と比べ心身ともに未熟で自己決定能力が不完全な状態にあるのは確かです。悪い大人に騙されたりしないよう保護を必要とする部分もあり、判断力が育つまで年長者の補助が必要です。だからといって、子どもの未熟さを理由に、大人が子どもから発言の機会を完全に奪ってしまうなど、保護が過剰となれば支配となります。未熟とはいえ子どもも人間であり、表現の自由があります。人格があり、意思があり、何かを思っている存在であることは忘れてはなりません。それをわれわれ大人の自戒とし、本稿のしめくくりといたします。
以上
女子現代メディア文化研究会
代表 山田久美子
[注釈]
(※1)「デジタル大辞泉」>健全 (https://kotobank.jp/word/健全-492527)
1 身心が正常に働き、健康であること。また、そのさま。「—な発達をとげる」
2 考え方や行動が偏らず調和がとれていること。また、そのさま。「—な社会教育」
3 物事が正常に機能して、しっかりした状態にあること。「—な財政」
(※2)母性保護論争:1916年、与謝野晶子が書いた記事「母性偏重を拝す<一人の女の手紙>」(「太陽」1916年2月号)がきっかけ。記事で、エレン・ケイを「絶対的母性中心説」と批判、これに対し、エレン・ケイを日本で紹介した平塚らいてうが反論し、論争が始まる。与謝野、平塚の他、山川菊栄、山田わからが加わる。「母性主義フェミニズム」ばかりでなく「女性の経済的独立」等についても意見が交わされた。
(※3)母性保護同盟:1905年成立(~1940年まで存続)。ヘレーネ・シュテッカーによりドイツで設立される。未婚の母と子の母子ホームの設立、官立産期保険を未婚の母に拡大する運動等を行う。
(※4)当時の結婚制度では、財産の管理をめぐり経済的に女性が不利になる部分があった。
(※5)エレン・ケイ「児童の世紀」(富山房百科文庫)P16
(※6)エレン・ケイ「恋愛と結婚・上」(岩波文庫)P162
(※7)奥田暁子、秋山洋子、支倉寿子「概説 フェミニズム思想史」(ミネルヴァ書房)P155
(※8)フィリップ・アリエス「<子供>の誕生」(みすず書房)P1