【はじめに】
漫画家・造形作家のろくでなし子氏は、自身の女性器をモチーフとした作品を巡り刑法175条違反の容疑で逮捕され裁判が行われておりましたが、本年(2016年)5月9日の氏に対する第一審の判決では、ボートを作るプロジェクトアートの過程における3Dデータ配布について有罪とされました。
私どもは、この第一審の一部を有罪とする判決を不服とし、第二審での無罪を求めます。
【意見趣旨】
[意見趣旨1]
判決では、アートのプロジェクト全体のコンセプチュアルな部分、つまり思想性について顧みられた形跡が乏しく(注1)、したがって、判決は不当である。
[意見趣旨2]
ろくでなし子氏は、女性器すなわち「まんこ」をモチーフとする作品を通し、現代の性タブーに疑問を呈した。これは、社会的な議論のきっかけとなる真摯な問題提起なのだから、本来ならば逮捕などあり得ず、むしろ、表現の自由を保障する憲法21条により保障されるべきである。したがって、判決は不当である。
【意見の詳細】
[意見趣旨1の詳細]
ろくでなし子氏は、自身の女性器をモチーフとした作品を通し女性器のイメージを「明るく楽しい」表象として伝えているわけですが、その思想性は、現代の女性が「性」について語りやすくする気運を「意図して」醸成することにより、「性」に関わる諸問題について議論のきっかけを与え、主体的に明るく対峙しようというイノベイティブなものです。
ろくでなし子氏は、2015年4月15日の初公判で、次ように述べています。
「女性器は自分の大事な体の一部分に過ぎないものであるのに、日本では恥ずかしい、いやらしいものとして扱われてきた。そのイメージを払拭(ふっしょく)したくて、女性器をモチーフに、ユーモアあふれるたのしい作品を作りました」(注2)
ろくでなし子氏が述べているような、作品を、“女性器の否定的なイメージを払拭する「明るく楽しい」表象とする”ということの思想性は、判決要旨から察するに全く理解されていないのではないでしょうか? 同時に、特にプロジェクトアートなのだから本来ならば作品のプロジェクト全体からコンセプチュアルな部分も含めて分析し、それによって思想性を検証するべきであったにもかかわらず、それが十分に行われたかについても疑問が残ります。
ある事象について、明るいイメージを生み出すことができれば人々が話題にしやすくなります。そして、話題の対象として社会的に認知されることになり、それまで蔑ろにされていた事象についてイノベーションをもたらし、社会を変化させることがあります。
実際、我が国においては、「アンネナプキン」に始まる1960年代以降の近代的生理用品のデザインが-----企画開発・広告宣伝におよぶまで-----そうしたイノベーションの一例となっています(注3)。
月経にはいわゆる「血穢」というタブーがありました。過去の歴史においては、月経中の女性は家から離れた別小屋で過ごさなければならないこととなっていました(注4)。「アンネナプキン」の宣伝課長だった渡紀彦氏は著書において次のように述べています。「今日でも、ある地方に行くと、生理が始まった日に母家からでて納屋に引きこもる」と(注5)。
また、田中ひかる氏の著書では次のような記録があります。1907年生まれの女性の口述記録とのことですが、生理用品(注6)を洗濯した際には、不浄なものだからお日様にあてちゃいけないので日陰に干さなければいけなかった、と。そして田中氏は、生理用品が進化しなかった理由の一つが「経血が『不浄なもの』、月経が『女のシモのこと』であるため等閑視されていたということも挙げられる」と指摘しています(注7)。
月経には元々このようなタブーがあり、暗いイメージは根強いものでした。そこで渡氏はこうした中での「アンネナプキン」の開発に、月経についての陰鬱さを払拭し明るいイメージとなることを目指したデザイン戦略を用いたと述べています(注8)。
「アンネナプキン」は、現在我が国の生理用ナプキン市場で主流となっている紙ナプキンの原型となっていますが、継承されたのはナプキンそのもののデザインばかりではなく、月経の否定的なイメージを払拭することをミッションに含む広告戦略です。1970年代には研ナオコ氏を起用したテレビCMが注目を集め、以来、日本のナプキンのテレビCMではタレントの起用が増加します(注9)。月の扮装をした笑福亭鶴瓶氏を起用した滑稽なCMや(注10)、音楽グループ「安全地帯」を起用したエレガントなCMもありました(注11)。
こうして月経は、否定的なイメージが軽減され話題にしやすい気運が醸成されることにより、社会的に認知され蔑ろにされないようになっていきました。同時にナプキン自体のデザインも次々と考案され(注12)、それまでのモッコふんどし(注13)やゴム引き生理バンド(注14)では得られない快適さを獲得しました。そして、月経の否定的なイメージが軽減されたことによりナプキンは日陰に追いやられることなく社会に流通することが可能になり、今やスーパー・コンビニエンスストアといった大きな販路を得て、ユーザーが買い求めやすい状況となっています。
上に述べたナプキンの例は、ある事象のイメージを明るく変えることが、ひいては女性の健康的な生活を支えることになったというイノベーションの一例です。「アンネナプキン」以降、先人達はそれまでの生理用品の「もれる・むれる・かぶれる」といった問題に対峙しナプキンを著しく進化させ、同時に、月経そのもののイメージを変革しました。女性達は進化したナプキンにより、日々の活動に集中することが可能となり、ひいては女性の社会参加を支えることにもつながりました。
ある事象のイメージを変えることの思想性は、このように人々の生活に変化をもたらし尊厳を取り戻すといった、イノベーションを促す点にあります。ろくでなし子氏の作品にも、そうしたイノベイティブな思想性があるのではないでしょうか? ナプキンの例同様、女性器の否定的なイメージを払拭し明るいイメージに変えることは、女性器を象徴とする「性」の問題について話題にしやすくし、社会的な認知を与え蔑ろにされないようにする作用があります。そして実際、ろくでなし子氏は作品を通しインターネットのクラウドファンディングや3Dプリンタといった最新の技術により人々を巻き込み、話題となっていきました。そして氏は、今やさかんに国内外のシンポジウムやイベントに登壇することとなり、こうした催しに市民が集まることとなりました。そこで我々は実際に、女性器を発端とした性タブーの問題もふくめ、議論をするきっかけを与えられ「性」の問題を語り続けています。
このように、ろくでなし子氏の作品は女性器を話題にしやすくし、「性」の諸問題についての議論のきっかけを提示し実際議論が生まれました。それは女性にとってイノベーションに繋がる希望です。こうした作品の思想性を十分に顧みれば、適切な判決は明らかになりましょう。
[意見趣旨2の詳細]
ろくでなし子氏は作品を通じ性タブーに疑問を呈しました。これは社会的な議論となる真摯な問題提起なのであって、そもそも憲法21条により保障されるべきでしたし、本来ならば逮捕の必要はありませんでした。
この度の判決では、ろくでなし子氏は有罪とされ刑事罰が科されました。これでは、公権力が性タブーについて問題提起することそのものを法で禁圧し、社会で性タブーについて議論する機会を奪うことになってしまいます。そして議論の機会が奪われれば、それらの性タブーの不当性や弊害について社会で議論し、不当なものとして除去していくことも出来なくなってしまいます。
我が国においても、行き過ぎた性規範が「血穢」にみられるような不必要なタブーを形成し、女性の行動を制限し隅に追いやり尊厳を傷つけ、社会参加の弊害になってきた歴史があります。過去には法令においても「血穢」が規定され、九世紀の「貞観式」をはじまりとし明治政府が廃止するまで続きました(注15)。そしてそのような法令が廃止されてもなお、「血穢」は民間の風習として現代まで残りました。
現代では、ナプキンのデザインにも見られたように社会的にそうした弊害を除去する動きも生まれましたが、それは先人達の不断の努力の集積によって生まれてきたのです。しかしながら、この度の判決でろくでなし子氏は有罪とされ刑事罰が科されました。これでは、性タブーについての問題提起を議論する機会を奪うことになるのはもちろんのこと、こうした先人達の努力に支えられた女性の社会進出の歴史について「否」をつきつけることにもなります。それは女性の社会参加の未来を考える上で重大な意味を持つことになるわけで、私は女性クリエイターとしても看過できません。
【まとめ】
ろくでなし子氏は、なぜ氏自身の性器をモチーフとしたのでしょうか? 推測するに、女性器について「自分の身体として取り戻された」女性器として-----また、その女性器を発端とした性の問題として-----主体的に話題にしたかったということではないでしょうか? したがって、「自分の大事な体の一部」であり「自分の身体として取り戻された」女性器としての「まんこ」は、氏自身の女性器をモチーフとする必要があったのだという気がします。
現代の女性の「性」をめぐっては、性タブーをはじめとし、性教育、性感染症、避妊(ピルの使用や普及はどうするのか?)、ひいては女性の労働環境、性差別等々、議論するべきことは山積みです。それは、客体としての女性の「性」ではなく主体である女性が自分の「性」のこととして考えなければならないことでもあります。そして、「性」を語ることがタブーであれば、こうしたことを議論することもできません。
女性の社会参加が行われるためには、先人達の不断の努力の積み重ねが必要でした。それは時には賽の河原で石を積み上げるようなことであったとも言えましょう。私はこうした先人達の努力を無にしたくはありません。積み上げた石を賽の河原の鬼が蹴散らすようなことにならぬよう、第二審ではろくでなし子氏の無罪を切に願います。
以上
女子現代メディア文化研究会共同代表/デザイナー
山田久美子
[ 注 ]
(注1) ろくでなし子氏の弁護側の主張では作品はフェミニズムアートとしての側面を持つことについて思想性があるとの主張もされたが、判決では「本件各造形物はポップアートの一種であると捉えることは可能であり」としながらも、「そこからフェミニズムアートの思想を直ちに読み取ることができるかはさておき」、くり返すが「さておき」などと、なげやりな態度も見られる。
(注2) 朝日新聞/2016年5月13日コラム「きょうも傍聴席にいます」
(注3) 田中ひかる「生理用品の社会史」(ミネルヴァ書房/2013年)によれば、「アンネナプキン」は当時の坂井素子社長の「日本人女性の体に合った紙綿製の生理用品が普及すれば、女性達は月経時をもっと快適に過ごせる」というコンセプトに基づき設計された。現在我が国で主流となっている、ゴム引きではない生理用ショーツと個包装の使い捨て紙ナプキンの組み合わせは「アンネナプキン」から始まっている。
(注4) 成清弘和「女性と穢れの歴史」(塙書房/2003年)では、九世紀後半の『貞観式』に公の規定として初めて「血穢」が確認できるとしている。九世紀前半の『弘仁式』では不明。田中ひかる「生理用品の社会史」(ミネルヴァ書房/2013年)では、第二次世界大戦後まで月経禁忌にともなう月経小屋の使用が民間の慣習として続いたことが指摘されている。
(注5) 渡紀彦「アンネ課長」(日本事務能率協会/1963年)
(注6) 当時の生理用品だった「モッコふんどし」
(注7) 田中ひかる「生理用品の社会史」(ミネルヴァ書房/2013年)
(注8) 渡紀彦「アンネ課長」(日本事務能率協会/1963年)。渡紀彦の宣伝課長という役職は、業務内容から考えれば現代的に言えばアートディレクター、クリエイティブディレクターというところであろう。彼が関わった「アンネナプキン」の広告のシリーズでは、「日本雑誌広告賞」を複数受賞している。
(注9) 小野清美「アンネナプキンの社会史」(宝島社文庫/2000年)では、「昭和五十年代以後、生理用品のCMには研ナオコに始まり、アン・ルイス、マッハ文朱、中原理恵、新体操の山崎浩子、木の実ナナ、木内みどり、田中美奈子、田中美佐子、秋野暢子、三田寛子、長野智子、伊藤かずえら多くのタレントや女優が登場している」と指摘している。近年では元AKB48の前田敦子が登場するなど、ナプキンのテレビCMにおけるタレントの起用はもはや当たり前となっている。
(注10) 1985年のユニチャーム「ソフィ」のCMにおける笑福亭鶴瓶の起用に見られるように、笑い要素により陰鬱なイメージを払拭しようという動きもあった。小野清美「アンネナプキンの社会史」(宝島社文庫/2000年)では、ユニチャーム「チャームナップミニ」のCMに起用された研ナオコについて、広告批評家の天野祐吉の次のような批評を引用している。「ふつうに自分を出せて、しかも自分を笑い飛ばせる三枚目の賢さをもった人でなければ月経をからっとしたものにできなかっただろう」。
(注11)1985年の大王製紙「エリス」の広告では「安全地帯」の「碧い瞳のエリス」がCM曲に使われ、そのコピーは「エリスは安全地帯」というものだった。CMにはヴォーカルの玉置浩二も出演している
(注12) 「アンネナプキン」以降のナプキン自体のデザインは、各シチュエーションに応じた多岐に渡るものとなった。普通の日用、夜用、多い日用、さらに多い日用、逆に軽い日用…と、開発が進み、超薄型のデザインも生まれた。また、ナプキン装着時の「横ずれ」問題に対応すべく、ナプキンの固定テープのデザインは次々と考案されていった。最初は両面テープを応用した固定テープで、前方後方の2カ所のもの、サイドに2本(ユニチャーム「チャームナップミニ」に見られたいわゆる「サイドストッパー」、現在では見ることはなくなった)、サイドと真ん中の3本のもの等が開発され、そして終には羽根(P&G「ウィスパー」等に現在でも見られるいわゆる「ウイング」)つきのナプキンが考案される。なお現在では、日東電工株式会社によれば(http://www.nitto.com/jp/ja/tapemuseum/history/chapter06_20.html)両面テープはほとんど用いられなくなったという。ナプキンに粘着剤を直接塗って、剥離ライナーを貼ったものが主流になっているとする。またナプキンに内蔵された高吸収性ポリマーは、現在では、乳児用・成人用の紙おむつ等に共有されている。
(注13) 田中ひかる「生理用品の社会史」(ミネルヴァ書房/2013年)では「モッコふんどし」について、次のような使用談の記録がある。「脱脂綿は一日に何回かとりかえるのだけれど、それでも一日たつとモッコふんどしが血でカラカラにひからびて、かたーくなっちゃうわけなのよ。今考えてみれば、血のりでガバガバになったのを一日中してなきゃならないというのは、つらかったねえ。それでもそれをバケツの水につけて洗って、物置きの中に干したのよ。ほんとうは日光にあてて消毒すればいいんだけど、その当時は、不浄なものだからお日様にあてちゃいけないって母に言われたのよ。」
(注14) 「アンネナプキン」が登場する以前の1950年代頃は我が国ではゴム引きの生理バンドが存在したが現在のナプキンの快適さには到底及ばないものであったとされる。渡紀彦「アンネ課長」(日本事務能率協会/1963年)で渡も「ムレる」「カブれる」「タダれる」と、その難点を指摘している。
(注15) 「血穢」は1872年太政官布告五六号「今より産穢憚り及ばず候う事」という法令により公には廃止された。
・ろくでなし子氏裁判の無罪を求める意見書(PDF版352kb)