当会は、本日、文化庁が募集している著作権法改正に関するパブリックコメントを提出いたしました。
以下、様式に則った回答を転載いたしました。
1. 基本的な考え方
(1)「深刻な海賊版被害への実効的な対策を講じること」と「国民の正当な情報収集等に萎縮を生じさせないこと」という2つの要請を両立させた形で、侵害コンテンツのダウンロード違法化(対象となる著作物を音楽・映像から著作物全般に拡大することをいう。以下同じ。)を行うことについて、どのように考えますか。①~⑤から一つを選択の上、回答欄に記入して下さい。
回答:無回答
2. 懸念事項及び要件設定
(1)侵害コンテンツのダウンロード違法化を行うことによる懸念事項として、下記(ⅰ)~(ⅶ)のそれぞれについて懸念される程度を、①~⑤から一つを選択の上、回答欄に記入して下さい。その他、懸念事項があれば(ⅷ)に記入して下さい。
(i)インターネット上に掲載されたコンテンツは、適法にアップロードされたのか違法にアップロードされたのか判断が難しいものが多いため、ダウンロードを控えることになる。
回答:② どちらかというと懸念される
(ii)重要な情報をスクリーンショットで保存しようとする際に、違法画像等(例:SNSのアイコン)が入り込むことが、違法になる。
回答:① とても懸念される
(iii)漫画の1コマのダウンロードや、論文の中に他人の著作物の違法引用がされている場合の当該論文のダウンロードなど、ごく一部の軽微なダウンロードでも違法になる。
回答:① とても懸念される
(iv)原作者の許諾を得ずに創作された二次創作・パロディのダウンロードが、違法になる。
回答:① とても懸念される
(v)無料で提供されているコンテンツ(例:無料で配布・配信されている雑誌、漫画、ネット記事)が違法にアップロードされている場合に、そのダウンロードが違法になる。
回答:② どちらかというと懸念される
(vi)権利者がアップロードを問題視していない(黙認している)場合でも、ダウンロードが違法になる。
回答:① とても懸念される
(vii)権利者により濫用的な権利行使がされる可能性や、刑事罰の規定の運用が不当に拡大される可能性がある。
回答:① とても懸念される
(viii)その他、懸念事項があれば記入して下さい。
1.の(1)について、選択肢に該当する答えがないので無回答とする。
設問個別についての懸念事項。
(i)について
インターネット上に掲載されたコンテンツが「適法にアップロードされたのか違法にアップロードされたのか判断が難しい」状況では、趣味でインターネットを利用するユーザーは、ダウンロードを控えることが懸念される。後述するが、一方で、ライセンスビジネスに関わるクリエイターが、そのような状況にあって業務上の理由でどうしても著作物をダウンロードをせざるを得ないことによる問題が生じる懸念がある。
(ii)について
設問の例にあるようなSNSのアイコンも含めてだが、クリエイターが作成した著作物が違法にネット上にアップロードされユーザーが見ることができる状態にされている場合に弁護士等に相談する際、権利者以外が証拠資料としてスクリーンショットで保存することも違法になるならば、証拠を得ることが難しくなりそうした相談がしにくくなる。それにより、著作権者としてのクリエイターの権利が守られにくくなる懸念がある。
(iii)について
後述するが、(i)同様に、ライセンスビジネスに関わるクリエイターが、そのような状況にあって業務上の理由でどうしても著作物をダウンロードをせざるを得ないことによる問題が生じる懸念がある。
(iv)について
芸術やデザインの分野では「パロディ」という表現手段があり、その表現手段による作品や成果物が創作されている。文化庁文化審議会著作権分科会法制問題小委員会パロディワーキングチームにおかれても、判例を用いた「パロディ」に関わる問題の検討が行われている。平成25年3月付の「パロディワーキングチーム報告書」(http://www.bunka.go.jp/seisaku/bunkashingikai/chosakuken/hosei/parody/pdf/h25_03_parody_hokokusho.pdf)にて「本ワーキングチームとしては、デジタル・ネットワーク 社会において著作物の利用形態が急速に変化している中で、著作物としてのパロディの 在り方や、その権利意識について権利者・利用者ともに急速な変動が見られることも併せ考慮すると、少なくとも現時点では、立法による課題の解決よりも、既存の権利制限 規定の拡張解釈ないし類推適用89や、著作権者による明示の許諾がなくても著作物の利 用の実態からみて一定の合理的な範囲で黙示の許諾を広く認めるなど、現行著作権法による解釈ないし運用により、より弾力的で柔軟な対応を図る方策を促進することが求められているものと評価することができる。」ということが、総合的勘案としてまとめられている。
我が国においても、作品や成果物が「パロディ」であるか否かについて検討されたり裁判で争われたりということがあったし今後もあり得るとして、設問(iv)では「パロディ」として成立している作品や成果物自体が違法扱いの前提となっているようにも受け取れるので、念のため言うが、「パロディ」の創作自体を違法化することには反対する。上に述べた、「パロディワーキングチーム報告書」の勘案のような認識に立ち返るべきである。
(v)について
プロ・アマ問わずクリエイターが利用する、素材・フォントの配布サイトの紹介サイト(紹介サイトには無料の素材・フォントの配布サイトも含む)は、グレーゾーンになってしまうという危惧がある。
例えば「colis」(https://coliss.com)のようなサイトが該当するが、素材やフォントの紹介のために著作権者としてのクリエイターの許諾をとらずに宣伝用に画像を掲載して例がある。権利者が黙認しているのでこのようなサイトは普及しているという面はあるが、サイト運営者が萎縮してサイトを閉鎖する恐れがある。
このようなサイトであれば、むしろクリエイターにとっても宣伝になっているので、クリエイターにとっても利益を損なうことになる。
(vi)について
(v)に同じ。
(vii)について
刑事罰の要件が適切な手続きを経ずに追加される恐れがある。
次に、権利侵害コンテンツダウンロード違法化に関わる全体を通した懸念事項。
まず、「刑事罰」となると扱いが「犯罪」の領域になるが、「犯罪」が持つより凶悪な印象によるインパクトで、たとえ全て親告罪のままであるとしてもクリエイターにとっては萎縮効果が大きいと考える。
商品の発売日が固定されているライセンスビジネスにおいて、企画、デザイン、製造、販売という過程では、何らかの問題が起き行程の遅れが生じる事態は注意深く避けようとする。そのため、「文化庁当初案の考え方に関する資料」にて示されるように「⑦企業においてビジネスの一環として行われるダウンロードや、漫画家・研究者等が業務として行うダウンロードについては、現行法上も、自由利用を認める規定はありません(これらは、いわゆる「寛容的な利用」として行われていたり、権利者の許諾を得て行われている場合が多いものと考えられますが」などとしているとしても、「刑事罰」が前提となればそれに相応した捜査が行われることとなり、民事訴訟を起こされるよりもはるかにビジネスの行程に影響を及ぼすこととなり得る。したがって、このような事態が生じないよう、あらかじめ確実に安全な範囲で業務を遂行しようとするのであって、適法とされるよりも小さな範囲で業務を遂行しようとして、適法な利用あるいは「寛容的な利用」すら控える局面が懸念されるのである。
このような、「刑事罰」というインパクトによる萎縮効果を鑑み、たとえすべてが親告罪のままであるとしても「刑事罰」の導入は見送るべきであると考える。
また、そのような捜査の様子がメディアを通して社会に伝われば、企業にとって社会的なイメージダウンなどにつながるし、裁判の結果たとえ無実であったとしても、SNSなどでデマを含めたイメージを損ねる言説が拡散されればビジネスに悪影響を及ぼしかねないのだ。
ライセンスビジネスにおいては、「寛容的な利用」として行われる著作物のダウンロードは避けられないわけだが、そのことにより問題も生じる。それは(i)、(iii)で後述するとした部分であるが、そうした著作物のダウンロードやダウンロードで入手して共有・保管している著作物について、悪意ある第三者から嫌がらせのデマや言いがかりを流布される可能性がありながら、やはり、業務上の理由でそうした著作物のダウンロードも保管も決してやめられないということにより、無防備にリスクを負わなければならないという問題が生じてしまう。
「違法にダウンロードした漫画の画像をコレクションしている」などとする悪意ある第三者によるデマや不正確な言説が、企業やクリエイターへ向けられ、業界の内情を知らず安易にその情報を信じた人々によりSNSで拡散され、その結果、企業やクリエイターのイメージダウンになるというような例も起こり得るわけだが、著作権法にはフェアユースのようなわかりやすい規定がない。それは、ライセンスビジネスにおけるリスクマネジメントを困難にしている。
ライセンスビジネスはライセンサーからライセンシーにインターネットなどを介した経路で著作物の受け渡しや共有が日常的に行われているわけだが、ライセンサーとライセンシーが別の企業やクリエイター個人であることも多々ある。まして、ライセンサーの企業が企画、デザイン、製造、販売までの全ての工程を単独で行なっているのではなく、そこには複数の企業やクリエイター個人が関わっている。ライセンスビジネスにおける著作物についての「ビジネスの一環として行われるダウンロード」は、必ずしも単独の企業の社内で行われていないということである。このような、ライセンスビジネスの業界の内情は、確かに外部の市民の立場からは想像しがたいかもしれないし、ゆえに、悪意ある第三者がデマや不正確な言説を流布しやすい現状はあると言えるだろう。
こうした例については、佐野研二郎氏がデザインし取り下げとなった東京オリンピックのマークの件が記憶に新しい。SNS上では「パクリ疑惑」として著作権法違反の疑いでバッシングの対象となったが、このマークについては商標法の観点から分析するべき可能性を持つとしても、著作権法違反には該当しないという法曹の人々からの意見もあった。しかしながら、SNS上の著作権法違反との決めつけをきっかけとするバッシングにより、佐野氏のご家族にまで危険が及ぶということがあった。佐野氏ご自身は、この騒動の後に、一時的に仕事が減ってしまったということを述べているわけで、事実を検証しないままに不正確な情報が拡散されることで、ビジネスに悪影響を及ぼすことができるということを示している。
このように、ライセンスビジネスに関わる企業やクリエイターは、不正確な情報の拡散による企業やクリエイターのイメージダウンという問題を抱えながら、リスクマネジメントも困難な状況にある。したがって、日本版フェアユースの導入を求める。
(2)上記の懸念などを踏まえ、具体的にどのような要件・内容とすることが望ましいと考えますか。下記(i)及びその回答に応じた(ii)~(vi)の回答欄に記入して下さい。
(i)侵害コンテンツのダウンロード違法化に関する文化庁当初案(添付1~3参照)について、どのように考えますか。①~⑤から一つを選択の上、回答欄に記入して下さい。
回答:無回答
3. その他
(1)侵害コンテンツのダウンロード違法化に関して、上記のほかに御意見があれば、記入して下さい。
2.の(2)の(i)について、選択肢に該当する答えがないので、他の意見としてこちらに記す。
回答に「違法化の対象を絞りこむ」かどうかなどとの記述があったが、著作権侵害コンテンツの問題は、日本版フェアユースの導入という観点と無関係ではいられない。「文化庁当初案の考え方に関する資料」においても、「寛容的な利用」「文化庁においては、研究目的で行う利用を適法と認める規定の創設など、著作物の公な利用を促進するための措置について、並行して、鋭意検討を進めているところです。」などと、フェアユースに関連する内容について言及するならば、明確に日本版フェアユースの導入のための論議をするべきである。
インターネットが市民の生活に浸透した今日、著作権に関わる複雑な状況が生まれているし、海賊版サイトの問題も見過ごせない。こうした中で、ライセンスビジネスに従事するクリエイターが安心して仕事が行うには、そもそも悪質な著作権侵害行為と「寛容的な利用」を明確に区別する必要があると考える。現代のような時代に合った日本版フェアユースの導入は喫緊の課題なのである。
なお、我が国において、少なくとも2015年ぐらいまでは文化庁文化審議会著作権分科会におかれても、フェアユースに関する論議が続いていたはずであり、アーカイブに議事録を見ることができる。アメリカ型フェアユースにするならば、アメリカ著作権法第107条のような規定の創設と条文における明確な「フェアユース」の定義を行うことが必要になるであろう。しかし、実際のところ、アメリカ型のフェアユースは日本の法律に合わないし使いこなせないといった意見も散見する。その場合、現行の著作権法の条文に、個別に権利制限規定を設け、必要箇所に「権利者の利益が不当に害される場合」以外罪に問わない旨を追加するなどといったことになろう。あるいは、著作権法第32条を拡大するイメージで「事業を継続するにあたり、業務上避けられない理由がある場合、(1)権利者以外がインターネット上の著作物のダウンロードを行う、(2)権利者以外が著作物を権利者の許可なく利用する、権利者以外の(1)(2)のいずれかの行為で、権利者の利益を不当に害することがない場合は、権利者以外は著作物を利用することができる」などと条文を付け加えることになろう。
とはいえ、文化庁文化審議会におかれては、フェアユースに関する論議の蓄積があるわけで、これを引き継ぎながら法曹の専門家のそれぞれの意見を今一度伺うべきではないかと考える。拙速な判断で、問題点を見落としてはならないからである。漫画家やクリエイターに加えて法曹などの専門家を交え、フェアユースに関する会議を再開し、その議事録を公開していただくよう求める。
(2)リーチサイト対策に関して御意見があれば、記入して下さい。
リーチサイトの規制強化をするとしても、リーチサイトのサイト運営者・アプリ提供者についての規制内容における、刑事罰化・非親告罪化に反対する。
2.の(1)の(viii)でも述べたように、「刑事罰」のインパクトについての懸念があるし、非親告罪としてしまっては捜査機関による権力の乱用につながる恐れがある。
また、リンク提供者については、刑事罰化に反対する。こちらも、「刑事罰」のインパクトについての懸念がある。
2.の(1)の(vi)に述べた「colis」のようなサイトが、嫌がらせを意図した第三者による捜査機関への通報で不当な捜査を受け、サイトを継続できなくなる恐れもある。
また、クリエイターのポートフォリオサイトでリンク集のページを放置した結果、リンク先のアドレスが悪質な者に売却されるなどし、内容が変わる場合がある。そうしたリンク先に違法ダウンロードサイトが含まれていないとも限らないのである。こうした場合にも、嫌がらせを意図した第三者による捜査機関への通報が行われる可能性がある。
(3)その他、海賊版対策全般に関して御意見があれば、記入して下さい。
YouTubeで漫画海賊版が配信されている。漫画のページそのもので、物語丸ごとを順番に静止画の映像として配信する内容で、引用とは異なる。例えば「進撃の巨人 最新話」と検索すればそのような漫画海賊版にヒットする。こうしたアカウントは、短期間配信し儲けを出しては、動画やアカウントを消すといった状態となっている。
YouTubeでは現状の規約で、YouTubeの配信動画に海賊版の動画を発見したとしても、著作権者や代理人でなければ著作権侵害として報告できないこととなっている。このように、海賊版サイトが放置される例については方策を講じるべきだろう。例えば、著作権者に海賊版の動画の存在を報告するための窓口を、YouTubeか版権元の出版社かのどちらかに設置などをするべきではないだろうか。
また、リーチサイト規制を強めるだけならば、運営者がリーチサイトでの漫画海賊版配信をやめて(※1)このようなYouTubeでの配信に流れるばかりになる可能性もある。まずは、悪質なオンラインリーディングサイト、リーチサイト、違法なアップロードを、著作権者以外の第三者の市民が発見した際に、著作権者に報告がしやすいシステム作りをすることが先決だと考える。
※1:リーチサイトには運営者投稿型もある
2019年10月30日水曜日
2019年10月16日水曜日
「あいちトリエンナーレ2019」への補助金不交付の取り消しを求める意見書
【はじめに】
文化庁は「あいちトリエンナーレ2019」への補助金について全額不交付とする決定をしました。問題視されたのは、同トリエンナーレ内の展覧会「表現の不自由展・その後」に関わってのことについてです(※1)。
補助金の全額不交付の理由について文化庁は「愛知県は、展覧会の開催に当たり、来場者を含め展示会場の安全や事業の円滑な運営を脅かすような重大な事実を認識していたにもかかわらず、それらの事実を申告することなく」手続きを行ったからであると主張しています。そして、適正な審査を行うことができなかった重要な点として、「[1]実現可能な内容になっているか、[2]事業の継続が見込まれるか、」の2点をあげています(※2)。萩生田光一文部科学相は、この件について「文化庁に申請があった内容通りの展示会ができていない」と説明しています(※3)。
【意見の趣旨】
文化庁に対し、「あいちトリエンナーレ2019」への補助金不交付の取り消しを求める。
【意見の理由】
[理由1]
補助金不交付の意思決定の過程では、外部審査委員に意見聴取がされておらず、しかも、その意思決定に関するの議事録がないことから、この件に関する文化庁の意思決定の手続きが不適切と言わざるを得ないからである。
[理由2]
「文化庁に申請があった内容通りの展示会ができていない」などとしているが、むしろ申請に必要な内容を聞き漏らした文化庁のヒアリング技術に難があるからである。
[理由3]
補助金交付の対象となる文化事業によっては、精巧かつ均質な反復可能性を持たない一回性による価値に支えられる芸術を内容に含む場合があり、そうした場合は「申請があった内容通りの展示会」を継続すること自体が不可能だからである。
【背 景】
[理由1について]
報道によると、補助金不交付の意思決定の過程では、外部審査委員に意見聴取がされていなかったとのことです。一度承認した申請をくつがえすというこの度の決定は、報道にあるような、2段階の審査のうちの「2段階」の「事務的審査」には該当しないと考えます。
詳細は後述しますが、文化庁は手続き上の不備を理由に補助金を不交付としたと主張していますが、元々、文化庁側のヒアリング技術に難があればこそ聞き出すべき重要な内容を聞き漏らしたのだから、補助金不交付の検討は申請の「内容」に関わる案件です。よって、そのような検討は、内容に関わる「1段階」の「内容の審査」の範疇と判断し再審査するのが妥当であり、外部審査委員への意見聴取が必要です(※4)。
また、こうした意思決定の過程における議事録がないとのことで、不透明な手続きで意思決定が行われているという面もあります。我が国のような民主主義社会にあっては行政の意思決定の手続きとして不適切と言わざるを得ません。
[理由2について]
補助金不交付の意思決定の過程で外部審査委員に意見聴取がされていないことからも解るとおり、文化庁からはヒアリングする意思に乏しい様子が伺えます。
また、文化庁が配布するヒアリングに用いるツールには適切な設計がされていない例が散見されます。
文化庁が昨年末に著作権関連のパブリックコメントを募集した際に採用していた意見提出用のテンプレートは、奇妙に横に細長いドキュメントで、項目の記入に必要な字数に対するフォーマットの幅と高さが適切な状態ではなく、記入のしやすさ見やすさについての考案がなされた設計がされていませんでした(※5)。ユーザビリティが低く、ユーザーからヒアリングをするという目的を実現するのに適した設計になっていなかったということです。本年9月から募集しているパブリックコメントの意見提出用のテンプレート(※6)にも、難点がありました。こちらは、あらかじめ用意されたいくつかの選択肢から回答を選択する仕様で、選択肢にない回答ができないため意見の表明ができない部分があり、意見の聞き漏らしが生じる設計となっています。こちらも同じように、ヒアリングをするのに適した設計となっておらず、文化庁の、目的にかなったツールを作るための技術的な難点を垣間見ることができます。
このように、文化庁のヒアリング技術には難があることが解ります。ヒアリング技術があれば、補助金交付の申請時に必要な重要事項を聞き出せないなどということは起こらなかったにもかかわらず、補助金交付の申請者側に責任に転嫁し、今さら補助金不交付という決定をしたのではないでしょうか。
[理由3について]
文化庁は「[1]実現可能な内容になっているか、[2]事業の継続が見込まれるか、」という2点について、適正な審査を行うことができなかった重要な点としています。これについて、萩生田光一文部科学相は「申請があった内容通りの展示会」を行えていなかったとの説明を付け加えていますが、補助金交付の対象となる文化事業が必ずしも「申請があった内容通り」に遂行し継続できるかといえば、否と言うより他ありません。
本年8月に北海道立近代美術館で開催された「カラヴァッジョ展」では、展覧会の目玉作品として展示予定であった「瞑想するアッシジの聖フランチェスコ」が不出品(他に「女占い師」も。また、カラヴァッジョから影響を受けた周辺作家の作品6点が不出品となりました。)となったことが記憶に新しいです。展覧会を開催する際には、このように予想外の事態が生じ、内容の変更を迫られる例があります。また、展覧会に限らず、何かの企画を遂行しようとする際には、同様に何らかの理由で内容の変更をせざるを得なくなる場合があります。制作に必要な原材料の価格が高騰する、天災に見舞われるなど、予想し得ぬ理由で計画の変更をせざるを得ない状況に陥る場合があります(※7)。
このように展覧会を遂行し継続するには、予想外の事態が生じる可能性は全くないとは言えないのであって、補助金交付の対象となる文化事業が必ずしも「申請があった内容通り」にはならないという可能性を常に抱えることになります。
そうした面では、愛知県にとっては「表現の不自由展・その後」の開催に関連する具体的な脅迫内容(※8)については、予想し得ぬことだったであろうことは考慮しなければなりません。具体的な内容が明らかになってはじめて予想できなかった深刻性が露呈するような脅迫について、後になってから「来場者を含め展示会場の安全や事業の円滑な運営を脅かすような重大な事実を認識していた」という指摘をし始め、一度申請を承認した給付を取り消すのは無理があります。
そもそも、補助金交付の対象となる文化事業は、内容に含む芸術によっては、厳密に「申請があった内容通りの展示」を継続するのが不可能なジャンルがあります。複製技術が発達した現代には、写真やポスター、映画といったジャンルの複製技術によって作り出される芸術作品が広く普及しています。一方で、一回性による価値に支えられる芸術もまた根強く支持され続けています。こちらには、能のような古典芸能や、音楽、演劇などといった実演系のジャンルの芸術が含まれます。精巧かつ均質な複製によって作られる複製芸術と比べれば明白ですが、同じ筋書きにより実演を繰り返し行うとしても、実演は複製芸術のように精巧かつ均質な反復可能性はなく、偶然性や反復し得ない細部を含む「ただ一回である」という性質を持ちます。偶然性を含む一回性という性質上、「申請があった内容」と同一の実演を繰り返し継続するのは不可能ということです。
音楽の実演では、例えばジャズに見られるような即興演奏(アドリブ)があります。ロックの実演においても、演者の興が乗り、ステージを走ったり客席に飛び降りたりする他、即興演奏を交えたりということが行われています。高いところから飛び降りて骨折したという演者の逸話やその際の写真も残っており、骨折を予定してパフォーマンスを繰り返すのは現実的には継続できないし、したがって、このような逸話は実演が偶然性や反復し得ない細部を含むことを表していると言えます。
このように、一回性による価値に支えられるジャンルの芸術は、「申請があった内容通り」に継続すること自体が不可能なわけで、今後、文化庁に対し補助金交付を申請することが困難になる可能性があります。あるいは、たとえ申請が認められたとしても、こうしたジャンルの芸術が「申請があった内容通り」に継続することは元々不可能なのだから、申請が認められた後に「申請があった内容と異なる」との謗りを受け始め、補助金が不交付となることがないとは限りません。これでは申請する企画に萎縮を及ぼし、実演においてもアレンジや即興ができなくなる可能性があります。
【結 論】
以上のように、補助金不交付の意思決定を行う過程には文化庁が行う手続きとして不適切な面がありますし、文化庁にむしろ補助金交付の申請を受け審査をするという業務を遂行するための技術が不足しているという傾向もあります。また、芸術には偶然性を含む一回性による価値に支えられるジャンルがあるということについて理解がないまま、「申請があった内容通り」に芸術の企画を継続することができる前提でそれを求めては、表現の萎縮を招き、補助金が必要な文化事業が廃れることになります。そうなれば、我が国の文化の未来にも影を落とすことになります。
この度の文化庁による「あいちトリエンナーレ2019」への補助金不交付は、愚かな決定です。文化庁には、この度の不当な補助金不交付という決定をただちに見直すよう要求します。
【補 論】
私ども女子現代メディア文化研究会の設立のきっかけの一つには、2012年11月から開催された森美術館の企画展「会田誠展 天才でごめんなさい」についての意見表明がありました。一部の作品について、ゾーニングされた部屋での展示であるにもかかわらず、撤去を求める声が一部の市民からあり、それに対する反対意見を表明したというものです(※9)。
この度、問題とされた展覧会「表現の不自由展・その後」ですが、表現の不自由展・その後実行委員会の一部のメンバーの存在を鑑みるに、同実行委員会にとってはそのような経緯で設立された私どもの存在こそ、忌避され社会から遠ざけられるべきであると判断される可能性もあることは免れません。しかしながら、この度も、「表現」をめぐる問題としての深刻さから看過することが儘なりませんでした。それは、ろくでなし子さんの裁判(ろくでなし子さんの作品「デコまん」は無罪が確定しているが、有罪部分については最高裁に上告中です)(※10)や群馬県での白川昌夫さんの作品の騒動(※11)においても、私どもにとっては同様でした。
我が国で近代的な意味での「美術館」の導入が始まった明治以降、美術館や展覧会に関わる諸々の問題が引き続いています。この度も繰り返された問題の中には、一つの示唆がありました。それは、自分の立場や単なる価値観に基づく「正義」に合わない表現に撤去や排除を求めれば、やがて自分に返ってくるということです。価値観に基づく「正義」が異なる市民同士が表現を排除し合えば、やがて不自由な社会を迎えるであろうという示唆を、重く受け止める次第です。
[注]
※1:文化庁Webサイト報道発表ページ内「あいちトリエンナーレに対する補助金の取扱いについて」にて「別紙」項目「参考:事実関係」内で「8月4日以降 「表現の不自由展 その後」,中止」(原文ママ)の明記がある。
※2:文化庁Webサイト報道発表ページ内「あいちトリエンナーレに対する補助金の取扱いについて」に掲載。
(http://www.bunka.go.jp/koho_hodo_oshirase/hodohappyo/1421672.html)
※3:9月26日の囲み会見での説明。
※4:報道では「審査には2段階あり、審査委員会も関わるのが1段階となる内容の審査で、2段階は事務的審査があります。文化庁に聞いたところ、今回は、後者に該当するので審査委員会には聴かなかったということでした。」とのこと。(「文化庁の審査委員が辞意を伝えた理由 補助金不交付で「委員へ意見聴取なし」に異議」/2019年10月3日「J-CASTニュース」)
※5:昨年12月10日から本年1月6日まで意見募集が行われた「文化審議会著作権分科会法制・基本問題小委員会中間まとめ」にて採用されたExcel書類「(様式)中間まとめ御意見送付用テンプレート」。
(https://search.e-gov.go.jp/servlet/Public?CLASSNAME=PCMMSTDETAIL&id=185001021&Mode=1)
※6:本年9月30日から10月30日まで意見募集が行われている「侵害コンテンツのダウンロード違法化等に関するパブリックコメント」にて採用されているExcel書類「質問事項および回答様式」(PDF版あり)。
(https://search.e-gov.go.jp/servlet/Public?CLASSNAME=PCMMSTDETAIL&id=185001067&Mode=0)
※7:川崎市民ミュージアムは台風19号により当面休館となり開催中の「のらくろ展」も中断しています。
※8:脅迫には「撤去しなければガソリン携行缶を持ってお邪魔する」といった内容も含まれました。
※9:「会田誠氏展覧会について、森美術館への作品撤去要請に抗議する声明」(http://wmc-jpn.blogspot.com/2013/03/blog-post_15.html)
※10:「ろくでなし子氏裁判の無罪を求める意見書」(http://wmc-jpn.blogspot.com/2016/08/blog-post.html)
※11:「白川昌生氏の作品の撤去指導に反対し、改めて展示を求める意見書」(http://wmc-jpn.blogspot.com/2017/05/blog-post.html)
・「あいちトリエンナーレ2019」への補助金不交付の取り消しを求める意見書(PDF版430kb)
文化庁は「あいちトリエンナーレ2019」への補助金について全額不交付とする決定をしました。問題視されたのは、同トリエンナーレ内の展覧会「表現の不自由展・その後」に関わってのことについてです(※1)。
補助金の全額不交付の理由について文化庁は「愛知県は、展覧会の開催に当たり、来場者を含め展示会場の安全や事業の円滑な運営を脅かすような重大な事実を認識していたにもかかわらず、それらの事実を申告することなく」手続きを行ったからであると主張しています。そして、適正な審査を行うことができなかった重要な点として、「[1]実現可能な内容になっているか、[2]事業の継続が見込まれるか、」の2点をあげています(※2)。萩生田光一文部科学相は、この件について「文化庁に申請があった内容通りの展示会ができていない」と説明しています(※3)。
【意見の趣旨】
文化庁に対し、「あいちトリエンナーレ2019」への補助金不交付の取り消しを求める。
【意見の理由】
[理由1]
補助金不交付の意思決定の過程では、外部審査委員に意見聴取がされておらず、しかも、その意思決定に関するの議事録がないことから、この件に関する文化庁の意思決定の手続きが不適切と言わざるを得ないからである。
[理由2]
「文化庁に申請があった内容通りの展示会ができていない」などとしているが、むしろ申請に必要な内容を聞き漏らした文化庁のヒアリング技術に難があるからである。
[理由3]
補助金交付の対象となる文化事業によっては、精巧かつ均質な反復可能性を持たない一回性による価値に支えられる芸術を内容に含む場合があり、そうした場合は「申請があった内容通りの展示会」を継続すること自体が不可能だからである。
【背 景】
[理由1について]
報道によると、補助金不交付の意思決定の過程では、外部審査委員に意見聴取がされていなかったとのことです。一度承認した申請をくつがえすというこの度の決定は、報道にあるような、2段階の審査のうちの「2段階」の「事務的審査」には該当しないと考えます。
詳細は後述しますが、文化庁は手続き上の不備を理由に補助金を不交付としたと主張していますが、元々、文化庁側のヒアリング技術に難があればこそ聞き出すべき重要な内容を聞き漏らしたのだから、補助金不交付の検討は申請の「内容」に関わる案件です。よって、そのような検討は、内容に関わる「1段階」の「内容の審査」の範疇と判断し再審査するのが妥当であり、外部審査委員への意見聴取が必要です(※4)。
また、こうした意思決定の過程における議事録がないとのことで、不透明な手続きで意思決定が行われているという面もあります。我が国のような民主主義社会にあっては行政の意思決定の手続きとして不適切と言わざるを得ません。
[理由2について]
補助金不交付の意思決定の過程で外部審査委員に意見聴取がされていないことからも解るとおり、文化庁からはヒアリングする意思に乏しい様子が伺えます。
また、文化庁が配布するヒアリングに用いるツールには適切な設計がされていない例が散見されます。
文化庁が昨年末に著作権関連のパブリックコメントを募集した際に採用していた意見提出用のテンプレートは、奇妙に横に細長いドキュメントで、項目の記入に必要な字数に対するフォーマットの幅と高さが適切な状態ではなく、記入のしやすさ見やすさについての考案がなされた設計がされていませんでした(※5)。ユーザビリティが低く、ユーザーからヒアリングをするという目的を実現するのに適した設計になっていなかったということです。本年9月から募集しているパブリックコメントの意見提出用のテンプレート(※6)にも、難点がありました。こちらは、あらかじめ用意されたいくつかの選択肢から回答を選択する仕様で、選択肢にない回答ができないため意見の表明ができない部分があり、意見の聞き漏らしが生じる設計となっています。こちらも同じように、ヒアリングをするのに適した設計となっておらず、文化庁の、目的にかなったツールを作るための技術的な難点を垣間見ることができます。
このように、文化庁のヒアリング技術には難があることが解ります。ヒアリング技術があれば、補助金交付の申請時に必要な重要事項を聞き出せないなどということは起こらなかったにもかかわらず、補助金交付の申請者側に責任に転嫁し、今さら補助金不交付という決定をしたのではないでしょうか。
[理由3について]
文化庁は「[1]実現可能な内容になっているか、[2]事業の継続が見込まれるか、」という2点について、適正な審査を行うことができなかった重要な点としています。これについて、萩生田光一文部科学相は「申請があった内容通りの展示会」を行えていなかったとの説明を付け加えていますが、補助金交付の対象となる文化事業が必ずしも「申請があった内容通り」に遂行し継続できるかといえば、否と言うより他ありません。
本年8月に北海道立近代美術館で開催された「カラヴァッジョ展」では、展覧会の目玉作品として展示予定であった「瞑想するアッシジの聖フランチェスコ」が不出品(他に「女占い師」も。また、カラヴァッジョから影響を受けた周辺作家の作品6点が不出品となりました。)となったことが記憶に新しいです。展覧会を開催する際には、このように予想外の事態が生じ、内容の変更を迫られる例があります。また、展覧会に限らず、何かの企画を遂行しようとする際には、同様に何らかの理由で内容の変更をせざるを得なくなる場合があります。制作に必要な原材料の価格が高騰する、天災に見舞われるなど、予想し得ぬ理由で計画の変更をせざるを得ない状況に陥る場合があります(※7)。
このように展覧会を遂行し継続するには、予想外の事態が生じる可能性は全くないとは言えないのであって、補助金交付の対象となる文化事業が必ずしも「申請があった内容通り」にはならないという可能性を常に抱えることになります。
そうした面では、愛知県にとっては「表現の不自由展・その後」の開催に関連する具体的な脅迫内容(※8)については、予想し得ぬことだったであろうことは考慮しなければなりません。具体的な内容が明らかになってはじめて予想できなかった深刻性が露呈するような脅迫について、後になってから「来場者を含め展示会場の安全や事業の円滑な運営を脅かすような重大な事実を認識していた」という指摘をし始め、一度申請を承認した給付を取り消すのは無理があります。
そもそも、補助金交付の対象となる文化事業は、内容に含む芸術によっては、厳密に「申請があった内容通りの展示」を継続するのが不可能なジャンルがあります。複製技術が発達した現代には、写真やポスター、映画といったジャンルの複製技術によって作り出される芸術作品が広く普及しています。一方で、一回性による価値に支えられる芸術もまた根強く支持され続けています。こちらには、能のような古典芸能や、音楽、演劇などといった実演系のジャンルの芸術が含まれます。精巧かつ均質な複製によって作られる複製芸術と比べれば明白ですが、同じ筋書きにより実演を繰り返し行うとしても、実演は複製芸術のように精巧かつ均質な反復可能性はなく、偶然性や反復し得ない細部を含む「ただ一回である」という性質を持ちます。偶然性を含む一回性という性質上、「申請があった内容」と同一の実演を繰り返し継続するのは不可能ということです。
音楽の実演では、例えばジャズに見られるような即興演奏(アドリブ)があります。ロックの実演においても、演者の興が乗り、ステージを走ったり客席に飛び降りたりする他、即興演奏を交えたりということが行われています。高いところから飛び降りて骨折したという演者の逸話やその際の写真も残っており、骨折を予定してパフォーマンスを繰り返すのは現実的には継続できないし、したがって、このような逸話は実演が偶然性や反復し得ない細部を含むことを表していると言えます。
このように、一回性による価値に支えられるジャンルの芸術は、「申請があった内容通り」に継続すること自体が不可能なわけで、今後、文化庁に対し補助金交付を申請することが困難になる可能性があります。あるいは、たとえ申請が認められたとしても、こうしたジャンルの芸術が「申請があった内容通り」に継続することは元々不可能なのだから、申請が認められた後に「申請があった内容と異なる」との謗りを受け始め、補助金が不交付となることがないとは限りません。これでは申請する企画に萎縮を及ぼし、実演においてもアレンジや即興ができなくなる可能性があります。
【結 論】
以上のように、補助金不交付の意思決定を行う過程には文化庁が行う手続きとして不適切な面がありますし、文化庁にむしろ補助金交付の申請を受け審査をするという業務を遂行するための技術が不足しているという傾向もあります。また、芸術には偶然性を含む一回性による価値に支えられるジャンルがあるということについて理解がないまま、「申請があった内容通り」に芸術の企画を継続することができる前提でそれを求めては、表現の萎縮を招き、補助金が必要な文化事業が廃れることになります。そうなれば、我が国の文化の未来にも影を落とすことになります。
この度の文化庁による「あいちトリエンナーレ2019」への補助金不交付は、愚かな決定です。文化庁には、この度の不当な補助金不交付という決定をただちに見直すよう要求します。
【補 論】
私ども女子現代メディア文化研究会の設立のきっかけの一つには、2012年11月から開催された森美術館の企画展「会田誠展 天才でごめんなさい」についての意見表明がありました。一部の作品について、ゾーニングされた部屋での展示であるにもかかわらず、撤去を求める声が一部の市民からあり、それに対する反対意見を表明したというものです(※9)。
この度、問題とされた展覧会「表現の不自由展・その後」ですが、表現の不自由展・その後実行委員会の一部のメンバーの存在を鑑みるに、同実行委員会にとってはそのような経緯で設立された私どもの存在こそ、忌避され社会から遠ざけられるべきであると判断される可能性もあることは免れません。しかしながら、この度も、「表現」をめぐる問題としての深刻さから看過することが儘なりませんでした。それは、ろくでなし子さんの裁判(ろくでなし子さんの作品「デコまん」は無罪が確定しているが、有罪部分については最高裁に上告中です)(※10)や群馬県での白川昌夫さんの作品の騒動(※11)においても、私どもにとっては同様でした。
我が国で近代的な意味での「美術館」の導入が始まった明治以降、美術館や展覧会に関わる諸々の問題が引き続いています。この度も繰り返された問題の中には、一つの示唆がありました。それは、自分の立場や単なる価値観に基づく「正義」に合わない表現に撤去や排除を求めれば、やがて自分に返ってくるということです。価値観に基づく「正義」が異なる市民同士が表現を排除し合えば、やがて不自由な社会を迎えるであろうという示唆を、重く受け止める次第です。
以上
女子現代メディア文化研究会代表/デザイナー・アートディレクター
山田久美子
[注]
※1:文化庁Webサイト報道発表ページ内「あいちトリエンナーレに対する補助金の取扱いについて」にて「別紙」項目「参考:事実関係」内で「8月4日以降 「表現の不自由展 その後」,中止」(原文ママ)の明記がある。
※2:文化庁Webサイト報道発表ページ内「あいちトリエンナーレに対する補助金の取扱いについて」に掲載。
(http://www.bunka.go.jp/koho_hodo_oshirase/hodohappyo/1421672.html)
※3:9月26日の囲み会見での説明。
※4:報道では「審査には2段階あり、審査委員会も関わるのが1段階となる内容の審査で、2段階は事務的審査があります。文化庁に聞いたところ、今回は、後者に該当するので審査委員会には聴かなかったということでした。」とのこと。(「文化庁の審査委員が辞意を伝えた理由 補助金不交付で「委員へ意見聴取なし」に異議」/2019年10月3日「J-CASTニュース」)
※5:昨年12月10日から本年1月6日まで意見募集が行われた「文化審議会著作権分科会法制・基本問題小委員会中間まとめ」にて採用されたExcel書類「(様式)中間まとめ御意見送付用テンプレート」。
(https://search.e-gov.go.jp/servlet/Public?CLASSNAME=PCMMSTDETAIL&id=185001021&Mode=1)
※6:本年9月30日から10月30日まで意見募集が行われている「侵害コンテンツのダウンロード違法化等に関するパブリックコメント」にて採用されているExcel書類「質問事項および回答様式」(PDF版あり)。
(https://search.e-gov.go.jp/servlet/Public?CLASSNAME=PCMMSTDETAIL&id=185001067&Mode=0)
※7:川崎市民ミュージアムは台風19号により当面休館となり開催中の「のらくろ展」も中断しています。
※8:脅迫には「撤去しなければガソリン携行缶を持ってお邪魔する」といった内容も含まれました。
※9:「会田誠氏展覧会について、森美術館への作品撤去要請に抗議する声明」(http://wmc-jpn.blogspot.com/2013/03/blog-post_15.html)
※10:「ろくでなし子氏裁判の無罪を求める意見書」(http://wmc-jpn.blogspot.com/2016/08/blog-post.html)
※11:「白川昌生氏の作品の撤去指導に反対し、改めて展示を求める意見書」(http://wmc-jpn.blogspot.com/2017/05/blog-post.html)
・「あいちトリエンナーレ2019」への補助金不交付の取り消しを求める意見書(PDF版430kb)
2019年5月27日月曜日
「アクセス抑止方策に係る検討の論点」に対する意見
【意見の趣旨】
[論点1、論点3について]
アクセス抑止方策について、関係者の共通認識のもと幅広いユーザーの声に耳を傾け議論を進めることに賛成である。
[論点5について]
「アクセス警告方式」の実施の前提について議論することに賛成だが、その方式が、問題となっているいわゆる海賊版サイトへのアクセスを抑制する目的を達成する手段として妥当か否かという前提についても、議論するべきであると考える。
「アクセス警告方式」は、海賊版サイトへのアクセスを抑制する目的を達成する手段としては妥当とは言い難い。なぜなら、海賊版サイトの種類によっては用いること自体困難で、著作権についての啓蒙効果もさほど期待できないからである。
【意見の詳細】
[論点1、論点3ついて]
業界関係者としての漫画家・クリエイターはもちろんのこと、インターネットに関わるユーザーを対象に、幅広くヒアリングをすることは必要である。
今日のインターネットは、情報インフラとしての性格を持ち多くの市民の生活の一部である。したがって、市民への影響を考えた上でアクセス抑止方策を設計するべきである。
[論点5について]
「アクセス警告方式」の実施の前提について議論するべきである。それは、違憲性の有無を今一度確認すること、また、海賊版サイトへのアクセスを抑制するという目的を達成する手段が、「アクセス警告方式」でなければならない必然性について議論することを含めてである。
この度の「アクセス警告方式」は、ISPとの約款にその方式を用いる同意の許諾を記載することで、個々のユーザーごとに個別に同意を得ることにより、ユーザーとの「真性の同意」が成立するとのことだが、そう断言するのは可能だろうか。
上に述べたように、インターネットは今日では情報インフラとしての性格を持つ。それは、IoT技術やウェアラブル端末の開発が進む今日において、インターネットなしに市民の生活を成り立たせるのは困難さを伴うということである。市民は、逃れようなくISPに関わらざるを得ない状況があるのだから、約款への同意といっても、約款に同意する以外に選択肢がない点では止むを得ずに選択した不本意な同意を含む状況がある。致し方なく不本意に同意せざるを得ないならば、半ば強制的な同意で強要に近いわけで、これが「真性の同意」として成り立つかといえば疑問が残る。したがって、違憲の可能性は払拭できない。
そのように、通信の秘密を侵す違憲の可能性を払拭できないにもかかわらず、「アクセス警告方式」を採用する利益は、さほどではないのではないかという疑いがある。
近年ではYouTubeで漫画海賊版が配信されている(漫画のページそのもので、物語丸ごとを順番に静止画の映像として配信する内容で、引用とは異なる。この動画「進撃の巨人117ー日本語版|Attack On Titan 117 Full JP」(https://www.youtube.com/watch?v=D4eE5LxUqv8)のような例)が、短期間配信し儲けを出しては、動画やアカウントを消すといった状態となっている。こうした種類の漫画海賊版サイトに対しては、アクセス警告方式は用いること自体が困難だと考える。
まず、ユーザーがYouTubeのこのアカウントにアクセスしようとした時や、まして、YouTubeのトップページにアクセスしようとした時に、アクセス警告のアラートを出すなどということは、現実的には実現し難いだろう。また、短期間の配信のため、悪質な海賊版サイトとして選定するのにかける時間より先に、サイトが消滅するのではないかという疑いもある。
したがって、このような種類の海賊版サイトに「アクセス警告方式」を用いるのは困難であろうし、この方式を有効に用いることができるかについては、議論の余地がある。
それよりは、現状のYouTubeの規約で、YouTubeの配信動画に海賊版の動画を発見したとしても、著作権者や代理人でなければ著作権侵害として報告できないことにより、海賊版サイトが放置されるのだから、それについて方策を講じる方がはるかにスムースだろう。例えば、著作権者に報告するための窓口を、YouTubeか出版社かのどちらかに設置するなどの手段の方が、現実的ではないだろうか。
そして、「アクセス警告方式」による啓蒙効果だが、資料(総務省から公開された資料の「別紙1」)で示されるアラートで、ユーザーが即座に著作権を重んじるようになり、海賊版サイトの利用について罪悪感を抱くようになるというのは、いささか安直ではないかとも考える。
それよりは、例えば、デザイン・クリエイティブ業界向けの雑誌や書籍のように、海賊版サイトユーザーの中心層が読む漫画雑誌等に著作権についてテーマにした連載や特集を設け、上記のアラートのように数行のコメントに終わらすことなく、数ページを割いて解説をすることを繰り返すという情報伝達の方が学習効果があるのではないか。さらに言えば、学校教育の中で、著作権について扱うことが学習効果があり啓蒙につながるのではないか。
以上から、「アクセス警告方式」は、違憲の可能性が残る反面、場合によっては用いるのが困難で啓蒙効果もさほども期待できないし、他の手段を検討する方が現実的で望ましいといえる。したがって、「アクセス警告方式」は、海賊版サイトへのアクセスを抑制する手段としては妥当とはいえず、必ずしも「アクセス警告方式」をその手段として用いることに固執する必要はないのであって、他に効果が期待できる手段を模索するべきであるといえる。
[論点1、論点3について]
アクセス抑止方策について、関係者の共通認識のもと幅広いユーザーの声に耳を傾け議論を進めることに賛成である。
[論点5について]
「アクセス警告方式」の実施の前提について議論することに賛成だが、その方式が、問題となっているいわゆる海賊版サイトへのアクセスを抑制する目的を達成する手段として妥当か否かという前提についても、議論するべきであると考える。
「アクセス警告方式」は、海賊版サイトへのアクセスを抑制する目的を達成する手段としては妥当とは言い難い。なぜなら、海賊版サイトの種類によっては用いること自体困難で、著作権についての啓蒙効果もさほど期待できないからである。
【意見の詳細】
[論点1、論点3ついて]
業界関係者としての漫画家・クリエイターはもちろんのこと、インターネットに関わるユーザーを対象に、幅広くヒアリングをすることは必要である。
今日のインターネットは、情報インフラとしての性格を持ち多くの市民の生活の一部である。したがって、市民への影響を考えた上でアクセス抑止方策を設計するべきである。
[論点5について]
「アクセス警告方式」の実施の前提について議論するべきである。それは、違憲性の有無を今一度確認すること、また、海賊版サイトへのアクセスを抑制するという目的を達成する手段が、「アクセス警告方式」でなければならない必然性について議論することを含めてである。
この度の「アクセス警告方式」は、ISPとの約款にその方式を用いる同意の許諾を記載することで、個々のユーザーごとに個別に同意を得ることにより、ユーザーとの「真性の同意」が成立するとのことだが、そう断言するのは可能だろうか。
上に述べたように、インターネットは今日では情報インフラとしての性格を持つ。それは、IoT技術やウェアラブル端末の開発が進む今日において、インターネットなしに市民の生活を成り立たせるのは困難さを伴うということである。市民は、逃れようなくISPに関わらざるを得ない状況があるのだから、約款への同意といっても、約款に同意する以外に選択肢がない点では止むを得ずに選択した不本意な同意を含む状況がある。致し方なく不本意に同意せざるを得ないならば、半ば強制的な同意で強要に近いわけで、これが「真性の同意」として成り立つかといえば疑問が残る。したがって、違憲の可能性は払拭できない。
そのように、通信の秘密を侵す違憲の可能性を払拭できないにもかかわらず、「アクセス警告方式」を採用する利益は、さほどではないのではないかという疑いがある。
近年ではYouTubeで漫画海賊版が配信されている(漫画のページそのもので、物語丸ごとを順番に静止画の映像として配信する内容で、引用とは異なる。この動画「進撃の巨人117ー日本語版|Attack On Titan 117 Full JP」(https://www.youtube.com/watch?v=D4eE5LxUqv8)のような例)が、短期間配信し儲けを出しては、動画やアカウントを消すといった状態となっている。こうした種類の漫画海賊版サイトに対しては、アクセス警告方式は用いること自体が困難だと考える。
まず、ユーザーがYouTubeのこのアカウントにアクセスしようとした時や、まして、YouTubeのトップページにアクセスしようとした時に、アクセス警告のアラートを出すなどということは、現実的には実現し難いだろう。また、短期間の配信のため、悪質な海賊版サイトとして選定するのにかける時間より先に、サイトが消滅するのではないかという疑いもある。
したがって、このような種類の海賊版サイトに「アクセス警告方式」を用いるのは困難であろうし、この方式を有効に用いることができるかについては、議論の余地がある。
それよりは、現状のYouTubeの規約で、YouTubeの配信動画に海賊版の動画を発見したとしても、著作権者や代理人でなければ著作権侵害として報告できないことにより、海賊版サイトが放置されるのだから、それについて方策を講じる方がはるかにスムースだろう。例えば、著作権者に報告するための窓口を、YouTubeか出版社かのどちらかに設置するなどの手段の方が、現実的ではないだろうか。
そして、「アクセス警告方式」による啓蒙効果だが、資料(総務省から公開された資料の「別紙1」)で示されるアラートで、ユーザーが即座に著作権を重んじるようになり、海賊版サイトの利用について罪悪感を抱くようになるというのは、いささか安直ではないかとも考える。
それよりは、例えば、デザイン・クリエイティブ業界向けの雑誌や書籍のように、海賊版サイトユーザーの中心層が読む漫画雑誌等に著作権についてテーマにした連載や特集を設け、上記のアラートのように数行のコメントに終わらすことなく、数ページを割いて解説をすることを繰り返すという情報伝達の方が学習効果があるのではないか。さらに言えば、学校教育の中で、著作権について扱うことが学習効果があり啓蒙につながるのではないか。
以上から、「アクセス警告方式」は、違憲の可能性が残る反面、場合によっては用いるのが困難で啓蒙効果もさほども期待できないし、他の手段を検討する方が現実的で望ましいといえる。したがって、「アクセス警告方式」は、海賊版サイトへのアクセスを抑制する手段としては妥当とはいえず、必ずしも「アクセス警告方式」をその手段として用いることに固執する必要はないのであって、他に効果が期待できる手段を模索するべきであるといえる。
以上
女子現代メディア文化研究会代表
山田久美子
2019年4月2日火曜日
「児童売買、児童搾取および児童ポルノに関する子どもの権利条約の選択議定書の履行におけるガイドライン案」に対する意見
【意見趣旨】
[意見の趣旨1]
61項について。「児童売買、児童搾取および児童ポルノに関する子どもの権利条約の選択議定書」第2条(C)の定義を拡大し、「児童ポルノ」に素描や漫画による架空の児童の表現を含めることに反対します。
62 項について。法律で禁止する「児童への性的虐待素材」に非実在児童の表現を含めることに反対します。
[意見の趣旨2]
102 項について。性的被害を受けた実在の子どもたちを保護し援助する枠組み作りに賛成です。 そしてこの枠組みは、個人だけでなく、商業、政府、そして非政府組織によるあらゆる搾取から子どもを守らなければなりません。
【意見の理由】
[意見の趣旨1の理由]
( A)素描や漫画、その他で表現された架空の児童・非実在児童に対する性的虐待は、現実の人権侵害ではなく、児童の権利擁護としての意味がないからです。
( B)現在の日本の漫画には性的虐待やレイプを含む表現がありますが、それらは作家による想像の産物であり、実際に児童への性的虐待を行ってその行為を記録するようなとは違法です。漫画は架空の表現であるからこそ現実の児童の性的虐待を考える材料として用いることも可能です。こうした作品の禁止は、市民の考える機会を奪うものです。
[意見の趣旨2の理由]
(A)児童への性的虐待が随所で発生していることは確かであり、実在する被害児童の保護・救済は喫緊の課題だからです。そしてその加害者は、個人のみならずNGOや国連事業であることすらありえます。
( B)漫画等の架空の児童への性的虐待の取り締まりに尽力し、本来、保護・救済されるべき実在する児童を放置しないよう求めるからです。
【 背 景 】
[意見の趣旨1について]
私どもは、児童の権利擁護については大いに賛同します。しかしながら、「児童ポルノ」の定義に架空の児童の表現を含めること、法律で禁止する「児童への性的虐待素材」に非実在児童の表現を含めることについては反対します。
なぜなら、架空の児童・非実在児童には人権がなく、児童の権利擁護としての意味がないからです。
日本の漫画には、架空の児童・非実在児童への性的虐待やレイプの表現を含む作品があります。その中には、性的虐待の問題を考える上でのテクストとしての価値も持つ作品が含まれ、「風と木の詩」(竹宮惠子・作)、「BANANAFISH」(吉田秋生・作)等が該当します。「BANANA FISH」は昨年アニメーション化もされています。主人公の少年が「児童ポルノ」のビデオに出演している描写がありますが、その過去に苦しみながらも生きようとするという物語です。こうした作品が絶版となれば、児童が性的虐待の問題について考える機会を奪われることにもなり、「児童の権利に関する条約」において締結国に奨励している「児童が多様な情報源からの情報及び資料を利用し得ることを確保する」という条文にも反します。
[意見の趣旨2について]
児童の性的虐待被害が世界の多数の国で発生することは疑いがありません。しかし、その加害主体が常に分かりやすい悪人とは限られず、A/71/818 文書(http: //undocs. org/A/71/818)で示されるように、例えば国連職員が加害者であることすらありえます。
国連職員が加害の主体となる児童への性的虐待は、国連職員が立場を利用し、児童の弱い立場につけこんでいる点で、構造的な問題を含みます。権力者からの被害児童の保護という観点は重要であり、いかなる立場の人物からの性的虐待であっても被害児童が救済される相談窓口を早急に設け、たとえ加害者が政府要因や国連職員であっても児童の救済につなげられる枠組み作りを行う必要があります。
漫画等における架空の児童への性的虐待の取り締まりに尽力することの問題点は、そうした本来守るべき被害児童が放置され、本来救済されるべき実在する児童のために充てられるはずだった労力が奪われることでもあります。
【 結 論 】
この度のガイドライン草案における「児童ポルノ」の定義の拡大は、児童の権利擁護にとって意味がないばかりか、児童から失われる利益が大きく、児童の権利擁護の手段として妥当ではありません。そして、今や権威ある人々による児童への性的虐待こそが看過できない状況となっており、漫画等の架空の表現に責任を転嫁することなく、現実の人権侵害に向き合う必要があります。
どういった対象であれ、権利の保障を行う際には、その目的を達成する手段は確実な効果が見込まれ、なおかつ、それぞれの国の実情に適っていなければ意味がありません。
日本の、とりわけ漫画等の創作物については、しばしば「権利の保障」を目的とした、手段としては妥当とはいえない不当な規制を求められています(※補足資料)。しかし、日本の実情に合わせ不当な規制を行わないことこそが、我が国の児童の権利擁護につながると、私どもは考えております。
以上
女子現代メディア文化研究会代表 デザイナー・アートディレクター
山田久美子
[※補足資料]
「~国連女子差別撤廃委員会、「日本における女性の権利」保障~議題「性的暴力を描写したビデオや漫画の販売の禁止」についての意見書」
http://wmc-jpn.blogspot.com/2016/02/blog-post.html
※国連子どもの権利委員会に提出したパブリックコメントにはリンク先意見書の本文を掲載しましたが、当サイトでは同じ意見書を繰り返し掲載することとなりますので、ここでは割愛しURLのみ掲載いたします。
・「児童売買、児童搾取および児童ポルノに関する子どもの権利条約の選択議定書の履行におけるガイドライン案」に対する意見(PDF版279KB)
Comments on “DRAFT Guidelines on the Implementation of the Optional Protocol to the Convention on the Rights of the Child on the Sale of Children, Child Prostitution, and Child Pornography”
The Arguments:
1.
In Article 61, we oppose the stretched definition from Article 2 of OPSC, and also oppose including fictional child representations, such as drawings, cartoons, and written materials into the definition.
In Article 62, we oppose labeling representations of non-existing children as child sexual abuse material and also oppose it by prohibitive legislation.
2.
In Article 102, we agree to protect and assist sexually victimized children. The framework must defend an existing child from any exploitational bodies, not only by individuals but also commercial, governmental, and non-governmental bodies.
Reasons for Arguments:
1-A)
Drawings, cartoons, written materials, or any other forms of expression that does not directly
infringe any existing individual human rights, even if depicting fictional children engaged in any fictional sexual activities. Banning imaginary representation is not equal to the protective action of human rights.
1-B)
It is a fact that there are several manga titles that depict sexual abuses and rapes, however, they are represented by the imagination of an author, without a record of existing child abuse, which is a criminal offense. Manga is a form of fictional representation, which provides this artform with the potential to represent materials to consider existing child sexual abuses.
2-A)
The inevitable truth is that child sexual abuse occurs in many places, and the protection and support of victimized children is our zero-tolerance task. It should also be noted that existing child molesters are not only nameless individuals but also NGO members and even UN staff.
2-B)
We request everyone to save and protect our children from existing harms, and we also request not to try to save imaginary non-existing children from fictional child abuse.
Background:
1.
We strongly support the idea of protecting the human rights of all children. However, we oppose including fictional representations of children into the definition of "child pornography", and we also oppose including any non-existing childlike representation into the definition of "child sexual abuse materials". This is because fictional representations and non-existing childlike representations do not have individual or group human rights to be saved.
There are manga titles which depict child sexual abuse and rape that are based on imagination and they are non-existing fictional children. Not a small number of these works, such as "Kaze to Ki no Uta" by Keiko Takemiya and "Banana Fish" by Akimi Yoshida, may have critical social value that considers what real sexual abuse is.
Especially, "Banana Fish", which was adapted into a television series in 2018, and depicts the protagonist as a sex slave who is victimized during filming. Its story emphasizes the struggle to survive through his suffering. These narratives are also put in danger by the change and stretch of definition to this fictional area. It may also deprive the rights of children to think about and/or discuss sexual abuse problems and may also conflict with the Convention on the Rights of the Child, Article 17, which encourages international cooperation of cultural diversity.
2.
There is no doubt that child sexual abuse occurs all over the world. However, the perpetrators are not always typical criminals. According to A/71/818 (http://undocs.org/A/71/818) and related documents, even United Nations officers can be an exploitation body. The exploitation of children by socially powerful people is an abuse of power and these injustices reflect social and structural problems. The protection of exploited children from powerful people is critical. Children should be rescued from any sexual abuse, by any person, including all authorities. A protective framework for victimized children by any persons, such as government officers or UN officials is needed.
Political control over the representation of fictional children and imaginary child abuses may be a distraction of attention to protecting victimized children and misuse of our efforts and resources which should be used to save our existing children.
Conclusion
The extended definition of child pornography in the draft guidelines does not function for protecting the rights of existing children. Furthermore, it may deprive children of social benefit and is not reasonable for child rights protection. Considering the recent UN case above, where actual child sexual abuses were perpetrated by members of an international power, imaginary fiction is not appropriately placed by being at the front of these rights issues. It is critical to face real existing human rights violations without transferring responsibility to non-existing fictional expressions.
To guarantee any rights by the states, it does not matter who the targets are; all actions should be achievable, effective, and acceptable to all people of each country. Often, political action against manga and other imagination-based representations apply pressure to comply with unfair regulations that are camouflaged as "Rights Protection" (Appendix). Therefore, true rights protection must also apply to manga to eliminate the unfair suppression of imagination and to protect our children's rights.
Sincerely,
March 30, 2019
Kumiko Yamada
Representative Director of Women's Institute of Contemporary Media Culture/Designer/Art Director
2019年1月7日月曜日
文化庁著作権課にパブリックコメントを提出しました
文化庁著作権課からパブリックコメントの募集がありましたので(http://search.e-gov.go.jp/servlet/Public?CLASSNAME=PCMMSTDETAIL&id=185001021&Mode=0)、インターネット上の静止画ダウンロード違法化案について白紙撤回を求める意見としてまとめ、本年1月5日に提出させていただきました。意見部分を掲載いたします。
なお、意見は2000字以内とのことでした。ライセンスビジネスに関わるクリエイターの実務の現状をお伝えするには、2000字では足りず、内容は圧縮せざるを得ませんでした。そのため、読みづらい部分もあろうかとは存じますが、恐れ入りますがご容赦いただけると幸いです。
【意見】
インターネット上の静止画ダウンロード違法化案は白紙に戻すべきである。
当会代表の山田は現役のデザイナー・アートディレクターである。専門分野は漫画・アニメ等のキャラクターグッズデザインで、ライセンスビジネスに関わる。この立場からの意見を申しあげる。
私どものビジネスはイメージを扱うのであって、イメージに傷がつくこと自体が損害である。したがって、罰則の有無に関わらず、第三者から違法行為の疑いをかけられるだけでもビジネス上の損失となり得る。
そうした中、私どものような立場の者が業務上必要に迫られ版権元の著作物を入手する例を、ビジネスの部外者が、正当性を欠く行為と区別できる確証がないことにより生じる問題がある。
私のような立場の者は、業務のため常に版権元の支給キャラクターイラストや背景画像等(専門的には「アート」と呼ばれる。以下「アート」と呼称。なおアートによっては漫画やコミックの書籍の画像そのものも含まれ、専門的には「コミックアート」と呼ばれる。以下「コミックアート」と呼称)を共有している。私どものビジネスで、あるプロジェクトでキャラクターグッズを作るという際には、製造工場に至るまでプロジェクトに関わる版権元以外のクリエイターや企業が、アートが配置された入稿(版下)データを含め、そのようにアートを共有する。そもそもライセンスビジネスには、版権元にライセンス料支払われメーカーがグッズを制作するビジネスモデルもある。
このように、ライセンスビジネス業界において版権元の企業は、制作会社や製造工場までを必ずしも傘下とせず外部の企業に頼っている現状がある。かつ、このビジネスに関わるクリエイターおよび企業には守秘義務が課せられるわけで、部外者はそのプロジェクトの内部を公開が許諾された僅かの範囲でしか知ることはない。
この状況で、ビジネスの部外者が、版権元以外の私どものような立場の者が共有する「コミックアート」について、海賊版の画像と区別をつけられるのか甚だ疑問である。
私は今、日本の弁護士が漫画海賊版サイトの運営者を特定するということを実現しているにもかかわらず、文化庁の資料のように「コンテンツの削除要請すらできない」と、エビデンスを無視し、思い込み激しく主張しているのを目の当たりにしている。他にも運営者特定を行う動きがあるわけで、そのような認識は大きな誤謬を含む。こうした例を鑑みた時、業務上正当な理由で支給された「コミックアート」について、捜査機関であれビジネスの部外者から漫画海賊版サイトの画像であるとの誹りを受ける可能性は免れず、第三者に違法行為をしていると言い騒がれてしまった場合には、イメージダウンが生じビジネスにとって大きな損害となる。
そして、ダウンロード違法化の対象とする静止画の範囲が拡大されるとなれば、企画書や商品カンプ制作を業務に含むクリエイティブ業界のビジネスは遂行が困難になることも考えられる。業務上止むを得ずインターネット上の静止画ををダウンロードしたとして、第三者に不正な行為をしているとの誹りを受ける可能性は免れないわけだが、だからといって、そうした画像のダウンロードなしでは、この業界の業務が成り立つわけもない。
デザインには流行がある。ある種のデザイン(例えば「マリンルック」のような一定の型)に「寄せる」ことは、そもそも宿命である。とはいえ、他社のものにあまりに寄せすぎないようにするためにも、同業他社の商品画像をインターネット上からダウンロードして収集し、資料にすることはしばしばある。これは、権利侵害を引き起こさず、かつ、業務を円滑に遂行するための止むを得ない慣習となっている。
また、グッズデザインに話を戻せば、アートのデータによっては色がCMYKかRGBで、PANTONE等の特色の指定がされておらず、グッズ製造に適さない状態となっているため、新たに特色指定をすることもある。ディズニー等のグッズ制作の歴史が長いキャラクターコンテンツのアートでは特色の指定がされているが、新しく参入してきた漫画やアニメのアートは、特色の指定がされていない例がまだまだある。こうした際、キャラクターの同一性保持のため同じキャラクターのグッズを制作する同業他社の商品で使用している色を参考にしなければならず、画像をダウンロードして収集し、特色指定の資料にすることもある。
以上のように、私どものようにライセンスビジネスに関わっていれば、コミックアートを共有し、インターネット上からダウンロードした画像を保有することになる例がある。業務遂行上、逃れようがない正当な行為ではあるが、同時に、不当な違法行為をしているとの誹りを受ける爆弾を抱えることにもなる。
したがって、すべての混乱の原因となるダウンロード違法化はせず、白紙撤回することを求める。
なお、意見は2000字以内とのことでした。ライセンスビジネスに関わるクリエイターの実務の現状をお伝えするには、2000字では足りず、内容は圧縮せざるを得ませんでした。そのため、読みづらい部分もあろうかとは存じますが、恐れ入りますがご容赦いただけると幸いです。
【意見】
インターネット上の静止画ダウンロード違法化案は白紙に戻すべきである。
当会代表の山田は現役のデザイナー・アートディレクターである。専門分野は漫画・アニメ等のキャラクターグッズデザインで、ライセンスビジネスに関わる。この立場からの意見を申しあげる。
私どものビジネスはイメージを扱うのであって、イメージに傷がつくこと自体が損害である。したがって、罰則の有無に関わらず、第三者から違法行為の疑いをかけられるだけでもビジネス上の損失となり得る。
そうした中、私どものような立場の者が業務上必要に迫られ版権元の著作物を入手する例を、ビジネスの部外者が、正当性を欠く行為と区別できる確証がないことにより生じる問題がある。
私のような立場の者は、業務のため常に版権元の支給キャラクターイラストや背景画像等(専門的には「アート」と呼ばれる。以下「アート」と呼称。なおアートによっては漫画やコミックの書籍の画像そのものも含まれ、専門的には「コミックアート」と呼ばれる。以下「コミックアート」と呼称)を共有している。私どものビジネスで、あるプロジェクトでキャラクターグッズを作るという際には、製造工場に至るまでプロジェクトに関わる版権元以外のクリエイターや企業が、アートが配置された入稿(版下)データを含め、そのようにアートを共有する。そもそもライセンスビジネスには、版権元にライセンス料支払われメーカーがグッズを制作するビジネスモデルもある。
このように、ライセンスビジネス業界において版権元の企業は、制作会社や製造工場までを必ずしも傘下とせず外部の企業に頼っている現状がある。かつ、このビジネスに関わるクリエイターおよび企業には守秘義務が課せられるわけで、部外者はそのプロジェクトの内部を公開が許諾された僅かの範囲でしか知ることはない。
この状況で、ビジネスの部外者が、版権元以外の私どものような立場の者が共有する「コミックアート」について、海賊版の画像と区別をつけられるのか甚だ疑問である。
私は今、日本の弁護士が漫画海賊版サイトの運営者を特定するということを実現しているにもかかわらず、文化庁の資料のように「コンテンツの削除要請すらできない」と、エビデンスを無視し、思い込み激しく主張しているのを目の当たりにしている。他にも運営者特定を行う動きがあるわけで、そのような認識は大きな誤謬を含む。こうした例を鑑みた時、業務上正当な理由で支給された「コミックアート」について、捜査機関であれビジネスの部外者から漫画海賊版サイトの画像であるとの誹りを受ける可能性は免れず、第三者に違法行為をしていると言い騒がれてしまった場合には、イメージダウンが生じビジネスにとって大きな損害となる。
そして、ダウンロード違法化の対象とする静止画の範囲が拡大されるとなれば、企画書や商品カンプ制作を業務に含むクリエイティブ業界のビジネスは遂行が困難になることも考えられる。業務上止むを得ずインターネット上の静止画ををダウンロードしたとして、第三者に不正な行為をしているとの誹りを受ける可能性は免れないわけだが、だからといって、そうした画像のダウンロードなしでは、この業界の業務が成り立つわけもない。
デザインには流行がある。ある種のデザイン(例えば「マリンルック」のような一定の型)に「寄せる」ことは、そもそも宿命である。とはいえ、他社のものにあまりに寄せすぎないようにするためにも、同業他社の商品画像をインターネット上からダウンロードして収集し、資料にすることはしばしばある。これは、権利侵害を引き起こさず、かつ、業務を円滑に遂行するための止むを得ない慣習となっている。
また、グッズデザインに話を戻せば、アートのデータによっては色がCMYKかRGBで、PANTONE等の特色の指定がされておらず、グッズ製造に適さない状態となっているため、新たに特色指定をすることもある。ディズニー等のグッズ制作の歴史が長いキャラクターコンテンツのアートでは特色の指定がされているが、新しく参入してきた漫画やアニメのアートは、特色の指定がされていない例がまだまだある。こうした際、キャラクターの同一性保持のため同じキャラクターのグッズを制作する同業他社の商品で使用している色を参考にしなければならず、画像をダウンロードして収集し、特色指定の資料にすることもある。
以上のように、私どものようにライセンスビジネスに関わっていれば、コミックアートを共有し、インターネット上からダウンロードした画像を保有することになる例がある。業務遂行上、逃れようがない正当な行為ではあるが、同時に、不当な違法行為をしているとの誹りを受ける爆弾を抱えることにもなる。
したがって、すべての混乱の原因となるダウンロード違法化はせず、白紙撤回することを求める。
以上
女子現代メディア文化研究会
代表 山田久美子