2018年1月15日月曜日

千葉市の市内コンビニエンスストア店舗の自主規制に関する「事業」について、廃止を求める意見書

【はじめに】

2016 年から千葉市の立案により進められてきた、千葉市内のコンビニエンスストアの自主規制に関する「事業」(※注1)、及び、2017年11月21日に千葉市役所にて行われた記者会見につきまして、行政による私企業への不適切な介在があったと考えます。そこでこの度、私ども女子現代メディア文化研究会(以下「当会」)は、千葉市に意見書をお送りする運びといたしました。
2017年11月21日の記者会見によれば、イオングループ傘下のコンビニエンスストアのミニストップ株式会社(以下「ミニストップ社」)が「成人向け雑誌」の販売中止を決めたとのことです。この記者会見は、千葉市役所にて、ミニストップ社藤本明裕社長と千葉市の熊谷俊人市長が同席して行われました。
これに先立っては、千葉市の立案による「事業」の構想がありました。その「事業」内容は、千葉市内のコンビニエンスストアの店舗で販売する「成人向け雑誌」を、市が定めた色付きフィルムで包装して陳列するという自主規制を進めるものです。この「事業」に関して千葉市からは既に税金から予算がついています。
このような、「事業」の構想から記者会見にいたるまでの千葉市の行政としてのあり方は、民主主義の根幹である憲法第21条「表現の自由」をすれば罷り通ることではありません。
各種クリエイターが活動する産業の裾野は、「表現の自由」が守られていてこそ成り立ちます。そしてこの産業は、男女雇用機会均等法が施行される以前から、女性の諸先輩方が自らの努力を積み重ねて押し広げて来た女性が活躍できる場でもあります。そこで、当会代表の山田も女性のデザイナーとして、やむなくお騒がせする運びとなった次第です。


【意見趣旨】

千葉市立案の市内コンビニエンスストア店舗の自主規制に関する「事業」について廃止を求める。


【意見の理由】

[ 理由1 ]
千葉市は、市内コンビニエンスストアの自主規制に関する「事業」の実現を模索し、この「事業」上で、この度の決定、すなわち、ミニストップ社の「成人向け雑誌」の販売中止にいたったが、まずこの「事業」の構想こそ「表現の自由」に関わる問題を含んでいたと考えるからである。

[ 理由2 ]
「表現の自由」の観点からは、ミニストップ社の自主規制を発表するこの度の記者会見には、行政による私企業への不適切な介在があったと言わざるを得ず、この不適切な記者会見を招いた発端は、千葉市の市内コンビニエンスストアの自主規制に関する「事業」にあるからである。
なお、この度の記者会見が、行政の私企業への関わり方として不適切であると考えたのは、次の点による。すなわち、ミニストップ社で販売する図書類の自主規制に関わる場への、以下に見られる千葉市の介在について問題があると考えた。
  (ア)この度の自主規制を発表する記者会見の場が千葉市役所である。
  (イ)千葉市の熊谷俊人市長が同席している。

[ 理由3 ]
この度の決定を発端に、ミニストップ社およびコンビニエンスストア各社やその流通に関わる各種クリエイターの表現の萎縮を招く恐れがあるからである。


【意見の詳細】


[理由1・2についての詳細]
私企業が、ブランディングの過程において店舗で販売する商品としての図書を選ぶ、また、自主規制として、ある種類の図書について販売「する・しない」の選別を行うのは、基本的には認められる経営上の自由です(※注2)。とはいえ、この度のように、ある種類の表現物の発表の機会に関わる場で、行政が「事業」と称して私企業側と直接の対面を繰り返したことについては、「表現の自由」に関わる問題を含んでいたと考えます。実際に、当初予定した以上に過剰な自主規制が生まれてしまいました。
千葉市による当初の「事業」の構想は、市内コンビニエンスストアの店舗で販売する「成人向け雑誌」を、市が定めた色付きフィルムで包装して陳列するという自主規制を進める内容でした。しかし、この「事業」の実現を模索した結果、ミニストップ社のみならず、イオングループすべての全国小売店およそ7,000店が「成人向け雑誌」の販売中止を決定する運びとなりました。この度のミニストップ社およびイオングループの決定は、千葉市が「事業」と称し行政として私企業に不適切に関わってしまった結果、抑圧が生まれ、過剰な自主規制となってしまった例と言えます。
行政は強制力を持っています。法律や条例等に基づいて行使されるとはいえ、適切なプロセスを経て力を行使するのでなければ、私企業は行政に対しあまりに立場が弱いです。したがって、行政が私企業に直接に関わる場面によっては、行政が意図しない部分まで抑圧が生まれる例もあります。この度の例も、それに漏れません。
市内コンビニエンスストアで行う図書の自主規制について、行政が直接にコンビニエンスストア側の担当者に繰り返し対面し模索してきた「事業」ということで、コンビニエンスストア側にとってみれば行政からの抑圧感が生じていた部分はあろうかと存じます。そもそも、この「事業」を進めようと試みるなど、行政として守るべき則を超えていたのではないかということです。
今後危惧されるのは、コンビニエンスストアチェーン各社に対する抑圧です。こうした抑圧が生まれれば、一地方自治体である千葉市のみの問題とはならず、全国のコンビニ各社やその流通に関わる各種クリエイターなどにとっての問題となります。既にイオングループが、すべての全国小売店での自主規制を決めており、各種クリエイターにとっても影響は免れないと危惧をしております。
そして、この「事業」上での決定ではありますが、ミニストップ社のこのような自主規制を発表する記者会見の場が市役所で、同社藤本社長と共に熊谷市長の同席がありました。私企業の経営方針を公表する記者会見が、市役所という行政機関の庁舎で、市長という行政の長と同席して行われ、しかも、その内容が、販売図書の取り扱いの自主規制という、表現物の発表の機会に関わるものであることからすれば、このような会見は、公権力による私企業の経営の自由への介入、さらには出版社等の表現の自由への抑圧を疑われざるを得ない不適切なものです。
行政は私企業の自主決定からは注意深く距離を置くべきで、このような記者会見があってはなりませんでした。
しかし、このような記者会見を招いた発端こそ、先立って模索されて来た千葉市の「事業」にありました。そもそもこうした「事業」を進めようと試みたことが、過ちだったのではないでしょうか。
このように、私企業の自主規制にこの度のような手法で行政が介在すれば、実質的には行政が表現行為に先立って表現に影響を及ぼしてしまうということになりかねないのです。行政は、社会においてどのような権限を持っているかを自覚し、中立すべきところでは中立しその則を超えてはなりません。今すぐにでも、この「事業」を廃止するべきです。

[理由3についての詳細]
記者会見同日、ミニストップ社からは「ミニストップ千葉市店舗および全店における成人誌取り扱い中止について」が公表され、取り扱い中止とする「成人向け雑誌」(※注3)の定義もなされましたが、これは複雑な内容となっています。特に「類似する雑誌類」(※注4)の範疇はどこまで及ぶものとするのかということについて疑問が残り、説明を要します。しかしながら、ミニストップ社からは補足説明はなく、販売中止とする「成人向け雑誌」の定義について曖昧性が払拭されないままです。
しかも、この度の決定は、千葉市が立案し模索してきた、市内コンビニエンスストアの自主規制に関わる「事業」上での決定です(※注5)。この点につきましては、条例に関わる千葉市の行政としての立場上の問題も、疑問として残ります。
「成人向け雑誌」は「(社)日本フランチャイズチェーン協会の自主基準(ガイドライン)より抜粋」し、下の2 項と定義がされましたが、このガイドラインの「類似する雑誌類」の範疇は複雑に広がっています。
以下が定義された2 項です。
  1. 各都道府県の指定図書類及び出版倫理協議会の標示図書類は取り扱わない。 
  2. それ以外の雑誌については、各都道府県青少年保護育成条例で定められた未成年者(18 歳未満者)への 販売・閲覧等の禁止に該当する雑誌及びそれらに類似する雑誌類を「成人誌」と呼称する。
各自治体の条例は異なるので、図書指定の方法や内容もまた異なります。よって、「2」で言う「類似する雑誌類」は各自治体の規定を網羅すれば幅広くなります。ミニストップ社としては「成人向け雑誌」といえば、いわゆる「ポルノ本」といった類いの図書類を想定していたのかもしれませんし(※注6)、千葉市の元々の「事業」の構想においても「成人誌」が問題視されていました。ところが、各自治体によっては、春画特集の芸術誌やヤクザをモチーフとした漫画の指定も行われており、その「類似する雑誌類」となれば、いわゆる「ポルノ本」の類いの雑誌では収まらなくなるという疑問があります。
しかしながら、これについての補足説明はありません。このような複雑で明確ではない規制対象の定義では、ミニストップ社およびコンビニエンスストア各社やその流通に関わる各種クリエイターなどの表現の萎縮を招く恐れがあります。
しかも、次のような問題もあります。千葉市が行うこのような「事業」が、従うべき千葉県の条例から、もはや逸脱しているのではないかということです。千葉市は立案した「事業」の実現を模索をした結果、千葉市の「事業」上の決定としての、ミニストップ社の「成人向け雑誌」の販売中止の決定に辿り着きました。千葉市が進めている「事業」の規制対象は、全国の各自治体の条例を指定基準とすることになってしまいました。千葉市は千葉県の条例に基づいて有害図書指定を行い規制を行うはずで、なおかつそうするべきですが、規制対象は、もはや千葉県の条例の基準からかけ離れています。
既にこの「事業」についている予算(※注7)がありますが、今後どう消化するのかという問題もあります。千葉県の条例の基準から逸脱し、全国の各自治体の条例を指定基準とする規制の「事業」に、もし、何らかの場面でこの予算を使うとなっては、矛盾が生じようかと考えます。千葉市の税金について、千葉市が従うべき千葉市および千葉県の条例を逸脱した運用をしては、千葉市民、千葉県民にとっての税制上の問題も生じようかというものです。
このように、千葉市のコンビニエンスストアに関わる自主規制の「事業」は、各種クリエイターの表現の萎縮を招く恐れがあるばかりではなく、適切とは言えないプロセスで行政が行われているのではないかという疑いもあります。このような不透明、不明瞭な行政が許されては、各種クリエイターが活躍する場が荒廃させられるばかりではなく、我が国の民主主義の制度そのものが脅かされかねません。


【 補 論 】

この度の件で思い出されたのが、1938 年の内務省図書課による「児童読物改善ニ関スル指示要綱」の発表、いわゆる「内務省通達」です。これは「子どものため」「健全育成のため」という目的で、児童書や漫画や赤本において、「俗悪」とされる卑猥な表現や華美な表現がされることがないよう、内務省から編集者に指示が行われたものです。
「内務省通達」は「子どもの健全育成」という目的で始まりながら、当時の雑誌や書籍等のメディアにおける表現に、間接的にあるいは直接的に影響を及ぼしました。歴史を振り返れば、終いには、当時人気だった「くるくるクルミちゃん」で知られる松本かつぢ氏、また女性の華やかなイラストで知られる中原淳一氏などが、連載誌での連載中止に追い込まれ(※注8)、第二次世界大戦が終わるまでは活躍の場の制限を余儀なくされました。
「内務省通達」は、「子どもの健全育成のため」という目的が結果として見事に裏切られた例です。子どもが楽しめる作品は、子どもの手が届かないところへ行き、その表現者は活躍の場を失うこととなりました。
こうした歴史を鑑みれば、正しい目的があったとしても、その目的を実現する方法は慎重に吟味しなければならないということが解ります。その方法を間違えば、各種クリエイターの活動の場、ひいては文化を生み出す裾野が荒廃させられてしまいます。


【 結 論 】

以上から、千葉市におかれては、千葉市の立案によるコンビニエンスストアの自主規制に関わる「事業」の構想からこの度の記者会見にいたるまで、行政として守るべき則を超えており不適切であったと断言します。この「事業」には、我が国の文化を支えるクリエイターにとってもデメリット以外はないわけで、廃止が待たれます。
この度の「事業」は、行政によって、私企業の過剰な自主規制として帰結しました。これは、将来に渡っても、実質的には公権力が表現行為に先立って表現に影響を及ぼすことになる可能性があり、事前抑制の疑いがあります。「表現の自由」を保障する憲法第21条の観点からも脅威であるのはもちろんのこと、クリエイターが活躍する産業の裾野が踏み荒らされ、ひいては女性の活躍の場をも狭められる危険性を内包しており、看過することはできません。
「表現の自由」は、民主主義の根幹です。未来に渡り健全な民主主義が続くことを願えばこそ、その脅威となる行政のあり方を改めていただきたいと、私どもは求める次第です。我が国の文化の裾野を守り、そして、我が国の女性の諸先輩方の努力を無にしないということを決意しながら、結びの言葉とさせていただきます。

以上

女子現代メディア文化研究会
代表 山田久美子


[ 注 ]
(※注1) 「事業」の構想とは、千葉市の立案によるコンビニエンスストアに関する自主規制の取り組み。千葉市内のコンビニエンスストアの店舗にて、「成人向け雑誌」を市が定めた色付きフィルムで包装するという内容。大阪府堺市のファミリーマートでは同様の取り組みを2016 年から実施している。千葉市のこの「事業」には既に39万円の予算がついているとのこと。
(※注2) ただし、私企業とはいえ取り扱う商品が流通において寡占状態にある場合には問題が生まれもするが、このような問題を言及する機会は別に譲る。この度は、図書を発表する機会に関わる場面で、行政が私企業に直接関わることの問題点を扱うからである。
(※注3) 「ミニストップ千葉市店舗および全店における成人誌取り扱い中止について」において「成人誌」は「(社)日本フランチャイズチェーン協会の自主基準(ガイドライン)より抜粋」し次のように定義している。

  1. 各都道府県の指定図書類及び出版倫理協議会の表示図書類は取り扱わない。
  2. それ以外の雑誌については、各都道府県青少年保護育成条例で定められた未成年者(18 歳未満者) への販売・閲覧等の禁止に該当する雑誌及びそれらに類似する雑誌類を「成人誌」と呼称する。(https://www.ministop.co.jp/corporate/release/assets/pdf/20171121_10.pdf)
(※注4) 「類似する雑誌類」は、いわゆる「類似図書類」。
(※注5) 「青少年健全育成条例などの情報公開の置き場」(http://koukai.sblo.jp/article/181889999.html)にて、市民により情報公開請求によって千葉市から公開された書類からは、千葉市が「事業」として、市内コンビニエンスストアの自主規制を立案して進めていたことがわかる。
(※注6) 「青少年健全育成条例などの情報公開の置き場」(http://koukai.sblo.jp/article/181889999.html)にて、千葉市青少年問題協議会の議事録でも「ポルノ雑誌」の言及がメインとなっている。
(※注7) 当初は「成人向け雑誌」を包装する色付きフィルムなどのために税金を使う予定だった。
(http://koukai.sblo.jp/article/181889999.html)
(※注8) 中原淳一氏は連載誌「少女の友」で人気を博したが、1940 年に内務省の命令で同誌を降板。松本かつぢ氏もまた「少女の友」で人気連載だった「くるくるクルミちゃん」が、内務省通達の影響で表現内容の変質を迫られた後に、1940 年に連載を終了した。
(http://www.museum.or.jp/modules/im_event/?controller=event_dtl&input%5Bid%5D=60083)
(http://katsudi.com/mangahistory/)


・「千葉市の市内コンビニエンスストア店舗の自主規制に関する「事業」について、廃止を求める意見書」(PDF版350KB)

2017年5月15日月曜日

白川昌生氏の作品の撤去指導に反対し、改めて展示を求める意見書


【はじめに】

群馬県立近代美術館(以下、同美術館)にて本年4月22日から始まった企画展「群馬の美術2017−地域社会における現代美術の居場所−」において、展示予定だった白川昌生氏の作品が撤去となりました。
撤去となった作品は「群馬朝鮮人強制連行追悼碑」です。この作品は県立公園群馬の森(同美術館と同じ敷地内)にある朝鮮人労働者の追悼碑がモティーフとなっており、碑の設置許可の更新を巡り群馬県と市民団体が係争中となっています。
白川氏は、近年起こっている、一部の市民や行政によるモニュメントの改ざん・排除への動きについての観点から、この追悼碑を巡る状況を問題提起したかったとし、作品「群馬朝鮮人強制連行追悼碑」を作ったとのことです。
そして撤去に至る経緯ですが、白川氏は、3月の時点でこの追悼碑をモティーフとする作品を展示する意向を学芸員に伝えていましたが、4月21日夜、岡部昌幸館長が展示の取りやめを決め、4月22日、開場前に白川氏の手により作品の撤去をすることになったとのことです。


【意見趣旨】

この度の同美術館における作品の撤去は、作品の内容を理由に館長が展示の取りやめを決め執り行われました。展示会の開場直前に「指導」という形で行政が介入し自主規制を促したわけですが、「表現の自由」という重要な権利を制限していながら、それを正当化できるだけの、「目的正当性」や「手段許容性」があったのか疑問があります。
また、この度の作品の撤去指導は、作品の作者である白川氏の問題提起としての発言の機会を奪うこととなり、同時に市民に対しては、その問題提起について考え得る機会をも奪うこととなりました。
私ども女子現代メディア文化研究会は、この度行われた作品の撤去指導は行政による不当な表現規制であると考え、同美術館に改めて作品の展示を求めます。


【意見の詳細】

この度のような美術館における作品の撤去問題を考えるにあたり、まず認識しておきたいのは、デザインで言うところの「仕事上の制約」とは別質の問題であるということです。つまり小売店のブランディングに基づき陳列する商品を峻別することは、クライアントありきで行われる一くくりのプロジェクトにおけるデザイン上の制約で、表現の自由の制限とは全く別であるということです。一方、展示される予定であった美術作品が、展覧会の開場直前で館長の決定により介入され撤去に至ったというこの度のような問題は、表現の自由に関わる問題です。デザイン上のブランディングで商品が峻別されることと、この度のような作品の撤去指導とは別種の問題であり、これらは注意深く区別されなければなりません。

そもそも、「美術館」という場について問いたいことがあります。
「美術」は、時に社会風刺し、時に意見表明し、時に問題提起を行います。それは、作品を通し、社会問題に対し、政治に対し、作者の関心事に対し。花や風景、人物を描き表現することだけが「美術」ではありません。例えば、政治的な作品でいえば反戦を描いたパブロ・ピカソの「ゲルニカ」があります。また、「プロレタリア美術」というジャンルが存在しているくらいなわけで、これは問題提起や政治的な(あるいはそうした関心による)表現を「美術」が内包していることの証左です。
これが「美術」です。「美術」を展示する施設が「美術館」であるべきですが、この度の作品撤去の件は、我が国の「美術館」が「美術」を受容し展示する施設として存続し得るか否かが、岐路に差し掛かっているという問題の露呈とも考えられます。この度の同美術館における作品の撤去は、美術を展示する重要な場である施設としての、そうした一種の「揺らぎ」の中で起こった問題と言えましょう。
白川氏の問題提起に対し、作品の撤去指導という答えを返す。それは第一に、作者の白川氏に対しては発言の機会を奪い、第二に、観覧する市民に対してはその問題提起について考え議論し得る機会を奪ってしまう行為です。これは、ヴォルテールの言葉「私はあなたの意見には反対だ。だがあなたがそれを主張する権利は命をかけて守る。」(注:ヴォルテールの言葉とされているが実際には違うという説もある。が、この言葉は民主主義の根幹をよく表している。)に頷く私どもから見れば、民主主義の根幹を軽んじる行為であって、表現に場を提供する重要な施設である美術館において行われたという点においても問題があると考えます。

この度の作品の撤去は県立の美術館で行われたことであり、行政が表現に直接介入して指導したものです。これは、憲法で保障される重要な権利である「表現の自由」の制限であり、本来極めて慎重であるべきです。しかも指導は作品の内容を理由に行われたのだから、表現の内容規制です。したがって、このような作品の撤去が、憲法上、表現の自由の制約として許容されるためには、厳格な審査基準に適合しなければならないはずです。すなわち、規制の目的が「やむにやまれぬ必要不可欠な公共的利益」でなければならず、また手段としても「目的の達成に是非とも必要な最小限度」のものでない限りは正当化することができません。
この点につきまして、検証してみたいと存じます。
まず、「やむにやまれぬ必要不可欠な公共的利益」があるかどうかについてです。例えば、作品の内容そのものが犯罪行為(名誉毀損等)であったり、作品の展示によって直ちに暴動や混乱が煽動されると予想されるというような場合には、「やむにやまれぬ必要不可欠な公共的利益」を守るための介入として許容される余地があるとは言い得ます。
この度の白川氏の作品を展示したとして侵害される可能性のある利益は、この作品の展示を望まない一部の市民の心情であることが予想されます。とは言え、表現行為に伴い常に害される可能性のあるこうした市民の心理心情一般が、「やむにやまれぬ必要不可欠な公共的利益」とまで言えるのかは甚だ疑問です。
また、こうした、作品の展示を望まない一部の市民からのクレームや業務妨害行為によって、美術館や県の利益が侵害されることも考えられます。しかし、クレイマーの対応について察しないわけではありませんが、こちらも表現そのものが犯罪であったり、直ちに暴動や混乱を煽動することが明らかなものではない以上、展示前の未だクレイマーによる業務妨害行為もなされていない段階で、直ちに行政として表現行為を制約しなければならない「やむにやまれぬ必要不可欠な公共的利益」があるとまでは言えないでしょう。
また、手段が「目的の達成に是非とも必要な最小限度」のものであるかどうかについてですが、これは、作品の撤去の他に対処法があります。例えばこの作品の展示を望まない一部の市民が起こすかもしれない美術館での業務妨害行為・その他のトラブルについては、会場の警備を強化するなどといった方法を用いることができます。
したがって、制約の目的が「やむにやまれぬ必要不可欠な公共的利益」である、そして、手段が「目的の達成に是非とも必要な最小限度」のものである、とは到底言うことができません。
以上、作品の展示に行政が介入し作品撤去を促したこの度の指導について、正当化できるか否かを検証してみましたが、そのための基準は満たしてはおりません。これでは、正当化はできません。

なお、撤去を促した同美術館側は、係争中の問題を巡り「どちらか一方に偏るような展示は適当でないと判断した」と主張しています。作品のモティーフとなっている追悼碑は、公園への設置許可の更新を巡り係争中となっており、もしこれが展示されると、公共的公益的性格を有する県立の施設が係争中の一方の意見に荷担することになり、政治的中立性を損なうことになるというのです。
ですが、これにも異議があります。これは、美術館として作品を撤去すれば、県と利益相反の立場とならず、どちらか一方に偏らずに中立性を守ることができるという主張となりますが、実際のところはいかがでしょうか?
展示される予定であった作品をわざわざ展覧会の開場前に撤去を促すというパフォーマンスは、結果的にこの作品の展示を望まない一部の市民の意思を尊重していることを示してみせたことになったのではないでしょうか。しかも館長が撤去を決めたのであれば、それは、館長がどちらか一方の立場を肯定していることを示していることとなります。
係争中の問題を巡りそれが政治的な関わりも含むということから、利益相反の立場にならないことに配慮したという点で、公立の美術館として「政治的中立」の意図もあったようですが、実際は逆の作用をしてしまったのではないでしょうか。
とは言え、公立の美術館であれば一部の市民に向かって開かれているのではないわけで、政治的に中立するべきではあります。しかしながら、「政治的中立」とは政治的な理由で作品の内容を根拠に撤去を促すということではないと考えます。「美術」は時に政治的であるとも言えますが、「美術館」と名乗る施設ならば、むしろこうした表現を受け入れあくまで作品の展示の場としての役割を果たすべきです。その上で、一度展示すると決めた作品の内容からは中立し、美術館あるいは美術館長としての政治的立場によって作品に介入するべきではありません。
特に、この度撤去となった作品の意図は「問題提起」です。本来ならば、市民としての作者の表現の一つであり意見の一つであるとして、作品を展示するべきではなかったでしょうか? そうした意見の表明を市民に届け、賛成であれ反対であれ議論を活性化することこそ、むしろ公立の美術館として社会の中で果たすべき役割であったのではないでしょうか。


【 結 論 】

以上から、この度の同美術館による白川氏の作品についての撤去指導は、適切な対応であったと言うことはできません。ゆえに、白川氏の作品「群馬朝鮮人強制連行追悼碑」の撤去指導に反対します。
同美術館には、今からでも遅くはないので、作品の撤去を取り消し改めて展示することを求めます。群馬県の美術館の問題ではありますが、これは群馬県だけの問題ではなく美術館の問題、そして表現者の問題、ひいては民主主義の根幹を揺るがしかねない極めて重要な問題です。放置すれば、萎縮効果を招きかねません。
この度の美術作品の撤去問題は、我が国の美術館が「美術」を展示する施設として存続できるのか否か、岐路に立っていることを示したとも言えましょう。「美術」は超然として、美術館あるいは館長個人の政治的立場の外にあって、展示ができなければなりません。しかしながら、この度の撤去問題を鑑みれば、政治的立場によって行政が作品に介入できるのが現状と言えます。そろそろ、こうした現状について見直し、「美術」が超然として展示できるための新たな仕組みづくりが必要な時期に来ているということは明らかでしょう。
問題提起とはなりますが、我が国の美術館は美術館としての社会的役割について振り返り、「日本図書館協会」の委員会で「図書館の自由委員会」が行っている「図書館の自由に関する宣言」のような表明を行うべきではないでしょうか? 美術館は、我が国においても表現を展示する施設としても重要な役割を担っております。美術館として、まず「美術館の自由に関する宣言」を採択し、今一度、現行の美術館の制度に関し振り返るきっかけとしていただきたいと存じます。
創る意思はどの時代であれ、人間が生き続ける限り存在します。美術をこれからの世代に受け継いでいくためにも、美術館には「美術」の受け皿としての重要な決断が迫られています。


以上

女子現代メディア文化研究会代表/デザイナー
山田久美子



2017年3月19日日曜日

人事のお知らせ

平素は格別のご高配を賜り厚くお礼申しあげます。

この度は、私ども女子現代メディア文化研究会における人事につきましてお知らせいたします。

水戸 泉/共同代表の退任および女子現代メディア文化研究会退会
歌門 彩/女子現代メディア文化研究会顧問に就任
山田久美子/女子現代メディア文化研究会共同代表退任および代表就任

上記は3月19日をもって発令いたします。

今後とも「表現の自由」をテーマに微力ながら活動してまいる所存です。何卒、倍旧の
ご指導ご鞭撻を賜りますようお願い申しあげます。

まずは、略儀ながら書中をもってごあいさつ申しあげます。
  

2017年3月19日
女子現代メディア文化研究会代表 山田久美子

2016年8月25日木曜日

ろくでなし子氏裁判の無罪を求める意見書


【はじめに】

漫画家・造形作家のろくでなし子氏は、自身の女性器をモチーフとした作品を巡り刑法175条違反の容疑で逮捕され裁判が行われておりましたが、本年(2016年)5月9日の氏に対する第一審の判決では、ボートを作るプロジェクトアートの過程における3Dデータ配布について有罪とされました。
私どもは、この第一審の一部を有罪とする判決を不服とし、第二審での無罪を求めます。


【意見趣旨】

[意見趣旨1]
判決では、アートのプロジェクト全体のコンセプチュアルな部分、つまり思想性について顧みられた形跡が乏しく(注1)、したがって、判決は不当である。

[意見趣旨2]
ろくでなし子氏は、女性器すなわち「まんこ」をモチーフとする作品を通し、現代の性タブーに疑問を呈した。これは、社会的な議論のきっかけとなる真摯な問題提起なのだから、本来ならば逮捕などあり得ず、むしろ、表現の自由を保障する憲法21条により保障されるべきである。したがって、判決は不当である。


【意見の詳細】

[意見趣旨1の詳細]
ろくでなし子氏は、自身の女性器をモチーフとした作品を通し女性器のイメージを「明るく楽しい」表象として伝えているわけですが、その思想性は、現代の女性が「性」について語りやすくする気運を「意図して」醸成することにより、「性」に関わる諸問題について議論のきっかけを与え、主体的に明るく対峙しようというイノベイティブなものです。
ろくでなし子氏は、2015年4月15日の初公判で、次ように述べています。
「女性器は自分の大事な体の一部分に過ぎないものであるのに、日本では恥ずかしい、いやらしいものとして扱われてきた。そのイメージを払拭(ふっしょく)したくて、女性器をモチーフに、ユーモアあふれるたのしい作品を作りました」(注2)
ろくでなし子氏が述べているような、作品を、“女性器の否定的なイメージを払拭する「明るく楽しい」表象とする”ということの思想性は、判決要旨から察するに全く理解されていないのではないでしょうか? 同時に、特にプロジェクトアートなのだから本来ならば作品のプロジェクト全体からコンセプチュアルな部分も含めて分析し、それによって思想性を検証するべきであったにもかかわらず、それが十分に行われたかについても疑問が残ります。
ある事象について、明るいイメージを生み出すことができれば人々が話題にしやすくなります。そして、話題の対象として社会的に認知されることになり、それまで蔑ろにされていた事象についてイノベーションをもたらし、社会を変化させることがあります。
実際、我が国においては、「アンネナプキン」に始まる1960年代以降の近代的生理用品のデザインが-----企画開発・広告宣伝におよぶまで-----そうしたイノベーションの一例となっています(注3)。
月経にはいわゆる「血穢」というタブーがありました。過去の歴史においては、月経中の女性は家から離れた別小屋で過ごさなければならないこととなっていました(注4)。「アンネナプキン」の宣伝課長だった渡紀彦氏は著書において次のように述べています。「今日でも、ある地方に行くと、生理が始まった日に母家からでて納屋に引きこもる」と(注5)。
また、田中ひかる氏の著書では次のような記録があります。1907年生まれの女性の口述記録とのことですが、生理用品(注6)を洗濯した際には、不浄なものだからお日様にあてちゃいけないので日陰に干さなければいけなかった、と。そして田中氏は、生理用品が進化しなかった理由の一つが「経血が『不浄なもの』、月経が『女のシモのこと』であるため等閑視されていたということも挙げられる」と指摘しています(注7)。
月経には元々このようなタブーがあり、暗いイメージは根強いものでした。そこで渡氏はこうした中での「アンネナプキン」の開発に、月経についての陰鬱さを払拭し明るいイメージとなることを目指したデザイン戦略を用いたと述べています(注8)。
「アンネナプキン」は、現在我が国の生理用ナプキン市場で主流となっている紙ナプキンの原型となっていますが、継承されたのはナプキンそのもののデザインばかりではなく、月経の否定的なイメージを払拭することをミッションに含む広告戦略です。1970年代には研ナオコ氏を起用したテレビCMが注目を集め、以来、日本のナプキンのテレビCMではタレントの起用が増加します(注9)。月の扮装をした笑福亭鶴瓶氏を起用した滑稽なCMや(注10)、音楽グループ「安全地帯」を起用したエレガントなCMもありました(注11)。
こうして月経は、否定的なイメージが軽減され話題にしやすい気運が醸成されることにより、社会的に認知され蔑ろにされないようになっていきました。同時にナプキン自体のデザインも次々と考案され(注12)、それまでのモッコふんどし(注13)やゴム引き生理バンド(注14)では得られない快適さを獲得しました。そして、月経の否定的なイメージが軽減されたことによりナプキンは日陰に追いやられることなく社会に流通することが可能になり、今やスーパー・コンビニエンスストアといった大きな販路を得て、ユーザーが買い求めやすい状況となっています。
上に述べたナプキンの例は、ある事象のイメージを明るく変えることが、ひいては女性の健康的な生活を支えることになったというイノベーションの一例です。「アンネナプキン」以降、先人達はそれまでの生理用品の「もれる・むれる・かぶれる」といった問題に対峙しナプキンを著しく進化させ、同時に、月経そのもののイメージを変革しました。女性達は進化したナプキンにより、日々の活動に集中することが可能となり、ひいては女性の社会参加を支えることにもつながりました。
ある事象のイメージを変えることの思想性は、このように人々の生活に変化をもたらし尊厳を取り戻すといった、イノベーションを促す点にあります。ろくでなし子氏の作品にも、そうしたイノベイティブな思想性があるのではないでしょうか? ナプキンの例同様、女性器の否定的なイメージを払拭し明るいイメージに変えることは、女性器を象徴とする「性」の問題について話題にしやすくし、社会的な認知を与え蔑ろにされないようにする作用があります。そして実際、ろくでなし子氏は作品を通しインターネットのクラウドファンディングや3Dプリンタといった最新の技術により人々を巻き込み、話題となっていきました。そして氏は、今やさかんに国内外のシンポジウムやイベントに登壇することとなり、こうした催しに市民が集まることとなりました。そこで我々は実際に、女性器を発端とした性タブーの問題もふくめ、議論をするきっかけを与えられ「性」の問題を語り続けています。
このように、ろくでなし子氏の作品は女性器を話題にしやすくし、「性」の諸問題についての議論のきっかけを提示し実際議論が生まれました。それは女性にとってイノベーションに繋がる希望です。こうした作品の思想性を十分に顧みれば、適切な判決は明らかになりましょう。

[意見趣旨2の詳細]
ろくでなし子氏は作品を通じ性タブーに疑問を呈しました。これは社会的な議論となる真摯な問題提起なのであって、そもそも憲法21条により保障されるべきでしたし、本来ならば逮捕の必要はありませんでした。
この度の判決では、ろくでなし子氏は有罪とされ刑事罰が科されました。これでは、公権力が性タブーについて問題提起することそのものを法で禁圧し、社会で性タブーについて議論する機会を奪うことになってしまいます。そして議論の機会が奪われれば、それらの性タブーの不当性や弊害について社会で議論し、不当なものとして除去していくことも出来なくなってしまいます。
我が国においても、行き過ぎた性規範が「血穢」にみられるような不必要なタブーを形成し、女性の行動を制限し隅に追いやり尊厳を傷つけ、社会参加の弊害になってきた歴史があります。過去には法令においても「血穢」が規定され、九世紀の「貞観式」をはじまりとし明治政府が廃止するまで続きました(注15)。そしてそのような法令が廃止されてもなお、「血穢」は民間の風習として現代まで残りました。
現代では、ナプキンのデザインにも見られたように社会的にそうした弊害を除去する動きも生まれましたが、それは先人達の不断の努力の集積によって生まれてきたのです。しかしながら、この度の判決でろくでなし子氏は有罪とされ刑事罰が科されました。これでは、性タブーについての問題提起を議論する機会を奪うことになるのはもちろんのこと、こうした先人達の努力に支えられた女性の社会進出の歴史について「否」をつきつけることにもなります。それは女性の社会参加の未来を考える上で重大な意味を持つことになるわけで、私は女性クリエイターとしても看過できません。


【まとめ】
ろくでなし子氏は、なぜ氏自身の性器をモチーフとしたのでしょうか? 推測するに、女性器について「自分の身体として取り戻された」女性器として-----また、その女性器を発端とした性の問題として-----主体的に話題にしたかったということではないでしょうか? したがって、「自分の大事な体の一部」であり「自分の身体として取り戻された」女性器としての「まんこ」は、氏自身の女性器をモチーフとする必要があったのだという気がします。
現代の女性の「性」をめぐっては、性タブーをはじめとし、性教育、性感染症、避妊(ピルの使用や普及はどうするのか?)、ひいては女性の労働環境、性差別等々、議論するべきことは山積みです。それは、客体としての女性の「性」ではなく主体である女性が自分の「性」のこととして考えなければならないことでもあります。そして、「性」を語ることがタブーであれば、こうしたことを議論することもできません。
女性の社会参加が行われるためには、先人達の不断の努力の積み重ねが必要でした。それは時には賽の河原で石を積み上げるようなことであったとも言えましょう。私はこうした先人達の努力を無にしたくはありません。積み上げた石を賽の河原の鬼が蹴散らすようなことにならぬよう、第二審ではろくでなし子氏の無罪を切に願います。


以上

女子現代メディア文化研究会共同代表/デザイナー
山田久美子



[ 注 ]
(注1) ろくでなし子氏の弁護側の主張では作品はフェミニズムアートとしての側面を持つことについて思想性があるとの主張もされたが、判決では「本件各造形物はポップアートの一種であると捉えることは可能であり」としながらも、「そこからフェミニズムアートの思想を直ちに読み取ることができるかはさておき」、くり返すが「さておき」などと、なげやりな態度も見られる。
(注2) 朝日新聞/2016年5月13日コラム「きょうも傍聴席にいます」
(注3) 田中ひかる「生理用品の社会史」(ミネルヴァ書房/2013年)によれば、「アンネナプキン」は当時の坂井素子社長の「日本人女性の体に合った紙綿製の生理用品が普及すれば、女性達は月経時をもっと快適に過ごせる」というコンセプトに基づき設計された。現在我が国で主流となっている、ゴム引きではない生理用ショーツと個包装の使い捨て紙ナプキンの組み合わせは「アンネナプキン」から始まっている。
(注4) 成清弘和「女性と穢れの歴史」(塙書房/2003年)では、九世紀後半の『貞観式』に公の規定として初めて「血穢」が確認できるとしている。九世紀前半の『弘仁式』では不明。田中ひかる「生理用品の社会史」(ミネルヴァ書房/2013年)では、第二次世界大戦後まで月経禁忌にともなう月経小屋の使用が民間の慣習として続いたことが指摘されている。
(注5) 渡紀彦「アンネ課長」(日本事務能率協会/1963年)
(注6) 当時の生理用品だった「モッコふんどし」
(注7) 田中ひかる「生理用品の社会史」(ミネルヴァ書房/2013年)
(注8) 渡紀彦「アンネ課長」(日本事務能率協会/1963年)。渡紀彦の宣伝課長という役職は、業務内容から考えれば現代的に言えばアートディレクター、クリエイティブディレクターというところであろう。彼が関わった「アンネナプキン」の広告のシリーズでは、「日本雑誌広告賞」を複数受賞している。
(注9) 小野清美「アンネナプキンの社会史」(宝島社文庫/2000年)では、「昭和五十年代以後、生理用品のCMには研ナオコに始まり、アン・ルイス、マッハ文朱、中原理恵、新体操の山崎浩子、木の実ナナ、木内みどり、田中美奈子、田中美佐子、秋野暢子、三田寛子、長野智子、伊藤かずえら多くのタレントや女優が登場している」と指摘している。近年では元AKB48の前田敦子が登場するなど、ナプキンのテレビCMにおけるタレントの起用はもはや当たり前となっている。
(注10) 1985年のユニチャーム「ソフィ」のCMにおける笑福亭鶴瓶の起用に見られるように、笑い要素により陰鬱なイメージを払拭しようという動きもあった。小野清美「アンネナプキンの社会史」(宝島社文庫/2000年)では、ユニチャーム「チャームナップミニ」のCMに起用された研ナオコについて、広告批評家の天野祐吉の次のような批評を引用している。「ふつうに自分を出せて、しかも自分を笑い飛ばせる三枚目の賢さをもった人でなければ月経をからっとしたものにできなかっただろう」。
(注11)1985年の大王製紙「エリス」の広告では「安全地帯」の「碧い瞳のエリス」がCM曲に使われ、そのコピーは「エリスは安全地帯」というものだった。CMにはヴォーカルの玉置浩二も出演している
(注12) 「アンネナプキン」以降のナプキン自体のデザインは、各シチュエーションに応じた多岐に渡るものとなった。普通の日用、夜用、多い日用、さらに多い日用、逆に軽い日用…と、開発が進み、超薄型のデザインも生まれた。また、ナプキン装着時の「横ずれ」問題に対応すべく、ナプキンの固定テープのデザインは次々と考案されていった。最初は両面テープを応用した固定テープで、前方後方の2カ所のもの、サイドに2本(ユニチャーム「チャームナップミニ」に見られたいわゆる「サイドストッパー」、現在では見ることはなくなった)、サイドと真ん中の3本のもの等が開発され、そして終には羽根(P&G「ウィスパー」等に現在でも見られるいわゆる「ウイング」)つきのナプキンが考案される。なお現在では、日東電工株式会社によれば(http://www.nitto.com/jp/ja/tapemuseum/history/chapter06_20.html)両面テープはほとんど用いられなくなったという。ナプキンに粘着剤を直接塗って、剥離ライナーを貼ったものが主流になっているとする。またナプキンに内蔵された高吸収性ポリマーは、現在では、乳児用・成人用の紙おむつ等に共有されている。
(注13) 田中ひかる「生理用品の社会史」(ミネルヴァ書房/2013年)では「モッコふんどし」について、次のような使用談の記録がある。「脱脂綿は一日に何回かとりかえるのだけれど、それでも一日たつとモッコふんどしが血でカラカラにひからびて、かたーくなっちゃうわけなのよ。今考えてみれば、血のりでガバガバになったのを一日中してなきゃならないというのは、つらかったねえ。それでもそれをバケツの水につけて洗って、物置きの中に干したのよ。ほんとうは日光にあてて消毒すればいいんだけど、その当時は、不浄なものだからお日様にあてちゃいけないって母に言われたのよ。」
(注14) 「アンネナプキン」が登場する以前の1950年代頃は我が国ではゴム引きの生理バンドが存在したが現在のナプキンの快適さには到底及ばないものであったとされる。渡紀彦「アンネ課長」(日本事務能率協会/1963年)で渡も「ムレる」「カブれる」「タダれる」と、その難点を指摘している。
(注15) 「血穢」は1872年太政官布告五六号「今より産穢憚り及ばず候う事」という法令により公には廃止された。


・ろくでなし子氏裁判の無罪を求める意見書(PDF版352kb)

2016年4月24日日曜日

党大会@東京・山田太郎のメディアフォーラム@大阪・名古屋のお知らせです


私ども女子現代メディア文化研究会も協力団体としてお手伝いしている「山田太郎のメディアフォーラム」が、東京・大阪・名古屋にて、開催される運びとなりました(東京でのフォーラムは、表現の自由を守る党の党大会も兼ねています)。参加無料です。

日程概要
東 京:4月29日 表現の自由を守る党党大会
          第5回山田太郎のメディアフォーラム@海浜幕張駅至近
名古屋:5月5日   第6回山田太郎のメディアフォーラム@名古屋駅至近
大 阪:5月29日 第7回山田太郎のメディアフォーラム@インテックス大阪


●東京概要(党大会&フォーラム)
 表現の自由を守る党 党大会(兼 第5回山田太郎のメディアフォーラム)

[日時]2016年4月29日(祝) 18:00-19:30 (受付 17:40-)
[場所]幕張会議室(「海浜幕張駅」南口目の前 プレナ幕張6階)
   (千葉市美浜区ひび野2-4)
[費用]無料
[お申し込み]http://taroyamada.jp/?p=8836
上記webサイトのお申し込みフォームからお願いいたします。
*なお、参加は表現の自由を守る党のサポーターの方に限らせて頂きます。まだの方はサポーター登録をお願いします。


●名古屋概要(フォーラム)
 第6回山田太郎のメディアフォーラム)

[日時]2016年5月5日(祝) 16:00-17:30 (受付 15:40-)
[場所]イオンコンパス名古屋駅前会議室
   (名古屋市中村区椿町18-22 ロータスビル5階)
[費用]無料
[協力]うぐいすリボン、女子現代メディア文化研究会
    エンターテイメント表現の自由の会(AFEE)
[お申し込み]http://taroyamada.jp/?p=8836
上記webサイトのお申し込みフォームからお願いいたします。
事前に付近で街頭演説を行った後、メディアフォーラムを開催の予定です。詳細は追ってご連絡します。


●大阪概要(フォーラム)
 第7回山田太郎のメディアフォーラム)

[日時]2016年5月29日(日) 15:00-16:30 (受付 14:40-)
[場所]インテックス大阪 国際会議ホール(5号館2階)
   (大阪市住之江区南港北1-5-102)
[費用]無料
[協力]うぐいすリボン、女子現代メディア文化研究会
    エンターテイメント表現の自由の会(AFEE)
[お申し込み]http://taroyamada.jp/?p=8836
上記webサイトのお申し込みフォームからお願いいたします。
事前に付近で街頭演説を行った後、メディアフォーラムを開催の予定です。詳細は追ってご連絡します。

以上、ご興味をお持ちの方はぜひともお越しくださいませ。

2016年3月19日土曜日

第四回「 山田太郎のメディアフォーラム」のご案内です


この度、参議院議員の山田太郎先生と表現の自由を考える機会を設けることを目的とした「山田太郎のメディアフォーラム」の第四回目を開催する運びとなりました。
私ども女子現代メディア文化研究会も協力団体としてお手伝いいたします。

[日時]2016年3月27日(日)16:30〜18:00
    ※受付 16:10〜
[場所]ホテルサンルート有明 花明(月)
   (東京都江東区有明3-6-6)
[テーマ]国連からのマンガ・アニメ・ゲーム規制勧告を踏まえて
[費用]無料
[主催]山田太郎事務所
[協力]うぐいすリボン、女子現代メディア文化研究会
    エンターテイメント表現の自由の会(AFEE)
[お申し込み]http://taroyamada.jp/?p=8669
上記webサイトのお申し込みフォームからお願いいたします。

以上、ご興味をお持ちの方はぜひともお越しくださいませ。

2016年3月7日月曜日

〜国連女子差別撤廃委員会、「日本における女性の権利」保障〜議題「性的暴力を描写したビデオや漫画の販売の禁止」についての意見書を翻訳しました (In English)


Memorandum on "Protecting Women's Rights in Japan" by the United Nations Committee on the Elimination of Discrimination against Women, particularly the section that recommends prohibiting of the sale of video games or manga depicting sexual violence




【Introduction】

On February 16 this year, the United Nations Committee on the Elimination of Discrimination against Women held a deliberation on the topic of women's rights in Japan. This deliberation included a proposal that sales of video games and manga depicting sexual violence be banned. We would like to present a memorandum on this proposal. (While the English text speaks of "videos", this is translated from a word that means "video games" in the original Japanese text (ow.ly/YaCbm). Therefore, we assume that "videos" means "video games".)


[Summary]

We strongly support strengthening the protection of women's rights in Japan. However, we also want to ensure that any measures in support of this goal are taken only after careful consideration of their actual usefulness.

Would a prohibition of the sale of video games and manga that depict sexual violence help bring about more respect for women's rights in Japan? Our answer to this question is a resounding "No".


[Reasons behind our opinion]

[Reason 1]
Fictional sexual violence in manga and video games does not actually violate people's human rights, so prohibiting these media in order to preserve women's rights would be meaningless.

[Reason 2]
In Japan, the creative space of manga in particular is a space that women have built for themselves, and where they play a very active role. A ban on the sale of manga depicting sexual violence would only end up aggravating the gender-based discrimination that women face in Japan.


[More information about reasons]

[About reason 1]
We must make all efforts to protect and support real, living rape survivors who have been forced into sexual acts without their consent. We must make all efforts to deal with sexual violence as the grave human rights violation that it is. However, sexual violence inflicted on fictional beings in manga and video games simply does not cause direct harm to actual people. We must focus on tackling actual, real violations of the human rights of real, flesh and blood women.

[About reason 2]
In Japan, the creative space of manga in particular is a space that women have built for themselves, and where they play a very active role.

As far back as the 1970s, Japan has had magazines for girls' manga that nurtured one female cartoonist after the other. Even before the Equal Employment Opportunity Act was enacted in 1986, girls' manga were already a well-established space for female creativity. The stories in these manga for women very often focused on love, as well as sex and sexuality.
Our country's countless manga for women also include works that recount the history of women's exploitation. One example is Fumiko Sone's "Cliff Parents". This work, based on historical events, tells the survival story of a girl whose poverty leads to her being sold by human traffickers into the Makusai red-light district of Muroran, Hokkaido.

Reading this kind of manga gives modern-day people a way to imagine the great pain these women experienced. If any wholesale ban on the sale of manga depicting sexual violence were enacted, however, readers would be robbed of this opportunity. The work contains scenes of sexual violence, after all, so it would be forced to go out of print entirely.

Many other manga by women would have to go out of print if a ban on depictions of sexual violence were to become a reality. Keiko Takemiya's "Song of Wind and Trees" and Akimi Yoshida's "BANANA FISH" are only a few famous examples. (It should be noted that some of these works show sexual violence against men. However, sexual violence is not a problem that is limited to women, and should not be associated solely with women's rights.)

If a ban on depictions of sexual violence were to become a reality, publishers would be forced to stop distribution of a large number of works. The result would be a narrowing, or even outright destruction, of the creative space of manga that women have worked so hard to cultivate and make their own. Manga readers, on the other hand, would lose the opportunity to learn about the history of the sexual exploitation of women. Doing such targeted violence to manga, our country's foremost space for female creativity, would harm not only female cartoonists, but also female manga enthusiasts and other female creatives whose work relies on manga. Enforcing these kinds of restrictions would be an act of discrimination against Japanese women.

We do acknowledge that manga depicting sexual violence cause great discomfort to some people. However, the decision to outright prohibit the distribution of a particular kind of speech should never be based solely on people's feelings of discomfort, or their moral judgments.
Feelings of comfort or discomfort, or moral judgments, vary greatly from person to person, from region to region, from culture to culture, and from society to society. There is no guarantee whatsoever that society A will have the exact same moral values as society B. It follows that when one society elevates its values above those of all other societies, conflict will be the result.

If our goal is to make our society function in a harmonious way, then we should strive to ensure that people are not forcibly confronted with material that they find deeply offensive. That is something that can be accomplished simply by making sure that offensive materials are not made accessible in places where anyone could accidentally stumble across them. There is absolutely no need to enforce censorship of an entire genre of content, let alone to enshrine that censorship in law or even outright forbid people to create manga that some might find distasteful.


CONCLUSION

As we said, the goal of protecting women's rights is a laudable one. However, a prohibition on the sale of video games or manga depicting sexual violence would not be an appropriate way to reach that goal.

Perhaps cracking down on fictional sexual violence makes many people feel that at least something is being done. However, while we are busy debating the human rights of fictional characters, nothing is being done to protect the human rights of actual, living women.

Japanese manga are a brilliantly diverse medium, enough to include many works about sexual exploitation. The reason for this diversity is that manga have always been characterized by an extreme open-mindedness
towards any kind of expression. This open-mindedness could endure because we believe that this world is a maelstrom of people, of life and death, and of good and evil - and that manga artists should be free to explore that complexity.

Manga creation is a space where Japanese women have labored to carve out their own place, and where women's expression flourishes. We strongly believe that protecting women's rights means fighting to keep that space from being destroyed, so that we can leave it to the next generation.


February 28, 2016

Kumiko Yamada, corepresentative of the Women's Institute of Contemporary Media Culture,
designer


[Supporters of this memorandum]

Professor Yukari Fujimoto (Professor, Meiji University)
Ms. Izumi Mito / Raika Kobayashi (corepresentative of the Women's Institute of Contemporary Media Culture, BL novelist, manga writer)
(February 28, in alphabetical order)

Ms. Icco Sasai (illustrator, director of Uguisu Eibbon Campaign)
Ms. Akiko Hori (manga researcher, general incorporated association representative)
(February 29, in alphabetical order)

Ms. Mikiko Sakuma (former librarian of the Shizuoka City Library, director of Uguisu Eibbon Campaign)
Ms. Teiko Sasaki (novelist)
Professor Yoko Shida (Professor of law, College of Art and Design, Musashino Art University)
(March 1, in alphabetical order)

Ms. Barbara Katagiri (BL novelist)
Ms. Shoko Yoshiduki (Representative of the Kansai Association for Rethinking Restrictions on Freedom of Expression, BL novelist)
(March 2, in alphabetical order)

Ms. Izumi Katsura (BL novelist)
Ms. Minami Ohsaka (manga artist)
Ms. Hinako Takanaga (manga artist)
(March 4, in alphabetical order)

Ms. Aya Kaida (novelist)
Ms. Harumo Kuibira (BL novelist)
Ms. Akeo Sakai (BL novelist)
Ms. Haruhi Sakiya (novelist)
Ms. Kei Shinomiya (BL novelist)
Ms. Eri Shibata (artist, writer)
Ms. Ichika Takahara (BL novelist)
Ms. Ikuya Fuyuno (BL manga artist)
(March 5, in alphabetical order)

Ms. Yayoi Umino (manga artist)
Ms. Tatsuru Kouji (BL manga artist)
Ms. Sonoko Sakuragawa (BL manga artist)
Ms. Ami Suzuki (BL novelist)
Ms. Sera (BL manga artist)
Ms. Natsuki Matsui (author)
Ms. Korumono Migiwa (novelist)
Ms. Natsuko Mori (novelist)
Ms. Rokudenashiko (manga artist, sculptor)
Ms. Yumiko Watanabe (anime journalist)
(March 6, in alphabetical order)

Ms. Mizuho Aimoto (manga artist)
Ms. Kichi Uekawa (BL novelist)
Ms. Miya Okima (manga artist, illustrator)
Ms. Yugi Otogi (game character designer, illustrator)
Ms. Takao kasaki (manga artist)
Ms. Yuma Katagiri (scenario writer)
Ms. Ariko Kanazawa (novelist)
Ms. Kumiko Kanno (writer)
Ms. Youko Sanri (manga artist)
Ms. Yoshino Somei (BL novelist)
Ms. Tomoharu Takekawa (BL manga artist)
Ms. Rei Nekojima (manga artist, manga vocational college instructor)
Ms. Fuzisawa (game scenario writer)
Ms. Naoko Mastsuda (manga artist)
Ms. Kei Minamisawa (writer)
Ms. Reiko Morisaki (manga artist)
Part-time assistant professor Toyomi Morishita (animation artist, part-time assistant professor)
Ms. Yasuko Yamauchi (editor)
(March 7, in alphabetical order)

Ms. Hiromi Egawa (manga artist)
Ms. Ena (manga artist)
Ms. Junko Kaneda(Yaoi BL Doujinshi researcher)
Ms. Tomoko Kanemaki (writer, novelist)
Ms. Aya Kamon (lawyer)
Ms. Harumi Kawaguchi (poet)
Ms. Makoto Kiryu (manga artist)
Ms. Yuki Gotou (BL manga artist)
Ms. Syuri Sakura (BL novelist)
Ms. Kaya Shigisawa (manga artist)
Ms. Bunny Urasawa (manga artist)
Ms. Mirai Haruka (novelist)
Ms. Aya Higuchi (male manga artist, TL manga artist)
Ms. Akira Hino (BL manga artist)
Ms. Magupoppo (adult manga artist)
Ms. Yukari Mano (scenario writer)
Ms. Kei Mito (BL, NL novelist)
Ms. Kanako Meiji (manga artist)
Ms. Ei Yamauchi (novelist)
Ms. An Yoshida (TL novelist)
(March 8, in alphabetical order)

Ms. Misawo Aizawa (manga artist)
Ms. Shizuku Aimori(girls' novelist)
Ms. Mikari Asou (TL novelist)
Ms. Yuu Adumi (manga artist)
Ms. Edara (manga artist)
Ms. Miho Ogura (editor)
Ms. Tsubasa Kawahara (BL manga artist)
Matsuri Kusaka (scenario writer, illustrator)
Ms. Eri Sakai (manga artist)
Ms. Masaki Sawa (scenario writer)
Ms. Kana Suzutsuki (writer)
President Keiko Takemiya (manga artist, president, Kyoto Seika University)
Ms. Kabi Nagata (manga artist)
Ms. Sakura Nagatanien (novelist)
Ms. Satoru Hiura (manga artist)
Ms. Mitsuko Hirose (illustrator, color studies)
Ms. Buhii (illustrator)
Ms. Hitoshi Matsuna (adult manga artist)
Associate Professor Naoko Mori (Associate Professor, Kansai University)
(March 9, in alphabetical order)

Ms. Chika Akabane (manga artist)
Ms. Enuko Kuroki (BL manga artist)
Ms. Hisui Kurohane (TL novelist)
Ms. Shio Sasahara (novelist)
Ms. Maki Hirakawa (lawyer)
Ms. Maki Makihara (novelist)
(March 10, in alphabetical order)

Part-time assistant professor Keiko Atsuta (part-time assistant professor, gender studies, sociology)
Ms. Shigeru Itoi (manga artist)
Ms. Mariko Kawana (novelist, former AV actress)
Ms. Kaoru Kurosaki (novelist)
Ms. Riu Gotou (novelist)
Ms. Fuyu Hirasaka (manga artist)
Ms. Rika Rokka (game scenario writer, novelist)
(March 11, in alphabetical order)

Ms. Misturu Fujii (manga artist)
Ms. Ranko (manga artist)
(March 13, in alphabetical order)

※ We will continue to add names of supporters.